« 2011年9月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年10月

2011年10月15日 (土)

Sorry guys...

Hi guys, sorry in English.

Sorry to tell ya'all that my desktop PC crashed this afternoon. Now I can't even turn it on, let alone the datas in HD (For now I'm writing this via my buddy's PC). Honestly I don't have idea 'bout when will I be able to retain my online environment, nor am I able to salvage my stuffs belonged to my HD. As a result I won't be able to keep in touch with ya'all for some weeks, or even some months if things keep going wrong. I sincerely apologize for any unintended inconviniences or offencives. I just don't know what should I do now, but sooner or later I will definitely be back so please be patient...

Best Regards,
Simacher

2011年10月14日 (金)

日本GP レビュー

日本においてF1グランプリが一般に認知され始めたのは、1987年からであるといわれている。それまでにホンダがF1でそれなりの戦績を挙げており、民衆の関心が高まっていたところへ、この年から中嶋悟が日本人初のフルタイム・ドライバーとしてロータス・ホンダから参戦し、フジテレビが全16戦のテレビ中継を開始し、鈴鹿サーキットが10年ぶりの日本グランプリ開催の5年契約をFISAと結び、ホンダエンジンを搭載したウィリアムズ・チームがドライバー、コンストラクター両部門のチャンピオンに輝いた。どれも、お祭り好き、新しい物好きな日本人の興味をF1へ向ける方向に働いた。あれから24年、富士スピードウェイでの2度の代替開催が行われ、ホンダが撤退し、次いでトヨタがF1から手を引いても、鈴鹿は変わらずF1グランプリを開催し続けてきた。近年カレンダーに追加された新興国でのグランプリが、立地、文化、金銭などのファクターによって軒並み集客に苦戦するなか、鈴鹿は毎年20万近い観客動員数を安定して記録している。

鈴鹿はもともとホンダが自社のモーターサイクルをテストするために組立工場の近くに作ったコースで、設計に当たってはドイツから優秀な人材が招かれた。世界でも唯一の立体交差を持つ本格サーキットだが、「ホイールの左右両側に均等な負荷がかかるように」という、テストコースらしい気配りがその理由だった。1コーナー、S字、逆バンク、デグナー、ヘアピン、200R、スプーン、130R、カシオシケインと、ほぼ全てのコーナーが「名物コーナー」であり、攻略の難易度は非常に高かったが、ゆえにドライバーの自尊心をくすぐるサーキットでもあった。

過去いくつもの日本GPと同じく、今年の鈴鹿もチャンピオン決定の舞台となる公算が高かった。セバスチャン・ベッテルはこれまでのレースで309ポイントを獲得しており、あと1点でも取ればライバルの戦績如何に関わらず自動的にチャンピオンが決定するのだった。ベッテルは今季最強の呼び声高いレッドブルのマシンに乗っていたが、この組み合わせは普通に走っているだけで九割九分、表彰台は安泰という怪物マシンだったし、マシンは去年のように後半になってマシントラブルを続発させたりしなかったので、ベッテルは事実上、決勝に出場するだけでチャンピオンが決まるようなものだった。

それを阻まんとするかのように、フリー走行を席捲したのは「日本は第二の故郷」と公言するジェンソン・バトンだった。メルセデスエンジンというF1界最強のエンジンに、マクラーレンという名門チームで走るバトンに期待がかかったが、しかし予選になると観衆はこれまで14回くりかえされてきたワンサイドゲームをもう一回見ることになった。ベッテルが今季12回目のポールポジションを獲得し、1コーナーのインサイドへ真っ先に飛び込む権利を得たのである。連覇に向けて視界は良好だった。しかし2番手のバトンとベッテルの差は千分の9秒でしかなく、バトンの勝機は十分にあった。以下3番手にハミルトン、4番手にマッサ、5番手にアロンソ。日本人の期待を背負って立つ唯一の日本人ドライバー、小林可夢偉は自己ベストの7番手グリッドからスタートする。彼がいるザウバー・チームは、後半になって資金不足の影響がじわじわ出始め、選手権ポイントでライバルのフォースインディアに逆転を許したばかりか、後続のスクーデリア・トロロッソにも追い立てられている有様だった。ここでなんとしてでもポイントフィニッシュを果たし、故郷に錦を飾りたいところだ。

スタートがよかったのはバトン。彼は「第二の故郷」で何とかベッテルに一点返さんとダッシュするが、1コーナー直前でベッテルが大きくマシンをインサイドへ寄せた。接触!バトンは危ないところでグリーン上へ避退し難を逃れたが、大きく遅れを取り、ハミルトンの先行を許してしまう。コーナー先での順位はベッテル・ハミルトン・バトン・マッサ・アロンソでほぼ固まる。小林はホームのプレッシャーに負けてしまったのかクラッチをつなぎ損ね、一歩遅れた。マシンが動き出したときには、彼のうしろからライバルチームのフォースインディアやルノーのマシンが突進してきて、左から右から彼を越えて行ってしまった。小林はあっという間に13番手に転落してしまったが、それでもめげずに後方からチャンスをうかがう。この鈴鹿は、去年彼が何度も果敢な追い抜きを試みて成功し、観衆の度肝を抜いた縁起のいい場所だった。

彼は1回目のピットインを終えた16周目、ヘアピンでトロロッソのハイメ・アルグエルスアリにアウトから並びかけ、アルグエルスアリがブロックにかかるとすかさずインサイドへラインを変え、抜き去った。これで12番手になった。その後前を行くウィリアムズのパストール・マルドナドがピットインしたので11番手に上がった。後もう1台抜けばポイント圏内であり、レース距離はまだたっぷり残っていた。

18周目、5番手マッサが4番手ハミルトンに接近し始める。その場にいる人々になんともいえぬ不安が広がった。ハミルトンは間違いなく一流のスピードで走れるドライバーだったが、運転がいささか乱暴に過ぎた。この2人は今季たびたび絡んで接触する事故を起こしていて、だからマッサとハミルトンが逃げる追うの展開になると、サーキットに緊張が走るのだった。22周目まで、2台のマシンは接近しながらも何とか何事も無く周回を重ねていた。その周の終わり、カシオシケインでマッサがアウトへ並ぶ。あっ、と思った瞬間ハミルトンは大きくアウトへラインを寄せた。マッサは必死で回避したが、右のフロントウィング翼端板にダメージを負った。以後マッサはスピードが上げられず、ずるずると後退していってしまう。ハミルトンはレース後、つぎのように弁解した。「高速でマシンのミラーが揺れて、マッサが見えなかったんだ」 彼の言い分を信用するものもいたが、信用しない者のほうがはるかに多かった。

20周目にウェバーがピットイン、続いてベッテルもピットへ入ってくる。その次の周、バトンもピットへ入ってきたが、重要なことに彼はベッテルの前でコースに復帰した。圧倒的な強さで勝ち続けてきたベッテルは、無論鈴鹿でも勝ってチャンピオンを決めるつもりだった。そしてそれに対するせめてもの抵抗とばかりに、バトンはペースを上げて逃げにかかった。調子がいいときのバトンなら、ベッテル(というよりレッドブル)と互角のタイムは十分出せる。バトンには追い上げてきた者の勢いがあり、ベッテルにはそれが無かった。

しかしここで波乱が起きる。マッサとハミルトンのシケインでの接触、そしてシューマッハとウェバーの逆バンクでの接触で、コース上の2箇所に破片が散らばっていた。それを片付けるためにセーフティーカーが投入されたのだ。各車は整列し、スロー走行を行わなければならなかった。各車いっせいに好機とばかりピットへ走る。3周してセーフティーカーは退場したが、バトンとベッテルの距離は1秒も無かった。マシンバランスがいいベッテルは、シケイン付近で必死に差を詰め、DRSとKERSを両方使って何とか形勢逆転を試みたが、メルセデスエンジンの強大なパワーと大容量KERSの前に、逆にじりじり離されていく始末だった。そのやや後方で機会をうかがうのは、チームメイトを交わして浮上してきたフェラーリのフェルナンド・アロンソ。以下、僅差でウェバー、マッサ、ハミルトン、シューマッハ、ペトロフ、ペレス、レスタと続く。8番手以下は順位が目まぐるしく入れ替わる大乱戦だ。小林可夢偉はいったんはポイント圏内まで競りあがったが、タイヤ交換をしてからグリップ不足に悩み、つぎつぎにポジションを落としていってしまった。

34周目、ベッテルが2番手からピットへ飛び込みタイヤを交換する。このピットでアロンソがベッテルを逆転。しかしベッテルにしてみれば、バトンはともかくアロンソは、元チャンピオンではあったがマシン性能が二段も三段も劣る相手であり、簡単に置き去りにできるはずだった。事実イタリアグランプリでベッテルは、一旦リードを奪ったアロンソを再スタート直後のシケインで一撃で葬り去ってトップに返り咲く芸当を見せていた。しかし今回は様子が違った。バトン同様、淡々と勝ち続けるベッテルに飽き飽きしていたアロンソは、彼が背後に回ったと見るや猛烈なチャージを開始。予選アタックに匹敵するタイムを連発し、パワーを利してあっという間にベッテルをDRS圏外へ追いやると、そのままのペースで2番手を堅持。ベッテルも追い上げにかかろうとしたが、「チャンピオンタイトルがほぼ手中にある以上、無理をする必要はない」というチームの安全策に従い追撃をあきらめた。逃げている相手を無理に深追いするのは絶対に危険で、しかも彼の背後にはチームメイトのマーク・ウェバーが控えていて、いざとなったら後続をブロックしておいてくれる手はずになっていたので、あえてペースを上げる必要もなかったのである。

その後は何も起こらなかった。53ラップをクリアした時点でトップにいたのはジェンソン・バトンのマクラーレンであり、彼は2011年F1日本グランプリの優勝者、また今季ベッテルが落とした五つのレースのうち三つで勝利を挙げたドライバーとなった。アロンソは最後まで2番手を死守し、そのまま今季2回目の2位でフィニッシュし、ベッテルを3位に押しとどめた。しかしベッテルには3位でも4位でも10位でも大して変わらなかった。セバスチャン・ベッテルは24歳ながら、2011年のF1世界選手権において334ポイントを獲得し、史上9人目の連続チャンピオンとなったのである。他の8人はそれぞれアルベルト・アスカーリ、フアン・マニュエル・ファンジオ、ジャック・ブラバム、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソで、彼はこのそうそうたる顔ぶれの一員に名を連ねる栄誉に浴した。西日が傾き始めた鈴鹿のスタンドを埋めた十一万観衆が、若きチャンピオンに拍手を送った。

稀有な才能を持つ若いエースドライバー、それをよく補佐するセカンドドライバー。優秀なデザイナー。バランスの取れた速いマシン。磐石のチーム体制。潤沢な資金力・・・ 思えば、今季のレッドブル・レーシングは、「勝つための条件」をほとんど全て満たしていた。彼らは、成功するべくして成功し、勝つべくして勝ったのだ。セバスチャン・ベッテルは、残りのレースも全力で当たり、勝ちを取りに行くに違いないだろう。

« 2011年9月 | トップページ | 2011年12月 »

フォト
無料ブログはココログ

リンクリスト

  • Pixivページ
    自分の描いた絵を置いておく倉庫。当初ニコ静との並行運用だったが今はこっちがメイン (多分…)。更新頻度は高くない。同人イベントの参加情報とかも投下される。
  • Kumaryoong's Paddock
    ソビエト時代の東側諸国におけるモータースポーツ活動について書かれているたいへん誰得なブログ (褒め言葉)。この辺の史料を日本語でまとめたサイトって史上初かもしれません。
  • 作った静止画一覧
    主にMMDで作った静止画を上げています。最近はこっちの頻度のほうが高いですね。
  • Racing Sports Cars
    ル・マンや旧WEC/WSPC/SWC、さらには旧WCMなど、スポーツカー・レースの参戦車両の膨大な資料写真を有するサイト。ドライバー別・車種別検索機能完備。F1もちょびっとだけあります(70年~82年)。
  • F1-Facts
    1950年イギリスGPより、F1に関する全記録を蒐集・公開しているサイト。各年度リザルトページからマシン一覧・写真ページに飛ぶことができます。あなたの知らない名車に出会えるかも。IEは右クリックでの画像保存が出来ないので、PCに保存する際はFireFoxなどを使用してください。
  • 誰得 (boulog)
    謎多きF1マニア(?)、bou_ckさんのブログ。「Wikipediaに載ってないような脳内資料置き場」を標榜するだけあって、その名に恥じぬディープ過ぎるF1マシン解説!Wikiどころか、ネット上にもそうそう無いようなマシンが目白押し。ちなみに「誰得」とは「誰が得するんだこんなもん」的意味合いのフレーズ。 2015.12.13追記: このほどYahooブログからfc2ブログに移転されました。
  • 作ったもの一覧。
    私の動画作品一覧です。気力の低下と更新頻度の低下はすべからく連動しています。