スペインGP レビュー
二〇一二年のF1シーズンは、四戦した時点で四つのちがったチームからそれぞれ四人のドライバーが優勝するという、まったく先の読めない幕開けとなった。このようなことはじつに二〇〇三年以来のことで、それでなくても去年のシーズンで単調なレース展開にあきあきしていた観客はこれをよろこんだ。勝負の行方がまったくわからず、したがって理論上はどこの誰にでも優勝するチャンスがあったからである。すでに第二戦のマレーシア・グランプリで、開幕前の予想では「とても優勝はできない」とされていたフェラーリのフェルナンド・アロンソが乱戦を制して優勝しており、また第三戦の中国グランプリではメルセデス・チームのニコ・ロスベルグが、「タイヤに厳しい」というマシンの不利を覆して、初優勝を飾っていた。こんなシーズンはひさしぶりだった。
開幕四戦が過ぎ、F1がヨーロッパ大陸に戻ってくると、チームのスタッフやドライバーはみな一息ついてリラックスした気分になった。不慣れな土地や気候やまったく新しい車の心配をすることなく、ちゃんとした土地にあるちゃんとしたサーキットでレースができるからである。車のほうもここ数戦で必要な熟成作業はすべてすんでいたが、レースに先だってイタリアのムジェッロというところでおこなわれたテスト走行の結果をうけて、新パーツを投入しているチームもあった。金曜日の練習走行では、午前中にフェラーリのフェルナンド・アロンソが最速タイムを出して地元の観客をよろこばせたが、午後になるとマクラーレンのジェンソン・バトンにトップタイムを奪われて、六番手にまで落ちてしまった。スペインはいうまでもなくアロンソの地元で、パドックのひとびとは、彼は地元の観客にいいところを見せようとして、午前中は特別にがんばったのだろうと思った。
土曜日の予選になると、グランプリにおける勢力図はいよいよはっきりしてきたかのように見えた。午前中の練習走行ではレッドブル・ルノーのセバスチャン・ベッテルがトップ・タイムを記録したが、予選になるとマクラーレン・メルセデスの二台が飛び出していき、特にルイス・ハミルトンが第一段階から他をまったくよせつけないようなスピードで走り、スタンドを沸かせた。しかし、第一段階も終わろうかというところになって、ウィリアムズ・ルノーのパストール・マルドナドが僅差でトップ・タイムを記録していったのであった。そして彼は第二段階でもまったく同じことをしてのけたのである。第二段階でタイムが伸び悩み、結果としてトップテンに進出できなかったマクラーレン・メルセデスのバトンやレッドブル・ルノーのマーク・ウェバー、フェラーリのフェリペ・マッサとは対照的だった。ウィリアムズは誰もが尊敬する歴史を持つ名門チームのひとつだったが、去年は一年間で選手権ポイントをたったの五ポイントしか獲得できておらず、今シーズンへの期待も低かった。それだけに、マルドナドのとつぜんの活躍は意外な伏兵の出現として受け止められたが、彼が数時間後によもやポール・ポジションから優勝しようなどと考えたものはそう多くなかった。ウィリアムズ・チームの車は、まだ単純な速さにおいて上位数チームと互角に戦うだけの実力を伴っていないというのが大方の見解であったからだ。それに、マクラーレンに乗るルイス・ハミルトンの車は、マルドナド以上にうまく仕上がっているように見えた。それを証明するかのように、第三段階になってハミルトンは他車を0.5秒ちかく引き離すタイムで、ポール・ポジションの男となったのである。マルドナドは最後のアタックでアロンソを百分の一秒ほど追い抜いて第二位であった。
しかし、その日の午後になって、ハミルトンは予選タイムを抹消されてしまい、最後尾の二十四位からスタートする破目になった。彼は第三段階で車を軽くするためにギリギリの燃料だけを積み、予選終了後にガス欠になってコース上に止まってしまった。しかし予選に参加した車はセッション終了後に競技委員にたいして1リッター分の燃料サンプルを提出することになっていて、ハミルトンはそれができなかったのでペナルティを下されたのであった。これで彼が優勝する機会は事実上なくなり、レースはかわってポール・ポジションにつけたマルドナドと、そのすぐうしろのアロンソの間だけで争われることになりそうであった。
はたして、日曜日のレースになると、アロンソがスタンドを埋める母国の大観衆の目前ですばらしいダッシュを決め、マルドナドのインサイドに並びかけた。マルドナドもインへ寄せて妨害したが、彼もクラッシュでレースを終えたくは無かったので、必要以上にブロックすることをしなかった。二台はアロンソが前を行き、マルドナドが隊列を引き連れて後を追うかたちで、第一コーナーへ飛び込んでいった。しかし観客の目には彼らの車はいまにも接触しそうな距離で駆け抜けていったように映り、彼らは口ぐちに自分たちがたったいま目にしたことを興奮した面持ちで語り合った。しかしアロンソはすでに危なげなくトップをひた走っていて、マルドナドは一周目を終えたところではやくも一秒以上の差をつけられていた。彼はまず、スタートで飛び出してそのまま逃げ切るという、最初の勝負に失敗したのである。
二台のうしろでは、入賞圏内外のポジションをめぐってはやくも乱戦の様相を呈しはじめていた。ロータス・ルノーのキミ・ライコネンにロメイン・グロージャンを筆頭に、メルセデス・チームのロスベルグやレッドブルのベッテル、最後尾からめざましい追い上げで入賞圏内までなんとか這い上がってきたハミルトンに、調子が上向いてきたサウバー・チームの小林可夢偉、さらにはうしろのほうで機をうかがうフォース・インディアのニコ・ヒュルケンバーグにポール・ディ・レスタもいた。しかし誰もアロンソのペースには追いつけなかった。マルドナドはタイヤをいたわるために、あえてペースを大きくあげることをしないで、アロンソのペースにつきあって2秒ほど後方を走っていた。ピレリ製のF1用タイヤは耐久性にとぼしく、すこしでもプッシュしすぎるととたんに戦闘力をうしなってしまうので、ペース配分には特に慎重になる必要があった。
中盤になって、各車が二回目のタイヤ交換のためにちらほらとピットに入りはじめた。はやくピットに飛び込んだのはマルドナドのほうだった。二十四周目のことであった。これでキミ・ライコネンがかわりに二位になったが、彼もそのうちタイヤを交換しにピットへ入らなければならないことはわかっていたので、マルドナドはあわてなかった。彼にはアロンソにはないあたらしいタイヤがあり、もし作戦がうまくいけばアロンソがピットインした隙をついて彼の前に出ることができるのであった。そして二十六周目にアロンソがピットインした。フェラーリのメカニックが四輪を交換し、アロンソがピット・ロードへ向かって加速を開始したとき、マルドナドはピット前のストレートを駆けおりて、誰よりもはやく第一コーナーへ飛び込まんとするところだった。彼は見事、ポジションを逆転してみせたのである。
レースの終盤になって、いったんは引き下がったかに見えたアロンソがふたたびスパートしはじめた。彼はほぼ一周に一秒前後のペースで追い上げていき、レースが残り十一周となった五十五周目にはその差は一秒を切った。まったく機械のような正確さだった。しかしアロンソは第一セクターと第二セクターでは速かったが、第三セクターではマルドナドにわずかだがおくれをとっていて、その上最終コーナーのあとには長いストレートが待っていた。そこでどうしてもマルドナドに離されてしまうのである。しかしアロンソはあきらめずに追いかけ続けた。マルドナドの前にははやくも周回遅れの車が姿を見せはじめていて、マルドナドがこれを捌いていくにはタイムロスは不可避であったのである。あとになって考えてみると、このときがアロンソにとって前に出るただ一度のチャンスであった。
ところが、そのアロンソのペースが残り七周となった五十九周目から目に見えて落ちはじめ、六十一周目にはマルドナドとの差は二秒ちかくにまで開いてしまった。どうしてもっと追いかけないんだろうとみんな不思議に思ったが、アロンソにはアロンソの事情があった。マルドナドに追いつこうとして無理なハイペースでの走行を続けたために、リアタイヤが駄目になってしまったのである。その上うしろからは、虎の子のニュータイヤを最後の最後になって投入し、これまた烈しいペースで追うライコネンが、一周につき1.5秒というおそろしいペースで迫っていた。それでもアロンソはあきらめずに追い続けたが、六十三周目になってあきらめた。前の車との差はいまや3秒以上になっていた。スペインの観客が地元の英雄の凱旋を目にする機会はこの瞬間に失われたのである。
マルドナドは最後の数周をまったく危なげない走りでクリアすると、六十六周目のコントロール・ラインにまっさきに姿をあらわした。彼は右手を高々と掲げ、ベネズエラ人としてはじめて、F1グランプリで優勝したドライバーとなった。チームにとってもこの勝利は特別であった。二〇〇四年ブラジル・グランプリでフアン・パブロ・モントーヤがあげた一勝以来、じつに八年ぶりの勝ち星だったのである。くしくも、八年前のその勝利もフェラーリをうち破って得たものであった。二位にはアロンソが、三位にはライコネンが入った。ライコネンのレース・ペースもすばらしく、レースがもう一周あれば確実にアロンソをしとめて二位になれていたところだった。マルドナドは表彰台上ではじめて流れるベネズエラ国歌をきき、その後壇上でふたりに担ぎ上げられてはしゃぎまわっていた。最後尾からスタートしたハミルトンは、途中四位まで追い上げる局面もあったが、結局八位でレースを終えた。思えばマルドナドは、当初から持参金だけで契約したペイ・ドライバーとそしりを受け、その不安定なドライビング・スタイルとチームの不調のせいで優勝候補の隅にものぼらない名前だったのである。それでも彼はF1のすぐ下のカテゴリであるGP2のチャンピオンで、こんどの優勝はウィリアムズ・チームの完全復活を意味するばかりでなく、彼自身に対するそうした正しくない評価を洗い落とすに足るものだった。デビュー二年目になって、パドックにマルドナドの実力に対して疑問をさしはさむ人間はいなくなったのである。

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