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2011年10月 1日 (土)

シンガポールグランプリ観戦記

すごく長い(原稿用紙23枚分!)ので格納しました。現実と非現実をあわせた、私小説みたいなものになってます。でも大体現実です。ミクちゃんの設定はあくまでここだけのものですのでご注意を。文中の「ドル」はS$のことですが、1S$(シンガポールドル)が約2.5リンギット、日本円で70円弱くらいです。ほしいという奇特な方がいらっしゃれば、原稿にサインして抽選で1名様にお渡ししますがどうでしょうか・・・笑





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淡路島よりひとまわり大きい観光業の島、シンガポールに、F1グランプリが誘致されたのは2008年のことであった。すでに隣国マレーシアが、国威発揚と自国の自動車産業の発展を願って、1999年からアジアで二番目のF1グランプリ開催国となっていた。2004年には中国がそれに続いた。いずれのケースでも、おもにF1発祥の地・欧州大陸から大挙して押し寄せる観戦客のおかげで、莫大なる利益と宣伝効果を国に齎していた。2007年には、時のシンガポール大統領、李光耀がグランプリ誘致を決めていたという。マレーシアから独立し、マレー人主体の国家への従属をよしとせず全民平等のちいさな独立国を運営することを選び、シンガポールのこんにちの繁栄を築いた老宰相は、F1グランプリが開催されないことでシンガポールがおおきな経済損失を甘受させられていると考えていた。号令一下、2008年9月、F1シンガポールグランプリはF1史上初の夜間レースとして成功裏に開催された。勝ったのはフェルナンド・アロンソ(当時ルノー)だった。きらびやかにライトアップされた特設の市街地コースを美しいF1カーが駆け抜けるシンガポールグランプリは、初開催にして「東洋のモナコグランプリ」の雅号で呼ばれるようになった。大統領とその側近達の苦労は無事、報われたのである。

マレーシアの独立記念日を目睫に控え、国中がそわそわし始めた八月のある日、ぼくはレッドブルからある贈り物を貰った。2011年F1シンガポールグランプリの観戦チケット二組であった。レッドブルというのは、これまたマレーシアの隣国であるタイ国資本の栄養飲料メーカーだったが、オーストリアに拠点を置くレッドブル・レーシングF1チームの親会社でもあり、同社社長はたびたびF1グランプリ・レースに姿を見せていた。そして、レッドブル・レーシングといえば昨年のF1チャンピオンチームであり、今年も若き天才セバスチャン・ベッテルと、豪州から来たベテラン、マーク・ウェバーを擁し、ダブルタイトルほぼ確実と見られている常勝チームだった。2005年にジャガー・チームを買収し中堅チームとして参戦を続けていたのだが、2009年にベッテルを獲得してから一気にチャンピオン争いの常連となっていったのだった。

ぼくは自他共に首肯して認めるより他に無いほどのF1マニアであった。しかし、サーキットに赴いて本物のF1グランプリを見ることにはあまり積極的ではなかった。家のソファにゆったりとすわって、元ドライバーが戦略の分析をしてみせたりするのを聞きながらTV観戦するのに比べると、サーキットの観客席は些か、環境が悪すぎた。それに、「スポーツは須らく現地で観戦してこその醍醐味である」といくら言われたところで、F1グランプリのチケットは野球のナイターの席なんかとは比べ物にならぬ価値を持つのだった。そんなこんなで、ぼくはF1グランプリを一度も生で見たことが無いままF1マニアを名乗っていた。そこへ交通・宿泊費を全て負担しますよ、チケットも差し上げますよ、とレッドブルの甘いささやきである。ぼくはいずれもレッドブルのライバルチームであるフェラーリとチーム・ロータスとウィリアムズが大好きで、少々気後れしないでもなかったが、結局誘惑に抗しきれず有難く押し頂いた。

チケットをプレゼントされてから、F1はベルギーグランプリとイタリアグランプリが開催され、その両方のレースでベッテルはほかの多くのレース同様、完璧な勝利をしてみせた。かれは去年のように後半になって多くの取りこぼしをしなかったので、選手権ポイントを誰よりも多い284点獲得し、シンガポールグランプリでこのままタイトルを決めかねない勢いだった。ぼくはベッテルのことがきらいではなかったので、これを素直に喜んだ。まだ24歳になったばかりのベッテルだが、シンガポールでの勝機は限りなく高かった。

ぼくが悩んだのは、誰を連れて行くかということだった。幸いぼくは友人に恵まれており、みな嫌な顔ひとつせずについてきてくれるはずだった。しかし彼らは皆、F1グランプリについて全く知らなかった。自国の政府が国策としてF1を開催しているのに、彼らはベッテルの名前すら知らない者も多く、知っていても「F1チャンピオンになった若造」程度のことだった(マレーシア人、特に若い世代はがいして自国の政府に批判的だ。シンガポールから帰る際、空港までタクシーを使ったが、運転手の中年男性は自国の政府がF1を誘致したりカジノを建設する正当性と、政府の先見の明をとうとうと力説していた。この人物がシンガポール国民の総代だとは思わないが、ほんとうに豊かな国の国民はみな自信にあふれている、という考え方もあることだ)。新鮮な感動を味わうのは悪くないし、ぼくなら同年代の人間ひとりを洗脳してF1好きにしてしまえる知識量を持っていることを自負してはいたが、知識も興味も無い人間を連れて行くにはF1グランプリのチケットは高価に過ぎ、サーキットの観戦スタンドは窮屈に過ぎた。

けっきょく、ぼくは無難にガールフレンドを連れて行くことにした。彼女はぼくがF1を見始めて暫くたってからつきあい始めた女の子で、きれいな緑色をした腰にかかる長髪をツインテールにして、いつも笑っている元気な子だった。「ミク」というかわいらしい名前を持っていて、おとなしそうな外見だったが生来アウトドア派で、スポーツ全般はするのも見るのも大好きだった。彼女のお気に入りはプレミアリーグ・サッカーとテニスだったが、ぼくの薫陶(英才教育、というやつである)のおかげでF1にも多少の知識(とはいっても、その辺の男の子よりずっとよく知っている。ぼくの話につきあっていれば嫌でもそうなるだろう)はあった。彼女もフェラーリが好きらしかったが、それ以上にレッドブルが大好きだった。ぼくとしては、フェラーリの王座を阻んだ「敵」であるレッドブルはあまり応援してほしくなかったのだが、それを言うと彼女が決まって悲しそうな顔をするので黙っていた。αオスになるのは強い個体と相場が決まっているのが自然の摂理で、レッドブルは強かったがフェラーリは明らかに強くなかった。彼女にシンガポール行きが決まったことを告げると、飛び上がらんばかりに喜んでくれた。可愛らしい笑顔にふと頬が緩んだが、その笑顔はレッドブルの勝利の可能性と、それに立ち会える喜びの笑顔なのだと思うとすこし複雑な気分だった。

9月24日は土曜日だった。チケットは三日分もらっていたのだが、金曜日は折り合いが悪く諦めざるを得なかったのだ。朝八時の飛行機でクアラルンプールへ行くには、六時に起きなければいけない寸法だった。ぼくはそうでもなかったが、彼女は早起きを三大苦手のひとつに計上していたので心配になった。しかし空港へ着くと、彼女は大興奮の様子でぼくを待っていた。ひとまず乗り遅れる心配はなさそうだった。ぼくたちはエア・アジアという、マレーシアの格安航空会社の飛行機に乗ったのだが、この会社のオーナーであるトニー・フェルナンデスという人物が、丁度チーム・ロータスのオーナーであった。機内誌にはシンガポールグランプリを紹介する記事と、チーム・ロータスの奮闘を伝える記事が載っていて、ぼくたちの期待感を煽り立てた。

お世辞にも快適とはいえない、エアバスの狭苦しい座席に一時間閉じ込められるという代償とひきかえに、ぼくたちは定刻にクアラルンプール国際空港(KLIA)の別棟である低価格キャリア・ターミナルに着いた。黒川紀章の設計したマレーシアの空の玄関・KLIA本棟は世界のどの空港にも遜色ない豪華な設備があったが、低価格ターミナルははっきり言って「ちょっとばかり大きなバスターミナル」くらいのもので、おまけに本棟からおそろしく離れていた。それでも、ぼくたちが出発したコタバルのスルタン・イスマイル・ぺトラ空港に比べれば天と地ほどの差があった。

マクドナルドでひとり300円払って、あまり味のしない朝食を食べると、シンガポール行きの飛行機にはまだ一時間半くらいあった。アイスをねだるミクをさんざ説得してマクドナルドを後にし、インターネットカフェ(マレーシア人はサイバーカフェと呼ぶことが多い)に入った。別にぼくがネット中毒患者というわけではなく、現地のスケジュールなどを確認しておくのが目的だった。土曜日は午後7時から1時間のフリー走行、午後10時からこれまた一時間の公式予選が予定されていた。天気予報は、日曜からやや雲が多くなることを伝えていた。雨に降られるのは厄介だが、曇天は暑さを和らげてくれるので好都合だった。

シンガポールのチャンギ国際空港にぼくたちが降り立ったのは午後1時25分だった。チャンギはKLIAよりもさらにきれいなところで、時間があればゆっくり見学していきたいくらいだったが、荷物もあったので早々に空港を後にしなければならなかった。見ると周囲にはけっこう、F1チームやドライバー、スポンサーのロゴの入った野球帽を被ったりTシャツを着たりしている、F1観戦に遠路はるばるやってきた欧州人がうろうろしていた。

ミクは健脚ではあったが旅慣れてはいなかったので、飛行機の狭い座席と乗り継ぎと早起きで疲労の色が隠せない様子だった。ぼくはホテルが近いことを伝えてミクを歩かせ、バスターミナルへ向かった。ホテルの所在に関する唯一の情報が住所の小さく書かれた紙切れとあっては、タクシーを拾ったほうがはやそうだったが、料金が問題だった。シンガポールは通貨レートも物価も高かった。マレーシアリンギットをかなり多めに両替していったのだが、思ったほどの額にはならなかった。両国の国力の差はこんなところにも現れていた。

ホテルの部屋にようやく落ち着いたときには、時計は午後四時を指していた。ミクはよほど疲れていたのか、荷物を降ろすなり早々とベッドにもぐりこんで寝息を立て始めた。ぼくは来たるべきF1観戦に備えてリュックサックの中身を分別しにかかった。F1を見るのにエアアジアの機内食のメニューは必要なさそうだった。

先方が手配したハイヤーに乗って、一団がサーキット付近に着いたのは午後七時ちょっと前だった。コールマン・ストリートとノースブリッジ・ロードの交差点のすぐ先に、ぼくたちが渡された観戦パスを受け付けてくれる四番ゲートが建っていた。あまり時間が無いがぼくたちはランチも食べていない、まず食事を取ろう、というような立ち話をミクとしていると、七時になった。それと同時に、ゲートのほうからF1カーの爆音が聞こえてきた。三回目のフリー走行が始まったのだった。F1レギュレーションは全てのF1カーに2400ccのV型8気筒エンジンの使用を義務付けていて、このエンジンを一万八〇〇〇回転まで回すことが許されていた。TV中継のフィルターされた音ではなしに、生で聞くレーシング・エンジンの音は、人身を昂揚させる何かを持っていた。思えば、ひとびとが自動車レースにわけもなく惹かれる理由の、一種の原点のようなものが、あの爆音には宿っていた。

交差点のはす向かいに、待ち構えるように建っていたショッピングモール内で、パンにハムとレタスをはさんだ簡単なサンドイッチをコーラで流し込み、ぼくたちは四番ゲートをくぐった。二十四台のF1カーが、合計で十七万馬力になんなんとするエネルギーをぶちまけ叩きつけるサーキット内部と、それにまったく無関心なひとびとが素通りしていく外の世界を隔てる陸橋を渡り(すぐ足下をF1カーが全開で通過していくのだ!)、ぼくたちはサーキット内の人となった。ぼくたちに宛がわれたチケットは「パダン(草地)・グランドスタンド」というところで、コース図上で言えばターン9からターン10をつなぐみじかいストレートの脇だった。速いマシンなら、ここで時速280キロくらい出ているはずだった。名前のとおり、観戦スタンド背後、サーキット内側には大きなグラウンドがあって、そこには食物や飲物を販売する出店やチームのグッズを販売する屋台のテントが立ち並び、中央にはこのグランプリのために世界中から招かれたアーティストたちがライブをやる大ステージまで誂えてあった。ステージ両脇の巨大スクリーンは、ショーをやっているアーティストの顔を大写しにする以外にも、客席へはいらず草地にすわってビールを飲み、タバコを吸いながらF1を観戦する人々のためのモニター・テレビの役割も果たすようになっていた。

午後七時半ごろに席に着いたときには、すでにフリー走行は三十分が経過し、おおかたの車がコース上に出て、走り込みを行ったり、車の調子を確かめたりしていた。時速200キロで走るF1カーの操縦席から観客席が見えるはずも無かったが、ミクはカメラを構えたり、コタバルで買い求めてきた雑誌でチームを識別したりしていないときは必ずマシンに手を振っていた。オレンジ色の車載カメラのついた、ベッテルのドライブするレッドブルのマシンがやってきたことを教えてあげると、「歌が上手い」とよく褒められる綺麗な声で声援を送った。まわりの観客はどうやらマクラーレン・チームのファンが多く、みなマクラーレンのメーン・スポンサーである通信会社のロゴが縫いこまれた、あざやかなオレンジの帽子やシャツを身につけ、ふたりのマクラーレン・ドライバーが通り過ぎると時折、歓声や拍手を送っていた。レッドブルの紺色のシャツを着たファンも相当数いたが、フェラーリのマークが入ったシャツを着ているのは、ちょっとぼく以外には見当たらなかった。

その後の公式予選でポール・ポジションを取ったのはベッテルだった。ぼくは三回の開催で三回とも表彰台に上がり、そのうち二回勝っている、フェラーリのフェルナンド・アロンソに期待していた。ぼくはアロンソがポールをとるほうに五ドル賭けたのだが、結局ミクにせしめられてしまった。しかし負けるとわかって賭けるのもそれはそれで面白いものだった。アロンソはチームメイトを従えて五番手だった。

予選が終わったのは午後十一時で、ぼくたちはその後さらに売店を見て回ったので、サーキットを離れる頃には日付が変わろうとしていた。ぼくは二十ドル払って公式プログラムを買った。A4サイズで銀色の表紙の、なかなかさっぱりした洒落た装丁で、コース図やシンガポールグランプリの歴史、全ドライバーのプロフィールページなどが掲載されていた。ミクは応援用にと、レッドブル・レーシングのキャップを購入したのだが、これが六十ドルもした。その六十ドルのなかに、ぼくからせしめた五ドルも入っていることを思って、また複雑な気分になった。なんだか胸の跳ね馬が色あせて見えるようだった。電車や地下鉄、タクシーの混雑を尻目に、歩いていける距離にあったホテルへ帰り着くと、もう午前一時近くだった。ぼくたちは熱いシャワーを浴びただけで、そのまま泥のように眠り込んだ。

翌朝、ホテルのレストランで朝食を食べていると、フィリピン人らしき30代くらいのニ人組が相席してきた。聞くとやはりフィリピンのマニラからF1を見にやってきた若い夫妻で、ジョセフと名乗った夫のほうは、「ミカ・ハッキネンを見に」というから99年から01年の間だろう、セパンに行ったことがあるそうだった。彼はアイルトン・セナに影響されてF1を見始めた多くのひとびとの一人で、ハッキネン以外にはジャック・ビルヌーブがお気に入りだった。可愛いガールフレンドをつれて観戦するにはシンガポールは最高だ、とも言っていた。マレーシアは気温も湿度も高いから、女の子には辛いところだ。シンガポールは夜のレースだからあまり暑くないし、なにより綺麗だからね。彼はまた、耳寄りな情報を持っていた。サーキットのすぐ近くにある大きなショッピングモールで、ルノースポールが展示をやっていて、そこにはルノーのF1マシンも展示されている。昨日はルノー・チームのブルーノ・セナとロメイン・グロージャンがやってきてサイン会・握手会をしていたそうだ。ドライバーはわからないがF1カーはグランプリ期間中ずっと置いてあるようだから是非、見に行くといい、とのことだった。正直なところ、ぼくはピットパスまで貰っていなかったので、サインをもらう機会を半ば諦めていた。その機会というものがなかなか身近にあったことを知っていささか驚き、間に合わなかったことに失望したが、F1カーだけでも見てやろうと思った。ぼくとミクはジョセフに礼をいい、メールアドレスを交換して別れた。

地下鉄に乗ってショッピングモールに到着したのは午後一時ちかくだった。展示会場は入り口からすごく遠いところにあった。吹き抜けのアトリウムのような広場に、ルノーの市販車に混じって、くだんの「F1カー」が展示されていた。しかしそれは、見たところフォーミュラー・ルノー3.5という、ルノーが主催しているF1の下位カテゴリ用のレースカーのシャシーに、今シーズンのF1カーのカラーリングを施した「まがいもの」だった。F1カーというのはそれでなくても機密の塊のようなもので、迂闊に人前に出せないのも仕方のない話ではあった。会場の中央には仮設のステージがあって、ステージ背後のパーティションにはセナとグロージャンのサインが残されていた。

ミクと記念写真を撮ったり、ナイジェル・マンセルやアラン・プロストを紹介した、ルノーのF1活動の歴史をふりかえるプレートを眺めたりしていると、周りが騒がしくなってきた。聞いてみると、どうやら午後二時から、チーム・ロータスのへイッキ・コバライネンがやってきてトークショーをしていくが、同時にサイン会もやるという。チーム・ロータスはルノーのF1エンジンを今季から搭載していて、その縁でコバライネンが広報活動をしにやってくるのだった。なるほど、仮設ステージ裏に、そのことを記述した広告が大きく描かれていた。ぼくはちょうど、公式プログラムをホテルの部屋においてきてしまっていたが、運良くリュックサックの中にはF1雑誌が一冊入っていた。その雑誌はシンガポールグランプリの特集号で、やはり全チーム・ドライバーのプロフィールが載っていた。この際ぜいたくは言っていられなかった。

コバライネンは二時半を回った頃、ようやく姿を現した。彼は壇上でルノーのスタッフからいろいろと質問され、それに簡潔な言葉を選んで答えていた。チーム・ロータスが大好きなぼくは、コバライネンにサインを貰って、それだけでもう「明日死んでも構わない」という気分になったことを告白しなければいけない。ミクはチーム・ロータスを「貧乏で出世の見込みのないチーム」と考えていて、おなじルノーのエンジンを使うレッドブルのドライバーが来ないことに不満げだった。ぼくからしたら不敬罪で刑事裁判に持ち込むことも辞さないような発言だったが、それはある一面においてチームの真実をよく反映した発言でもあった。ぼくはなぜかそういうチームが大好きだった(ミクに言わせれば、「景気の悪いチーム」ということである)。

F1レースは午後八時から始まるということだったが、ぼくたちは四時ごろにサーキットに入った。五時に始まる前座レースを見るためである。ミクは自動車レースそのものにはあまり興味のない、ごくごく標準的な女の子だったので気乗りしなさそうだったが、ぼくは興味があった。F1に造詣が深い日本の小説家・文筆家である故・海老沢泰久氏は、自著の中でこう書いている。「・・・決勝レースの直前にサーキットに行ってそれだけを見て帰ってくるというわけにはいかないのである。(中略)グランプリの三日間の過程にすべてつき合わなければ、その興奮とそのあとのすばらしい解放感は絶対に味わえないのではないかと思う。そしてそれを味わうことが、じっさいにサーキットへ行ってレースを見ることと、行かないで結果だけを見ることの一番大きなちがいなのである。・・・」(「快適な日々」収録) ぼくは三日間、F1に付き合うということは残念ながらできずじまいだったが、氏の言わんとする「興奮が徐々に高まっていく」感覚は良くわかる。前座レースもその興奮を共有するもので、すっ飛ばすことは考えられなかった。

まだ日の高いうちに行われた前座レースはポルシェのスポーツカーを使ったワンメイク・レースで、おもにアジア地域から腕利きのレーサーたちが集まっていた。プロドライバーも多少いたが多くはアマチュアドライバーだった。日本からは、国内GTレースで走っていた澤圭太選手も参加していて、レースでは三位に入っていた。レースは十二周であらそわれ、途中アマチュアレーサーがひとりクラッシュしてセーフティーカーがちょっと入った以外、何も起きなかった。勝ったのはクリスチャン・メンツェルという、ドイツ人のドライバーだった。ポルシェのスポーツカーは3800ccの六気筒エンジンを積んでいて、特急列車がホームを通過するよりやや大きな音だった。耳栓すらいらないくらいだった。それでも、9000回転で450馬力を発揮するというエンジンは、F1エンジンには及ばないがやはりすばらしい音だった。

六時四十五分からドライバーズ・パレードが始まった。ポルシェのレースが終わったのが五時半過ぎで、それからサーキット内をぶらぶらしていたが、六時半くらいに客席に戻ってみると、ガラガラだった客席は八割がた埋まっていた。ドライバーたちがクラシックカーにのってコースを回り、観客に手を振ってくれるサービスは、特にコースとスタンドが近い市街地コースではファン達を満足させるものだった。ぼくはアロンソに帽子を振り、ミクはベッテルとウェバーに同じことをした。ベッテルは「勝者の余裕」とでも言うべきものか、観客たちに向かってニコニコしながら手を振ったりポーズをとったりしていた。フェラーリの二人も笑ってはいたが本心はそうでもなさそうで、心ここにあらずといった風体だった。ザウバー・チームのセルジオ・ペレスなど笑ってすらいなかった。彼のチームはシーズン後半になって明らかに失速していて、レース直前にこんなことをするより、もっと有意義な行動、たとえばエンジニアとのミーティングに時間を費やしたい、とあせる彼の気持ちは理解できなくもなかった。ザウバー・チームは先のイタリアグランプリで、ライバルチームのフォース・インディアにに選手権ランキングを逆転されて、コンストラクターランキング七位に陥落したばかりだった。

前日と同じレストランでサンドイッチを詰め込んで再入場したのは七時半過ぎだった。ちょうどピットレーンがオープンになって、各車がウォーミングアップを行っていた。前日の予選でクラッシュした日本人ドライバーの小林可夢偉がフィーリングをつかもうと走りこんでいた。彼は予選のターン10で、縁石に乗りすぎたためにマシンが浮き上がり、コントロールを失って壁にヒットするクラッシュを経験していた。彼の走りには前日のクラッシュを心配するようすは全く感じられず、いつもと同じようにすばらしいスピードで走った。F1ドライバーたちの、精神と肉体の協調はつねに完璧でなければならなかった。そしてそれが、世界でほんの一握りの「F1ドライバー」と呼ばれる人種がこの上もない尊敬を集める理由であった。彼が乗るザウバーのマシンは、ルノーのライバルであるフェラーリのエンジンを搭載していた。しかし日本人ドライバーということでか、ミクはザウバーにも声援を送っていた。

やがて七時四十五分にセッションが終わると、シンガポール国歌にあわせて観客は起立を求められた。コースからエンジン音が消え、サーキットは静寂に包まれた。これから始まるであろう波乱含みのレースを予期するような、あるいはドライバーたちが知力と体力の限りを尽くし、六十一周のレースを戦うための精神統一を行わせるための静謐かもしれなかった。シンガポール首相の李顕龍も特別ゲストとしてグリッドに姿を見せていたが、ドライバーはレースに向けて集中するために外界の情報をすべてシャットアウトしており、チームスタッフたちはマシンにレース前の最後の調整を施すのに忙しく、とてもそれどころではなさそうだった。

午後八時にスタートしたレースは、セバスチャン・ベッテルがジェンソン・バトンの追撃を悠々と振り切って勝利した。彼はこれで選手権ポイントを309点に伸ばし、チャンピオンを決めるには至らなかったが次の5レースで一ポイントでもとればチャンピオンだった。すでに決まったも同然だった。アロンソは中盤、タイヤが苦しくなってウェバーに抜かれて四位に落ちてしまい挽回できず、四年連続の表彰台を得ることは出来なかったばかりか、逆転チャンピオンのわずかな望みをも失った。小林とコバライネンは完走することができたが、いずれも選手権ポイントは獲得できなかった。ベッテルが長いレースを終えて、ウィニングランで観客席によせてマシンから手を振ると、スタンドから拍手が沸き起こった。ミクは黄色い声で彼の名前を叫んだ。ベッテルはまだ若かったが、何事にも謙虚な努力を惜しまず、ファンを大切にした。ひとことで言えば、「誰からも好かれ愛される人柄」だった。

ぼくたちはF1グランプリを間近で見て、そのエネルギーに圧倒された。それは、「音が大きい」とか「スピードが速い」とかいった次元の話ではない。上手く説明するすべを持たないが、それは多分、二時間のレースに全ての精力と努力を傾注するドライバーたち、そしてそれをやはり全精力で支えるスタッフたちに心を打たれたからに他ならないだろう。レースが終了し、表彰台上でききなれたドイツ国歌が演奏されたときの、ベッテルのいかにもすっきりした、すばらしい表情を見たとき、ぼくはたしかに口ではいえない解放感を感じた。ドライバーにつきあって二時間の息詰まるレースを終えたかのような、不思議な達成感だった。レース後に空に咲いた大輪の花をうれしそうにながめるミクの横顔が、とてもうつくしく見えた。

すべてがすばらしい経験だった。

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コメント

素晴らしい観戦記をありがとうございます!
レースウィークをあたかも自分が体験したかのように感じられる素晴らしいレポートです!
初生観戦の感動が伝わってきましたよ!!
自分もいつかどこかでF1初生観戦して感動したい!

読んでるだけでもワクワクしてきました!
いいな~~~!
私もいつかはきっと!
ミクさんとF1!

>シゲオさん
コメントありがとうです。日本語で長文を書くのはちょっと難しいですね、海老沢泰久さんの文章をけっこう参考にしています。で、勘違いされてるといけないのでちょっと解説しておきますと、ミクさん周辺のお話・やりとりは架空のものです。ただ好みとかの設定は、実際に身辺にいる女性数人からとっています。実際に私に洗脳されて「F1マニア初級」の段位を授かったヤツもいますし、コローニとかが好きと聞いて「そんな景気の悪いチームが」と一蹴してくれたヤツもいます笑

>ghostさん
お越しいただきありがとうございます。F1は高いのでこういう抽選でもない限り難しいかもしれませんが、とにかくスポーツの生観戦はいいものですよ。いつかはF1!目指してお互いがんばりましょう。

あらら。そういうことでしたか(笑)。
完全に勘違いしてましたよ~(笑)。

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