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2013年11月

2013年11月26日 (火)

終章と序曲 ~マーチ871・フォード~

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日本におけるF1ブームは、一般に1987年がひとつの区切りであったと言われている。この年から中嶋悟が日本人初のF1ドライバーとしてロータスからフル参戦を開始、それに伴いホンダがロータスにエンジンを供給しウィリアムズ、ロータスのニチーム供給体制が実現し、さらにこれと歩調を合わせるように鈴鹿サーキットがこの年から五年間のF1グランプリ開催契約を結ぶにいたり、これに合わせてフジテレビによる全戦テレビ中継が実現。ホンダのF1参入によって高まりを見せていた日本国内の自動車レース熱はここに来て一気に大爆発したのである。そのため、今日に至っても当時のモータースポーツ界の話題になるとホンダは必ず登場するし、先日のF1復帰発表もニュースで大きく取り上げられた。その一方で、1980年代末というバブル経済の劈頭にあった時勢は、多くのバブル成金たちを新たな投資先であるF1に駆り立てさせ、丸晶興産 (後のレイトンハウス)、フットワーク、さらには東芝やパイオニアなどといった日本企業が競うようにしてF1チームのスポンサーにつき始めた時代でもあった。そしてその中のレイトンハウスやエスポといった実業畑の会社が、スポンサーシップだけでは飽きたらず、チームごと買収して手中に収める手段を取り始めたのである。中でもこのマーチは、そういった日本企業オーナーのF1チームの嚆矢というべき存在であった。   
   
レイトンハウスといえば、若いころのアドリアン・ニューエイを擁して力走を見せた1988年~1990年の活躍が日本のファンには印象深いかもしれないが、この車はその一年前、まだレイトンハウスがチームを買収する前に「マーチ」として参戦していた車である。イギリスの名門シャシーメーカーであるマーチは、1970年からF1に参戦してきたものの目立った戦果を上げることができず、1982年以降F1では休眠状態にあった。1986年、国際F3000に参戦していたイヴァン・カペリのスポンサーとなったレイトンハウスは、カペリをF1に進出させることを画策 (それ以前にもカペリはF1参戦歴があり四位入賞も経験していたが、あくまで代打のスポット参戦であった)。たまたまF1復帰を考えていたマーチ側から、五億円分の持参金と引き換えにF1シートを与える話が持ち込まれ、レイトンハウスはマーチのメインスポンサーとしてF1の大舞台に打って出たのである。車輌の設計は70年代の名車・マクラーレンM23などを手がけたゴードン・コパックが、F3000用の車をベースに再設計する形で行った。開幕戦では新車が間に合わず、F3000用の87BにF1用のウィング類を取り付けた87Pを持ち込んでいる (決勝不出走。燃料タンク容量がF3000仕様のままで、仮に出走しても完走は元から不可能な状態であった)。しかしコパックは当時すでに古い世代のデザイナーとなりつつあり、また経験豊富なマーチも技術の進歩が速いF1における五年間ものブランクは一朝一夕には埋め難く、この年はモナコでの六位入賞が一回のみに終っている。    
   
   
RIMG0123型紙はスケールモデルではなくいわゆる「ノンスケール」、ミニ四駆のようなデフォルメモデルである。パーツ類をA4用紙一枚に収めたデフォルメF1カーのシリーズ「プチF」と呼ばれるもので、本家METMANIAでひと通りのモデル (おもに70年代のもの) が無料ダウンロードできるほか、派生サイトであるMETMANIA-FANでは80年代のモデルも公開されている。特に総本舗であるMETMANIA製の型紙は組みやすさ、出来上がりとも絶妙なバランスで、F1ペーパーキット初心者はまずここから始めるべきといえる逸品だ。いっぽうMETMANIA-FANの型紙は、出来上がりのディテールや車種チョイスなどでMETMANIAに勝るものの組立が難しいモデルが多く、またパーツ同士の合いが悪かったり、テクスチャが一種独特だったり、組立説明が不親切でわかりづらかったり (この871など、なんと組立説明がYouTubeの動画形式であった。私見だが海外キットよりも極悪である)、はっきり言って「上級者向け」である。模型で例えるならMETMANIAがタミヤ、M-FANがスタジオ27といった辺りだろうか。    
   
   
   
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このキットの最大の特徴は、なんといってもカウル脱着機構である。もともとF3000改造車のような車なのでエンジン部分は覆われていないのだが、それを逆手にとってエンジンカウルを脱着式 (ただ置いてあるだけ) にし、ついでにノーズコーン内部も再現した、といった具合である。タイヤは単に接着していないだけだが、簡単な差し込み式なので実質的に脱着可能であろう。ただリヤのサスアーム位置とタイヤ側の切り込み位置が笑ってしまうほどズレているので、現物合わせで切り込む必要がある。ちゃんとテストビルドしたんだろうか。   
   
   
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M-FAN製の型紙の特徴の一つにテクスチャの使い方がある。あっさりした表現のMETMANIA製に比して、陰影やハイライト部分に容赦なくテクスチャを描き込むスタイルは、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれるだろう (ためしに両方のモデルをダウンロードして見比べてみるといい)。これはメカ部分ではまずまず成功したやり方と見ていいかもしれない。エンジンやラジエーターのパイピングもしっかり再現してあるが作るのはかなり大変だ。エンジンはDFV系ブロックを3.5リッター化したDFZ。   
   
   
   
   
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このアングルで見ると、同年のF3000カーである87Bとソックリであることがわかる。87Bはリヤサスペンションの設計に欠陥がありまともに走らなかったが、F1のほうではそういった話はきかれなかった。設計を変えたか何かで本当に問題がなかったのか、単に遅すぎて問題が露見しなかっただけなのかは今となっては不明である。キットのほうでもサスペンションの欠陥はしっかり再現されており、前後ともプルロッド/プッシュロッドのロッド部分の長さがまったく合わなかった。作例では例によって上半角を決めた後に現物合わせで切断している。   
   
   
   
   
   
   
   
   
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エンジン周りは本当によく再現されているが、組立順序をしっかり考えないとレイアウト的にあとで困ったことになったりする。組立説明がYouTubeの動画 (17分ぐらいある) というのは、キツイ言い方になるが非常識ですらあると思う。だいたい説明図というのは組み立てながら参考にするべきものであって、組む前に一度見てハイおしまい、ではないのである。少なくとも海外キットのように、車輌の簡単な全体図を描いてパーツの位置取りだけでも教えてくれれば、ある程度のモデラーならそれでなんとかなる (必要十分ではなく必要最低限、といったところだが) のだが…。このキットで海外モデルのポンチ絵説明図のありがたさが身にしみて理解できた。   
   
   
ちなみにぼくはプラモデルを参考に、だいたいエンジンブロックまわり~ギヤボックス~リヤサス~リヤカウル~リヤウィング~アンダーパネル~フロントカウル~ノーズまわり~フロントサス~フロントウィング~タイヤの順で組み立てた。各パーツの組付けなどは「Craft_Blog」の製作記事を参考にさせていただいた。    
   
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フロントバルクヘッド。このバルクヘッド・ノーズコーンのパーツも合いが絶望的に悪く (脱着機構を紙でやる以上、ある程度は仕方ないのだが)、仮組み段階ではなんとノーズがはまらないほどであった。いろんな意味で難易度はじつに高い。   
   
   
   
   
   
   
   
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型紙のリヤウィングはメインエレメントのみでステーが長く、翼端板が直角三角形に近いものであった。これは調べた範囲ではイタリアGPなどで使われていた仕様である。しかしこのサイトは「プチFモデルで1987年日本GPのグリッドを再現する」企画に参加しており、そのことから考えて日本GP仕様のはずなのだが、日本GPにおいては写真のようなサブエレメント直結の短いステーに矩形の翼端板というセットが正しい。この形状にしてしまうとどうやってもA4一枚に収まりきらなかったので、考証ミスというよりはデフォルメの一環なのかもしれないが (冒頭に掲載した型紙の写真ではイタリア仕様のウィングになっている。その後ミスに気づいて改造型紙を印刷しなおしたため)。   
   
   
RIMG0036カペリのヘルメットは型紙に付属しているが、ここでは組みやすさを考えてより薄手の80gmの用紙に刷り直している。胴体部分はMETMANIAで配布されている胸像パーツを流用した。ヘルメットのスケールはだいたい1/24。単なる偶然ではあるが24スケール用のヘルメットパーツが流用可能である。    
   
   
   
   
   
   
RIMG0020あざやかなレイトンブルーのカラーリングが目を引く。このカラー、タミヤからは「コーラルブルー」という名前でCG901Bのプラモデルに合わせて発売されていたが、本当に「レイトンブルー」としか表現できないような、独特の色合いである。作例では印刷の関係で水色に近くなってしまっているが…。ある意味、日本のバブル経済時代を象徴する色だろう。この色はタッチアップがかなり大変である。ぼくはラインマーカーでなんとかタッチアップしたが、一般的に黒や青、緑、赤など、サインペンが容易に手に入るカラーが「タッチアップしやすいカラー」といえる。    
   
   
   
RIMG00231987年、F1プロジェクトが運営上まずまずうまく行ったことに気を良くしたレイトンハウスの赤城明社長は、しかしマーチの運営姿勢に不満を抱くようになり、89年にはF1部門を完全に買収してチーム名を「レイトンハウス」と改めた。当時のF1界にあって、エンジン屋ではなくいち企業としての日本代表は、目のさめるようなカラーや時折の驚異的な力走によって注目を集めたが、当時のニューエイの設計はいわばムラッ気が多く、中堅チームにとって最も大事なコンスタントさを欠いていた。91年秋に赤城社長が銀行の不正融資に関与して逮捕されるとチームの資金源は絶たれ、92年にはチーム名をふたたび「マーチ」に戻すがすでに過日の溌溂さは片鱗もなく、93年のグリッドにこのイギリスの名家が姿を見せることはなかった。    
   
   
傍から見ると、レイトンハウスの参入は結果的に名門マーチそのものを食いつぶしてしまった愚挙であったように見える。レイトンハウスはマーチ側の要求するままに、その使途や内訳もよく理解せぬまま開発費として一度に数十億円分もの金額をチームに投資していた。当時のベネトンでのメカニック経験がある津川哲夫によれば、これがF1チーム側に甘い汁を吸わせる結果となり、その後の資金援助の「相場」を釣り上げてしまったのだという (この資金でニューエイが好き勝手できたからこそ今の彼の栄光がある、と言うことも出来なくはないが)。レイトンハウス・チームの終焉は、日本のバブル時代の終焉と同時にやってきた。92年から93年にかけて、多くの日本資本がその資金をF1から引き上げてしまい、グランプリの世界でジャパンマネーが大手を振って歩く光景は見られなくなったのである。これは奇しくもホンダのF1一時撤退と重なる時期で、また94年にアイルトン・セナが死亡したことで、日本でのF1ブームは沈静化に向かった。現在、日本ではF1は一部のモータースポーツ・マニアのためのものと捉えられており、一時期のような国中を巻き込んだ熱狂はおそらく二度と見られないだろう。レイトンハウスは、1986年の全日本F2最終戦・鈴鹿でのF1カーのデモランを見た赤城明の「よし、あれやるぞ」の一言でF1という「世界」を見に出ていき、その表と裏をつぶさに見届けて散ったのである。

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