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2012年4月

2012年4月13日 (金)

海老沢泰久 「F2グランプリ」

今回の記事では小説作品を取り扱うが、内容の核心にかんする記述を多く含むことが不可避であるため、本の結末を先に知りたくない読者は閲覧を控えることをつよく勧める。



プロスポーツネタというのは、一般的に小説よりはノンフィクションに向いている題材だと思う。最近とんとフィクションを読まないのでその辺の確証がないのだが、どうもサッカーやテニスといったプロスポーツを題材にした小説をあまり見ない。アマチュアを扱った作品、たとえばしがない社会人5人組がフットサルチームをつくる話だとか、そういったものはこの限りではないのだが、プロスポーツとなるとどうも「現実世界」で話が完結してしまって、虚構が入り込む余地がなかなかないからだろうか。サッカー、テニスといったメジャーなスポーツでこれなのだから、ましてやカーレースのようなあまり万人受けしないようなジャンルともなれば、何をかいわんや、である。

RIMG0179ところが、この「カーレース小説」というのを、まだ日本にF1ブームが到来するはるか前、1981年の時点で著していた人物がいる。ぼくが尊敬してやまないノンフィクションライター兼小説家、海老沢泰久氏だ。写真左の赤い表紙の本がそれで、「F2グランプリ」と題されている。読んで字のごとく、全日本F2選手権のチャンピオン争いをテーマに据えたフィクション作品だ。当時日本ではF1グランプリはまだ開催されておらず、F1のひとつ下のカテゴリであるF2が事実上の国内レース最高峰であった。3リッターのエンジンを使うF1に対して、F2は一段下の2リッター・エンジンの使用が義務付けられており、パワーも当時のF1カーの500馬力以上に対して300馬力前後と、かなり控えめであった。このF2のレースのシリーズ最終戦が鈴鹿サーキットで開催され、三人のチャンピオン候補たちが優勝目指して闘うという、まあ王道といえるストーリーである。本の裏表紙の文を以下に抜粋する。

「一周6キロのコースを時速300キロの猛スピードで走るF2マシン。鈴鹿サーキットの3万人の観衆がどよめいた。優勝候補は三連覇を狙う佐々木、対抗馬の井本、ルーキーの中野。F2グランプリを制するのは誰か。栄光のチャンピオンを目指して疾走するドライバーたちの熱き闘いを描くカーレース小説の会心作。」


現在のF1・日本グランプリの観客数が十万人以上とされているから、三万人というのは非常にさみしい数字であるというのが伺える。ようするにこの佐々木、井本、中野の三人が、10月に行われた全日本F2選手権最終戦・JAF鈴鹿F2グランプリ(作中では出走十八台とされている)でチャンピオン・タイトルをかけてぶつかり合う、ただそれだけの話である。しかし「ただそれだけ」で終わらないのがこの本の醍醐味。海老沢氏の文筆のうまさと相まって、カーレースのことをよく知らないという人でも、一冊の娯楽小説としてまずまず楽しめる本に仕上げられている。その一方で、すでにこの時代のカーレース界における「世相」を知り尽くしたマニアな読者にも、ちゃんとお楽しみは用意されている。というのは、この物語の中で描かれている多くのイベントや関係者などは、すべて実在の出来事・人物をもとに描写されているからなのだ。以下、物語の核心に踏み込んでゆくことをもう一度ことわった上で、そのあたりについて書いていきたいと思う。

まず、優勝候補の最右翼とされている佐々木宏二というドライバー。彼は過去2年、連続してF2チャンピオンになっており、このシーズンも鈴鹿ラウンドに入るまでにだれよりも多く選手権ポイントを獲得し、前人未到の三連覇に王手をかけて鈴鹿に勇躍、乗り込んできたという設定だ。いっぽう、対抗馬の井本豊なるドライバーは、"優勝こそしていなかったが四戦のうち三度にわたって二位を占め、名実ともに佐々木宏二を脅かす一番手のドライバーと考えられていた"という。この佐々木と井本は、ともに同じ人物がモデルと考えられる。物語の時間軸を1980年と置くと、この人物のモデルが、当時すでに「日本最速」の称号を得ていた星野一義であろうことは想像に難くない。レースをよく知っている人なら、これにくわえて高原敬武の名前をあげる人もあるだろう。後述するが、佐々木のほうは悪役に徹する印象がつよく、その創作の度合いは比較的高いと見てよさそうだ。井本のほうがわりあい忠実に星野の人となりを再現しているのではなかろうか。このふたりが、"関係者のあいだでは、優勝候補として、はやくから(中略)名前があげられていた"ということである。

そして、ある意味で本書の主人公である、中野英明というドライバー。この年からF2レースにデビューしたばかりのルーキーで、まだこれといった戦績をあげてはいなかったが、このレースからデモン自動車という自動車会社が製作したV型6気筒エンジンを搭載して走ることになったため、優勝候補の一角にあげられたのである。勘のいい読者ならお分かりかと思うが、この「中野英明」こそ、後年日本のレース界で星野一義をも上回る速さを見せつけ、のちに日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟がモデルなのだ。このデモン自動車も、モデルはむろん現役時代から中嶋とのつながりがあった、ホンダ自動車である。その戦歴も、"過去において世界のF1グランプリとF2の両方のレースを制した、唯一の日本製エンジン"であり、"一九六五年のメキシコ・F1グランプリと六七年のイタリア・F1グランプリ"で優勝し、"六六年のF2レースで…ヨーロッパにおける主要な十四のレースで十二勝したのである"とある。史実でも、ホンダは上に挙げたふたつのF1グランプリレースでみごと優勝し、また1966年にはジャック・ブラバムと組んで欧州のF2を席巻した歴史を持つ。また、1968年にいったんレース活動から手を引いたのち、まず2リッターのF2用V6エンジンで復帰するのも史実どおりだ。ただ、史実では、ホンダのF2用エンジンが日本のサーキットに姿をあらわすのは1981年なのだが、物語の時間軸においてはマーチ社製・802型シャシーが「最新式」とされており、1980年のできごとを描写していることがわかる。このあたりはまあ、物語に必要な架空要素と見ることができるであろう。中嶋悟と彼をめぐる当時の国内レース界の動向は、海老沢氏が後年になってまとめた「F1走る魂」という本(上写真右)に詳細に記述されている。そういった意味で、「F2グランプリ」と対を成す存在といえる同書は、1987年シーズンにチーム・ロータスからF1デビューした中嶋悟の半生記と、すでにF1チャンピオン・エンジンとなっていたホンダのエンジニアたちの一年の戦いぶりを記すものだが、史料価値も高く、スポーツ・ノンフィクションの名手である海老沢氏の面目躍如といったところだ。

さて、レースの話である。物語では、佐々木宏二はすでにこの年から独立してみずからのチームで参戦しており、それに伴って井本がブリザード・レーシング内でのファーストドライバーの地位を手に入れている。もともと彼は佐々木宏二のセカンド・ドライバーとして同チームからF2デビューしたという設定だが、これは当初、星野一義のナンバー2ドライバーとして名門ヒーローズ・レーシングよりデビューした中嶋悟の状況に通ずるものがある。もっとも、史実では中嶋はすぐにはヒーローズ・レーシングのエースにはならず、79年にI&Iレーシングというところへ移籍している(ホンダエンジンを獲得し、最初に走らせたのも同チームであった)。ブリザード・レーシングの監督である島田実という男は「大会社の御曹司」であり、資金面はひじょうに安定していることをうかがわせる描写があるのだが、これも史実におけるヒーローズ監督の田中弘(ハンドマイクなどを製造する会社「ユニペックス」の御曹司であった)に共通する点である。ふたりとも、最新式のマーチ・802に、BMW製の2リッター・直列4気筒エンジンを積んだマシンで走っているのに対し、中野が所属するローレル・レーシングは、旧式マシンのラルト・RT2を使用せざるを得ない。ばかりか、このレースでワークス・スペックのホンダ・・・もとい、デモンV6を獲得するまで、このチームは1レースに使えるBMWエンジンが一基しかなかったのだ。これは、史実において中嶋が79年から82年までを過ごしたI&Iレーシング結成当初の様相に似通っている。また、ローレル・レーシングの監督である藤巻健太郎は、往年の名ドライバーという設定が付与されている。これも、I&Iレーシング創設者であり、日本のカーレース黎明期に大活躍した生沢徹氏を模しているとみて間違いないだろう。

佐々木宏二は、作中では明確な悪役として描写されている。悪役という言い方があたらないなら、「冷徹」とでも言おうか。彼は自他ともに認める日本一速いドライバーであり、みずからの実力に絶対の自信を持っている。物語の冒頭で、彼はデグナーカーブでレコードラインをふさぎ、ラインをあけてくれる前提で全速力で飛び込んできた中野英明をクラッシュさせている。あからさまに押し出したりしてはいない辺り、この男の老獪さを垣間見ることができるのだが、上手いドライバーなら同様の状況におちいっても、なんとかステアリング操作で回避できそうな気がしなくもない。1982年のF1ベルギーグランプリの予選中にジル・ヴィルニューブがスロー走行中のヨッヘン・マスに接触し、命を落とした事故がひとびとを震撼して以来、「パスされる側(スロー走行中のクルマ)は無闇な進路変更を行ってはならない」という不文律が出来上がったのだが、それは少しあとの話になる。とまれ、もし佐々木が、中野は若さゆえに無傷で回避していくのは不可能であると踏んでこの動きに出たとしたら、そうとうな策士である。また、物語の中ではこの年の四月におこなわれた開幕戦のレースで、佐々木・井本、そして彼らと並ぶトップドライバーであった宇佐美典義の三台が接触し、宇佐美が死亡する事故が発生しているのだが、佐々木はみずからのドライビングに責任の一端があることを自覚しつつまるで何事もなかったかのように振る舞い、あまつさえつぎのレースでは優勝している。いっぽうの井本はその後、かなり長い間事故の記憶にさいなまれることとなったが、史実において日本のF2選手権でこの時期に死亡事故が発生した記録はなく、この出来事は架空のものといえる。井本はほかにも、レース前になると過度の緊張から蕁麻疹を発症したり、朝から何も食べることができなくなるといった描写があるが、これはまさしく星野一義の現役時代のエピソードである。星野はコース上ではすばらしいスピードで走り、コース外でも熱血漢としてよく知られ愛された人物であったが、他人が考えるよりはるかに繊細だった。

ところで、上のほうで「最新式のマーチ802シャシー」の話が出てきたが、この辺りに本書における大胆なアレンジを垣間見ることができる。ローレル・レーシングは金がないせいで旧式化したラルト・RT2シャシーを使っているくだりだが、本文中にこんな記述を見ることができる。

「・・・そのために、まずもっとも安定しているイギリスのマーチ・エンジニアリング社製の最新型マシンであるマーチ802が買えなかった。彼は(中略)ラルトRT2を買った。これはマーチ社の旧型マシン、マーチ792に対抗するためにつくられたラルト社のマシンで、802に対してはすでにRT4がつくられていた。彼は中古のシャシーを買ったのである。・・・」

著述畑出身の作者らしい、いかにも説明口調な文体だ、という意見はさておき、史実においても、確かにラルト社がRT2シャシーでこの時代のF2レースに参戦していた事実が存在する。しかしラルト社のタイプ・ナンバー総覧を見ていくと、RT2以下RT3がF3用、RT4はフォーミュラー・アトランティックという、北米でおこなわれる1800ccエンジンを使ったジュニア・フォーミュラーのレース用につくられていて、RT2のつぎのF2用マシンはホンダ・エンジン搭載を最初から考えて設計され、1981年にデビューしたRH6となっている。また、RT2はコンパクトなハート製直列4気筒エンジンの搭載を念頭において設計されたシャシーであり、横方向のサイズが大きいV型エンジンを搭載するには、かなり大掛かりな改造をほどこす必要が出てくる。おそらくフレームから改造することになるだろうが、作中では貧乏チームとして描かれているローレル・レーシングにそんな財力はないだろう。考証ミスでないとしたら、おそらく「RH6」のHが「ホンダ」の頭文字をしめすものであることが、あくまで「フィクション」という立場を貫く本作にとって不都合と作者が判断したのではあるまいか。

脇役陣もそうとう「いいキャラ」がそろっているのだが、こちらも史実由来の人物が大挙して登場する。原島三郎というレーサーがおり、彼はこの鈴鹿グランプリを最後に現役を引退することを考えていた。チームの資金は不足し、車両は2年落ちのマーチ782という底辺ドライバーである。しかし原島にも得意な時期はあった。

「原島三郎は日本のレースだけでは飽き足らず、スタードライバーを失うことを怖れた当時の関係者たちの説得を振り切って、六年前にヨーロッパに渡った。そしてフランスに住み、ヨーロッパのF3レースにフルエントリーしてヨーロッパ各地を転戦した。彼はヨーロッパでも通用するドライバーであることを、行ってすぐに証明してみせた。第三戦目であっさり優勝してしまったのだ。ヨーロッパに渡った日本人ドライバーは過去に何人もいたが、わずか三戦目で優勝するなどという派手なことをやってのけたのは彼がはじめてだった。(中略)その成績からすれば、一年か二年のうちにF2をとびこえて、どこかのF1チームにスカウトされるのは確実と思われた。」

結局、原島はF1へは行けずじまいで終った。彼の資金援助をおこなっていた父の不動産会社が倒産したため日本へ戻り、その後「最初の二レースか三レースはまともなレースをしてみせたが、あとは酒びたりになった。そして切れ味のいいドライビングを忘れてしまった。彼が忘れなかったのは、ワインの味とフランス煙草だけだった」という、哀しいドライバーだ。作中、彼が雑誌で「アラン・ジョーンズがF1チャンピオンになったと書いてあった」記事を読んだくだりがある(このことからも、物語の時間軸が1980年末であることがわかる)。彼は同席していた井本、中野、ジャーナリストの村上に向かってこう言い放つ。「昔は(ジョーンズも)たいしたドライバーじゃなかったんだがな。どうってことないやつだったんだ」。原島はヨーロッパでF3を戦っていたころのジョーンズのライバルであり、勝ち星を争う関係だった。ジョーンズはその後F1へ進出し、史実でもサウジアラビア航空からふんだんな資金援助を受けたウィリアムズ・チームでF1チャンピオンとなっている。いっぽうの原島は、このレースを最後にカーレースの世界から足を洗う決意を固めていた。「人間には潮時ってものがあるからな」。そして当日、原島はレースなかばで多重クラッシュの餌食となり、マーシャル・ポストを直撃し、そこにいたひとりのマーシャルもろとも命を落とす。現世の哀愁、才能だけではどうにもならない天運といったものを書ききった名シーンだと思う。史実において、同時期にヨーロッパでF3を戦った日本人としては桑島正美(その後、1976年の富士F1グランプリで少し走っている)や生沢徹、風戸裕(1973年に事故死)などがいるが、資金難で日本へ帰ったという描写から、モデルとして近いのは桑島であると判断できる。ただ桑島はその後も1980年に足を踏み入れるまで日本で現役生活を続けており、現在も存命中である。

もうひとりの脇役として、特定の個人ではないが「チャンピオン・タイヤ」というタイヤ会社があげられる。物語中、優勝候補の三台の中で唯一、中野だけがチャンピオン製ラジアルタイヤを装着して出走することになったのだが(メーカー自体は三人ともチャンピオンを使っている)、このチャンピオン社の主任、永井信夫が、クラッシュによってセッティングの時間がなくなり途方にくれるローレルの藤巻監督(この二人は旧知の仲であることが描写や対話からうかがい知れる)に、一台だけバイアスタイヤに替えてラジアルタイヤをつけるようすすめるシーンがある。史実では、全日本F2選手権で最初にラジアルタイヤが使用されたのは1980年シーズンで、中嶋悟の車がブリジストン社製レーシング・ラジアルを装着して出走している。このことからチャンピオン社はブリジストンをモデルとした設定であることがわかるが、作中ではチャンピオン・タイヤがすぐれた性能によってほぼ寡占状態を築き上げているのに対し、史実ではこの時期の全日本F2はブリジストン・ダンロップ・アドバン(横浜ゴム)三社によるすさまじいタイヤ競争のまっただなかにあり、したがって史実における永井信夫のポジションにいた人間は、とてものんきに「F1オールジャパンチーム」の夢なんぞ見ていられなかったはずである。作中で、デモン・エンジンを獲得した藤巻が、友人であるデモン・モーターランド(鈴鹿サーキットの所有団体。史実では「ホンダ・モビリティランド」として知られる)支配人の有田に、デモンのF1用ターボ・エンジンを搭載し、チャンピオン・タイヤを履き、ドライバーは中野英明とするオールジャパンF1チームの構想を打ち明けているのだ。この本が書かれたのは81年末であり、当時F1でターボ・エンジンを使っていたのはルノー公団とフェラーリ、そしてハートだけだったから、かなり気が早い考えだが、逆に言えば著者の恐るべき先見性を代弁する描写でもある。あるいは、サーキットに足しげく取材を重ねていた著者のことだから、もしかしたらホンダのスタッフか誰かから、すでにF1用ターボ・エンジンの開発がはじまっていることをそっと耳打ちされていたかもしれない。藤巻は「うまくいけば三年後ぐらいに」と言っていたが、ホンダがF1エンジンをつくってデビューさせたのが1983年だからかなりいい所を突いている。中嶋悟がその後、ロータス・ホンダからF1デビューを果たしたことで、日本人ドライバーが日本製エンジンでF1を戦う構図が出来上がったが、日本製タイヤのF1挑戦はそれからさらに十年後、1997年のブリジストン・タイヤを待つことになる。実際の意味でオールジャパン・チームがF1に登場したのはじつに物語から20年後の2006年。中嶋よりひとまわり若い世代である往年のF1ドライバー、鈴木亜久里氏が立ち上げた、日本人ドライバー(佐藤琢磨)、日本製エンジン(ホンダ)、日本製タイヤ(BS)の「スーパーアグリ・F1チーム」がそれである。おそらく著者も感慨を禁じえなかったであろう。

本作においても、著者の独特な乾いた文体は健在である。彼の仕事ぶりを間近で長く見ていたホンダF1総監督、桜井淑敏氏のことばを借りるなら、「艶がある」ということになる。「…あるレベルに達した精神的エネルギーを余さず拾い上げ、そうでないものは悉く切り捨てる海老沢氏の判断方法は、結果としてゆるぎない真実のみを残す。こうして残った真実の持つ強さは、彼の人生に対して、また表現することに対しても、比類のない確かさをもたらしているのである。あえて短絡的な善悪の判断を避けて真実を並べることにより、(中略)そしてエネルギーレベルを厳格にそろえることによって、確かさと気高い香りが脈々と流れているのである。"文は人なり"という言葉は、海老沢氏においてもっともよくあてはまると僕は思う」(本書解説より)。真実を淡々と著述してゆくことにかけては右に出るものはないと思われる海老沢氏だが、残念なことに2009年夏、病を得て亡くなった。冷たくも鋭く響く「海老沢節」はもう聴こえない。かえすがえすも口惜しいが、最後にぼくが「F2グランプリ」の中でいちばん気に入っている台詞を引用したいと思う。作中、デモン自動車の創業者がある会議の中で述べたとされる言葉だ。

「自動車レースは、貴重なオイルを湯水のように使い、そのうえ排気ガスを空いっぱいにまきちらす公害社会の代表のようにいわれているが、わたしはそうは思わない。この地上の資源のおおかたが失われ、われわれの工場が最後の一台をつくらなければならないような事態が訪れたとしたら、わたしはそのとき、躊躇なく、乗用車ではなくレーシングカーをつくることを選ぶだろう。誰がなんといおうが、自動車レースは日常的な世界に対する崇高な挑戦であり、地上のスピードに対する万人の夢でなければならないからだ」

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