2020年9月11日 (金)

CuFes03・新刊etc.

以前の記事で言及しましたが、このたび横浜で開催されるデレマスオンリーイベント「Cute Star Festiv@l」内、緒方智絵里オンリーイベント「Clover Fields Merry」にて発売予定の新刊の書影、および当日のお品書きが完成しましたのでアップします。

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今回の新刊は前々から出そうと思っていた「アルファコルセ3周年記念総集編イラスト集」で、過去正方形サイズの本に収める形で描いてきた智絵里の絵を、A4フルサイズでドドンとお見せしよう! というコンセプトの本です (A4ピッタリに納めるためにイラストの一部を切り取らざるを得なかった絵が多かったですね…そのへんはなるべくバランス良く見えるよう調整を重ねました)。本当は見開きサイズの描きおろしを一枚ぐらい用意したかったのですが、時間の都合でギヴアップ。いちおう未収録作品というか、描いたけど今までの本には入れなかった絵は何枚か収録しています。表紙絵もそうですね。
タイトルの「dnr」は「do not resuscitate」の意味で、和訳は「蘇生措置拒否」のようですが、患者側が延命措置を拒否する場合だけでなく、医療側が「もうこれ以上手がつけられない」と判断した患者に対して、「次に重篤な状況に陥っても蘇生措置はしない」という意味で使うこともあるようです (トリアージの黒タグみたいなものですね。昔なにかの本で読んだだけの記憶なので要確認)。

お品書きには表記していませんが、どれを買ってもポストカードはお付けします。イベント概要、会場などは過去記事をご参照ください。疫病の影響により本イベントも短縮開催で、開催時間は12:00-15:00の3時間レースとなります。

現時点では以上です。当日はどうぞアルファコルセをよろしく。

2020年9月 4日 (金)

茫洋 ~リジェ・ニッサンDPi~

二〇一四年、アメリカのスポーツカー・レース界はおおきな変革を迎えた。それまでドン・パノスにより運営され、ヨーロッパ式の本格的なスポーツカー・レースをアメリカで行っていたALMS (アメリカン・ル・マン・シリーズ) と、独自のレギュレーション運用でプライベーター中心に広く門戸を開いていたロレックス・スポーツカー・シリーズ (いわゆるGrand-Amシリーズ) が合併し、かつてキャメルGTシリーズ (いわゆるIMSA GTP) を運営していたIMSAのもと、新たにUSCC (ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ) としてシリーズ開催されることになったのである。ALMSはセブリング十二時間レースとプチ・ル・マンを、Grand-Amはデイトナ二十四時間レースとワトキンス・グレン六時間レースを、それぞれシリーズの花形レースとして持っており、二者が合併したUSCCはまさにアメリカを代表するスポーツカー・レース・シリーズとして今日まで続いている。

USCCのレギュレーションは、当初トップクラスはひとくくりに「P (プロトタイプ)」クラスとされ、Grand-AmのDP (デイトナ・プロトタイプ) 車とALMSのFIA/ACO LMP2車が混走していた。二〇一七年に、レギュレーションが旧式化してきたDPにかわり、IMSAがPクラス用に導入したのがDPi (DP・インターナショナル) という全く新しい車両規則であった。DPi車は二〇一七年に規則が大改訂されたFIA/ACO LMP2車をベースとし、約600馬力に調整された自動車メーカー製のオリジナル・エンジンを搭載し、また外観も自動車メーカーごとの意匠に合わせて改造をくわえるというもので、従来のLMP2車とも性能調整を行い混走するというものであった。二〇一七年のLMP2規則ではLMP2車を製作するのはオレカ (仏)、リジェ (仏)、ダラーラ (伊)、ライリー/マルチマチック (加) の四社ときめられていたため、DPiのベース車輌も自動的にこの四社のうちいずれかということになった。二〇一七年開幕前の時点で、キャデラックがダラーラ・シャシーを、マツダがライリー/MM・シャシーをそれぞれ選択していたが、いずれもエンジン、シャシー意匠ともにメーカーが直接関与しての製作であり、この点はIMSAの思惑通りとなった。

一方で、前年・二〇一六年までPクラスでLMP2車のリジェ・JS P2/ホンダを運用していたスコット・シャープ率いるESM (エクストリーム・スピード・モータースポーツ) は、メーカーの支援を受けないプライベート・ベンチャーとしてDPi車を製作することを決めた。ベースとされたのはリジェ・JS P217 LMP2で、エンジンはニッサン製のGT3カー用のものが選択された。ここで重要なのは、ニッサンはあくまでも北米法人が社名の使用権とエンジンの提供を行っただけであり、ESMのレース活動に本質的には関わっていなかったということである。またニッサンはそうするつもりもなかった。ニッサンはすでに二〇一五年のル・マンに参戦したニスモGT-R LMプロジェクトで甚大な痛手を被っており、ふたたびスポーツカー・レースにメーカーとして復帰する意図はさらさら無かったのである。このことは、当初ニッサン側がIMSAに提出したDPi車の意匠スケッチがあまりにもベースとなるLMP2車と似ており、見かねたIMSAが改善案として出したデザイン (ニッサン・GT-Rの多角形グリルをイメージしていた) がそのまま採用されたというエピソードによく現れている。


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スパークモデル製1:43スケールモデル、二〇一八年セブリング十二時間レースで優勝した、シャシーナンバー0R05-03のESM・リジェ・ニッサンDPiである。品番は43SE18。二〇一六年から、スパークモデルが製品化するセブリング十二時間レースの優勝車輌は特別デザインの紙箱が奢られるようになった。

ESMは二〇一〇年にハイクロフト・レーシングから独立した元インディーカー・ドライバーのスコット・シャープが立ち上げたチームで、創設以来一貫してエド・ブラウンのテキーラ・パトロン社のスポンサードを受けていた。結果的にESMがリジェ・ニッサンDPiを運用した最後の年となった二〇一八年の車も、テキーラ・パトロンのイメージカラーである緑と黒に塗られ、同社製品の瓶が車体に描かれている。

二〇一七年開幕時点で三社が出揃った (翌二〇一八年にアキュラ・オレカが参入し四社になった) DPiの中で、唯一メーカーのバックアップを受けていなかったESMのプロジェクトは、はじまりから多大な苦難に見舞われた。主な問題はエンジンで、前述の通り彼らはニッサン・GT-R GT3用のVR38DETT型3.8L・V6ターボ・エンジンを搭載することを選んだが、このエンジンはスポーツカー用ではなかったため重心が高く、LMP2のシャシーに載せると運動性能を著しく損なうことが判明した。DPi車の中では他にキャデラックが市販車用エンジンを搭載していたが、彼らはエンジンに改造を施し、スポーツカーへの搭載に最適化された仕様でレースをしていた。マツダに至っては、イギリスのエンジン・メーカーであるAER社が高度な改造を施した2L・直列4気筒エンジンを搭載しており、ほとんどレーシング・エンジンのようなものだった。さらにESMは、ノンターボ・エンジンを前提に設計されたリジェ・JS P217のタイトなシャシーに、3.8Lという大型のターボ・エンジンに必要な冷却器をいかに配置し、また冷却するかということにも悩まされた。彼らの唯一の慰めは、ニッサン・エンジンが性能調整を受けてもなお他よりすぐれたパワーを発生し、6.2L自然吸気エンジンのキャデラック・DPiとも互角に渡り合えるとされたことくらいだった。


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側面から見た造形はおおむねベース車輌のリジェ・JS P217に準じる。リジェ・JS P217は二〇一八年にアップデートを受け、フロントフェンダー前端部の形状が傾斜したものから垂直に近いものに変わっているが、DPi車でもこの変更は反映されている。この車はプライベーターによる製作であったためか正式な名称というものは定まっておらず、一般的には「リジェ・ニッサンDPi」と呼ばれるが、リジェ・ブランドを保有しているオンローク・オートモーティヴの名をとって「オンローク・ニッサンDPi」とも呼ばれ、製品の台座にもそう表記されている。

二〇一七年のIMSAシーズンはキャデラックDPiが蹂躙し、開幕戦・デイトナ二十四時間レースを含め七連勝を記録しシーズンを圧倒するかと思われたが、その連勝を止めたのは、意外なことにプライベーターであるESM・リジェであった。第九戦・ロードアメリカ二時間四十分レース (第八、十戦はGTカーのクラスのみでの開催) で、ピポ・デラーニ/ヨハネス・ヴァン・オーヴァーベークの22号車が優勝したのである。その後第十一戦・ラグナセカ二時間四十分レースではスピリット・オブ・デイトナ・レーシングのリジェ・JS P217がこの年LMP2車唯一の勝利を挙げたのち、シリーズ最終戦・プチ・ル・マン/ロードアトランタ十時間レースでは、二台体制のもう一方である2号車がスコット・シャープ、ライアン・ディエル、ブレンドン・ハートレイの操縦で二勝目を挙げた。この年はほかに2号車の予選第一位が一回、二位が一回、三位が二回あり、プライベート・ベンチャーの一年目としては、二勝・二位一回という結果はじゅうぶん喜ぶべきものであった。

明けて二〇一八年、ESM・リジェは開幕戦・デイトナでは良いところがなかったが、第二戦・セブリング十二時間レースでデラーニ、オーヴァーベーク、ニコラ・ラピエールの22号車が逆転優勝を果たし、リジェ・ニッサンの三勝目を挙げた。ESMは車の相性が良かった同年ラグナセカでも22号車が勝利し、勝利数を四に伸ばしたが、それ以外のレースではかろうじて完走するか、よい時でも入賞圏内外をうろうろするばかりであった。この年はアメリカの名門チームであるペンスキーがホンダの北米ブランドであるアキュラと組んでDPi車を製作し、フル・ワークス体制でPクラスに参戦してきたため競争が激化し、またオレカ・シャシーを使用するLMP2勢も力をつけてきたため、前年のようにDPi車がシーズンを壟断できる状況ではなくなりつつあった。そんな中で、基本的な性能で劣るリジェ・ニッサンDPiは苦戦を強いられたのである。

さらにシーズン中盤から、ESMには不穏な噂がつきまとうようになった。チーム創設時からメイン・スポンサーを務めていたテキーラ・パトロン社が、経営に専念するためスポンサーを降りるというものであり、じっさい同社社長のエド・ブラウンはこれを理由に二〇一七年いっぱいでドライバーをやめていた。果たして噂は現実のものとなり、スコット・シャープはシーズン終了後も後継のスポンサー探しに奔走したが、ついにメイン・スポンサーは見つからず、ESMはこの年をもって解散してしまったのである。ESMが所有していたリジェ・ニッサンDPiのシャシーやエンジン、機材一式は売りに出されたが、これを取得し二〇一九年にリジェ・ニッサンDPiを走らせることになったのは、二〇一八年にオレカ07・LMP2でシリーズ・チャンピオンを争ったCOREオートスポーツであった。


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フロントノーズ上面に取り付けられた、大型の整流パネルが目を引くフロント部分。三枚の平面で構成されたパネルと、その下の空気取入口を模したグリルによって、ニッサン・GT-R風のフロントマスクを再現している。ヘッドライトはベース車輌のリジェ・JS P217が円形のLEDを用いたのに対し、リジェ・ニッサンDPiでは矩形のLEDパネルを使用している。


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ベース車輌であるリジェ・JS P217と。外観以外での主な相違点は車両後半部に集中している。たとえばリジェ・ニッサンDPiはターボチャージャー用の中間冷却器を設置するため、側面 (車体の黒色の部分) にそのための空気取入口を開けており、LMP2車でこの位置にあったリヤブレーキ冷却用ダクトはリヤフェンダーの前端に移設された。このほか、(写真では見えないが) リヤデッキ天面に中間冷却器からの排熱用にルーバー状の排熱口が切ってある。内部の写真を見るとリジェ・ニッサンDPiはエンジン用ラジエーターとターボチャージャー用の中間冷却器が前後に重ねて配置されており、冷却・排熱の面ではかなり苦労したであろうことが推測できる。


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ESMの手を離れ、COREオートスポーツに渡ったリジェ・ニッサンDPiは、二〇一九年の開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入った。このレースは終盤の豪雨で二時間近い赤旗中断が入り、レース残り十分と少々というところで中断状態のままレース成立が宣言されるという大荒れのレースだったが、結果的にこの四位がCOREオートスポーツのシーズン最高位となった。続くセブリング十二時間レースでは五位だったが、これがこのシーズンの最大瞬間風速で、それ以降は第七戦・モスポートパーク二時間四十分レースで予選第一位のタイムを記録した以外、まったく精彩を欠くレースしかできなかったのである。この年はDPiが独立クラスとしてLMP2と区別され、DPi車のみがトップ・クラスとなるよう規則改編があったが、DPiクラスでの競争は前年にも増して激しいものになり、ESMよりも小規模なプライベート・チームであったCOREオートスポーツにとっては、もはやチャンピオン争いどころかレースごとの優勝争いすらおぼつかなくなっていた。そしてCOREオートスポーツは二〇一九年シーズンをもってIMSAから撤退し、それと同時にリジェ・ニッサンDPiもサーキットから静かに消えていった。

リジェ・ニッサンDPiは少なくとも二台が製作されたが、正確な製作台数については不明である。おそらく二台であると推測される。

シャシーナンバー0R05-02のリジェ・ニッサンDPiは、ESMから二〇一七年のデイトナ二十四時間レースで実戦デビューし、同年IMSAシリーズにフル参戦した。ロングビーチ一〇〇分レースで二位、モスポート/ロードアメリカの各二時間四十分レースで三位、最終戦プチ・ル・マンでは優勝を果たしている。二〇一八年も引き続きESMの手によりIMSAにフル参戦し、同年ロングビーチ一〇〇分レースで二位に入っている。
二〇一九年の動向は不明だが、おそらくESMの資産が売却された際、COREオートスポーツにスペア・シャシーとして渡ったのではないかと考えられる。

シャシーナンバー0R05-03のリジェ・ニッサンDPiは、同じくESMから二〇一七年のIMSAにフル参戦し、ロードアメリカ二時間四十分レースで優勝している。二〇一八年にはセブリング十二時間レース、ラグナセカ二時間四十分レースでそれぞれ優勝を果たした。
二〇一九年にはCOREオートスポーツのレースカーとして使用され、同年開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入ったのが同年の最高位であった。

最後に、アメリカのレース・ジャーナリストであるマーシャル・プルエットと、リジェ・ニッサンDPiの最終年にこの車を運用したCOREオートスポーツのエンジニアによる、シーズン終了後の対談を収録する。非常に長いため格納するが、この車がいかにして戦い、いかなる理由で勝利から遠ざかったのかを知るにはよい一次資料であるため訳出した。細かな部分できき逃しや誤訳が存在するかもしれないが、大まかな意味合いは通じるはずである。


 

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2020年8月23日 (日)

イベント参加のお知らせ [追記]

なんと4ヶ月ぶりの更新ですが、とりあえず生きてはいます。手っ取り早く本題に移りますが、かねてから参加を表明していた同人イベント「Cute Star Festiv@l」が、昨今の嫌な情勢のおかげで19/9. (土) に延期となってしまいました。その日の夜からル・マン24時間レースなのに (18年の時といい、智絵里オンリーイベは何でこうル・マンやらN24やらに被るんだ…)! とはいえ参加費も払っちゃったし、ここで情勢に負けて撤退するのも癪なので参加の方向は変わりません。まぁレース時間そのものに被ってないだけまだマシか。

出す本は、この7月でサークル「アルファコルセ」がなんと3周年を迎えるということで、いままで描いて本にした緒方智絵里イラストの総集編を予定しています。まだDTPとか全然作業に入ってないので、表紙もお見せできない状態 (実は本のタイトルすら決ってないのだ) ですが、イベント自体がリスケのおかげでサークル配置がリセットされちゃって自分がどこに配置されたか分らないというレベルなので、大丈夫でしょう (?)。時期的にそろそろ編集作業を始めようかという段階ではあります。

では皆さん、願わくば当日のイベント会場でお会いしましょう。会場は横浜産貿ホール「マリネリア」、アクセスなどはリンク先の公式サイトをご参照ください。

30/8.追記: サークルスペースが発表されておりました。「アルファコルセ」の新ピットはスペース [オ-05] となります。会場配置図は以下の通り。入り口から入ってかなり左奥の部分です。当日はどうぞよしなに。

Pit

2020年4月21日 (火)

シンデレラステージ8step参戦記

相変わらず筆不精で月イチ更新すらままならないですが、生きてます。世間はコロナ風邪で上を下への大騒動ですが、ぼく個人は (もともと病気をいっぱい持っているからか?) 特に体調がおかしいということもなく平常運転ですね。F1はいつ開幕するやら…。

さてシンステ、もう一ヶ月以上経っちゃってるんですが、告知記事だけ上げてその後の経過は報告しないというのも性に合わんので、デブリーフィング的に書いておきます。
東京→神戸は夜行バス。同じバスにシンステ行きのオタクが自分以外に2名もいることが判明し冷や汗をかく。時期的にコロナ風邪が「そろそろやばいのでは」という空気が流れ始めていた頃でしたが (強行開催するには本ッ当にギリギリのタイミングでしたね…)、バスは割と満員に近い状態でした。さすがに全員マスク。ここで手放せない眠剤を家に置いてきたことに気づき絶望。ついでにスペースの机に敷く敷布も忘れてきたことに気づき2倍の絶望 (敷布はなんと土壇場でサークル「瓦斯欠レーシング」のやんぱら氏が貸してくださった。感謝!)。けっきょく総睡眠時間は2時間ぐらいでした。この時点で前途多難というか、先行きが怪しくなり始める。

到着は朝7時過ぎ。会場に近い神戸・三宮駅到着ということで、新宿とか池袋みたいな感じのバス寄せを想像していたところ道端で降ろされボーゼン。どうやら三宮のバス停というのはそういうものらしい…。土地勘のある人はピンとくると思いますが、あの辺はJR西 (ここだけ「三ノ宮」表記)・阪神線・阪急線・地下鉄線がちょうど重なり合って位置していて、東京モンはテキメンに迷う。会場へ行くにはポートライナー (東で言うゆりかもめに近い) に乗ってポートアイランドという人工島に乗り込まなければならないのですが、まずこのポートライナーの入り口を探すのに30分ばかり周囲をウロウロしていました (設営道具一式持参で!)。あとで現地住民の売り子に聞いた話ですが、たまたまJR側からポートライナー側まで出るルートが工事で塞がっていて、遠回りしなければいけなかったようです。

時勢を受けてイベント開始時間は1時間短縮され3時間レースとなり、参加チームの入場開始時間は当初午前9時だったのが午前10時に変更されていました。微妙にヒマを持て余した状態でしたが、日曜の朝8時に開いている店など一軒も見当たらないということ、土地勘がないので何がどこにあるか見当がつかないこと、会場までのルートも図上演習 (Googleマップ予習) 以外全く把握できていない状態だったので、安全をとって午前8時ぐらいに人工島入りすることに。ところがこれが大きなマチガイで、あの人工島、会場であるコンベンションセンターとホテル、そして (なぜか) イケア以外めぼしい施設がなんにもないのでありました。上陸前に朝食をどっかで食べておくんだったと激しく後悔。幸い会場付近の大きいホテルの1Fにイートイン付きのコンビニがあり、そこで朝食をモサモサと食う。開店時間の午前9時を見計らってその近くのカフェ (会場徒歩5分ぐらい) に移動し、ここでさらに30分ほど時間をつぶしたのち、事前にお願いしていた売り子氏と会場前にて無事合流。手土産としてアメリカでしか売ってないチーム特注モデルカー (普通に輸入できた) を格安で売りつける。

設営はいつもどおり20分ぐらいで終了。しかし設営前に10分ほど椅子に座ってダウンしており早くも疲労が顔を出し始める。会場は神戸国際展示場というところの2号館ホールで、内装は正直ちょっと古くさい感じでしたが清潔感はあり、天井も高くて広い。いつも歌姫でお世話になる蒲田某所の10倍ぐらい広いし空気もいい。あのスペースに、だいたいだけど800サークルぐらい (時勢の影響で欠場するサークルが多かったが、それでも全体の3割前後らしく、600サークル弱はいたことになる。実際歩いていてもそんなに過疎感は無かった) がデレマスオンリーで参戦するわけですから、これはもう「東の○○、西の○○」というようなもんではなく、日本随一のデレマスイベントです。例えるならEWCの鈴鹿8時間…? 

レースは正午~15時の3時間。寝不足のせいで設営完了の時点でだいぶ体力を消耗しており、さらにエナドリで体に鞭打って知り合いサークルへの挨拶回り・行きたいサークルの場所チェックなどもやったので、スタートの時点で体力残り30%ぐらい。それでも初参加のシンステなので、なんとなく高揚感はありました。例によってイベント中は買い物以外ほぼ死んだ目で椅子の上で伸びているというザマ。初遠征イベントで、ギリギリまにあった新刊以外に既刊を3種も持ち込むというパワープレイでしたが、うち既刊2種が完売 (在庫分を捌き切った) したので、リザルトとしては上々でしょう。新刊も完売こそしませんでしたが、当初の予測よりは売れたことと、見せた人の反応も概ねわるくなかったので、これはこれで及第点かな (ちょっとアヴァンギャルドな構成の本だったので受けるかどうか若干不安があった)。

15時に無事レース終了となり、さあ人工島から脱出だというところでポートライナー大混雑。そういやここはアクセスがこの一本しかないんだった… (蒲田はJR東・京急の2ルートある)。まだ早い時間ということもあり、三宮は神戸の真ん中なので市内観光と洒落込むのもよかったかもしれませんが、何しろ昼食も食べないで寒い中荷物を引きずって歩いていたので疲労が限界に達し、売り子氏の案内で○亀製麺まで這い着いて、そこで2時間ほど根を生やしていました (雑談中に半分寝てたかも…)。

その後疲労が深刻ということで、売り子氏に案内していただいて三宮駅前のネカフェで休憩を取りつつ帰りのプランを考える。売れた本の分だけ軽くなったとはいえ重い設営道具もあるし、何よりグロッギーを通り越して瀕死状態の主筆が帰りの夜行バスに耐えられるとは思えなかったため、急遽プランを変更し新幹線で当日中に東京へ戻ることに決断しました。お金は飛んだけど体調が第一です。その後のことはすさまじい疲労でほとんど覚えておりませんが、とりあえず無事に家に帰還出来たとは申し上げておきます。

総括というか教訓というか、とにかく不眠症なのに夜行バス乗車にあたって薬を忘れていったというのがケチの付きはじめ、諸悪の根源じゃないけど、あれで全部狂っちゃったような気はしますね。もともと同人イベントは結構体力を使う (と思っている) ので、その前の段階で疲労困憊するような行為は厳に慎むべし。結果的には窮余の一策として採用しましたが、新幹線で当日中に離脱するのは結構いいアイディアだと思いました。今回は疫病のせいで欠席サークル多し、参加者すくなし (でもそこまで空いてる感じでもなかったな) と、イベントとしては片手落ちに近い状態だったので、もし次回まで生きていればアルファコルセとしてのリベンジマッチもあり得るかもしれない…? いやわからないか。主筆のネタと創作意欲と命が来年3月まで続いてるかが問題だな。

アルファコルセ初の関西遠征レースとなった今ラウンドでしたが、書いたとおり及第点レベルのリザルトは出せたのかなとサークル主宰としては考えています。つぎのイベント予定は横浜にて7月開催予定のCuFes (開催出来るかな…)、ここではアルファコルセとしての総集編的な本を出したいなと思っています。アルファコルセは17年ル・マンの一週間後に始まったサークルで、この7月でちょうど3周年なので、一種の記念というか一里塚というか、ね。

最後になりますが、ぼくの無茶な要求を受けてくださり、売り子にとどまらず当日いろいろと助力してくれた「きんざん」氏に、サークル「アルファコルセ」を代表して最大の感謝を捧げます。彼がいなければ今頃ぼくは神戸で行き倒れ行旅死亡人としてどこかの無縁仏になっていたことでしょう。そして当日敷布を貸していただいた「やんぱら」氏にも感謝を。ご両名とも本当にありがとうございました。


Setup

2020年3月 8日 (日)

シンデレラステージ8step 新刊etc

年初の記事で言及しましたが、神戸・三宮で開催されるデレマス系同人誌即売会「シンデレラステージ 8step」に参加する予定です。以下新刊の書影、ポスター、当日のお品書き。


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お品書きの通りですが、当日は既刊3種も持参する予定です。いずれも残部僅少なので欲しい方はお早めに。

さて新刊の話。告知ツイートの方で「文字多め?」と書きましたが、今回の本は夭折の画家・村山槐多が書き残した詩篇とのコラボレーションというか、詩画集のような体裁です。「ガランス」はフランス語で茜色、暗い朱色を指す語で、槐多が好んで使った色としても知られています。そして何気にアルファコルセとしては初の「表紙の題字が和文の本」なんだな。中身も当然ながら日本語が使われており、いままでの「レギュレーションで規定されている奥付部分以外に全角文字がまったく出てこない」アルファコルセのスタイルからはちょっと離れた、いささか冒険的な構成の一冊です。もともとは艦これ本でそういう体裁の (詩画集みたいな) イラスト本を出している例を何点か見かけて、それを智絵里でやりたいな、と思ったのがきっかけ。ちょっと多めに刷ったので、もしかしたら7月の第3回・智絵里オンリー (関東開催) にも持っていくかもしれません。

イベント会場は神戸国際展示場、ポートライナー「市民広場」駅からすぐの場所で、開催時間は11:30~15:30の予定です。当日アルファコルセのスペースは「だ-07」、ホール出入り口からほど近いロケーションです。このあたり一帯がいわゆる「智絵里島」、緒方智絵里関連の創作物が密集している地帯ではないかと思われます。

疫病の流行で欠席者が相次いでいる状態ですが、コロナだろうがエボラだろうが主筆は這ってでも神戸入りする所存ですので、会場ではよろしくお願いします。日付的にF1開幕戦・豪州GPと (時間まで) 被ってるんですが、どうするかは今から考えます…。

2020年1月14日 (火)

2020いっぱつめ

2020年も二週間が経過してからこの記事を書くのもなんというか気が引けますが、とりあえず書いておきます。気が向いてひさびさに某ブラウザゲーに復帰したら、予想以上に時間を取られて二週間ぐらい貼り付く羽目になっておりました。アホですねぇ。

まず前回冬コミケですが、ぼく自身の智絵里本、ぼくが表紙を提供したスバル・モータースポーツ本、ぼくがイラストを提供したユーフォ本、そしてぼくが売り子を務めたスーパーフォーミュラ・イヤーブック、いずれもすべて完売という快挙を達成することができました。後三者はともかく、今回の智絵里本は題材が題材なだけに売れるかどうかハラハラものでしたが、結果としては持ち込んだ分に関しては捌き切ることができ、たいへん安堵しております。入場料制度が導入され、また4日開催となったことで人は減るだろうなぁ、と昨年の今頃に予想していたのですが、来場者数はみごと線形に増加し、おかげさまでアイマス本はほとんど現地で入手できませんでした。もう三、四回ぐらいアイマスでサークル参加してますが、19冬は自分が経験した中でもワーストの混雑だったように思います (他の年は自スペースで死んでたりしてあまり買い物に行けなかった、というのもあるかもしれないけど)。個人的な話としては、19夏に4日間開催となってから初めて4日間全通を達成しました。1日目・2日目は知り合いのサークルに挨拶しにいくだけの出撃だったので、労力としては2日で1日分程度でしたが。3日目が自サークル、4日目が売り子任務で、この2日がヘヴィーでしたねぇ。

2020年の予定としては、3月15日 (日) に神戸国際展示場にて開催される予定のデレマス系イベント「シンデレラステージ」に参加する予定です。サークル「アルファコルセ」としては初の関東圏以外でのイベントですが、このシンデレラステージ、略してシンステというのはデレマスオンリーとしてはたぶん日本では最大規模のイベントだと思うので、あわよくば新規客層の開拓を…という魂胆ですね (東京では歌姫庭園なんかがありますが、あれはデレマス以外のアイマス系もすべて扱っている)。ただ時間的に新刊が用意できるかは甚だ微妙で、現時点では歌姫で出した既刊2種類+今回冬コミの準新刊 (冬コミで売る分とは別に若干部分けておいた) を持ち込む予定でいます。もしかしたら分量少なめの新刊が出るかもわかりませんので、気になる方は主筆のTwitterアカウント (@M_Simacher) をウォッチしておくとよいかもしれませぬ。ただ目下最大の懸念は、新刊が出せるかどうかというよりは、まず無事に会場にたどり着けるのかという点なのですが… (かれこれ5年ぐらい日本にいる割には鈴鹿サーキット以西に行ったことが無い)。アルファコルセ初の長距離遠征なので、まずはトラブルフリーに完走することを目標と掲げましょう。
それ以外の予定は完全に未定です。今から今年の冬コミの見通しは立てられないし、夏コミ (五輪の関係で5月開催ですが) はアルファコルセ側としては不参加、2月末の歌姫庭園もシンステに注力するため欠場が決っているので、決定事項は上記のシンステだけですね。上半期はこの1レース、下半期は完全に未定という、こりゃ貧乏チームによくあるパターンだ。

モータースポーツの話。ル・マンはやはりトヨタの連覇で、ここまでは予想通りでしたが、驚異的なペースで23時間のあいだレースを支配したNr7が最後の最後にセンサーの組付けミスに起因するトラブルでNr8に逆転を許すという展開は予想し得なかった。Nr7は予選での接触事故でシャシーを損傷していて、突貫工事でシャシーを交換していたのですが、その際に右側タイヤの空気圧センサーの前後をまちがえて接続してしまい、最終盤に右後輪がパンクした際にセンサー情報によって前輪側を交換してしまい丸々一周ほどタイムロス、という顛末。操縦していたJMロペスが泣き喚かんばかりに悔しがっていたのが印象的でした。ル・マンはこういう残酷なことが起きますからねぇ…。
そのNr7に乗っていた小林可夢偉ですが、19年デイトナ24時間にウェイン・テイラー・レーシングから参戦して (なんとアロンソも一緒だ!) みごと優勝し、日本人としては1992年のニッサントリオに続く4人目の同レース優勝ドライバーとなりました。レース自体は終盤の豪雨でハチャメチャな事になり、最後は1時間以上の赤旗中断から残り10分でレース中止が宣告されるという締まらない結末でしたが。公式テスト~予選ではヨースト・マツダが速かったのですが、レースではトラブルで全滅でした。ペンスキー・アキュラもレースでは速かったけど、結局トラブルを出してしまいWTR・キャデラックには追いつけず。
F1はとりあえずレース展開は追っていましたが、いやぁハミルトンは流石というか。フェラーリはまたしても自滅でチャンピオンを明け渡した感じのシーズンでしたが (三年ぐらい同じことやってないか?)、サウバーから子飼いのルクレールが昇格してきて、チーム内のパワーバランスが微妙に変化してきましたね。そしてその隙間から新生RBR・ホンダが突撃してきた。正直RBR、というかフェルスタッペンか、彼がここまでやるとは思わなかったです。17年のマクラーレン・ホンダの惨状を覚えていると余計にね。逆にもう一方のSTR・ホンダは苦しみましたね。中団チームのトップは完全に体制を立て直したマクラーレンが持っていったし、フォースインディア改めレーシングポイントやサウバー改めアルファロメオ・レーシングとの勝負でも後手に回ることがしばしば。ブラジルGPは…まぁ半分フロックみたいなもんでしょう、あれは。今季はSTRもチーム名が「アルファ・タウリ (RBが持っているファッションブランド)」に変わることが決っていますが (個人的にBグループ御三家と呼んでいる3チームが全部名称変更しましたな)、19年があんな感じだと今年もどうなるやら。

2020年、正直どこまで生きていられるかも分らん! という状況ですが、生きてるうちはある程度のことはやってみようかな、ぐらいには思っているので、まぁのんびり生きましょう。今年もサークル「アルファコルセ」をよろしく。

2019年12月27日 (金)

冬コミケお品書きetc

相変わらず更新が遅くて申し訳ないです。とりあえず明日からコミックマーケット97ですが、ぼくは3日目の30/12 (月) にサークル参加しますのでお品書きをば。スペースは南「タ」18b、サークル「しまながし」となります。今回アルファコルセ本隊がまさかの落選で、いつものオタク連中の中で唯一3日目のエントリー枠を得ていた同サークルにご協力いただくことになりました。

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2017年冬のときに出した超絶気が狂った緒方智絵里合同、その続編みたいなものです。現代スポーツカー・レース史上おそらく最も謎めいたチーム、バイコレス・レーシング。その創設から現在までを、同チームの主力戦闘機「CLM P1/01」の八つの仕様から読み解く緒方智絵里のイラスト集です (文章量多めではある)。なんでこのチームを選んだのか、正確な理由はもはや失念してしまいましたが、多分「誰もやってないから」「どこにもちゃんとした解説が載ってないから」ということでしょう。前回の962Cと違って、情報がとにかく無いチームなので、結構独自の推測で補っている部分があることをご了承ください。いちおう合理的な推理というか、なるべく「裏は取った」上で書いてはいるつもりです。
ちなみに本はこんな感じ。「上綴じ」「天綴じ」と呼ばれる、カレンダーや手帳のような開き方をするタイプのちょっとめずらしい装丁です。もともとは「A4ヨコを想定して作っていたら行きつけの印刷所にその設定がなかったので、なんとか既存の原稿をA4タテにコンバートする」ための苦肉の策でしたが、この綴じ方は海外の漫画本などで時折使われるもので、そういう意味では良く言えばおしゃれ感、悪く言えばバタ臭い感じになったかと思います。
今回もイラスト面で「りょりょ」氏、「しま」氏 (旧「桐義」氏)、「田宮宗一郎」氏、「うろとま」氏にご協力いただき、また図面を「def」氏にご用意いただくことができました。考証協力に「ファスト? ふれでぃ」氏をお迎えし、主筆・編集・翻訳はぼくなので完全に前回の962C本と同じメンバーですね。ご協力いただいた皆様、今回もありがとうございました。
題材が題材なことと、今回「アルファコルセ by SGR」が落選してしまい「しま」氏のサークルにヤドカリしての参加 (ie.智絵里島ではない) なので、正直どれだけ売れるやら…という感じですが、いい本に仕上がったな、という手応えはあるので、ぜひよろしくお願いします。前述の通り、アルファコルセ by SGRとしては落選していることと、SGR側の「各々」氏が今回一身上の都合により不参加のため、いつもの富士GCシリーズまとめ本は今回ありません。代わりというか、ぼくがアルファコルセ名義で出した既刊のイラスト集を若干部持っていきます。品物はどれも1冊500円、または20.00マレーシア・リンギットとなります。いつものことですが、リンギット貨の釣り銭が不足気味なので、リンギット払いの方はなるべくピッタリでお支払いくださいませ。

 

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さらに今回、1日目 (記事執筆時点で明日ですね) 南「リ」21b・サークル「ぶらんしもん」(上に上げた「りょりょ」氏の個人サークルです) にて発売予定のユーフォ本「だいすき!!のハグ」にイラスト2枚を寄稿させていただきました。こちらもどうぞよろしく。映画「リズと青い鳥」の二人を初めて描きましたが、まぁうまく描けたんじゃないかなと自分では思っています。


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そして今回、個人としては初の依頼案件というやつをやりました。4日目 (31/12) 西「か」43b、サークル「Ute1200」にて発売予定の、「SUBARU Motorsports Story Vol.1」の表紙を担当させていただきました。こちらも是非よろしくお願いします。また4日目は、「DJ Bib」氏主宰のサークル、西「か」09b、「TEAM TAKE TWO」にて、(Bib氏が仕事で来場できないため) 売り子兼サークル主代理を務める予定になっています。全日本フォーミュラーのマニアである同氏渾身の一作「2019年スーパーフォーミュラー総集編」(なんと120pの大作!) をよろしくお願いします。

それでは皆さん、体調に気をつけて、あの大三角の下でお会いしましょう。3日目・4日目は最高気温が10度C台にまで下がるという予報も出ているので、どうか防寒対策は万全に!

2019年9月17日 (火)

歌姫庭園20 新刊

すっかりご無沙汰してしまいました。主筆です。端的に言うと、ついに体を壊して長期療養に入っている、という感じの状態なので、正直ブログの更新まで手が回りません (書くネタも特にないし…)。とはいえ細々と絵を描いたりはしていて、それをまとめた本もなんとか出せる状況にはなったので、ここで告知しておきます。

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2019年9月22日 (日)、大田区産業プラザPiO (最寄り: JR蒲田駅/京急蒲田駅、後者のが近い) にて11:00~15:30開催予定の歌姫庭園20/シンデレラメモリーズ19、スペース [シ55]「アルファコルセ」にて、緒方智絵里イラスト集 "hail storms" を販売予定です。A4正方形、表紙込20p、一冊500円。中身はぼくが前回 (去年のル・マンのやつ) 後にぼちぼちと描いてきた作品の集成ですね。前回売れ残った分の既刊も同時に持っていきます (価格は同じく500円)。
新刊はゲストイラストとして、スーパーディテールの切り絵作品で知られるwatson (@221bsh26) 氏のイラスト作品を一枚収録しております。サークル「アルファコルセ」単体としては三作目となるイラスト集、F1のアルファロメオ・サウバーがライコネンを迎えて上り調子の2019年ということで、どうぞよろしくお願いします (??)。

2019年5月23日 (木)

トヨタ・チーム・トムス スープラLM GTテストカー

グループC (GpC) 規定によるスポーツカー・レースが世界経済の後退やワークス間競争の激化によって没落したのち、サーキットの主役となったのは市販のスポーツ・クーペを改造したレーシングカーたちであった。「GTカー」と呼称されたこれら車輌の頂点は、当初GT1と呼ばれる一群の車たちであり、この「GT1」の定義はル・マン24時間レースの主催団体であるACOによって規定されていた。自動車メーカーのレース部門や、レースをするのが仕事のレーシング・チームにとっても、スポーツカー・レースがなくなってしまって手持ち無沙汰だったところにやってきたGTカー・レースは歓迎され、ル・マン24時間レースには市販スポーツ・クーペを改造した車輌が大挙エントリーし、前述のGT1カー、及びその下位カテゴリであるGT2カーによって争われた世界選手権であるBPR-GT選手権も一定の支持をあつめた。

GpCレースに積極的に関与していた日本の自動車メーカーも、世界的なGTカー・レースの潮流に乗り遅れることはなかった。折しも日本においても、GpCカーによって競われていた全日本スポーツプロトタイプカー選手権 (JSPC) の消滅後、これらにかわってGTカー主体のレースを開催する機運が高まっており、その結果一九九四年から全日本GT選手権 (JGTC) が開催されるに至ったのである。このJGTCには当初からニッサン、トヨタという、JSPC時代に日本一の座をを競った二大メーカーが参戦し、またフェラーリやポルシェなど外国製GTカーの参加もあり、日本国内で大きな盛り上がりを見せていた。

こうした流れの中で、日本製GTカーでル・マンに参戦し、外国製のGTカーと肩を並べて戦う、という機運が芽生えたのは必然であった。JGTCの登場によって和製GTカーがすでにあるのだから、それまでのスポーツカー・レース時代と同じように、日本製のレーシングカーでル・マンに挑戦したいと思うのは、自然な思考の流れであろう。この結果として、トヨタ・スープラ、ホンダ・NSX、ニッサン・スカイラインGT-Rという、いわば「日本のビッグスリー」は、すべてこのGTカー時代のル・マンに参戦することになる。


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タミヤ製1/24プラモデル、「カストロール・トヨタ・トムス スープラGT」。一九九五年のJGTCに、トヨタの実質的なワークス・チームであるトヨタ・チーム・トムスから参戦した車輌をモデルキット化したものである。上の話とつながるようでつながらないではないか、といった風だが…。


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ここで記事の表題につながるのである。史実においてはトヨタ系のプライベーターであるチーム・サードが一九九五、九六年にかけてスープラでル・マンに参戦しているが、もし九五年のル・マンにおけるスープラがトムスとの二台体制であったら、もしくはテスト段階ではそのように予定されていたら… という妄想の産物である。白く塗装された、スポンサーロゴの一切入っていないスープラGTのテストカーは実際にチーム・サードが九五年三月の鈴鹿サーキットにおけるテストに持ち込んでおり (HPI社が1/43でモデル化している)、今回の仕上げはそれをイメージしている。当キットの成形色が白色であり、わざわざ難しい艶出し塗装や大量のデカール貼り付けをしなくても再現できる仕様ということで、今回製作に踏み切った。当ブログ初のプラモデル記事である。
史実では、この一九九五年からチーム・トムスはカストロールのスポンサーを得て、WRCなどで有名なカストロール・カラーでJGTCに参戦しはじめるのだが、カストロールがル・マン参戦計画にまで予算を出してくれるかはわからないので、カストロール・ロゴは一切入れていない。ドライバーは付属デカールの関谷/クルム組のままだが、ご存知の通りこの年ル・マンで関谷正徳はマクラーレンF1-GTRに乗って総合優勝している。もしトムスなんぞからル・マンに出ていたら、日本人初のル・マン・ウィナーは荒聖治だっただろう。

チーム・サードがル・マンに持ち込んだスープラGTは、基本的にJGTCに参戦していた車輌とまったく同じ仕様であった。唯一、JGTCではスピード抑制のためにリストリクターで520馬力前後までパワーを落としていたのを、ル・マンではそのリストリクターを取り払って、約700馬力を発生していたが、それ以外のボディ形状はすべてJGTC仕様と同一である。当時トヨタはまだJGTCに本腰を入れて予算を出せる状況ではなく、車輌の開発・熟成をある程度チーム任せにしていたため、エアロパーツやフェンダーの処理はサードとこのトムスの車で各部が異なっている。


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95年型の時点では、まだ市販スープラの形状が色濃く残っている。車高が下げられ、幅の広いタイヤを入れるためにリベット留めのオーバーフェンダーが取り付けられ、後輪にトラクションをかけるために大型のリヤウィングが装着されているが、車体のラインそのものは紛れもなくスープラである。オーバーフェンダーなど各所のリベット部分は、アクセントとして墨入れ用ガンダムマーカーで着色した。ホイール色が黒なのは製作者の性癖であり、実際のトムスは銀メッキのリムに白いディスク部のレイズ製2ピース・ホイールを使っていたことは有名である。

JGTC用トヨタ・スープラの心臓部は、一九九三年までアメリカのIMSA GT選手権に参戦していたイーグル・トヨタが搭載していた、3S-GTEベースの「503E」型直列四気筒2,140ccターボ・エンジンを使っていた。このエンジンはタービンの過給圧設定によっては1,000馬力級のパワーを発生できたが、リストリクターで出力を絞られるJGTCではエンジンが本来想定したパワー域を使えず、燃費が悪化するという問題があった。またこのエンジンを搭載したスープラの持病として熱害の問題があり、各チームともボンネットに大量の開口部を設けて排熱に追われたほか、エンジンの熱が操縦室床面まで伝播して、その熱がペダルを焼き、レーシングシューズの薄い靴底が溶けてしまうというトラブルまで発生した。一九九五年ル・マンにおいては、チーム・サードが整流のため車体にフラットボトムを取り付けて走ったが (当時のJGTC車にはその程度の空力パーツも無かった)、あまりの熱でドライバーの集中に支障をきたすに至ったため、仕方なくレース中に取り外した、という逸話がある。


 
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タミヤ製のキットなので組み立てはスムーズに進む。パーツが多く、また前述の通りフラットボトムではないため車体底面に露出したパーツ類の組み立て・塗り分けがやや煩雑だが、狙った位置にパーツが収まらないということはなく、サスペンション周りのパーツなどもパチっとはまる。ヘッドライト内部は指定色がX-11クロームシルバーのところを、別のキットのために買ってあったX-32チタンシルバーを試しに使ってみたが、通常のシルバーよりかなり暗い。個人的にはこれはこれで好みではある。デカール類の配置はチーム・サードのテストカーを参考にした。チーム・サードのテストカーにはタイヤレターが入っていないようだったので、本作例でもレターを省略している。
テールライトのレンズはGクリヤーか何かで接着したが、最終的に左右とも曇らせてしまったのが残念である。トムス車にはリヤに控えめなディフューザー (というかフラットボトムがないのでただの板だが) がついているが、サード車にはこれがない。この部分は比較的市販車の曲面が残っている部分なので、ない方が見た目が綺麗かとも思ったが、結局接着した。車輌パフォーマンス的には、おそらく無いよりはあったほうが何らかの効果はあるはずである。


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ホイール。キットのホイールはメッキパーツだが、メッキを剥がすのも面倒だったので、XF-1フラットブラックで下地を作ってX-18セミグロスブラックで塗った。ブレーキなどかなり気合を入れて塗り分けたが、結局タイヤをはめ込んでしまうとほとんど見えない。初期のJGTCスープラが多くのパーツをGpCカーのトヨタ・TS010から流用していたのは有名な話だが、ブレーキ・キャリパーもその一つである (サスアームは新作したらしい。一時はリヤウィングのメインエレメントも流用が検討されていた)。メッシュ部分の上の黒いエリアはキルスイッチのレセスで、ここにEマーク・キルスイッチマークが無いのもサードのテストカー準拠である。この年トムスはJGTCでフェンダーミラーを使っていたが、正直フェンダーミラーのままでル・マンに出るのはあまりおすすめしない…と言いたくなる。


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フロント部は物理的にかなりスカスカで、三分割されたエアダクトの左右の開口部からはフロントサスアームが見える。中央のラジエーター/インタークーラーに通じる部分はメッシュを貼ることになっているが、無いほうが見た目がスッキリすると感じたのでオミットしている (チーム・サードの車はメッシュがなく、そもそも開口部の分割自体が微妙に違う)。


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車体底面。前述の通りこの時期のJGTCカーはフラットボトムすらなく、503Eエンジンやギヤボックス、プロペラシャフトや排気管のレイアウトまで丸見えである。排気管とエンジン/トランスミッションはXF-84履帯色を使用した (この色、自動車の機械系パーツから飛行機の排気管まで使える万能選手である。グンゼの黒鉄色と焼鉄色の二役を兼ねる感じ)。プロペラシャフトが黄色いのは塗装指示の通り (厳密にはレモンイエロー指定のところをただのイエローでごまかしたが) だが、実車がそうなのかは流石に確認できていない。足周り全般の塗り分けをかなり雑にやったのがバレるショットである。フロアにある銀色の突起物はエアジャッキ。


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窓の小さいスポーツカーとは違い、基本は市販車なので内装はかなりよく見える。そのためサボると覿面にバレる。ステアリングコラムなど泣きながら塗り分けたが、実車がホワイトボディから組み上げた白一色の内装で、内装色にまで手を出さなくてよかったのは助かった。ドアの内張りはセミグロスブラック指定だが、気まぐれでXF-63ジャーマングレー (に黒を混ぜて暗くしたもの) に変更している。ロールケージは接着強度を出すのが大変な上に、車体への組付け時に無理な力をかける必要があり、少々難儀した。リヤオーバーハングの黒い物体は燃料タンク。
今回面倒くさかったので特に追加工作などはせず、ひたすら愚直に説明書通り塗り分けたが、唯一シートベルトだけは青色の色紙を使ってロールケージのパイプまで延伸した (実車通りの引っ掛け方かは未確認)。個人的に、これがないとかなりマヌケに見えるのである。
今更だが、内装・外装とも白い部分は基本無塗装で、プラの成型色のままである。究極のものぐさモデリングだが、懸念された「プラっぽさ」はあまりなく、思ったより見栄えは良い。


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以前作った1/48のVWタイプ82E (キューベルワーゲンのシャシーにTyp.1のボディを被せた軍用車。タミヤMMシリーズで出ている)、そして今回の1/24妄想スープラテストカー。
普段は塗装・完成済みの小スケール精密模型でレーシングカー欲を満足している筆者だが、「手を動かしてモノを作る」行為のすばらしさも捨てがたいのである。プラモデルの場合、往々にしてレーシングカーは最狂難易度の部類に属するのでハードルが高いのだが、今回のような (ヒネクレた) アイディア勝負でも、「モノをつくる」ことはできるのである。作っている最中は細かい塗り分け・組み立て・組付けで発狂寸前だったが、完成したスープラGTを前にしての感動を思えば、それもまたよい経験であったと言える。

最後になるが、このヒネクレまくったアイディアの根本的な動機は、例のHPI社製のテストカーがまったく手に入らないから (十年近く前のモデルな上に生産数が少なく、中古市場にも滅多に流通しない) というヨコシマなものであったことを書き添えておく。何をするにしても、動機というのはいつだって単純なものである。

2019年4月24日 (水)

絵の話

当たり前のように月単位でブログの更新が滞っておりますが、近況をまとめると (例によって) 身辺私事がいろいろ展開しすぎてついに筆者の頭がおかしくなったという状況です。だいたい年単位で見れば毎年ちょっとずつ大事件というのは発生しているもんですが、今年はちょっといろいろ起きすぎたし、それぞれの事柄と、「そういう事柄が発生しているという事実そのもの」の双方が、ぼくの頭に与えるインパクトも大きすぎたということです。わかりづらい日本語ですが許してくれ、今ぼくは頭がおかしいのだ。

頭がおかしいので四六時中脳内ではつぶやきとか文章がぐるぐる回っているし、それを突発的に記録しておきたくもなったりするし、たまたまこの瞬間PCのフタが開いていたので、絵描きとしてのぼくの自分語りなぞを書き留めておきます。有り体に言ってしまえば一人インタビューみたいなもんなので、興味のない人はたぶん一生読まないだろうし、べつにそれでいいんじゃないですかね。たまたまTwitterとかで絵描きとしてのぼくを知っていて、そういう創作に至る背景や思考過程に興味があるとか、何かの呪いでブラウザがこのブログ以外のサイトにアクセスすることを拒否しているが現在ヒマすぎて発狂死寸前だとか、そういう人は読んでみたらいいと思います。長い自分語りを衆目に晒すのは拷問なので格納しますが、何度も言いますが読みたい人は勝手に読んでください。

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