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2013年5月

2013年5月31日 (金)

ナショナル・プライドの明と暗 ~ロータスT127・コスワース~

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さて、カーモデルシリーズ第二弾。ロータスT127である。前回107を取り上げたのは、ある意味この新旧・黄/緑ロータスを共演させたかったからなのだが、空力規定が改修されてエアロパーツが減ったとはいえ、現代F1はキット的にはものすごい難易度である。パーツ部分は同じA4三枚なのだが、ぼくがペーパーキットで使っている「かんたんタイヤテンプレート」が使えないのである (80~90年代のF1用に、METMANIAで公開されている「プチF」シリーズのタイヤを流用している。組立が平易なので製作時間の短縮に貢献できるわけだ。いまのところいわゆる「白グッドイヤー」、92年以前のものしか持っていないので、結果的に製作年代が制限されるハメになってしまっている)。このブリジストンタイヤも、主にホイール部分を小加工して省力化している。   
   
   
2009年なかばに、コンコルド協定の折り合いがつかずにF1が分裂騒ぎを起こしたことは覚えている方も多いだろう。その時に導入されるはずだったのがいわゆる「コストキャップ案」、年間予算を制限するレギュレーションだったのである。強制ではないのだが、一定の予算内で切り盛りしたチームはあれもできますよこれもできますよ、反対にそうじゃないチームはあれもダメこれもダメそれもどれもダメ、という規定だったために既存チームが反発したのである。この時、このコストキャップ案を真に受けて「よし、安く上げてF1やるぞ!」と意気込んじゃったのが現在「底辺御三家」として知られ…ているかどうかは定かではないが、ロータス (現ケーターハム)、ヴァージン (現マルッシャ)、HRT (現在消滅) なのである。その中でロータスは正直いちばんマトモに見えた。ヴァージンは風洞をケチったらテストでウィングを落っことすし、HRTの車はサスアームがスチール製だったりしたが、ロータス (最初はロータス・レーシングという名称だった) はサスアームもカーボンだし、テストでも特にパーツを落っことしたりしなかったし、確かに普通は9ヶ月近くかけて設計する新車を5ヶ月でやっつけざるを得なかったり、デザイナーがマイク・ガスコインだったり (個人的にはクソデザイナー1級の資格を上げたいぐらいの人材である)、不安要素が無いわけじゃなかったが、まあ一番チームの体裁がなっていたわけで、当然この年のリザルトは御三家の中では最上位であった。    
   
じつは2009年の10月頃だったか、国内 (マレーシア国内ね) 各大手紙に、「国策F1チーム成立か」の記事が踊ったことがあった。ご存知のかたも多いかと思うが、この「国策F1チーム」こそ、その後エアアジアのフェルナンデス社長が出資し、マレーシア政府の資金バックアップを受けて成立した「ロータス・レーシング」なのである。翌年は正式な命名権を取得して「チーム・ロータス」となったものの、命名権を持つとされる同じマレーシアのプロトン自動車 (ロータスの自動車部門を傘下に持つ) と法廷闘争に発展し (もともとはそれまで「ルノー」だったチームにロータスブランドがスポンサーについたのが問題)、けっきょくその翌年からは「ケーターハム」として活動している。この諍いの諸原因はいろいろ言われているが、ぼくはなんとなく「マレーシア内部同士の争い」なんじゃないかと思っている。というのは、フェルナンデスは東マレーシア系のインド人 (非マレー系) であり、実業家として成り上がった経歴を持つ「お金持ち」である。いっぽうプロトンは現在に至るまでほとんど国営会社であり、上層部はすべてマレー系が占めている。基本的に日本人の相手しかしない日本人にはちょっとわかりづらい節だが、要するに「マレー系と非マレー系の微妙な対立」なのである。国粋的、右翼的なマレー系としては、非マレー系にマレーシアの看板を背負わせて「うまい目」に合わせておくのが癪に障ったのではなかろうか。ちょっとこういう言い方には注意しなければいけないが、例えば日本で生まれ育った韓国系の人間が「日本代表」を名乗ってF1にやってくるようなものである。まさかいち自動車会社全体としてそんなバカな決断はしないと思いたいが、無意識のうちにそういう意識がはたらいた可能性はじゅうぶんあると思う。悲しいことだと思う。この車のサイド部分 (コックピット脇、サイドポンツーン開口部付近) には「1 Malaysia」というマークが貼られている。2009年に首相に就任したナジブ・ラザクが、「民族間の宥和関係を促進し、国民の一致団結に邁進する」というビジョンのもとで立ち上げた一連の政策の、いわば作戦名のようなもので、現在では国内のあちこちでこのフレーズを目にすることが出来る (「1マレーシア診療所」とか「1マレーシア雑貨店」とか、例えが悪いが旧東側の「国民~」とか「人民~」のような意味合いだろう)。その「1 Malaysia」の看板を背負ってけっきょく民族間の対立感情で遺恨を残すのは情けない限りである。マレーシアの国情なんてそんなもんである。    
   
   
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2008年までのエアロモンスターに比べると、ずいぶんシンプルになった印象である。しかし製作難易度はシンプルというわけにはいかないのである。特にフロントウィング、コイツは初期型モデルなのでレイアウトは全体的に前年のブラウンGPのコピーアレンジである。リヤにはメゾネットウィングまでついてるのである。このタイプのメゾネットウィング、古くは95年のミナルディやパシフィック、96年のリジェが付けていたエレメントだが、この幅で効果はあるんだろうか。   
   
   
   
   
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カウル上に「500 RACES」のマークがあることから、2010年ヨーロッパGP仕様であることがわかる。しかしウィング類やコックピットはバーレーンGP仕様のままである。いわばショーカーというか、ステッカーチューンということになるのだろうか? いずれにしても考証が中途半端でいただけない。リヤの翼端板はボディ同色のはずだが、型紙ではなぜか黒 (カーボン地) である。もう何がしたいんだ状態である。しかしこの緑と黄色はたまらなく美しいのでつい許してしまうのである。なんてったってマレーシア国民の誇りになるはずだった車なのだから。   
   
   
   
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こうしてみると、2010年型マシンのホイールベースの長さがよく見える。それにしてもサイドポンツーン部分、まるでレンガから削りだしたようなもっさりした造形である。時間がなかったのはわかるが、もうちょっとどうにか出来たような気がする。ガスコインは私見では「1から車を作る」のが致命的レベルでヘタクソなので、やはりロータスは当初の人選を誤ったとしか思えない。   
   
   
   
   
   
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相変わらずやる気のない説明図である。これ以外にもう一枚、小パーツ類 (Fウィング、足回りなど) の取り付けを記した図面があるのだが、それだって特に何かを「説明」しているわけではない。パーツを接着、組み付ける前に慎重に向きを判断する必要がある。タミヤの説明図がいかにありがたいものかよくわかる。東欧人はこの図面を完璧に理解できているのだろうか。   
   
   
   
   
   
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この並びなら、できれば2010年「ロータス・レーシング」ではなく、その次の年の「チーム・ロータス」を並べてやりたかった。あの年のチーム・ロータスは本当に速さがあったからだ。しかしT127だって、中国GPやトルコGPなどで力走を見せてくれていた。その健気な姿もなんとなく107とかぶって見える。もしマレーシア人がゲバったりしないでこの「マレーシアのスーパーアグリ」みたいなチームに心血を注いでやれていたら、もしかしたらまた結果は違っていたかもしれない。しかしケーターハムはいまだにグリッドの底辺にいるのである。どうやら蓮の花というのは、長くは咲いていられないものらしい。

2013年5月30日 (木)

サマーウォーズの数学

基本的に出不精で、アニメなんかもDVD媒体ですませてしまうぼくが劇場まで観に行った数少ない作品が、09年公開の「サマーウォーズ」だった。当時ぼくは祖父が危篤との報をうけて一家で日本におり (その後容態が落ち着いて当座の危機はなくなったのだが、なんだかんだで一週間ぐらい滞在していた記憶がある)、テレビで連日この映画の宣伝を打っていたのを見ていた。ストーリー的には一般的な家族ものの範疇だと思うが、当時まだ若く純真だったぼくは「夏希先輩かわええペロペロ」という理由だけで劇場に足を運んだのである。そして期待していたよりもずっといい映画じゃないか、ということに感銘を受け、その後マレーシアでDVDを購入して保存決定とあいなったわけだ。

さて、本編内容はネタバレになるので注意しなければならないが、今回の記事に必要な部分を抜粋していくと、おそらく理科オタクである主人公・健二が数学でいろいろする話、ということになるだろうか。彼は高校の物理部に所属しつつ数学オリンピックの代表候補になるという経歴があり、その辺が数学一辺倒で物理はオンチレベルなぼくとはやはりちがうのだが、彼が作中で解く暗号が二度に渡って作品の中で重要な役割を果たすのである。以下、その辺の数学的なお話を、なるべく数学で20点以上を取ったことのない人 (ぼく自身そういう状態だった時期が長かったので人のことをとやかく言うわけにはいかない) にもわかるように解説していきたく思う。例によってネタバレ箇所が多いので、特に「Simacherが観たなら俺も観る!」というようなありがたい方は先に映画を見てきてから読み進めていただきたい。




まず、暗号のお話ではないのだが、冒頭の電車の中のシーンで健二が読んでいる数学書。ページが一瞬大写しになるカットがあるのだが、本文の大見出しに「Shorの因数分解アルゴリズム」 (手元のDVDはマレーシア製のためか解像度がわるく「円数分解」に見えるが、この文脈から「因数分解」とわかる) と読める。Shorというのはマサチューセッツ工科大のペーター・ショア教授、および彼が中心となって1994年に開発された量子コンピューター用の一連の計算アルゴリズム (計算機におけるにおけるアルゴリズムとは、プログラムによって指示される計算の手順のことである。たとえば21という数を得るのに「7に3をかける」とか、「11と10を足しあわす」といった手順をとることができるが、この四則演算の部分がアルゴリズムである。アルゴリズムというととかく複雑なものを考えがちだが、単純な足し算や引き算でもアルゴリズムとして成立することはできる) のことを指すと思われる。量子コンピューターとは、古典的な計算機が電路のオン・オフや電荷の状態によって0と1を形成するのに対して、量子間の重なりあいの状態によって情報を伝達するまったく新しいタイプのコンピューターのことで、現在はまだ理論研究から小規模な試験の域を出ていない (理論そのものはずいぶん前から存在した) が、実用化することが出来ればその強烈な計算速度を武器に、従来型の計算機械を三千年ぐらいぶん回さないと計算できないようなものを比較的短時間で解決出来るようになることが期待されている。見出しにもある通り、ショア・アルゴリズムは大きな数をふたつの約数に分解するためのものである。後でくわしく書くが、この因数分解というのがサマーウォーズ作品内における数学的なテーマのひとつとなっているのである。しかしまあ、高校二年で量子計算機論に手を出すとはたいしたもんである。数学オリンピックの出題範囲は調べてないが、もしかしたら最近は量子計算機の問題も出るのかもしれない。

つぎに、健二が夏希といっしょに彼女の実家へ向かう新幹線の中での会話。健二が数学オリンピック代表候補だったことを知り、「何かやって見せてくれ」という夏希 (ぼくの考えだが、こういう質問は数学にかぎらず、ある能力の持ち主に対する考えうる限り最高にムチャな設問だと思う。自分勝手といわれるかもしれないが、たとえば二ヶ国語以上の言葉ができるとして「何か喋ってみてよ」とか、MMDのソフトがいじれるからといって「じゃあ何か作ってみてくれないか」とか、悪気がないのはわかるのだが、質問される側にとってはその「何か」に大変こまるのである。その意味で健二の切り返しはかなり優秀である。数学ができるというだけでなく、人間的にいわば「コミュ能力」のすぐれた、すばらしい人格の持ち主ということができる) に、健二は彼女の生年月日である1992年7月19日が何曜日かを当ててみせる (日曜日である。ぼくは劇場で観た際にたまたまこれを覚えていた。というのはその一週間前の7月12日がちょうどこの年のイギリス・グランプリのレースデイであったからだ。もちろんすべてのGPの日付を覚えているわけではなく、当時たまたま92年のF1を研究していた縁で覚えていただけである)。彼は「モジュロ演算を使った」といっているが、この「モジュロ演算」とは平たい話、「余りの数の計算」である。たとえば、25は6では割り切れず、6×4=24に1を足した数となる。小学生の数学にも出てくるが、一般的な数学ではこれを「25 mod 6=1」と書く (modは「Modulo」の略)。「25÷6の余りは1である」と読むとわかりやすい。このモジュロ演算を使った公式のひとつに「ツェラーの公式」という式があり、これは正に歴史上のある日付が何曜日であるかを算出するための公式である。健二が使ったのもおそらくこれだろう。詳しい公式や証明はWikipediaに記事があるのだが、例によって一般人が理解するにはあまりにも難解なので、ここでは1582年以降のグレゴリオ暦日付に限った計算法を極力噛み砕いて書く。ある年のm月d日の曜日計算を一般化した式はつぎのようなものである (普通に打つと面倒なので画像を使わせていただいた。ある年の1月と2月は前の年の13月、14月として計算しなければならないことに留意する必要がある)。

ZellerF

ここから算出されるhの取りうる数字は0 (余りなし) から6までの間で、それぞれ土曜日~金曜日に対応している。0が土曜日、以下日曜日、月曜日、…ということだ。1992年7月19日の場合、hの計算は「(19+20+92+23+4-38) mod 7=1」であり、日曜日であることがわかる。最後の「7で割った余り」と、真ん中に3つ存在する「計算結果を超えない最大の整数」(床関数という。たとえば12.7なら12、29.5なら29である) が厄介な以外は普通の暗算の範疇にあるといえる (割り算ではなく掛け算のアプローチでいけば、ちいさい数字の場合もう少し簡単になる。たとえば19÷4なら、4×5=20ということを知っていれば、この床関数は4であることはすぐにわかる)。関数電卓にすっかり甘やかされて、暗算は三桁以内の足し算と引き算以外からっきしダメなぼくから見たら、こんな計算を一瞬でやってしまう健二は数学マンの鑑である。これもつぎに述べるが、この「モジュロ演算」、「余りの数の計算」は、上に述べた「因数分解」と並んでこの作品の数学的テーマとなっているのである。さすがはアニメ屋というか、伏線の張り方は上手いもんである。

さて、つぎに物語の核心部分である。夏希の実家に泊まり込んでいる健二に、携帯メールが送られてくる。開けてみると数字の羅列で、何がなんだかさっぱりわからない。じつはこのメール、作中のSNSシステムである「OZ」の中核部分 (おそらくコード) を保護している2056桁の暗号であり、それを見ぬいた健二は紙と鉛筆を取り出して夜が明けるまで解読に勤しむ。解読を終えた彼の前に、一組の文字列が現れる。平文は大文字、小文字混じりの文で、「the magic words are squeamish ossifrage ... (続き失念。to know you dont know anything...だったかもしれない。文意的にはソクラテス「無知の知」のことか)」と読める。彼はその文章をメールの主に送り返すが、けっきょく末尾の一文字をまちがえていたことが後にわかる。しかし同じメールは全世界にばらまかれており、それを55人が解読してしまったことで、翌日OZの中枢は何者かに乗っ取られてしまい世界中が大混乱を来たし…というプロットだ。

数字を文字に変換するというのは、ふるくから暗号の常道であった。これは長いので次の記事で解説する。興味のある方はそちらも読んでみるといいだろう。健二に送られてきたメールも一種の乱数表である、ということが出来る。数字を文字に置き換える方法ではコードブックだとか、「ポリュビオスの暗号表」というものがある。別にAから順に01、02…と番号を振っていってもいいが、それでは小学生にも解読されてしまうだろう。暗号表で数値化したものをそのまま暗号としてもいいが、強度を上げるためにこれに乱数を使った「キーワード」、「鍵語」を組み込んで使う場合が多い。いずれにしてもこの辺の解説をここで書いてしまうと記事が人間の身長並に縦長になってしまうので、どうしても別記事を建てて書くしかないのであるが、今はまあそういうことだと思って納得していただくより他ない。

インターネット上の暗号であることや、平文に対する暗号文の長さ (平文は英字100文字も無いが、暗号文は数字2056桁なのである) を勘案すると、この暗号は単なる乱数表ではなく、いわゆる「RSA暗号」ではないかと推測される。RSA暗号とは、1978年に発表された全く新しいタイプの暗号で、提唱者のリヴェスト、シャミル、アドルマンの三人の頭文字からこう呼ばれ、それまで整数論の大きな分野でありながら実用的価値はまったく無いと考えられてきた素数の研究を一気に加速させた。この暗号は素因数分解の演算が一方向性関数であるという前提に基づいた安全性を有するものである。たとえば、85という数字が5と17というふたつの素数に分解できることは、ちょっと計算慣れした人ならすぐにわかる。しかし、たとえば1009961という数字を見て、それが997と1013という素数どうしを掛けあわせた数だというのがわかるまで、どれぐらいの時間がかかるだろう。素数と素数をかけあわせてある数 (ふたつの数字の掛けあわせの結果として生まれる数を合成数という) を作るのは簡単である。しかし、ある数、特に大きな数を見て、それをふたつの素数に分けられるかどうか判断することや (2を多数回乗じた数字より少しちいさい数、たとえば253-1だとか、そういった数字は比較的分解しやすいとされている)、実際に約数となるふたつの素数を計算によって見つけることははなはだ困難である (現在はまだ不可能とは言い切れない)。トウモロコシを使ってポップコーンを作るのはたやすいが、ポップコーンをトウモロコシのツブツブに戻すのが無理な相談なのと同じである。標準的な演算操作、たとえば足し算や引き算の場合、5に6を足して11を得ることができるし、11から6を引けばもとの数である5を得ることが出来る。このような操作ができず、ポップコーンのように「ある方向に行ってしまったらその逆算が出来ない」操作のことを一方向性関数という。素因数分解はそのひとつだと考えられており、一度素数どうしを掛けあわせて大きな数にしてしまったが最後、それをふたつの素数に戻すことは出来ないのである (厳密には不可能というわけでもないのだが、この場合膨大な時間がかかる、ということである。たとえば明日とか明後日とか来週にミクさんのしまぱんを盗み出そう、というような内容の暗号文が傍受されたとして、それが四十年たってから解読されたところで通常は何の意味もなさないからである)。一方向性関数はあくまで仮設にすぎず、ポップコーンを果たしてトウモロコシに戻せるか否かを立証することは現代数学における最重要な未決問題のひとつでもある (「P≠NP問題」参照) のだが、こと素因数分解という一演算に関しては、その方向の単一性は揺らごうとしている。その原因が、ほかならぬ量子コンピューターなのである。ごく最近にいたるまで、現実的な時間内 (数十年とか数百年ではなく) にある合成数を素数に分解する演算をおこなうための確固たる手順、たとえば分数の割り算とか対数の計算のようなわかりやすい共通のルールは存在しないとされてきた。しかし、2001年になって、IBMが前述のショア・アルゴリズムを用いて、15を3と5というふたつの素数に分解することに成功したのである。計算機の世界においては、基本的にちいさい数である演算を行うことが出来れば、それは大きい数にも通用する。この分野の研究がすすめば、近い将来に劇中に登場するような数千桁という数字のバケモノも分解することができるようになるかもしれない。 ちなみに、前掲した「The magic word is...」の文章は、RSA法の発表に先立って1977年に雑誌に発表された、129桁のRSA暗号の平文である。「Squeamish ossifrage」とは「小うるさいヒゲワシ」の意味だが、これはMITのスラングで「骨折り損」を意味するともいわれる。この平文は1994年になってようやく解読されたのだが、健二に送りつけられた暗号が (通常の乱数表ではなく) RSA暗号数であることの根拠ということもできなくはない。

さて、RSA暗号の基本的な解き方である。RSA暗号は、それより前に提唱されていた「ディフィー/ヘルマン鍵転送」という、暗号の鍵の一部を公開するタイプの暗号モデルを現実に行うための方法である。わかりやすくお話するために、ルドルフ・キッペンハーン著「コード・ブレーキング」に記載されているモデルを借用させていただく。仮に、ミクさんがルカさんに暗号の手紙を書くとしよう。ミクはまず普通に手紙を書いて、それを暗号化する。いわば手紙を箱に入れてカギをかける操作である。この鍵の錠前がもし普通の南京錠なら、ルカは手紙を取り出して読むのにミクの持っているのと同じ鍵が入用である。暗号においては、この鍵は例えばスパイが持っている乱数表とかコードブック、ということになるが、この方法はスパイが捕らえられた場合にかなり危険であるし、本部側とスパイで数字の表や本をあらかじめ共有しておかなくてはならない。そこで特別製の南京錠を使う。現実にこんな錠前があるのかどうかわからないが、鍵穴が三つ開いた錠前を想像していただきたい。大きな鍵穴に対応する鍵をN、ちいさな2つの鍵穴に対応する鍵をそれぞれE、Dとする。現実には「鍵」とはもちろん数字である。この錠前をNとEで施錠したとすると、開けるにはNとDが必要になるのである。NとEの数字は「公開鍵」と呼ばれ、これは誰でも入手できる。というか、ルカに暗号の手紙を書きたい人は持っていなければならない。Dの数字は「秘密鍵」と呼ばれ、受信側は絶対にこの数字を秘匿しなければならない。ミクは手紙を書き、箱に入れてこのヘンテコな錠前で鍵をかける。彼女はNとEで施錠したから開けるにはNとDがいるのだが、彼女はDの鍵を持っていない。箱に鍵をかけた瞬間から、ミクは自分の手紙を取り出すことすらできなくなるのである。これが一方向性関数の応用である。手紙の入った箱をもらったルカは、金庫からDの鍵を取り出して箱を開け、手紙を読むことになる。これがディフィー/ヘルマンの提唱したモデルである。

現実にはN、E、Dとも数字なのは前記のとおりだが、この数字の求め方を以下に述べる。まずふたつの素数を用意 (仮にp、qとしよう) する。計算を簡単にするために、先の5と17を使うとしよう。p=5、q=17で、これをかけ合わせると85という数になる。これがNである。もうひとつ、ここでは補助数と呼ばれる数、仮にzを計算する。zはp、qよりそれぞれ1少いだけの数を掛けあわせたものである。この例では5-1=4、17-1=16なので、z=4×16=64である。この補助数はEの選定に使われる。Eはzと共通の約数を持たない任意の数である。zが例えば2と3と4と6で割り切れるとすると、Eはこれらの数で割り切れない数でなければならない。p、qがともに奇数であり、それに1を減じた数の乗算であるzは必然的に偶数となるので、Eは奇数でなければならないことがわかる。zよりもちいさく、zの約数ではない素数がEに適している。64よりちいさい素数はいろいろあるが、ここでは仮にE=5とする。秘密鍵Dはけっこう複雑な計算になるが、DとEを掛けあわせ、その数をzで割った余りが1となる数、とされている。DE mod z=1となる数字、というわけだ。上の例から5D mod 64=1という数式を導出できる。数字がちいさいので、「65 mod 64=1」、したがって「5D=65、∴D=13」という算式は比較的すぐに浮かぶが、大きい数字となるとこれはもう大変である。人によってはこれの数式を理解するのに半日かかるレベルである。文字で書くのが面倒になったのでまたしても数式画像で勘弁していただきたい。上の曜日計算のところで述べたように、「余りの数の計算」がどっさり出てくるのである。

RSA1

さて、これでN=85、E=5、D=13という三つの鍵が出揃った。これである数字を暗号化するとしよう。試しに「24」という数字を暗号数とする。ミクはNとEを使って暗号化を行う。この暗号数は平文数のE乗をNで割った余りを求めることで算出する。ここでは245 mod 85である。答えは79だが、NやEが大きいと (実際これらの鍵は十分大きくないと意味が無い) 数字が限りなくでかくなっていくので、一回の掛け算ごとにそれをNで割った数字を求め、それにさらに平文数をかけてNで割る操作を繰り返すこともできる。ルカがこの「79」という暗号数をNとDで翻訳するには、暗号数のD乗をNで割った余りを求めることになる。この場合は7913 mod 85で、答えは24である (関数電卓かコンピューターに計算をやらせて見るといいだろう)。平文数が得られたことがわかる (証明略)。

以上の数式からわかるように、この暗号の解読のキーポイントはNをpとqに分解できるか否かにかかっている。pがわかればqは算出できる。p、qが得られればそこからzを計算して、NとEを使ってDを割り出すことができ、暗号は解読されてしまうのである。「素因数分解の一方向性」とはつまりこういうことなのである。現実では、Nは100桁以上ないと安全ではないとされている。作中のOZは現実世界とひじょうに密接したシステムで、たとえば水道局員のアカウントで仮想ネットワーク上から水圧を上げ下げできたり、JR関係者のアカウントなら鉄道の信号をいじったり、といったことが出来ることが示唆されている。セキュリティは当然、NSAかCIAのネットワーク並に強固でなければならないはずである。もし健二に送られてきた暗号がRSA暗号の公開鍵 (上のモデル内のN) だったとすると、彼はまずそれを素因数分解してpとqを得、そこから補助数zおよびもう一方の公開鍵Eと秘密鍵Dを計算して暗号を翻訳し、その暗号数をさらにアルファベットに転置して平文を得る操作をしたことになる。

現実世界において古典的計算機がおこなった素因数分解でもっとも大きなものは、2010年1月に分解された232桁の合成数である。この計算には300台のコンピューターを用いて三年かかったという。その十倍に近い2056桁の数とは、とてもじゃないが生身の人間が一晩で分解できるようなものじゃないことは確かである。そのうえ、暗号数を導出したとしても、それをアルファベットに転置する法を知らなければお手上げである (アルファベット順に番号を振っていくタイプの転置なら簡単だが…)。しかし作中では恐ろしいことに、全世界規模とはいえ55人もの人間がこれを一晩で分解し、平文を得ているのである (もしかしたら暗号数を平文数に戻したものだけ送った人もあったかもしれないが)。そしてさらにおっかないことに、物語終盤で一分一秒を争う緊迫した場面になった際、ハッキングされたシステムが矢継ぎ早に突きつけてくる暗号数 (こちらの桁数は明らかではないが、数字の量から少なくとも100桁前後はあると思われる) を次々に筆算で解読して転置し (キーボードのテンキー部分ではなく文字盤部分を連打していたから間違いない。もしかしたら本当数字だけ打っていて、あの場面は作画ミスか何かだったとも言えるが)、果ては切羽詰まって暗算で平文を入力していた (予告編やCMでも繰り返されていた、「よろしくお願いしまぁぁぁあああすッ!」のシーンである)。いくら鼻血を出したところで、10桁以上の素因数分解にz、E、Dの算出を全部暗算でやるのは無茶苦茶である。鼻血だけで失血死してもおかしくない (いちおう、冒頭の方のシーンで健二が量子コンピューターのアルゴリズムを勉強してはいるが、あれはあくまでコンピューター用の計算式であって、人間がそのまま計算することは想定外である)。あちらの世界では脳に量子コンピューターを埋め込む義体化手術でも流行っているのだろうか。ちなみに、もし量子コンピューターが実用化されて、数千桁の数字を分解できるようになったとしても、同時にさらに大きな合成数Nを計算する能力も得られるはずだから、RSA法をすぐに過去の遺物とすることはできない、という人もある。確かにそうかもしれないが、それならそれで、量子コンピューター人間が一晩で解読してしまうようなヘナチョコな暗号をそんな大事な所にほうっておくべきではないのである。2000桁が解読されるなら2万桁とか、あるいは20万桁の暗号で出直してこい (…これまた大いなる余談だが、筆算といえば映画「アポロ13」の中で、宇宙船と交信している宇宙センターのスタッフが再突入時の軌道計算の検算をつぎつぎに筆算で行いクリアーを出すシーン、あの雰囲気がたまらなく好きである。レースでのピットワークのような、一糸乱れぬ動きの気迫のようなものを感じられるシーンである)。

作中では、これらOZの乗っとり事件やその後のAIの暴走は、米軍によるハッキングAIの実験の事故によるもの (ここまでの大騒ぎになるとは米軍当局も想定していなかったという描写があるので、もともとはごく内輪の実験だったのだろう) とされている。この一件で奇跡的に死亡者は出なかったとされているが、もし健二が量子コンピューター人間でなかったら日本は滅亡していたかもしれないのである。作品は後日談まで描写してないのだが、その後米軍がかなーりバツのわるい立場に陥ったであろうことは想像に難くないだろう。OZというシステムも、システム内のアカウントはその持ち主の権限に連動しているというが、システムというのは決して万全なもの足り得ないのは自明である。仮想システムという、「地に足のついていない」ものに依存することのダウンサイドをも、この作品は間接的に描いているのではないか。最重要な部分が一晩で侵入されることが想定内であったかどうかにかかわらず (どっちにしても大問題なのだが)、特に人命が関わってくるものを人の手を経ずに操作するのは絶対に危険である。

山下達郎がはかなげに美しいスキャットで歌う「僕らの夏の夢」でこの作品は幕を閉じる。ぼくはこの歌が大好きで、本編が終ってもエンドロールをきき終えるまで席を立たなかったぐらいだ。主題歌や全体の雰囲気も含めて、おすすめしたい映画である。それにしても、明らかに常人の数千倍の計算能力を持つと思われる量子コンピューター男の健二ですら代表選考に落ちた数学オリンピック日本代表とは、一体どんなスタンダードが要求されるポストなのだろう…。

2013年5月27日 (月)

サマーウォーズの数学・補講 ~数字をアルファベットに置き換える~

さて、ぼくが記事「サマーウォーズの数学」のなかで少し言及した「数字をアルファベットに置き換える暗号」。今回はこれを集中的にお話したいと思う。戦争ものの映画が好きな人は、数字の羅列をアルファベットに置き換えるのを考えて「おお、乱数表だ!」とピンときたかもしれない。乱数表は古典的スパイのステレオタイプのひとつであり、今日でも紙と鉛筆で暗号を製作するには欠かせないものである。余談になるのを承知で、数字をアルファベットに置き換えるメカニズムを解説しよう。どうせこのブログの記事なんて、それ自体が大いなる余談の寄せ集めみたいなもんである。

文字を数字に置き換える方法として、一番簡単なのはアルファベット順に番号を振っていくことである。Aは01、Bが02で、Zが26という具合だ。しかしこれでは小学生にも破られるヘロヘロな暗号しか作れないのは明らかである。そうしたものを人は「暗号」とは呼ばない。もう少し頭のいい方法として、「ポリュビオスの暗号表」というものがある。5×5ないし6×6のマス目を作り、そこにアルファベット (25マスの場合、iとjを同じに扱うことが多い。第二次大戦中のナチス・ドイツの同種の暗号では、「j」を「ii」と音記していた。「jagdflieger」なら「iiagdflieger」である。36マスの場合、アルファベット26文字に加えて、必要に応じた十種類までの記号や0~9の数字を入れることができる。ちなみに、この36マス式暗号表はもともと旧制キリル文字三十五文字が入るように帝政ロシア時代の政治犯たちが考案した方法で、政権転覆を企図していた彼らのイデオロギーにちなんで「ニヒリスト式」と呼ばれている) を埋めていく。小学生には破れまいが、頭のキレる高校生あたりに破られないようにするためには、単にアルファベット順ではなく一定の順序にしたがってランダムに埋めるのが望ましい。たとえば十分長く、しかし覚えやすいキーワードを決めておいて、である。キーワードがGROSJEANならば、最初の8つのマス目にG、R、O、…と順に埋めていき、残りをアルファベット順に埋めることになる。Gは11、その隣りのRは12、というふうに、文字はXY座標にも似たふたつの数字の組み合わせで表わされることになる。ちなみに単語間をあらわすのに「00」を使うことが多い。

しかし、これでも実はまだ足りないのである。 上に記した方法である文章を暗号化したとする。25マスの暗号表を使ったとすると、Gは常に11だし、Eは常に21である。平文の文字数にかかわらず、暗号文の文字数がすべて偶数となっていることに気づく人もあるかも知れない。当然である。暗号数はつねに2桁の数字を一文字として扱うからである。偶数に2をかけても、奇数に2をかけても、答えの数は偶数である。これでもし、誰か気のきいたヤツが「数字二文字でアルファベット一文字を対応させているのではないか」と気づいたとしたら、実質的にこの暗号はオシマイである (こういう、元の字と暗字が一対一の対応関係を持つ暗号を、「単一換字式暗号」と呼ぶ。暗号の中ではもっとも簡単に破れる部類である)。英語では、統計学的にある文章の中にもっとも頻出する文字はEであることがわかっている (ドイツ語もそうである。ポルトガル語はAである) し、どの文字がどのぐらいのパーセンテージで出てくるか、ということもすでに知られている。暗号の書かれた言語を推察し、十分な数の暗号文を入手し、片っ端から文字を統計学的に解析していけば、どのアルファベットがどの数字の組に対応しているかがわかり、暗号文は解読できる。この手法は、数字ではなくピクトグラフを使った換字暗号として、ポーの「黄金虫」やドイルのホームズ・シリーズの一篇「踊る人形」にも登場する。それなりの経験や勘、また十分な解読材料があればあっという間に破れることから、この種の暗号は近代以降、しばしば純粋な暗号というよりは一種の判じ物やクイズ遊びのような扱いを受けている。この方式を考えたジュリウス・シーザーはどう思うだろうか。

単一換字式暗号にならないように文字を置き換えるのに、「ヴィジネル式暗号」という方法がある。十五世紀ごろに考案された方式で、この方法でもアルファベットを別の記号に置き換えることに変わりはない。しかし、単一換字式の暗号とはその鍵の扱い方が異なる。単一換字式の場合、暗号の鍵はひじょうにシンプルである。「どの文字がどの文字と入れ替わっているか」がわかれば暗号はすぐに破れる。ヴィジネル式の場合、この「どの文字がどの文字と入れ替わるか」のパターンがひとつではないのである。このような暗号のことを「多表換字式暗号」とか、この理論を完成した人物の名前にちなんで「ヴィジネル式暗号」と呼ぶ。詳しくはこの図表を見てほしい (Wikipediaより画像を引用)。一番上に並んでいる「A~Z」が平文の文字に、その下の一文字ずつずらされたアルファベットの行はそれぞれ上から「Aの行」「Bの行」…と呼び表される。



この方法を最初に考えたのは、ドイツ・シュポンハイムの修道院長だったヨハネス・トリテミウスという男だった。彼は十五世紀の人物だが、時代精神に影響されて錬金術や占星術、秘術のたぐいの研究を行い、「歴史には354年の周期があること」だとか「世界はキリスト生誕の5206年前に創造された」だとか「天使を介して情報を伝達する法があること」といった研究成果を上げたとされる。そのせいで彼は修道院を追い出されてしまったが、その後ヴルツブルグの修道院に落ち着き、そこで六巻からなる暗号に関する書を著した。その中にこの暗号が紹介されている。その後十六世紀になって、この暗号はニヴェルネー公爵大使だったブレーズ・ド・ヴィジネルという男によって完成された。初期の多表換字式暗号は単に「一文字目を暗号表の一行目で、二文字目を二行目で…」という杓子定規なものだったが、ド・ヴィジネルはこの順序に「鍵語」、「キーワード」の概念を与えたのである。しかし当時はまだ単一換字式暗号のシェアが広く、この相対的に複雑な暗号は十九世紀に至るまで日の目を見ることはなかった。

さて、この表を使って暗号化する場合を考える。数字の話はもうすこし後で出てくるのですこしばかり辛抱していただきたい。平文をGROSJEANとする。この方式 (ド・ヴィジネルのやりかた) で暗号化を行う場合、キーワードを事前に取り決めておく必要がある。たとえばCRASHとしよう。暗号化するには、まず平文の一文字目をキーワードの一文字目の行のアルファベットで暗号化する。上図Cの行ではGはIに変換される。同様にRをRの行で、OをAの行で、というふうにして暗号化していく。キーワードCRASHは五文字だが、GROSJEANは八文字である。六文字目以降はキーワードの一文字目に戻って変換を続ける。比較的長い平文の場合、平文をずらっと並べて書いた下の行にキーワードを繰り返して書く (「CRASHCRASHCRASHCRA…」という具合に) と作業がやりやすい。こうしてできた暗号文は「IIOKQGRN」である。

この暗号を解読するには、まずキーワードの字数を知っている必要がある。キーワードを知っていたり、推察でキーワードを導出できれば簡単である。平文がもっと長い文章の場合を考えると、キーワードは五文字しかないのを繰り返して使っているのだから、上の例でもあるように平文の一文字目と六文字目、十一文字目、十六文字目…は暗号表の同じ行で暗号化されていることになる。二文字目と七文字目、十二文字目…についても同様である。そのようにして、同じ行で暗号化された暗字のみを抜き出してならべれば、その文字の羅列はもはや単一換字式暗号と変わらない。十分な長さの暗号文を十分な数だけ取り揃えれば、どの文字が頻出しているかといった統計学的手法で解読できることになる。

ではキーワードの字数を知らない場合はどうするか。これについては、十九世紀のプロイセン軍人であったフリートリヒ・カシスキが画期的な解読法を提案している。ド・ヴィジネルの著作より三百年もあとのことである。文字で説明するのはなかなか難しい方法である。例えば、英語において特に頻繁に現れる綴り字は「he」、「ing」、「th」、「er」といったものがある。ここでは平文中の「ing」という綴り字を考えてみよう。この三文字の綴り字は、キーワード「CRASH」のうちの連続した三文字によって暗号化される。長い文章や特に頻出する綴り字の場合、特定のキーワード部分、たとえば「CRASH」の「RAS」部分で暗号化される回数が多くなる。「ing」を「RAS」で暗号化した暗字がたとえば「NME」だったとすると、暗号文中に「NME」の綴り字が頻出することになる (平文中「ing」と「ing」の間隔の字数がキーワードの字数の倍数となった場合にこうなる)。この「NME」の頭文字部分「N」と、次に出てくる「NME」の頭文字「N」の間の字数をすべて列記する。仮に「NME」が三回出てきて、あいだの字数がそれぞれ25、125、75文字だったとする。この三つの数字は共通して「5」という約数を持っている。キーワードの字数は五文字であることがわかるのである。無論、たとえば平文中のまったく別の「the」という綴り字が、同じキーワードの「CRA」で変換されても同じ暗字「NME」となるかもしれない。暗号文に出てくる共通の綴り字の組み合わせが、常にキーワードの同じ部位を示すとは限らないのである。この辺は解読者の注意力と、ある種の「勘」が必要になる部分である。

このように、ある一定の字数のキーワードを使う暗号は、単一換字式よりはずっと困難ながら、解読は出来るのである。そこで二十世紀初頭に入ってから、このキーワードに無限の長さをもたせようという動きが出てきた。例えばある一冊の本だとか、ある特定の文章をまるまるキーワードとして使う方法である。しかし、文字をキーワードとして使う場合、キーワードの長さはあまり関係がないのである。確かに平文と同じ長さのキーワードを使えば、上に述べたようなキーワードの重複はなくなるだろう。しかしその場合、今度は平文だけでなく暗号文にも統計学的特徴が現れてしまうのである。たとえば平文・キーワードともに英語なら、両方の文章にもっとも頻出する文字はEだから、「E」が「E」の行で暗号化されるということが比較的頻繁に起きる。これでは、有限字数のキーワードより更に困難ではあるものの、解読は可能である。少なくとも安全性が保証される程ではない。

キーワードの「気配」を隠すには、ある特定の自然言語で書かれた文章のような、有意な特徴を持つ要素を使ってはならない。そこで乱数表の出番である。無限に続くランダムな数列をはじめて広く暗号に使用したのは、第一次大戦後のドイツ/ワイマール共和国とされている。敗戦とそれに次ぐ新国家建設にともない、各国に点在する共和国大使館から秘密のメッセージを本国に転送する新しいシステムとして、この乱数を鍵に使うヴィジネル式暗号が使われたのである。ドイツ大使館員には、五桁のランダムな数字が延々五十ページにわたってずらりと記された小冊子を渡されることになった。ひとつとして同じページはなく、また一度使ったページは二度使ってはならず、その場で破棄するよう命じられた。このようなページが「使い捨て」の暗号帳を「ワンタイムパッド」と呼ぶ。戦争映画などでスパイが持っている「乱数表」とはだいたいこれのことである。

乱数表によって平文を暗号化するおおまかな手順はつぎのようなものである。まず、ポリュビオスの暗号表などを使って平文を一度数値化する。その数値化された平文に、乱数表の数字を繰り上がりなしで足し算する。「8+6=4」であり、「7+5=2」である。受信側は、暗号文から乱数を繰り下がりなしで引き算すると平文を得られる。送信方と受信方は、暗号表と乱数表以外に、たとえば「1日に1ページを使う」とか、「特定の日付に特定のページを使う」といった規則も共有する必要がある。乱数表のかわりに、例えば電話帳の下二桁とか統計年鑑の特定の数値のような、無作為な数字が並んだ書籍を代わりに使うこともある。これなら万一スパイが家探しされても比較的怪しまれずにすむ (ランダムな数字がびっしり書き込まれた小冊子は明らかに常人が携帯するような本ではない)。電話帳なら都市名と最初の氏名だけを、統計年鑑なら何ページ目のどの項目かを伝えておけばすむので便利である。太平洋戦争中、日本から秘密情報をソ連に送って逮捕されたリヒャルト・ゾルゲは、ドイツ帝国の統計年鑑を乱数表がわりに使って暗号文を組み立てていた。この方法でつくられた暗号を、日本の特高警察は最後まで解読できなかったという。電話帳や統計年鑑も用意する余裕が無いような場合は、コンピューターの助けを借りる事になる。特定の演算処理によってランダムな数字の羅列を生成するプログラム、いわゆるランダム・ジェネレーターは、暗号以外にもいろいろと便利なことから、現在ではほとんどすべてのコンピューターに搭載されている。この場合、ランダム・ジェネレーターに入力する初期値 (「種」と呼ばれる) を伝達する必要がある。

暗号化の手順そのものはただの足し算、引き算なのだが、原則として一通々々の暗号文がすべてちがう鍵を使うため、他の方式のような鍵を入手しないままでの解読は理論上は不可能である。この方式の暗号が解読されたという場合、だいたいは乱数表が盗まれたとか、スパイ本人が買収されたとか、そういった暗号とは関係ない次元の話であることが多い。しかし例外もある。1953年、ニューヨークで処刑されたソ連のスパイであるジュリウス・ローゼンバーグと妻エセルは、この方式の暗号を米国当局に解読されたことが原因で捕らえられた。ソビエト情報機関が、同じ乱数表を複数回使うというミスを犯したために足がついたのである (この事実は1995年になるまで機密解除されることはなく、そのため当初は夫妻の逮捕は冤罪なのではないかと騒がれた)。また50年代から60年代にかけて、東側諸国のスパイが乱数表を紛失したり、処分できぬまま逮捕される事件があいついだ。彼らの乱数表はじつに巧みに隠匿されており、たとえば「ヴィック」というコードネームで呼ばれた亡命スパイのライノ・ハイハーネンは、内部に穴がくりぬかれたルーブル金貨内に乱数表を隠し持っていた。硬貨に刻印された「C.C.C.P」の文字の「P」の部分にある小孔を針などで押すとフタが開く仕組みだった。アメリカはこの「ソ連流乱数表」の特徴を研究し、たとえば1~5の数字と6~0の数字がほぼ必ず交互に出てくること (タイピストが両手を交互に動かして数字を打っていたということ) や、同じ数字が二度や三度重複することがほとんど無いこと (「同じ数字を繰り返すことは偶然の法則に反する」という考えが無意識のうちに働いていたのかもしれない) を見ぬいた。それは真に偶発的な「乱数」ではなかった。このソ連流乱数の特徴のおかげで、1991年に行われた反ゴルバチョフ・クーデター計画は実行前に挫かれた。首謀者であったクリュチコフKGB長官とヤゾフ国防相の間の交信はアメリカによって解読され、エリツィン方に逐一転送されたのである。乱数は生身の人間に作らせてはならない。乱数とは、袋の中からカードを引くとか、真に客観的な計算処理を行うといった、人間の意志によらない事柄によってのみ生成される数字のことをいうのである。

さて、文字を数字に変換するタイプの暗号については、これぐらいで止めておくことにする。「サマーウォーズ」劇中では2056桁の乱数が健二の携帯電話に送られてきたが、乱数表を使ったヴィジネル式暗号の場合、平文の文字数は基本的に暗号文の桁数の半分である。平文は「The Magic Words Are Squeamish Ossifrage To Know Is To Know You Dont Know Anything」 (後半節は記憶が曖昧なので「だいたいこんな感じだった」という程度。前半は前の記事でも書いたMITの暗号文、後半はソクラテス「無知の知」のことか) と100字弱なので、乱数鍵を使用したヴィジネル式暗号の可能性はほぼ除外できることがわかるのである。

2013年5月23日 (木)

三途の川の五合目あたり ~ロータス107・フォード~

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チェコからのペーパーキット、24スケールのロータス107である。もともとチェコやポーランドといった東欧諸国はなぜかペーパーキットが盛んなようで、F1以外にも戦車とか戦闘機とか、いわゆる「模型映え」しそうなものはだいたいペーパーキット化されているのだが、そのF1モデルのラインナップがまたいろいろとぶったまげるようなもので、今回の107などまだ序の口、オーロラAFX (イギリス国内のF1カー使用選手権) 仕様のウィリアムズFW07だとか、終盤戦仕様の黄色いユーロブルンER188だとか、伝説のライフ190だとか、もうコローニ・スバルが無いのが不思議なくらいのラインナップなのである。なんてことはまず置いておいて、個人的モデルカー・コラムの第一弾はまあ無難なチョイスを、ということで、このほど (昨日) 組み上がったばかりのロータス107である。   
   
この時期、1990年代初頭のチーム・ロータスというのは、今で言えばHRTもかくやというぐらいの極貧チームで、ケチのつき始めはおそらくホンダエンジンにネルソン・ピケを擁して大低迷をやらかした88年ごろかと思うのだが、90年にメインスポンサーのキャメルが撤退、ランボルギーニも (もともと大したエンジンじゃあなかったのだが) エンジンを引き上げてしまい、それに悲観したチームの要職がつぎつぎに離脱、残ったメンバーでなんとか91年に向けてチームを立て直し、土壇場でタミヤから当座のお金とジャパンマネー・コネクションを取り付けることに成功し、ドライバーもチームの子飼いだったハーバートに新人ハッキネンを連れてきて、どうにか91年開幕戦のグリッドに並ぶという、なんとまあアクロバティックなシーズンオフである。翌92年はスポンサーのF&N (イギリスの工業系メーカー) のつながりで型落ちながらフォードの最新型・HBエンジン獲得に成功、ハッキネンが二度の4位入賞で気を吐く。翌93年もこの107を93年規定に即して改造した107Bにハーバート・ザナルディのコンビで入賞を重ねるも、この年限りで大型スポンサーがあいついで撤退し資金繰りが苦しくなり、94年序盤を107Cで乗り切った後に新車109をやっとの思いで投入するも資金難で満足に走らず、同年イタリアGPでハーバートが予選4位になったのを最後の輝きに、「蓮の花」というなんともロマンチックな名前のレース屋集団はF1を静かに去ったのである。伝統のある名前だからといってそれだけでメシが食えるわけではないのがF1の厳しくも面白いところだが、こうして見ると92年のロータスの好成績は、死出の旅路を歩むチームが見せた現世への最後の未練というか、朽ち果て土に帰る寸前の清らかな蓮の花のような気がして妙に切なくなるのである。一家心中前の最後の豪勢な晩メシ、といったら言い過ぎだろうか。    
   
実車は1992年Rd.5、サンマリノGPでデビューした92年用車。当時のチーム・ロータスは、前年度の「アメリカのレースに出るのにイギリスから車を運ぶ金が無い」(これ実話である) という赤貧状態からなんとか脱却し、カラーリングも前年102Bのいかにも貧乏アピールな白/緑から、60年代の栄冠を極めていた時代の緑と黄色に塗り直されて、チーム一丸で「心機一転!」と叫んでいるのがきこえるような感じのチームだった。グランプリ間の移動も、欧州大陸にいるうちは極力チャーター便などの贅沢をせず、チーム全員バスで移動したという。もうここまで来ると「欲しがりません勝つまでは」の世界である。107の設計はマーチ (レイトンハウス) から移籍のクリス・マーフィー。この人の設計には一種独特のあたたかみというのか、彼が手がけたラルース・LC90やレイトンハウス・CG911を見るとわかるのだが、ひじょうに人間味のある曲線を描くので気に入っているデザイナーだ。一説にはこの107の設計は、彼がもともとマーチで描いていた92年用マシン (マーチは92年を前年型の改造車+ペイドライバーよりどりみどりという、まあ極貧チームの定番コースで過ごしている) の設計がベースになっているという。    
   
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タミヤのキットの箱絵のアングルである。タミヤは91年、前述のチーム再生期に赤貧洗うが如し、借金しようにもカタが無いよ助けてドラえもん、的なロータスに気前よくポンと援助して窮地を脱させてやった縁で、援助がひとまず終了した92年以降も、チーム代表のピーター・コリンズが恩に着てタミヤロゴを比較的大きく掲出してやった、という話がある。資金援助の一環で模型化ロイヤルティも支払われたと見え、タミヤは91年の102Bから翌年102D (デカールのみ)、107、93年107Bと、怒涛の連続リリースを行なっている。しかしタミヤの107はモノコックの成形色が黄色いのである。これは恐ろしいことである。複雑怪奇に曲がりくねったマーフィーラインを描くカウルの上に大面積の緑デカールをぺたぺた貼り込まなければいけないのである。特にノーズコーン、この車はノーズの曲面が三次曲線状に二度曲がっているのでデカール作業はたぶん地獄だろう。ネット上でいくつか完成写真が出回っているが、よくぞ貼りこんだもんだと頭がさがる思いである。   
   
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キット的には特に難関といえる部分もなく、組み立て難易度でいえば5つ星採点で星3つぐらいではなかろうか。ちょっと慣れていればまあ素組みで完成できるだろう、程度のものである。この車、当時の流行 (?) でコークボトル部分のフタをしておらず、スキマからギヤボックス~エンジン後部がチラ見えするので、その中身分のパーツもちゃんと型紙に入っている。あまり目立たない所なので、作りこむか無視かは自由である。じつはこの部分、実戦使用はされなかったらしいがアクティヴ・サスペンション用の配管が通っているので、そこを作りこんだ。説明書ではダンパー・スプリングに針金を使うよう指示しているが、そこまで細い針金の持ち合わせがなかったので紙を細切れに切って代用している。   
   
   
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問題のアクチュエーター部分である。ギヤボックスパーツ右手に見える黒いキャッチタンクのようなパーツは模型でもパーツ化されているが、リヤジャッキ受けの下側、白く見えるパーツ (資料では銀色の六角柱らしきものだった) は模型では再現されていないようだったので想像で作っている。要はそれっぽく見えればいいのである。   
   
   
   
   
   
   
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上の写真でもすこし見えているが、今回カウルの間から中の見えるマシンということで、シャシーの遮熱板部分に銀紙を貼りこんでいる。とはいっても材質はキッチンからくすねてきたアルミホイルである。写真では見えていないがミラーの鏡面部分にもアルミホイルを貼っている。   
   
   
   
   
   
   
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ノーズのパーツ割りは、あの独特な曲面を上手く再現できるようになってはいるが、接着部分がちいさいので歪みやすくて難儀した。ここの曲面は丸い鉛筆か何かにこすりつけて、めいっぱいキツく曲げておかないと、完成したあとで泣きをみることになる。前から見るとほぼ真円状のノーズコーンがこの車の特徴なのに、ノーズ上がぺったんこでは格好がつかない。   
   
   
   
   
   
RIMG0025キルスイッチのプルリングである。もうちょっと後の時代になるとこのリングは車体側に半埋め込みみたいな形で取り付けられるようになるのだが、この時代はまだ外に露出している。これを製作するのはハッキリ言って初心者にはおすすめできない。確実に目と肩をブチ壊すからである。くしゃみひとつどころか、用心しないと鼻息ひとつで時空の彼方へ吹っ飛ぶパーツだから、切り出しから取り付けまで文字通りまったく気の抜けないパーツである。アンテナ類もそうなのだが、おそらくぼくの部屋の床にはこういった製作途中で紛失したパーツが大量に横たわっているはずである。    
   
   
   
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ロータスといえば、2010年にマレーシアの実業家でエアアジア社長のトニー・フェルナンデスがマレーシア政府のバックアップのもとチームをぶちあげ、そのチームに「ロータス」と名付けてプロトンと命名権争いを延々繰り広げた (現在この「ロータス」は「ケーターハム」と名を変え、F1グリッドの最底辺で元気に活動中である) のも記憶に新しい。やはり日本チームが無意識に日の丸カラーを付けてしまうのと同様、「ロータス」というと誰もがこのカラーを連想するようである。この車の記事はまたの機会にゆずりたい。

2013年5月10日 (金)

モータースポーツ・アニメの可能性

「ガールズ&パンツァー」というアニメをご存知だろうか。一日に一回以上ネットサーフィンをするような人ならだいたい知っていると思うが、女の子が戦車に乗って市街地で撃ちあうというアニメである。無論殺し合いをしているというのではなく、アニメ世界では戦車の操縦や戦車戦能力などを鍛錬する「戦車道」が女子のたしなみ (現実世界の華道あたりのような位置づけだろうか。ちなみに華道はもともと男性の嗜みとされていたのが明治頃になって女性にも広まったという経緯があるそうだ) とされていて、学校対抗の戦車戦大会まで開催されるという盛況ぶりである。砲弾などは特製の非殺傷弾を使い、車体側が一定以上のダメージを受けたりすると自動システムで白旗が上がって勝敗を判定する仕組みだ。戦車本来の使い方からはかなり外れているのだが、このアニメのおかげで戦車マニア層がネットに数多く誕生したことは否めないだろう。じつはぼくはまだこのアニメを通しでは見ておらず、ネット上のMAD動画なんかで断片的に描写を知っている程度なので、あまりこのアニメについて突っ込んだ話はできない。しかし今回の主題は「ガールズ&パンツァー」の話をすることではないので、その辺はご容赦願いたい。

じゃあ何の話かというと、「あのアニメのようなスタイルでモータースポーツもののアニメがなぜ作れない!?」という、まぁ言ってしまえばあるモータースポーツ・マニアの偏執的だがしかしじつに胸の内をよく現した叫びなのである。もともと戦車趣味というのはいわゆる軍事クラスタの中というか、そういったことに精通したオタクたちの専攻分野であったわけで、たとえ一介のミリタリー知識持ちであっても、例えば4号駆逐戦車のバリエーションがスラスラ言えるとか、英国戦車の搭載砲のバリエーションについてうんちくを傾けることのできるヤツはかなり少数だったのではあるまいか (いたことはいただろうが。模型好きもその辺りは詳しそうである)。そういうジャンルを一気にアニメ化によってマスに認知されるように押し上げたこのアニメの貢献は大きい。そういった、それまで「一部のマニアしか知らないような事柄」を一気に広めることができるのは現代サブカルチャーの大きな特点なのである。無論「ガールズ&パンツァー」の場合、単にアニメを作ったというだけでなくて、話そのものが面白いとか、作品の舞台となった地元と密着した宣伝を打つことによる効果、なんてのも考えなきゃいけないのだが、その辺を上手くやれば、たとえば日本で待遇的に (どっちかというと) 不遇を囲っているモータースポーツなんてのも、そうやって宣伝できるんじゃないか、と思うのである。なので今回、勝手にそういうアニメの設定をつらつら書き連ねる次第である。

まず世界観。「ガールズ&パンツァー」の場合、地元密着型の宣伝を打ちたい関係もあってか、さすがに女の子がサシで戦車に乗って撃ちあうアニメにするわけにはいかなかったようで、戦車道うんぬんの設定を付与してはいるが、操縦するのは基本的に登場人物の女の子である。しかし個人的にはモーター・レーシングの作品でそれをやるのはちょっとどうだろう、と首を傾げたい。レーシングカーは戦車と違って人を殺めるものではないから、別に女の子が運転してもいいようなもんだが (競技ライセンスとか体力の問題はまず置いておく。それを言ったら戦車の操縦だって、現実ではとても女子高生に任せられるような代物じゃないんだぞ)、個人的にレーシングカーというのはある意味「プロの仕事場」、「聖地」のようなものと考えているので、どうしてもそこに年端の行かない女の子を座らせるのに抵抗があるのだ (ぼくのようなモータースポーツ原理主義者だと時折、考え方が極右・極左の過激派みたいになってしまって頂けない)。また、レーシングカーの操縦はいついかなる場合でも基本的にヘルメットの着用が安全上の義務であり、そんなものを被せてしまうと肝心のシーンで顔が見えない、なんてアホなことになる可能性がある。それはアニメの描写的にどうなんだ、と思わざるをえない。なのでぼくの考えとしては、ドライバーはどっかから招聘してきて、女の子たちはチームの運営に徹してもらうのがいいんじゃないかと思っている。それじゃレースものじゃなくてレーシングチーム運営もの (「童夢の野望」というゲームソフトを覚えているだろうか?) になってしまうじゃないか許さんぞ、という場合は仕方ないので、ガルパン式世界観を持ってきて女の子にノーヘルで運転させることになるかもしれない。しかしその場合、今度は「安全啓蒙」というモータースポーツの大きな使命をどうするのか、という問題が出てくるのだが…。

そして操縦者、ドライバーの問題がやってくる。上記のように、ぼく個人としては女の子をレーシングカーの操縦席に座らせるのはやや抵抗があるのだが、雰囲気的に男を主役クラスに出したくない、というような状況ではやむをえまい。現実のGT1選手権やル・マンでも、ナターシャ・ガシュナン嬢やラエル・フレイ嬢、シンディ・アレマン嬢、古くはあのどぎついピンク色のスパイス・フォードに乗っていたセント・ジェームス/ウィルソン/ミュラーの女性ドライバー・トリオ (1991年ル・マン、#40ユーロレーシング/AOレーシング) がいる。設定段階で修正する箇所としては、やはり体力的なこととライセンスの問題ということになるだろうか。ライセンスの件は比較的設定でいじれそうだが、体力面ばっかりはなかなかどうしようもないかも知れない。一般的にGTカーはプロトタイプやフォーミュラーに比べて身体的な負担は軽いとされているので、そのへんもフォーミュラーではなくGT系を舞台として選ぶ理由付けのひとつにはなるだろう。もしドライバーは男性ということになれば、女の子たちとの関係というか距離感は、ちょうどアニメ版アイドルマスターのような感じがいいと思う。ヘタな恋愛要素など間違っても入れてはいけない。

次の問題はカテゴリの選定である。自動車レースといっても、まずサーキットレースかダートか、フォーミュラーかクローズドか、あるいはFIA的にいえばどのグループ (Gp.AとかGp.N、あるいはGT3カーとか) の車両なのか、といった辺りを解決しなくては話が書けない。上記の「女の子がチーム側にいる」場合、参戦可能なカテゴリはほとんど無制限とも言えるが、個人的にはル・マン (FIA WEC)、ニュルブルグリンク24時間 (VLNシリーズ)、FIA GT3選手権 (欧州選手権はそれなりにカネがかかりそうだが、フィクションでアジア太平洋選手権なんてぶちあげてしまってもいいかもしれない)、FIA GT1世界選手権 (2012年以降のものではなく、2011年以前のGT1規定車両によって競われていたほうのシリーズ) 辺りを推したい。フォーミュラー1という選択肢もなくはないが、さすがに素人同然の女の子の寄せ集めでF1に出るのはかなり無理がありそうだし、F1ともなるといろいろ面倒な交渉事が多そうで製作に支障をきたしかねない (他のカテゴリでも似たようなものかもしれないが、少なくともFIA-GT1/GT3はビデオゲームに公認収録された例がある。後述)。かといってF3000ではいまひとつ魅力が薄いし、F3となると今度は迫力がいまひとつ無い (そういえばフジTVが以前F3を舞台とした実写ドラマシリーズを作って放送していたらしいが)。フォーミュラーレースそのものがいわば「個人戦」的な要素が強めなので、チームワークものの話にはあまり向かないのかもしれない (F1ともなるとさにあらずだろうが)。

ル・マンやニュル24hの場合レースが長いので、アニメの話数との兼ね合いをどうするかという頭の痛い問題が出てくるが、基本的に耐久レースというのはレースドラマの宝庫である。ル・マンで言えば94年大会がその白眉ではなかろうか。トップを快走しながら残り1時間でギヤボックス・トラブルに倒れたサード・トヨタ1号車のラスト15分の死闘はハッキリ言って日本人なら目頭が熱くなるほどの代物ではないだろうか。あるいは伏兵マツダが表彰台の頂点に立った91年大会、後方からじわじわ追い上げつつメルセデスに上手く心理戦を仕掛けて戦線離脱に追いやった頭脳プレー (その上ラストスパートではジョニー・ハーバートが体中の水分と引き換えにジャガーから逃げ切るというアツイ展開のオマケ付き)。最終ラップまでトップと2位が同一周回で争っていた88年、11年大会 (あの年のプジョーはつくづく残念だった)。探せばどんどん出てくるが、問題はチームである。素人集団がル・マンに出るにはどうしても例の「ガルパン的世界観」の助けによらなければいけないような気がする (VLNは結構、草レース集団みたいなチームもいたりするのだが)。ガレージ56を狙うほどの技術力があればまた話は違うだろうが、ここはやはりガルパン世界観の下で、コストキャップのあるLMP2 (3550万ユーロ=約4600万円、エントリーフィーや運営費は含まず。マシンの画一化が著しいので競走は熾烈である。今季は伏兵コデワ・ロータスに注目だ) か、開発などに制限のあるGTE-Am (基本的に1年落ちの車両までしか使用できない、ドライバーも比較的低ランクの人員を使わなければならない、など) に参戦するのがいいのではないか。これでもし、かねてから噂されていたようにGT3規格車両が参戦できるレギュレーションになっていれば、そっちがコストや話の流れ的にいちばん簡単だっただろう。しかし現時点ではBMWがGTEクラス用にZ4GT3を小改造したものを作っているだけである。ル・マンのチームといったら前線に立つ人員 (マネージャー、監督、PR、メカニックetc) だけでもかなりの人数になるが大丈夫かとか、メカニックまで女の子で固めるつもりかとか、いろいろ問題はありそうなもんだが、その辺は設定でなんとかしてしまいたい (ガルパン本編だって、一枚数十kgほどある戦車の起動輪を女の子が平然と持ち運ぶシーンがある)。

FIA-GTの場合、前述したがまずはカスタマーカテゴリであるFIA-GT3から描写をはじめるのが妥当な線ではなかろうか (…なんだか今回の文章、「~ではなかろうか」というフレーズがやたらと頻出しているのではなかろうか)。GT3も比較的低コストでの参戦を見越したレギュレーションなので、カスタマーチームも入って行きやすい環境だ。その上GT3欧州選手権がGT1世界選手権のサポートレースであることもあって、相対的に露出度が得られやすい。そしてなにより、GT3参戦チームは「GT1」という明確なステップアップ先が目に見える状態なのだ (特に旧規定時代。作品化するとしたら絶対に旧GT1時代をベースにするべきだ。今のGT1選手権も面白くないわけではないが、いかんせん車両がGT3規定では夢がなさすぎる)。駆け出しのプライベート・チームとしてサーキットにやってきた女の子たちが、GT1のレースのためにパドックでうろうろしているワークスドライバーや、ピカピカのワークスカー (そもそもGT1にワークスらしいワークスなんてアストン・ヤングドライバーチームぐらいしかいなかった気がするが…) を見て目をキラキラさせる。しかしふと振り返ると、そこにはボロボロの装備でえんやこらとレースを転戦する自分たちの貧乏チームが。それを見て複雑な心情に駆られながらも、闘志を新たにする女の子たち…という描写、なかなかいいんじゃないだろうか? なんだか貧乏描写が入ってしまうと一気にスーパーアグリ的というか、そういうアトモスフィアが出てきそうだが、それはそれで話の魅力に出来そうである。ちなみにFIA-GT1/GT3が公式に収録されているおそらく唯一のゲームソフトとして「ニード・フォー・スピード」シリーズの「シフト2 Unleashed」が発売されており (日本版未発売)、2010年時点でのFIA-GT1/GT3参戦車両がほぼすべて網羅されている。このゲームはプレイヤーが一介の草レーサーからスタートし、グランツーリスモ的に賞金を稼いで車を乗り換え、最終的にゲーム中のFIA-GT1選手権で総合優勝することが目的である。GT1選手権のすぐ下にGT3が位置していたり、下の方にドリフト選手権やチューニングカーレースがあったり、「ステップアップコース」としてかなりリアルなので (しかし個人的にGT4選手権が入っていなかったのは不満である)、話の参考になるかもしれない。現実世界ではちょっとむずかしいかもしれないが、学校の自動車部・モータースポーツ部 (無いなら創作するまでである) の草レース/ジムカーナ、学生フォーミュラーあたりからスタートして…ということになるだろう。この場合、終点はやはりF3000やF1ではなくGT1のほうがしっくり来ると思う。

さて、上のほうで「ドライバーは男のほうがいい」的なことを書いたが、唯一その前提が崩れるカテゴリーがある。ラリーである。ラリーというのは一般的に車輌の操縦をおこなうドライバーと、コマ地図とペースノート (道順を書き付けたメモみたいなもの) を見ながらドライバーにルートの指示を出すコ・ドライバー (ナビゲーターとも) の2人が一台の車に乗り組んで行うスポーツである。ルートの指示といっても「この道路を道伝いに進んで、次の交差点を左」なんて悠長なもんじゃない。「2レフト (通常ラリーのペースノートにおいては数字の大きさ/小ささでカーブの曲がり具合を伝える。そうしないコンビもいることはいるが)、100m (直線)、スクエアライト (スクエア=直角コーナー)、コーション・5レフト・ノーカット (注意・イン側に障害物あり、カットするな)、300m、3レフトロング (ロング=長いコーナー)、キンクレフト (「キンク」はこの場合「緩いカーブ」のこと)・イントゥ (into=連続するコーナー、特に切り返しなどの前にこの語を付ける)・3ライト・イントゥ・ブリッジ (ラリーでは橋のあるステージがよく登場するが、だいたい橋というのは路面コンディションが違ううえに滑りやすかったり道幅が狭まっていたりするのが相場なので、特にペースノートに書き込んでドライバーに注意を促すことが多い)…」というふうに、ほぼ間断なく先や先の先の路面状況をドライバーに伝えなければならないのである (ラリーにはだいたい決まったコースというのはなく、毎年コースを設定して、競技前日にレッキと呼ばれる乗用車での「偵察走行」を行い、ドライバーは路面のクセなどを読み、コ・ドライバーは道順を見てペースノートを作る、というのが通例)。しかも読むスピードというか、ペースノートのペースというのか (シャレじゃないぞ)、これがまた曲者で、早すぎてもドライバーにはあまり役に立たないし、かといってコーナーに差し掛かってからそのコーナーの部分を読み上げられても間に合わないという、まさに二人羽織状態で宇宙刑事ギャバンの蒸着ポーズを一糸乱れず決めるぐらいの気合と息の合いが要求されるのである。またラリーというのは、飛び石が当たるとか枝が刺さるとかで、競技中のパンクなど序の口、ラジエーターに穴が開いたり、サスペンションが狂ったり、ひどいのになるとタイロッドがイカれたり、いろいろ故障が発生するのだが、サービスパークといって決められた時間の間チーム総出で修復・メンテナンスに当たることの出来るエリア以外では、タイヤ交換から各種応急措置まですべてドライバーとコドライバー、そして車載の工具だけで片付けなければいけないのである。これはやはり二人羽織でギャバンポーズを決められるだけのチームワークがなければ務まらない。そのためもあって、ラリー界における「ドライバー/コ・ドライバー」のコンビはある程度固定しているものが多く、ムナーリ/マイガ、ビアシオン/シヴィエロ、サインツ/モヤ、マキネン/ハルヤンネなどの名コンビも数多い。絶対的な技術もさることながら、何より二人の息があっていないといけないので、ここは幼馴染とか、気の合う級友とか、そういう設定の女の子コンビをドライバーに据えて展開させることが可能になるのである。というかそうなったら美味しいぞ。まずはステップアップとして国内のGp.N (市販車に毛が生えたような規定) ラリーからはじめて、Gp.A、ジュニア選手権と進んで最終的に世界ラリー選手権、という道筋になるだろうか。もともとラリーというのはフォーミュラーやGTに比べてどうも影の薄い存在であるし、昨今のWRCの凋落ぶりから見るに、こういうアニメでラリーそのものを振興できればラリー界・マニア界の双方にとっていい結果になると思うがどうだろう。

以上、あまりレースを知らない人でもある程度わかるように書いたせいでかなり長くなってしまったが、ぼくとしては戦車のアニメがヒットできるなら、モータースポーツもののアニメというのは結構、ヒットする素地はあると思う。もしぼくにそのぐらいの腕と時間があれば、さっさと薄い漫画にでもまとめて出してしまいたいところなのだが、残念ながらぼくはどうも絵心が決定的に欠乏しているらしいので、こうやって文字にして書いている次第。文字といえば、ぼくが原稿の一部を担当しているサークル「上海娘々賽車隊」の新刊がもうすぐ発売予定である。前回はスポーツカーレースがテーマだったが、今度はF3000レースが舞台である。ぼくの担当した原稿も一本収録されているので、5月26日に東京ビッグサイトにて開催される「博麗神社例大祭」スペース「す40a」にて手にとっていただきたい。なんだ結局自分のサークルの宣伝か、というツッコミはバッグにしまっておいてくれるとありがたい。

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