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2012年8月25日 (土)

もし野球を全然知らないF1マニアが「もしドラ」の作戦をF1的に考察したら

きっかけというのは、もとはといえばひとつのツイートであった。アカウント「@QB0」 (あの「まどマギ」に出てくるQBを模したアカウント。らしい。フォローしてないので真相は不明だ。このツイートも、フォロワーの一人がRTしてこちらへ回ってきたものであった) の、この発言である。
「そんな、ノーボール、ノーバントだけで全国大会まで勝ち進めるなんて! そんなことができるとしたら、それはもう高校野球なんてレベルじゃない! ワールドシリーズに対する反逆だ!」
ツイートライン上の前後関係から、この発言は一時期ホットな話題だった「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの"マネジメント"を読んだら」という書籍作品に対するコメントだと推測できる。クソ長いタイトル通り、高校の野球部の女子マネージャーがペーター・ドラッカーの「マネジメント」(随分昔の本である)を読んで、その理論をもとに野球部の運営体制を改革して甲子園をめざす、という話である。じつはこの本、原書が手付かずの状態で手元にあった。むかしむかし、たしか発売当初の早い時期にたまたま日本に遊んでいたので、多分その時に買い求めたものと思うのだが、おそらく当時は日本語力がまだあんまりなかったのと、ぼくにとって外国語に等しい野球用語の連発で、数ページめくって投げ捨ててしまったのだろう。帯までそのままだったのだから重症である(ところで、日本語の本についてくるあの「帯」というのが、ぼくには理解できない。特に寝転がって読む際に邪魔でしょうがないので、腰を据えて読む本はまっさきに帯を捨ててしまうくらいである)。今回の記事を書くにあたって1時間程度で斜め読みして、だいたいの筋は頭に入れてきたつもりである。本文は300ページもないので、そんなにキツイ本ではないといえるだろう。少なくとも「坂の上の雲」書籍版よりははるかに楽である。

ところが困ったことに、マレーシア育ちのマレーシア人であるぼくには「野球」を語る知識がまったくない。知ってるスポーツといえばF1をはじめとするモーターレーシングだけである。そもそも野球なんて、ぼくの中では「日本人とアメリカ人しかやってない、なんかややこしいスポーツ」という印象しかなかった。当然ルールも知らない。執筆前に、平素から仲良くしている「上海娘々賽車隊」サークルの長、「各々」さん(注)にじっくり基本ルールは教えていただいたのだが、それでも理解できたかどうか怪しいレベルである。その上さらに、今回はぼくが得意とするF1の世界にそれを投影して、「これはF1的にはこうこうこういった作戦、考え方にあたる」と解説しようとしているのだから救いようがない。それでも、世にF1マニア (あるいは、そうなろうとしている人々) が一人でもいれば、このブログの存在意義は半分が達成されたことになるので、ぜひぜひお付き合い願いたい。

(注:ステマになるが、秋ごろにこのサークルから出版される東方系の同人誌に、ぼくが寄稿した文章が二本掲載されることになっている。仕事(?)の機会を与えてくれた「各々」さんに感謝すると共に、無事発売に至ったあかつきには、何より読者諸兄に手にとって頂きたく思う。)

さて、今回の原稿では、上に上げた「ノーボール、ノーバント」が果たして現実的な作戦なのか、ということを、「これはF1ではこれこれに当たるんじゃないか」というふうに考えていきたい。ぼくは、どんなに難解な事象であっても、それをF1に置き換えるとたちまち心までわかってしまうのが自慢にもならぬ自慢なのである(余談ながら、エッセイストの内館牧子さんもたしか似たようなことを書いていた。「相撲に置き換えればどんなスポーツでも理解できる」、といった感じだったように記憶する。同氏の専門分野は相撲・プロレスらしい)。また、本文はあくまで「(基本は)フィクションである本作に登場する一つの作戦」に的を絞って考え、書中のファンタジー要素やフィクション的な誇張は承知のうえで書いている。また、本作やその作者などに対して批判的な考えは一切持っていない、ということを理解していただけると幸いだ。

まず、原作での「ノーボール、ノーバント」の出典。「マネジメント」に開眼した主人公のみなみは、中盤で「イノベーション」ということの必要性を認識する。イノベーションというのは英語で革新、変革を意味することばだが、彼女は監督の加地という男に「高校野球において、たとえば戦術面でどんな革新ができうるか」と問う。そこで加地がかねがね暖めていた「ノーボール、ノーバント」作戦の話が出てくる。加地は高校野球のゲーム現場における「送りバント (犠打) の多用」と「ボール球を打たせる投球術」にたいする嫌悪や、それらのもたらす悪影響を話し(作中では、野球知識ゼロのぼくが理解しうるほどに詳述されてはいなかった。やはりゼロから入っていくにはハードルの高いスポーツだ)、そこで「ボール球をまず投げない」ことと「犠打をおこなわない」ことを戦術の根幹として提示し、それを「ノーバント・ノーボール作戦」として作中で具現化させている。書籍はこのチームが予選を勝ち上がって甲子園に行き着くところで終っているが、文中に「この戦術が高校野球の世界にセンセーションを巻き起こした」旨の記述があることから、おそらく作中世界では加地はロス・ブラウンやフォン・マンシュタイン並の知将として遇されたであろう。ところが現実世界では、上のQBのように真っ向からこれを否定する意見や、「ノーボールは可能性はあるがノーバントはムチャクチャだ」、またその逆 (「ノーバントはまだわかるがノーボールは下策中の下策」) と、雑多な意見が見られる。両方をサポートする意見がぜんぜん無いというのがこの作戦の意味を端的に物語っているかもしれない。

作中でまっさきに槍玉に挙げられたのが「送りバント」という戦い方だった。加地はこの考え方をよほど嫌っていたようで、みなみに対してこの考え方が「いかに古びた戦法で、非合理的で、しかも野球をつまらなくさせているか」ということを (作中では詳記されてはいないが) 長々と語っていた。作者の地の文でも、「…打高投低が著しい現代野球にそぐわなくなってきている。みすみすアウトをひとつとられる割には効果が薄く、しかも失敗のリスクも大きい」「杓子定規に送りバントをすることで、創造性が失われ (中略) 選手や監督の考えを硬直化させ、最近では野球をつまらなくさせる一因ともなっている」と、いちおう加地の考えとしてではあるが概して批判的に記述されている。で、送りバントというのは、簡単に言うと「塁上に走者がある状態で、打者がみずからすすんでアウトをひとつ打つかわりに走者を進塁させる」という戦術で、ウィキペディアによると「主に僅差の試合や、投手など安打を期待できない打者の打順で用いられる。しかし、どうしても1点が必要な局面などでは、チームの主砲である4番打者も犠牲バントを敢行することがある」とある。これはつまり「アウトをひとつ献上してでも一点が取りたい」という状況で使う戦術だろう。また、「特に高校野球では多用される」とあるくらいだから、よほど見慣れた戦術ということができる。ただ、作中でも加地が尊敬する監督として登場した蔦文也氏や、アメリカのレッドソックスチームなど、これに頼らない戦術の組立を可能にしているところもあり、この戦術が絶対ではないことを伺わせる。

総合すると、この「送りバント」はおそらく、F1で言うところの「チームオーダー」に近いのではなかろうか。F1は1チームに2台しかいないから明示的に見えにくいが、たとえば1チームから3台、4台が出走するスポーツカー・レースである。たとえば99年のル・マンでは、3台を送り込んだトヨタ/TTEは、コラール・ソスピリ・ブランドルの1号車を絶対的エースと据え、ブーツェン・マクニーシュ・ケルナースの2号車がそのサポート役、そして鈴木(利)・土屋・片山の3号車 (このCn.804の車だけ、前年型シャシーの改造品であった) が「スペアのスペア」として待機しているという布陣であった。結果はともかくとして、この2号車・3号車の仕事はというと「1号車のサポート」、ありていに言ってしまえば「何が何でも1号車を勝たせる」こと、具体的には筆頭ライバルであったBMWを封じ込めることである。そうするためにはたとえばコース上でブロックしたり、ピットにあらぬタイミングで飛び込んで敵チームを牽制したりといった、「明らかにレースを捨てた」ような行為も必要になってくる。そうまでして、「走者」である1号車、エース・カーを優勝の錦旗へ向けて「進塁」させなければならないのだ。このレース、BMWも新型2台 (当初は3台の予定であった) にプライベーターの旧型2台という体制でTTEを迎え撃ち、終盤トップを走るエースカーのBMW15号車がTTE3号車に20秒差まで詰め寄られた際に、BMWワークスチームが旧型の18号車に指示を出し、卑怯なまでのブロックに徹させた末に1位の座を守り抜いている。もちろん、ここまで明示的に「卑怯」という形でやってしまってはマイナスイメージは避けられないが (2002年の8月以降スクーデリア・フェラーリがどういうことになったか思い出してみて欲しい。「グレーゾーン」の判断でさえあの騒ぎである) 、その一線を越えてさえいなければ、この時BMWがとった判断はレース・チームとしてしごくまっとうなものであった。これだって、18号車がみずからのレースを捨ててまで、「塁上の走者」たる15号車を優勝に「進塁」させるというプレーである。優勝がかかった局面だったから、これは「スクイズバント」といえるかもしれない。なので、野球でこういうことをやった場合に観客が面白いかどうかはともかく、「送りバント」はF1的には使うもよし、使わぬもよし (チームオーダーを出さない方針のチームはイギリス系のところに多い。ウィリアムズ、マクラーレンなど、原則として競り合っている際の明示的なチームオーダーは行わない。対して大陸系のチームは、フェラーリはじめほとんどのところでチームオーダーが有形無形に存在しているといえる) な作戦だ。ただ、「ノーバント」、ここではチームオーダーを出さない考え方だが、これがF1で散見されるからといって高校野球でもうまくいくかといえば疑問である。チームオーダーを出さずに戦う、つまりチームメート同士で競り合いになってもそれぞれの実力に任せるのは、どちらかというと個人プレー、個々の実力重視の考え方だ。F1は1チームが2台、スポーツカーでも1つの親チームが持ちうる「手駒」の数は4台を超えることが滅多にないから、まだ1台1台の独立思考が入り込む余地はあるが、野球は「チーム」の要素がレースよりずっと強い。たとえば走者が二塁とかにいて、送りバントで確実に取っていくことが必要な局面で打者が「オレはなんとしてもここで打ちたいんだ」とか言ってひっぱたいたらどうなるだろう。これはもうギャンブルだ。うまくいけばいいが、いかなかったら敗戦の責任がこの無茶な打者に集中することになる。送りバントに頼らない戦術でうまくいっているところが少ないことからも、野球でやるのは難しい、どうしてもやるとすればそれ相応の勘考が必要、ということだろう。作中では、送りバントに頼らずともいいように、地区予選の段階で「全戦コールド勝ちを狙っていけ」というメチャクチャな指令が飛んだ。高校野球の地区予選でのコールドスコアは調べてないが、物語の時間軸上でつい半年ほど前まで弱小チームだったこの野球部には、相当にキツいゲームになるだろう。F1で、たとえばふたりの新人ドライバーに「全戦グランドスラムを狙え」と命令するようなものである。それに近いことをやってのけたチームは、88年のマクラーレンと02年のフェラーリしか知らない。実現したら歴史に残るドリームチームになること必定である。すくなくとも、1点を取り合う接戦を避けるために全戦コールド勝ちしろと言うような監督では持て余すであろう作戦だと思う。

つぎに、「ボール球を打たせる投球術」への否定。加地の意見はというと、「…ピッチャーの成長を妨げ、ひ弱にし、またゲームを長引かせ、面白くないものとさせる」ものという。また、それを重要視するあまり「キレや勢いといったものがおろそかに」される弊害もある、と書かれている。これに対応して、野球部は攻撃の根幹を「ボール球を見送りストライクだけを撃つ」こととして、そのために「ボール/ストライクの見極めを集中的に訓練する」方策をうちだし、また投手陣のストライク一極集中にともなう撃ち返しのリスクを受けるために、極端な前進守備の布陣によって「エラーに対する恐怖を克服する」 (作中ではこの高校は二十年来の弱小チームで、経験値の絶対的な不足から、接戦になるとどうしても浮き足立つことが悪癖とされていた。これはノーボール作戦の補助というよりは、それに対する心理的な対策という側面が大きいだろう) という考え方が示されている。一方で、投手は「ボールを投げない」ことと「打たせて取る」戦術に集中させることで、投球数を少なくし、夏の酷暑による身体的疲労を抑えようという副次的効果も示されていた。

これについては、ぼくはちょっと否定的に考えている。基本的に、投手にとってのおいしいゾーンは、そのまま敵の打者にとってのおいしいゾーンにつながるからである。グローブど真ん中に投げ続けてそれを一球も撃ち返してこないようなアホなヤツはいないだろう。だから投球の合間合間にあえて悪球を挟んでバッターを撹乱したり、本文中にもあるように「…ボールで打ち気を誘い、凡打や空振りに」仕留めるという考え方が通用するのである(いわゆる「釣り球」。ピットインするとみせかけて平文で偽のピットイン情報を流し、ライバルチームをピットへおびき寄せた某チームの話が思い出される)。追い込んだ末にボール球を叩かせるのが野球の一般的な戦術といわれているくらいなのだ。その上、「撃たせて取る」となると、ストライクなんか投げて撃たれたら下手をこくと本塁打を浴びるから、微妙に「外した」配球がどうしても必要になってくる。バットを振っても芯で当てられずに、野手がよろこぶようなヘロヘロダマになって飛んでいくボール、まあ言ってしまえばかつての東尾修が得意としたような変化球が必要になるわけだ。作中でもいちおう、投手陣はストライクゾーンの繊細なコントロールを会得するために下半身の筋肉を強化する描写があった。だがそれはもはや「変化球」であって「ストライク」ではないと思うのだが… (もし作者が「ストライクだけ投げる」ではなく「ストライク"ゾーン"にだけ投げる」という意味合いであったらまだ良かったかもしれない。ストライクゾーンにあっても、変化球は成立するからだ。それならそれで文中にしっかり書いてあれば、こんなくだらないブログにあげつらわれずに済んだかもしれないのである。)

また、ボールを投げずストライクゾーンにのみ投げるということは、もちろん撃ち返されるリスクは飛躍的に高まる。そこで味方の守備陣の双肩に「死守」の文字がのしかかるのだが、加地はここで極端な前進守備のフォーメーションを組ませているのだ。このチームはみなみのマネジメント論によって短期間でおおきく飛躍したことになっているが、それでも甲子園を目指すには絶対的な経験不足が足かせとなり、したがってエラーをやらかすと落ち着きを欠いてしまうことが、作中で指摘されていた(実際に、作中時間軸で甲子園の1年ほど前におこなわれたゲームにおいて、序盤をうまく運びながらこのような展開で負けている)。そこで、エラーに対する恐怖や、接戦に持ち込まれた際の意味のない焦燥を抑えるべく、前進守備を敷くことによってエラーにを恐れないようにし、また万一エラーをおかしてもそれは(前進守備を命じた)監督の責任であって選手の責任ではない、という風に考えさせることが目的とあった。

…なんという無茶をするのか (と、野球歴3日のぼくにもこれぐらい言う資格はあると思いたい) !? 前進守備とはすなわち「定位置から二、三歩前で守る陣形」であり、1点を返しあう緊迫した状況では多くとられるが、元来この監督の目指す「コールドで決着するようなゲームにしていけ」というレース運びには不要のはずの思想である。そのうえ、前進守備をなんのためにとっているかというと「エラーを恐れないため」。これではダメだ。いくら野球の分からないぼくでも、どうもこれはおかしいというくらいはわかる。練習試合辺りの段階であえて前進守備を敷かせてエラー処理をこなさせ、ある程度「慣れさせる」やり方ならまだしも、それを本番ゲームにまで持ち込んでしまって果たして勝てるのだろうか。いろいろヘタクソなりに調べると、前進守備が出てくるのは「1点でもどうしても敵チームに渡したくない場合」、というのが多いらしい。また、「点差が開いている状態や取り返せる見込みのある局面では滅多に使われない」ともある。となるとこの場合は… ダメだ、頭がついていけない。というわけで、この節の考察は一旦留保とさせていただきたい。われながら情けない結論だとは思うが、ここでネット上で見かけた「ノーボール作戦をマイルドにするとブラウン監督のカウント重視主義になる、あれは素晴らしい試みだったと思う」という一言をまずは引用しておきたく思う。

以上もろもろの考察から、ぼくの頭脳では加地監督の作戦は「無理ではないがむずかしすぎる」という結論になった。ただF1的には、弱いチームがいろいろ策謀をめぐらせてレースに勝ってしまうという展開はたまにある。代表的なものをあげれば86年メキシコGP、90年フランスGP、57年ドイツGP、98年ハンガリーGPと、いずれもコース上のバトルより「戦略」、それもこの場合すべて「ピット戦略」で勝敗が決したレースだ (もう少し書き加えるなら、04年フランスGPやCARTの99年ポートランドなども入れたいのだが…)。86年メキシコのベルガーや90年フランスのカペリは、タイヤが最後まで持つことにかけて無交換作戦に訴え、それぞれ優勝/二位という、いずれも当時の彼らのチーム力からすれば望外の好戦績をあげている (ベルガーの場合はタイヤそのもの、カペリの場合はシャシー設計がコースにピタリはまったことが、それぞれの作戦の成功要素だった。そのへんを的確に読み抜く才能も、エンジニアの重要な仕事である)。反面、57年ドイツGPのファンジオ、98年ハンガリーGPのシューマッハ (彼らの場合「弱小チーム」ではないのだが、ともに「追う立場」にある者として、またすぐれた戦術によって勝ちを収めた好例としてとりあげている) は、ピットストップによるロスタイムをあえて甘受しつつ、新しいタイヤでそれ以上のペースを出せることにかけてレースに臨んだ (ファンジオの場合はもうちょっと複雑。彼の時代にはレース中のピットインはけっこう珍しい部類で、ファンジオはハーフタンク状態でスタートしていたので四輪の交換と給油で1分ちかくピットに釘付けにされていた。そこからの猛追撃は歴史に残るものとなっている) 。ファンジオとマセラーティ・チームは、長いニュルブルグリンクのコースをうまく利用したフェイント作戦でフェラーリを油断させ、のちに本人みずから「あんな走りはもう二度とできない」と形容したほどの苛烈な追撃で、勝てないはずのレースにみごと勝った。シューマッハーも、他車より多い3回ストップという作戦を成功させるために、ほぼ毎ラップを予選アタックに近いペースで攻めつづけ (彼自身ハンガリーのコースを得意としていたこととも無縁ではないだろう) 、難しいレースを制した。だから、それが現実でうまくいくかはともかくとして、そういう「弱者の一撃」を考えだした加地と、そうなるようにうまく水を向けたみなみ (みなみが水を向けたというよりは、彼女のドラッカー式チーム運営上どうしてもそうしなきゃならなかった、という方が正しいかもしれないが) は、じゅうぶんチーム運営者としての資格は備えているといえるのだ。ただ作中で、このハチャメチャチームはどういうわけか激戦区とされている西東京地区を勝ち上がって、甲子園にまで行き着いている。しかも (作中描写を見る限り) 全勝で。これはさすがにどうなんだと思う。たとえば上の4つのレースのうち、チームそのものが小さいところだった86年メキシコ (ベネトン・BMW) と90年フランス (レイトンハウス・ジャッド) では、彼らの好成績はいずれもシーズン一度きりのものであった。レイトンハウスにいたってはこの年唯一の入賞である。思うに、ぶっ飛んだ作戦で首尾よく勝ってしまった、というレースは、限りなくフロックに近いのではないか。ぼくがかねがね言っていることだが、たとえフロックでひとつやふたつ勝っても、それが「繋がら」なければけっきょくはそれで終ってしまうしかない。現実世界でこの戦術をとったチームがよしんばあったとしても、甲子園にほんとうに行き着けるかどうかは疑問だろう。

作中、加地はまだ二十いくつの若い監督というのが描写されている。二十いくつでここまでイノベーティブなことを考える頭がついているのだから、これからも監督としてチームにとどまって、その戦術眼を磨いて欲しいと思うのである。口ぶりから察するに、彼はそうとう自分の考えに自信があり、また自らの考えがどこを向いているかもある程度把握していると思われるから (そこから先がダメなのだが) 、もう何年かたてば、ひょっとすると敵に回すと恐ろしいチームを率いる存在になっているかもしれない。

最後に、ひとつ余談。執筆にあたって原書を通読したのだが、斜め読みしたかぎりではあまり「よく出来た」本ではなかったように感じた。平均点やや下、といったくらいだろうか。どうしても文体に違和感があるというか、まるで宿題の作文みたいな「カクカクした」感じがつきまとう。物語パートはあくまでつけたしで、根幹は「ドラッカー入門」的な考え方なのだからそうなった、というかもしれないが、それではすぐれた「入門書」にもならないのではないか。もともと経営学やドラッカー思想に興味のない人々を強引にでも引きこむには、やはり「宿題の作文」ではダメなように思うのである。日本人でもないぼくが何を言うか、というのは承知の上だけど。

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