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2012年10月

2012年10月26日 (金)

生まれてはじめて同人誌

思えばもともと、ぼくは「同人誌」のなんたるやについてすら全く知らなかった。もちろんそういうものがどこかに存在していることは、単語を聞いた時点で想像は付いていたのだが、それがどういうもので何が書いてあり、どこへ行けば見られるのか、といったことはぜんぜん知らなかったのである。この同人誌というものが、趣味者が寄り合って特定のテーマのもとに字やら絵やらを書いて(描いて)イベントで売るものだ、ということを知ったのはごく最近になってからのことだ。ピクシブなどにごろごろしている絵の上手い連中の描く漫画やイラストは、好きな人にとっては商業流通している漫画や画集になんら遜色ない出来栄えに映ることだろう。だがぼくはいわゆる「デジ絵」は描かないし、同人誌の中核ジャンルである絵やイラスト、漫画といったものの製作にはとんと縁がない。日本にいてイベントに足を運べるような環境にもないので、同人誌を手に取るとか、ましてや作る側に回るなんざ考えもつかなかったものである。   
   
それが今年のはじめ、たしか4月ぐらいだったと思うが、例の「上海娘々賽車隊」のオーナー・各々氏の書いた原稿を見せられた。東方ネタの同人誌の原稿というが、いわゆる二次創作モノで、東方のキャラを使ってレース物語を書くという筋書きのものだった。ちょうどその頃、ぼくは虚構のレースもので何か文章を書くあてがないかどうか、とぼんやり考えていたのである (あてと言っても、最初からどこかに寄稿なんて考えていたわけではない。単に書いてみたいというだけ、せいぜいこのブログに晒しあげる程度のもんであっただろう)。ぼくは不覚にもこの話に食いついた。そしてなんと収録される文章の担当というおおきなケーキの切れ端を分けてもらうことに成功したのである。   
   
話の大筋のテーマはグループCのスポーツカー・レースで、その中でぼくはC1クラスとC2クラス、それぞれ一本ずつ書くことになった。もともとぼくの守備範囲は同じ時期のF1だったので、最初の方は書きながら勉強しているという感じが拭えなかったものである。F1レースはどんなに長くても時間にして二時間、六十周前後走れば終るが、スポーツカーの耐久レースは一レースの中でドライバーをふたり、三人と交代させながら五時間ぐらいも走るのである。ぼくの文章は二本とも、レースウィークの三日間を書ききる内容を注文されたので、けっきょく二時間分のドラマが五時間のレースの中に分散配置してあるような感じになった。耐久レースというのはよく自動車レースの中でもとびきり玄人好みなジャンルといわれるが、それは多分F1やGTレースのようにドラマが凝縮されていないからではなかろうか。ぼくだったら、いくらトヨタの優勝がかかっていると言われたところで、寒風の吹く富士スピードウェイのスタンドに五時間も六時間もすわっているのはなるべく遠慮したいと思ってしまうことだろう。   
   
ただ、手前味噌というか、ぼくがこんなことを言うとどうしても自慢話になってしまうのだが、ボリュームには自信がある。なにしろレースだけでなく、フリー走行の経過から予選バトル、五時間のレース、すべてを一篇の文章に納めるのである。最初に書いた文章は字数にして二万字近い長さだった。あまりの長さに各々氏が悲鳴を上げて、「紙面に収まらないからなんとかして削ってくれ」とソフトな叱責を受けたほどである。その後、感覚的にはかなりの部分を削ったり書き直したりしたのだが、それでもぼくの文章はいちばん誌面を食っているような感じである。小説でも写真でも、ほんとうに巧い人は「引き算」の考え方、すなわち何が最終的に必要なのかを見極めて、それ以外の贅肉を削ぐのが上手いといわれているが、ぼくなど正反対である。言い訳をするわけではないが、文章をどんどん削っていくと、説明不足なのではないか、これで読者に伝わるだろうか、この描写は削らないほうがいいのではないかといった不安がつぎつぎに出てきて、それを振り切るのはなかなかこれはこれで精神的にきつい仕事なのである。また、直截的な描写、文体の部分はだいたいこのブログに書いている文章と似た感じにしている。自分で読み返してみてつくづく思ったが、なんとまあ「硬い」文章である。レースというのはスポーツの中でもかなりハードな部類だし、このぐらいでちょうどいいのかもしれないが。   
   
かんじんの本はすでに大詰めの段階に入っていると見ていい。ことここに至ってもまだ重箱の隅のようなちいさい修正の依頼を出しているぼくは、作者としてはかなり編集者泣かせの部類に入るのだろう。ぼくがはじめて「一枚噛んだ」この同人誌、何事もなければ11月4日(1100時~1500時)に宮城県・夢メッセ宮城にて開催される「東方幻仙郷」というイベントでシェイクダウンされる予定である。書名「Feerico Autotechnica」(Feericoというのは伊語で「幻想」とか「寓話」とか、そういう意味だという)、スペース「ア29」にて出展している「上海娘々賽車隊withこたきつね」サークルにて一部300円で販売される予定だ。ぼくはその日はマレーシアにいるのでじっさいにサークルに立つのは無理なのだが、それでも自分が文章を書いた本(? 52pもあるので立派な本か。ちなみにこのpg数でこの価格は相場よりひとまわり下、らしい)が衆目に触れるのはすこしばかり気持ちのいいものである。というわけで、このブログを幸運にも発見し、自動車レース・東方というふたつのジャンルに多少なりとも興味があり、当日宮城県まで足を伸ばせるという人はぜひ立ち寄ってほしい。そして願わくばぼくにフィードバックしていただければ幸いに思う。最後に、サークルのオーナーである各々氏にはあらためて謝意を示したい。ぼくなんか文章を書き散らかしているだけのお気楽な立場だが、オーナーともなると編集、レイアウト、締め切りの催促、エントリー、何から何までやらなきゃいけないのである。そうなったら、とても事務仕事の苦手なぼくの手に負える仕事ではないのだから…。

2012年10月 7日 (日)

日本GP レビュー

今シーズンのF1も、終盤の今になってようやく序盤の混沌から抜け出し、それにともなって大まかな勢力図が見えてきた。まずレッドブルとマクラーレン、すこし遅れてフェラーリとメルセデスがトップグループで、それに続くサウバー・フェラーリ、フォースインディア・メルセデス以下が中団グループと目されていた。なかでも堅実な車作りに定評のあるサウバーはすでに中団グループの筆頭と目されていて、今年はすでにセルジオ・ペレスがマレーシア、カナダ、そしてイタリアで表彰台を獲得して、選手権ポイント106点でランキング五位に位置していた。ペレスは新進気鋭の若手ドライバーの見本のような存在で、すでにその才能を買われて来年からマクラーレンに移籍することが決まっていた。しかしもう一方の小林可夢偉にとってはそうらくな状況ではなかった。彼はこれまでのレースでもこつこつポイントを稼いではいたが、ペレスのようにわかりやすく目立つ成績を残せてはおらず、ややアピールにかける状態がこのところ続いていた。また彼にはペレスやリザーブドライバーのエステバン・グティエレスのように、ほとんど無尽蔵の資金を提供してくれる大スポンサーが付いていなかった。ペレスとグティエレスにはメキシコ人の富豪が個人的な支援を申し入れていて、メキシコの大手通信会社もそれに付帯するようにチームを支援していたので、小林がチーム内での立場をなんとか取り戻すには、なんとしてもこのあたりで存在感を示してみせる必要があった。鈴鹿はそれにうってつけのコースだった。鈴鹿は低速から中速までのあらゆるコーナーがバランスよく配されたヨーロッパ・タイプのテクニカル・サーキットで、うまく攻めるのはとてもむずかしいコースだったが、どちらかというとバランスタイプの車である今年のサウバーにとってはよくマッチするはずであった。また、鈴鹿は彼がジュニア時代から何度も走りこんでよく知っているコースだった。今年最大のチャンスといってもよかった。

フリー走行から気を吐いたのは、やはりレッドブルとマクラーレンのニチームだった。彼らとチャンピオン争いをしているはずのフェラーリはセットアップがまとまらず、フリー走行の段階ではうしろのほうにいたが、もともと彼らの車はこのコースを不得意とすることが予想されていたので仕方がなかった。小林は金曜日の走行をそれぞれ六位と十三位で終えた。彼にとってはまずまず平均的なタイムだった。土曜日午前のウォームアップでは1分32秒924で、ふたたび六位に入った。ペースは上々だった。

ところが土曜午後の予選は、終盤のアクシデントのせいで大混乱におちいることになった。最終アタック・セッション終了間際に、ロータスのキミ・ライコネンがスプーンカーブでコントロールをうしない、スピンしてコーナー外側のサンド・トラップに止まってしまったのである。すぐにマーシャルポストに黄旗がひるがえったが、わるいことにちょうど各車が最後のアタックをしかけようとするタイミングだったのである。ライコネンはつぎのように言った。
「ちょっと攻めすぎたかもしれない。車の感じは良かったから、残念だ」
けっきょく、彼はその前に一度出していたタイムで予選八位を得た。
小林可夢偉もちょうどその瞬間にスプーンカーブ手前にさしかかっていた。彼は黄旗を認めると、立ち上がりのアクセルオンをわずかに遅らせ、バックストレートでDRSを切ってスローダウンした。これで0.4秒ほどロスした。しかしこのアクシデントでいちばん損をしたのはフェルナンド・アロンソだった。彼はいらいらしたようすでこう言った。
「最悪のタイミングでイエローフラッグが出た。そこまでのラップは素晴らしかったし、今日の4番手タイムを記録するあらゆる可能性があった。3番グリッドからスタートできるはずだったんだ」
しかし起こってしまったことはどうしようもなく、彼は7位のタイムで我慢しなければならなかった。フロントローに並んだのは、予選開始と同時に飛び出していったレッドブルの二台だった。マクラーレンのジェンソン・バトンが三位に滑り込んだが、彼はシンガポールでのトラブルのあとでギヤボックスを載せ換えていて、5グリッド降格のペナルティが確定していたので、実質は八位からのスタートだった。

小林可夢偉は1分31秒700で四位だった。ベッテル、ウェバー、バトンのみがこのタイムを上回っていた。彼は上機嫌だった。
「今日は最大限の力を引き出せたと思うので満足している。この位置からなら表彰台をかけて戦うチャンスがある」
事実、彼はアロンソ、ライコネン、ハミルトンといったワールドチャンピオンよりも前でスタートすることになっていて、その上バトンのペナルティを考えると三位からのスタートになるのである。順位をただそのままキープするだけで自動的に表彰台が転がり込んでくるのだった。同じ表彰台でも、母国のグランプリとそれ以外のグランプリでは価値がぜんぜんちがった。しかし彼は、それがどんなにむずかしいことかもよく知っていた。ベルギーでも予選二位になったことがあるにはあったが、その時はスタート直後につまらないアクシデントに巻き込まれて入賞の機会すらなかったのである。そんなことはなんとしても避けたかった。

日曜日のレースのスタートが切られたのは午後二時だった。しかしそれはとても順調なスタートとはいえなかった。スタート直後の第一コーナーでグロージャンが大きく車を蛇行させて、ウェバーの車に衝突したのである。これで後続は大混乱におちいった。小林は抜群のスタートで二位に上がっていたので巻き込まれずにすんだが、この混乱でウェバー、グロージャンは最後尾に落ちてしまった。やりきれないのはアロンソだった。彼はうしろのほうの混乱に巻き込まれ、ライコネンに接触されてリタイヤしてしまったのである。これで彼のチャンピオン争いにおける立場はますます苦しいものとなった。マクラーレンの二台に十位スタートのニコ・ヒュルケンバーグ、十一位のフェリペ・マッサはなんとか混乱を泳ぎ切り、それぞれ労せずしてポジションを上げることに成功した。これで順位はベッテル、小林、バトンの順になった。小林にとって、スタートしてからも前に車が一台しかいないというのははじめての経験だった。

十三周したところで、バトンが先頭を切ってタイヤ交換のピットストップをおこなった。彼の車はサウバーよりもタイヤの持ちがよく、それを知っていてあえてあたらしいタイヤで小林の機先を制しようとしたのだった。しかし次の周に小林がピットインを終えてコースに戻った時、二台の位置関係は変わっていなかった。小林とバトンはそれぞれ四位と五位で、三位にはトロ・ロッソのダニエル・リカルドがいた。リカルドはひさびさに回ってきた入賞のチャンスを逃すまいと懸命に逃げた。やっと小林が彼を抜いていった時、すでに後方にいたフェラーリのフェリペ・マッサが二位になっていた。差は約3秒だった。彼にとって幸運だったのは、後方のバトンがギヤボックスの不調をふたたび訴え始めて思うようにペースが上がらないことと、チームメートのセルジオ・ペレスがヘアピンでスピンしてリタイヤしたことだった。これで彼はチームメートにも誰にもうしろを脅かされる心配をすることなくレースができるようになった。

小林可夢偉が二回目のピットストップをおこなった次の周に、バトンもピットインした。ここでバトンのピットクルーがミスをした。右リヤのホイール・ガンがうまく噛まず、一秒ほどロスしたのである。これでまた差がすこし広がった。ところが、二回目のピットストップをすこしすぎたあたりから雲行きがおかしくなりはじめた。ギヤボックスがよくないはずのバトンが、急にペースをあげて差をつめはじめたのである。それまで3秒以上あった差が、たった二周か三周しただけで2秒にまで縮まったのだ。バトンは一周に0.5秒かそれ以上のペースで追い上げてきていた。いくらサウバーの車が性能がいいとは言っても、中団グループのトップ争いはできてもトップチームと互角に渡り合うにはあきらかに力不足だった。いまや期待できるのは小林の腕だけだった。そうこうしているうちにもバトンはどんどん迫ってきて、残りが十五周になった三十八周目にははやくも1秒5のところまでやってきていた。小林のタイヤはすっかりすり減ってしまっていて、ブレーキングポイントひとつにも気を使う始末だった。反対にバトンはすばらしいペースを維持していて、計算上は十周もしないうちに小林を抜いて三位に上がってくるはずだった。小林も四十一周目からペースをあげ、一旦つまった差をわずかに戻すことに成功したが、またすぐにうしろに迫られてしまうのは明白だった。バトンの車は小林の車よりもずっと仕上がりが良く、ギヤボックストラブルが嘘のようなハイペースで飛ばしていた。

五十一周目のヘアピンで、バトンが小林の1秒差以内に入ってきた。最終コーナーの立ち上がりで1秒差以内に入っていれば、DRSを起動して大幅に差を詰められるのである。一度抜かれたのをまた抜き返す余力は、小林には残っていなかった。その周のスプーンカーブの立ち上がりで、小林は1000分の73秒だけバトンを突き放して、なんとか後方1秒からバトンを追い落とすことに成功した。まるで職人芸だった。グランドスタンドの応援のボルテージはほとんど興奮死寸前に達し、いたるところで日ノ丸の小旗が打ち振られた。すばらしい光景だった。しかしそれも長くは続かなかった。最終ラップに入った五十三周目のホームストレートで、ついにバトンがDRSを開いたのである。この時点でバトンと小林とはまだ1秒弱の差があり、接近はしたが抜くことはできなかった。しかしそれは、コース後半の高速セクション手前で確実にバトンが小林を射程圏内に入れてくることを意味していた。その周のヘアピンでまた少し差が縮まった。スプーンカーブでもバトンは攻める構えをしてみせたが、まだ決定的なきっかけは掴んでいなかった。残るはシケインだった。すでにトップを走るベッテルは、意気揚々とホームストレートに帰ってきて、右手を高々と掲げて勝利を誇示していた。

小林可夢偉が三位のポジションを守りきってピット前のストレートに帰ってきたとき、バトンとの差はわずかに0.5秒しかなかった。日本人ドライバーがグランプリの表彰台に登るのは、2004年アメリカグランプリの佐藤琢磨以来のことで、鈴鹿でとなると1990年の鈴木亜久里以来22年ぶりだった。予選、レース、タイヤ戦略、すべてがうまくいったレースはほんとうにひさしぶりだった。サウバーにとっては、戦略による逆転に頼らず、堂々と戦って手に入れた三位だった。小林にとっても、はじめての表彰台が母国グランプリであるということは特別な意味を持った。同じ表彰台でも、鈴鹿の表彰台は勝利にすら匹敵する価値を持つのだった。

すさまじいレースだった。最後の十周は、その場から逃げ出したくなるような緊張感だった。小林はレース後、こう語っている。終盤の攻防と、このレースのレースのすべてをも物語る言葉だった。
「最後はリヤタイヤの状態が非常に悪くて、ひどいオーバーステアが出ていた。それでもぼくは表彰台フィニッシュのためにプッシュするしかなかった。フィニッシュラインを超えたとき、全てのプレッシャーから解き放たれて、すぐにリラックスできた。ぼくのキャリアにとってとても重要なレースだったことは間違いないね」

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