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2013年12月

2013年12月31日 (火)

2013年度総括

2013年ももうおしまいですね、Simacherです。今回も大つごもり恒例、一年を振り返る記事ですね。いやはや一年早いものだ。

まず動画。もう投稿期間開きすぎてぼくが動画作ってたの知らない人もいるんじゃないかという勢いですが、いちおう年度内のMMD杯は、個人的に長い用事が入ったり素材取りに苦労したり、あろうことか製作中に某海軍ブラウザゲームにドハマりしたりしつつ、なんとか二回とも参加しました。第10回でまずまずの手応えを感じ取りつつも、第11回は準備期間をいまひとつ取れなかったことで不完全燃焼に近い終り方のような気がしました。2014年に至っては参加できるかどうかも不透明な状況。それに追い打ちをかけるがごとくわがPS3選手がこのほど故障退場となってしまい、来年度以降のフォト動画投稿はひじょうに不透明になりつつあります。ぼくにとっても辛い時期になりそうですが、その時その時で対策を考えていくしか無いでしょう。静画のほうはなんとか投稿ペースを維持出来たように思います (11月に300枚目突入)。今後、主にぼくの側の事情で投稿ペースが乱れたり、投稿そのものが途切れがちになるかもしれませんが、その辺なんとかなるように今までやってきたわけだし、まあ来年もなんとかなるでしょう。

つぎに自動車レース界。今年のF1もベッテルが無敵状態を維持したまま終ってしまいました。われらがフェラーリは相変わらず語る言葉も無いふがいなさ。来年は午年ですが、馬の年ぐらい赤い跳ね馬には跳ねて欲しいものです。跳ねない跳ね馬はただの馬でしか無いですから。ネガティヴなほうの話題では、今年は昨年にもましてレース界での死亡事故が目立ったように思いました。ル・マンで歴戦のアラン・シモンセンが死亡し、カナダGPではコース・マーシャルがマシン回収用のクレーン車に接触して落命、その後これまたル・マン経験 (2012年Nr.75、プロスピード・ポルシェ) のあるショーン・エドワーズ (元F1ドライバー、立派な口ひげで有名なガイ・エドワーズの息子) がオーストラリアで亡くなり、また年の瀬にはダメ押しの一撃とばかりにミハエル・シューマッハがスキー中の事故で頭部に重傷を負って予断を許さない状態 (2013年12月31日現在、人為的な昏睡状態にあり回復状況などは不透明とのこと)。2011年に続きどうも暗いニュースが多かった印象ですが、「来年こそは」と思わざるを得ません。シューマッハの朗報を待ちたいと思います。

さて、あと数時間で2013年も過ぎ去ります。来年もいい一年に、いい年にしたいと思えばいい年にはなるでしょう (なんと無責任な…)。関係各位には旧年中大いにお世話になりました。来年もよしなにお願い申し上げます。皆さん、良いお年を。

2013年12月28日 (土)

氷の中の炎 ~ロータス100T・ホンダ~

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前回の記事で紹介したロータス・99Tの後継機がこの100Tである。ロータスは元来、F1カー・レーシングカー・市販車の区別なく、コード・ナンバーを「通し」でつけているが、その記念すべき100番目の車だ。しかしこのうつくしい車は、その記念すべき名前に見合う戦績を残すことは出来なかった。のみならず、その後のロータスの苦難と凋落の歴史への第一歩を踏み出すという、ある意味まことに不名誉な経歴を持っている。   
   
   
   
   
   
1988年、ターボ・エンジンへの規制が強化され各メーカーが自然吸気エンジンに移行する中、ホンダは「いまだターボに優位あり」と判断し、最大過給圧2.5バールに合わせた新型のV6エンジンを開発した。このエンジンを積んだマクラーレンがテストの段階から圧倒的な速さを見せたこともあり、同じエンジンを積むロータスにも88年に向けて高い期待がかかった。アイルトン・セナとアラン・プロストを取り揃えたマクラーレンにマッチすることは叶わなくとも、そのすぐ後ろぐらいのポジションはたやすく確保できるだろうと思われたのである。ロータスはアイルトン・セナにかえてワールド・チャンピオンであるネルソン・ピケと契約していた。しかしいざ蓋を開けてみると、名手ピケをもってしても100Tの基本設計のまずさはごまかしきれるものではなかった (後のインタビューにおいてピケは、87年サンマリノでの予選中の大クラッシュ以来後遺症に悩まされて完全なレースができず、以後は金のためだけに走っていたようなものだ、と述懐している)。それでもチャンピオンの意地を見せたピケはブラジル・サンマリノ・オーストラリアの三戦で三位に入り、ほかに四位と五位を二回づつ記録したが、中嶋はブラジルでの六位がこの年唯一の入賞歴で、モナコとデトロイトでは相対的に性能差の詰まったNAエンジン車相手に予選落ちを記録する惨状であった。ロータスが優勝・ポールポジションをいずれも獲得できなかったのは1981年シーズン以来のことであった。翌年のロータス101・ジャッドにもまともな戦闘力はほとんど無く、ベルギーGPではチーム史上はじめてドライバーふたりが揃って予選落ちに終る結果になり、チームの凋落はもはや隠しようもなかった。チーム監督のピーター・ウォーら首脳陣がが離脱した90年にはランボルギーニのV12エンジンを獲得したが、すでにチーム・ロータスにはそれに見合った車を用意する体力は残っていなかった (同年のドライバーだったデレック・ワーウィックは、新車発表会の際に自走で車をステージまで運転するパフォーマンスを任されたが、エンジンをかけた途端にギヤボックスが音を立てて脱落してしまい、仕方なくエンジンだけ空ぶかししながらメカニックに押してもらってステージに姿をあらわしたという)。90年をもってRJレイノルズ社の支援も終了し、資金的な後ろ盾を失ったロータスはその後、四年間の苦闘の末にF1から姿を消すことになる。    
   
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型紙は1/24スケールで、ポルトガルGP仕様を再現している (なぜポルトガルなのかは不明。ピケ・中嶋ともリタイヤに終ったレースである)。ロシアの「f1papermodels.ru」というサイトで無料ダウンロード可能 (こちらから)。配布されているのは1号車のピケ仕様だが、ゼッケンとネームを改造して2号車の中嶋仕様にして組み立てた。なんのことはない、ヘルメットの型紙データが中嶋のぶんしか無かっただけのことである。ちなみにこの型紙、よく見るとわかるがリヤウィングのキャメルマークが左右逆になっているのを見落としてそのまま刷ってしまったため、仕方なくメインエレメントを裏返しにして (黄色い面が上にくるように) 組んでいる。型紙の最終チェックを怠るとこういうことになる。    
   
   
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ベースコンポーネントは99Tの流用ではあるものの、エンジンの換装やレギュレーションの変化などで、カウルはほとんどの部分を新造されており、わずかにリヤカウルの峰の部分 (モデルではちょっと形が違ってしまっているが、実車は99T前期型に近い形状) やリヤウィング形状 (こちらは99T最後期型と同じものと思われる) などに先代の面影が残るのみである。この年から「ドライバーのつま先は着座状態で前車軸の後方に位置しなければならない」という、いわゆる「フットボックス・レギュレーション」が施行されたため、着座位置が車両中央近くに移動し、それとともにノーズが延長された。フロントサスペンションも、99Tのプルロッドからプッシュロッド方式に変更されている。   
   
   
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設計はこの年限りで離脱したジェラール・ドゥカルージュをマーティン・オジルビーが補佐するかたちで行われた。ノーズ以外にサイドポッドも再設計されており、真上から見た形状はマクラーレンMP4/4に近い。99Tまで続いたドゥカルージュの丸みを強調したボディデザインは消えてなくなり、一転して細身で直線的なカウルをまとっている。見た目はいかにも速そうなのだが、主に車体の剛性不足でエンジンパワーを受け止めきれず (この年のホンダ・エンジンは640馬力前後だったと言われているが、通常F1カーでは剛性的にはまったく問題にならない程度の数字である)、また風洞テストの際に得られた間違ったデータでそのまま設計してしまったとされ、結果的に優秀なF1カーにはなれなかった。   
   
   
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ターボ・チャージャー用のシュノーケルダクトは実車とは形状がまったく違うのだが (このモデル、全体のフォルムはいいのだが細かい考証ミスが目立ち気味だ)、この角形のダクトもなかなかカッコイイと思ったのであえてそのままにしてある。マクラーレンMP4/4同様、この車も後半戦になってからエンジン側のターボ・チャージャー用ダクトが再配置されたため、シュノーケルダクトを取り外している。空力的には、リヤウィングに気流を持っていくためにもサイドポッド上面にはあまり立体物を置きたくないはずだ。   
   
   
   
   
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おなじホンダ・エンジンを積むマクラーレン・MP4/7Aと。MP4/7Aも100T同様、直線的というかずいぶん素朴なデザインである。わるい意味では無いが「小学生にF1カーを想像で描かせた感じ」とでも言うべきか。92年にもなると他チームはどんどん空力思想が先鋭化して、すでに小学生のF1どころの話ではなくなってきているのだが…。   
   
   
   
   
   
   
RIMG0162このキット、いままであまりペーパーキット大国では無かったロシア発の型紙なのだが、パーツ割りはかなり独特だ。たとえばモノコックがワンパーツではなく上下二分割だったり、サイドポッド前面の開口部をそのまま塞ぐ設計になっていたりなどである。そのため側面のラジエーター用開口部の中はドンガラである (普通はテクスチャ入りパーツで塞ぐ。前回の99Tと比較されたい)。パーツ割りのせいとは言えないだろうが、製作途中でリヤのブレーキダクトを片方紛失してしまい、仕方なくパーツごと割愛した。おおむね無難に完成できたモデルだが、あれが唯一のポカである。    
   

 

   
   
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これまた角型のコックピット開口部と、そこからノーズ上を走る二本のエッジラインが印象的だが、コックピット自体は相当狭く、ドライバーは苦労させられた。イギリスGPの後でジャッキー・スチュアートがこの車のテスト走行を行ったことがあったが、なんとステアリングとカウルの隙間にグローブが挟まってスピンしたという (このテストでスチュアートは、100Tの基本的な欠陥が車体の剛性不足にあることを指摘した)。ミラーのステーは紙を三枚重ねて細切れにし、瞬着で点付けした。ロールバー後部のアンテナも紙である (型紙では針金を使うよう指示されている)。   
   
   
   
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真横からの一枚。繰り返しになるが、ルックスはいかにも速そうなのである。しかし87年にアクティヴ・サスペンションの開発で無駄な労力と資金を使ったせいでノーマル・サスペンション用のデータの蓄積が間に合わず、また車体の剛性不足によるコーナリング性能の悪化、空力設計の失敗など、ほとんどいいところなく終ってしまった。もしこれでエンジンがホンダ以外だったら、ピケといえども予選落ちは免れなかったと思われるほどだ。頼みのホンダ・エンジンも、ロータスが使っていたエルフ製オイルとの相性が悪かったのかたびたびトラブルを起こしたという。まさに踏んだり蹴ったりそのうえ殴ったり、の体たらくである。   
   
   
基本設計に欠陥のある車体、クラッシュの後遺症で万全とは言いがたいコンディションのワールド・チャンピオン、そして肝心のエンジンも本調子を出せない。そんな中で三度の三位表彰台は、殊勲と言うよりほかないだろう。しかしピケの威光もこの年までだった。ちなみに中嶋悟は、後年のインタビューで100Tについてつぎのように言及している。    
「オレはね、87年より88年のほうが、ほとんどのコースで予選タイムは速かったのよ。だからオレはアクティヴ・サスのロータス99Tより、100Tのほうがいい車だと思って乗っていたのよ。なぜロータス100Tが悪い車と言われたかというとね、それはピケが言ったんだよ。ピケは87年はウィリアムズに乗っていた。で、ロータスに乗ったら全部のコースでタイムが悪い。だからウィリアムズよりは悪かったんだろうね。(後略)」 (「F1ヒューマン・サーキット」赤井邦彦、扶桑社)    
もし100Tに人の心というものがあれば、この歴戦の日本人ドライバーの言葉は100Tにとっての唯一の救いであっただろう。    
   
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最後に、模型の箱絵を真似たアングルでのショットを載せる。タミヤはこの年、1/12のビッグスケールモデル・シリーズとして100Tの図面を引いていたというが、タミヤ製の100Tの模型が発売されることはついになかった (WAVEから発売されていた1/24のレジンキットがおそらく唯一の標準スケール・キットである)。もし100Tがピケと中嶋を乗せて期待に違わぬ活躍をしていたら、あの模型は発売されていたのだろうか。

2013年12月27日 (金)

1987年のエンデュランス号 ~ロータス99T・ホンダ~

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前の記事でも書いたが、1987年というのは日本におけるF1文化にとって転換点となった年であった。この年からホンダのニチーム同時供給やF1日本グランプリの開催、さらには全戦TV中継がはじまり、そして何より日本人初のフルタイム契約ドライバーとしてロータスから中嶋悟が出走したことで、日本人にとってのF1はひじょうに身近なものになったのである。その中嶋悟がデビューイヤーを共に戦ったのが、このロータス99Tだった。そのおかげで、キャメル・イエローのロータスはいまでも日本のファンにとって思い出深い車となっている。   
   
   
   
DSC_01251987年の中嶋悟の戦いの克明な記録として、海老沢泰久の「F1走る魂」があげられる。この本は1987年のホンダ・エンジン勢、すなわちウィリアムズ・ホンダとロータス・ホンダの一年間の戦いを、この年からF1にステップアップした中嶋悟を中心に描いた著作で、同氏の「F1モノ」としては前作「F1地上の夢」に続くものになる。著者はこの年、F1全戦に帯同しホンダ・エンジンと中嶋悟の歩んだ道をつぶさに書き記した。F1一年生だった中嶋の挑戦や苦悩がいきいきと活写されている良著だ。    
   
   
   
ロータス99Tは、デザイン的にはジェラール・ドゥカルージュがデザイナーとしてチームに加入した1983年の94Tから続くデザイン・コンセプトの延長線上にある車だ。丸みを帯びたフロントノーズやサイドポッド、前期型の小ぶりなリヤウィング翼端板、曲面で構成されたボディカウルなど、主要な特徴はすべて引き継がれている。このモデルはシーズン中盤のイギリスGP~ハンガリーGPにかけて段階的に投入された改良型エアロパーツをすべて装着した、シーズン終盤の日本GP仕様である。延長されたノーズや大型化された前後ウィングの翼端板、よりスリムにされたカウルライン、リヤウィング支持方法の変更 (メインエレメント・マウントからサブエレメント・マウントへ) など、主に空力的な改良が施され、開幕戦のものとはずいぶん表情が違っている。また、ロータス肝いりのアクティヴ・サスペンションをF1カーとしてはじめて全戦実戦投入したことでも有名な車だが、周知の通り信頼性や操縦性の問題が最後まで解決できず、またアクティヴ・サスペンション開発作業の割を食う形でほかの部分のリファインが遅れ、結果的にいまひとつ一流マシンになりきれず終ってしまった。アイデアは良かったが技術的に時期尚早だったということだろう。    
   
中嶋悟はこの年のF1グランプリ全16戦に参戦し、うち四戦での入賞 (サンマリノGP六位、ベルギーGP五位、イギリスGP四位、日本GP六位) で合計7ポイントを獲得し、ドライバーズランキングは十位であった。セカンドドライバー待遇だったことや、車の信頼性を考えれば上出来ともいえる。チームメイトがあのアイルトン・セナでなかったらもう少し比較のしようもあったと思うのだが…。この7ポイントという数字は彼のキャリアベストである。この後中嶋はなかなか車や体制に恵まれず、体力的な衰えもあり (デビュー時で三十四歳というのは近代F1史上ではなかなか珍しい部類である)、期待されながら一度も表彰台に乗ることなく1991年にF1を去った。    
   
「エンデュランス号漂流」という本がある。海洋冒険物語とでも言えばいいのか、1914年から1915年にかけて、南極大陸の横断を試みて砕氷船エンデュランス号で氷の海に乗り出したサー・アーネスト・シャクルトン率いる探検隊が途中で難破し、徒歩や犬ぞり、急造ボートなどであっちこっちをさまよいながら、500日以上漂流した末に全員が生還するという大冒険の物語である (もちろん実話)。彼らは南極大陸の横断という、当時誰も達成したことがなく、また試みもされなかった偉業 (南極点の到達はすでに達成されていたが、南極大陸の横断が達成されるのはじつに二度の世界大戦ののち、1959年のことであった) に敢然挑戦し、期待された結果を何一つとしてあげることは出来なかった。しかし彼らはけっきょく、当初目的よりもはるかに偉大な事績を後の世に残していくことになった。中嶋も、当初期待されたほどのリザルトをあげることは叶わなかったが、彼が日本のレース界に残した功績はもっとずっと大きかった、というのは言い過ぎだろうか。    
   
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型紙はMETMANIA-FAN製のもので、同サイトで無料ダウンロード出来る。例によってディテールの描き込みも徹底しており、前作マーチ871と違って理不尽なパーツ割りや合いの悪さも特には無い。M-FAN製型紙の通例で部品密度が高いので切り出しには苦労するが…。製作難易度も全体的に高く、初心者が手を出すのはちょっとおすすめできない。型紙内にヘルメットパーツが付属しているが、厚手の紙に印刷してあるので組み立ては難しい。素直にヘルメットパーツだけ薄手の紙に刷っておくのがいい (普通のコピー用紙で十分)。   
   
   
   
   
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この角度から見ると、ノンスケールのデフォルメキットながらじつに巧く特徴を掴んでいるのがわかる。強いて言えばノーズ先端がやや長すぎるような気がするが、指摘するとしたらそれぐらいだ。雰囲気としては佳作の部類に入る。   
   
   
   
   
   
   
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小パーツ類もなかなかの再現度である。このピトー管はフロントサスのハウジング部分に左右一本ずつ立っているが、おそらくこれは速度計測用ではなく、アクティヴ・サスペンション制御のためのものと思われる。この年のアクティヴ・サスペンションは徹頭徹尾トラブルの連続で、オイル漏れなど日常茶飯事、ブラジルGPのフリー走行では走行中に圧が抜けて、シャシーが底づきしたまま時速200キロでバリアに突っ込んだりもしていた。いやはやとんでもないメカだが、ドゥカルージュは周囲の「アクティヴ・サスペンションが物になるまではノーマル車で走ってはどうか」とのアドバイスを固辞したという。彼なりのプライドだったのだろうか。   
   
   
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ロールバー脇の箱状の物体が車載カメラである。この当時車載カメラは各チームが持ち回りで付けていて、87年はロータスの番では無かったのだが、ピーター・ウォーが契約金目当てで勝手に引き受けてしまい (ロータスはキャメルからの潤沢な資金のほとんどをアクティヴ・サスペンションの開発やセナ、ピケといったドライバーのギャラに消費していた)、中嶋は思うように走らない車に加えてカメラそのものの15kg近いウェイト・ハンデや空力面でのハンデと戦わなければならなかった。ホンダ側は「われわれはTVサービスなんかのために中嶋を乗せたんじゃない」と激怒していたという。当たり前である。   
   
   
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リヤウィングは後半戦になって翼端板が大型化され、また支持方式の変更によってメインエレメント下部がクリアになったことでダウンフォース効率が上昇した。このリヤウィング形状そのものは翌年の100Tにもおおむね引き継がれている。大きな一本の円弧を描くディフューザー断面が特徴的だ。   
   
   
   
   
   
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同じ87年のマーチ871と。500馬力が精々のDFZと1000馬力を余裕で出せるホンダ・ターボでは勝負にもならないはずなのだが、モナコやデトロイト、ヘレスといった低速コーナーの続くコースでは、それまで300馬力程度のF2マシンに慣れ親しんでいた中嶋は1000馬力のターボチャージャー付きエンジンの挙動を扱いかね、特に予選ではしばしばNAエンジン車に遅れを取った。ストレートでは大パワーを利して追いついても、コーナーであっというまに離されるというもどかしい展開だったという。   
   
   
   
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500馬力のNAエンジンを積むマーチと、ターボ・パワーに頼ったセッティングが出来るロータス。全体的にボリューミーなロータスに比べると、F3000ベースのマーチはなんだかアバラの浮いたガリガリの野犬にも見える。ひどい言い草だが、ぼくはそういう尖った戦闘機械のような雰囲気の車が大好きである。ひとことでいえば99Tは「優雅」、871は「獰猛」だろうか。   
   
   
   
   
   
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中嶋悟が引退した1991年に、彼の引退を記念したその名も「SATORU NAKAJIMA」なる音楽CDが発売されている。この翌年、1988年から中嶋の個人スポンサーとしてロータス (のちにティレル) を援助したEPSONのCMソング (すべて矢萩渉の作品) を集めたアルバムなのだが、中嶋悟のトークも収録されていて、彼がみずからのレース経験や、F1デビューを果たした頃の意気込みを述懐するのをきくことが出来る。おそらく絶版品だが動画サイトで音源を試聴出来る。   
   
   
   
   
CDは語り~音楽~語り~音楽~…という順で収録されているのだが、91年日本GP前に放送された中嶋悟の引退特番のテーマ曲「静かなる朝」のあとに、「親愛なる中嶋悟へ」と題してつぎのような中嶋のモノローグが入る。そして最後の一曲「楽園の君に」へと続くのだが、この一連の流れがじつに美しい。実際はそんなことは無いはずなのだが、まさに去りゆく中嶋のために作られた曲といった趣である。中嶋はこう語っている。    
「ぼくとしてはもうF1に、とにかくすべての自分の労力を傾けてこの場所を掴んで、その中でどうしたら自分の弱い部分をカバーできるか、チームを選ぶにしてもエンジンを選ぶにしても、いろんなものを自分に有利になるようにして、自分としても出来うる限りのすべてのことをして、たとえば五年間戦って、もう自分にカードがないところでしょう。この…なんというか、これが挫折ですね。だから山で喩えれば、頂上には登れなかった。ただし、今自分でいちばん自分自身にこう、まぁ許してやるとすれば、その努力だけは、ほかのドライバーのも劣ってなかったんじゃないか、そんな気はしますね。自動車レースでのあの緊張というか、あの刺激はやっぱり、ぼくのこのさきの生活でほかのことをやって、それがあるのか無いのかっていうのが不安なのと、逆に意外に強いヤツだから、またその刺激を何らかのほかの分野でも見つけ出すんじゃないかっていう新たな期待が、ぼくの頭のなかで巡ってますね。…やっぱり、寂しいですね。もし生まれ変わることができたら…ワールドチャンピオンに、なりたいな」    
日本でレースをしているだけの生活に飽きたらず、新たな挑戦を求めてF1に踏み出し、そして自らの戦歴を完結させた男の、五年間の総決算である。

2013年12月16日 (月)

2013年F1シーズン総括

執筆が遅れてしまったが、2013年のF1シーズンもさる11月末日にすべてのグランプリを終了、セバスチャン・ベッテルの四連覇という形で幕を閉じた。中盤ピレリタイヤのバースト事故多発を受けてコンパウンド仕様が前年型に戻されてしまい、そのせいでチャンピオンが早々に決定するという選手権的には面白くないシーズンだったが、むろんチャンピオンだけがレースをしているのではなく、今季も12のチーム、24のドライバーがそれぞれ知力と体力の限りを尽くして戦ったシーズンであったといえるだろう。来年はマシンのレギュレーションのみならず、ドライバーの移籍市場も活性化することが予見される (すでに決まっている分だけでも、シートがかなりシャッフルされているのがわかる) が、ここで2013年一年間の戦いを10点満点で採点したく思う。採点基準などは完全に筆者の独断であり、すべての採点やコメントの責任はぼくにある。では見てみよう。

レッドブル・ルノー 9/10 (Sベッテル 9/10、Mウェバー 7/10)
四年連続ワールドチャンピオンとなったベッテルを擁し、もはやF1選手権を欲するままに操っていると言っても過言ではない。もう圧倒的すぎてコメントのしようも無いのである。前半戦ではタイヤを作動温度にうまくもっていけず苦戦気味だったが、イギリスGP以降タイヤが前年型に戻されてからは、昨年同様ワンサイドゲームとなった。前半に苦戦して後半で追い上げる展開も昨年と同じ具合だ。10点満点を付けなかったのはひとえにぼくの個人的な怨恨によるものである。ウェバーはこの年限りで引退し、スポーツカーレースに新天地を見出すこととなった。露骨なベッテル優先のチームの中で、何年も「その気になれば勝てる」位置にいたことが、この陰の実力者をよく体現しているだろう。いかつい風貌だが憎めない苦労人であった。

メルセデスGP 7/10 (Nロスベルグ 8/10、Lハミルトン 7/10)
続投のロスベルグと、マクラーレンから移籍のハミルトンを引き連れ、コンストラクターズ・ランキング堂々二位を獲得した今シーズン、まさにメルセデスにとっては「当たり年」であった。予選のインパクトでハミルトン、決勝の走りでロスベルグ、といいたいところだがチーム的にはハミルトンがファーストドライバー扱いということらしい。資金的にもしっかりしており、来季への展望に不安要素は少ないと見ていいだろう。相変わらずTVには映してもらえないようだが。

フェラーリ 4/10 (Fアロンソ 8/10、Fマッサ 7/10)
前年最終盤までチャンピオン争いに踏みとどまっていたので、今季は開発で苦労するかもしれないというのはある程度予期していたが、それにしても今季はたった二勝、予選ではフロントロウも取れないという苦戦ぶりである。序盤こそそれなりの勝負をしてはいたが、昨年同様中盤から開発が息切れしはじめ、さらにタイヤ変更でレッドブルが逃げ続けたこともあって置いて行かれる一方の展開となった。ここまで不甲斐ない戦いをしていては、並のチームではもう荷物をまとめる覚悟をするしかないのだが…。来年はマッサにかえてライコネンがやってくるが、トップドライバーをふたり揃えてチームがうまくやれるのかも心配である。

ロータス・ルノー 7/10 (Kライコネン 8/10、Rグロージャン 7/10)
フェラーリ、マクラーレンがともに不振をかこった今シーズン、トップチームに常に追いすがり、最終的にマクラーレンより上の順位で選手権を終えることができたのは上出来といえるだろう。グロージャンは去年の叩かれぶりがウソのような急成長で、ライコネンなきあとのチームの牽引役もしっかり務まるのではないかと思う。ただライコネンの発言ではチームから彼には一銭のサラリーも支払われていないとされ、ある意味とても不健全な状態にある現在のF1でプライベートチームが生き残っていく苦労を偲ばせる。来季はマルドナドが移籍してくるので多少金銭的な負担は軽減されるかとおもいきや、ベネズエラの国情に暗雲が立ち込めており大規模な支援の先行きが怪しいという。金銭的な意味でのこのチームの受難はもうしばらく続きそうな気がする。

マクラーレン・メルセデス 5/10 (Jバトン 6/10、Sペレス 5/10)
こちらも苦難のシーズンを送った名門チーム。今季は一度も表彰台に登ること無く終ったが (いちおう最終戦でバトンが四位フィニッシュしてはいる)、最後にチームが表彰台を逸したシーズンが1980年というからその苦難ぶりがわかろうというものだ。今年の選手権争いから早々に脱落した分来年にリソースをさけていればいいのだが…。堅実な走りのバトンはもとより、活きの良さが売りのペレスも本領を発揮できないレースが続いた印象で、この分では来年が心配と言わざるをえない。2015年からホンダエンジンを積むことが決まっているのだが、ホンダが選ぶチームを間違えていないことを祈るばかりである。

フォースインディア・メルセデス 7/10 (Pレスタ 6/10、Aスーティル6/10)
序盤でそこそこ高評価だったが、タイヤ変更と相前後してチームが今季マシンの開発の終了を発表、それからはもう坂を転げ落ちるような凋落ぶりだった。ライバルのサウバーが後半になって復調してきたことで余計に不振が目立ったかもしれない。スーティル、レスタともなかなかの実力者のはずだが、スーティルはレスタに負け越すし、レスタはレスタでシートがなくなってしまうというお粗末ぶりだった。ようするに存在感が無かったということではなかろうか。思えばシーズン開始前は金銭面で深刻なトラブルに面している、などと報じられていたのだから、この成績でも満足すべきなのかもしれない。

サウバー・フェラーリ 6/10 (Nヒュルケンバーグ 8/10、Eグティエレス 7/10)
昨年の実力者コンビがふたりとも離脱、ラインナップを一新した今シーズンは前半こそ苦労が続いたが後半になって印象的な復活を遂げた。昨年型のC31がタイヤ周りを考えぬいた設計で、タイヤが昨年仕様に戻されたことが有利に働いたともいえるが、マット・モリスが5月頃に雑誌かどこかで「もう少したてばアップデートの効果が出るはず」と言っていたので、もとから進めていた開発の恩恵もあったかもしれない。グティエレスはボッタスと並んで、今年の新人勢の中では恵まれたポジションにいたと言える。本人も初入賞にファステスト・ラップと、ルーキーテストをパスする程度の活躍は見せているので、来季も残留の資格はじゅうぶんあると思う。しかしプライベートチームゆえ財政状況は深刻で、秋ごろに一度ロシアの投資グループと話がまとまったらしいがそれ以降ポジティヴな話題はきかれないなど、現在破綻に最も近いチームといえなくもない。ロータスやサウバーのような実力者でこの体たらくなのだから、今のF1はもうおかしいとしかいいようがない。

STR・フェラーリ 7/10 (Dリカルド 8/10、Jベルニュ 6/10)
予選でリカルドがたびたび活躍を見せながら、結果的に大していいところなく終ってしまったという印象である。サウバーからジェームズ・キーが移籍してきて設計面が増強されることになっているが、来季は実力者のリカルドがレッドブルに移籍するため、ベルニュと新人クビアトといういささか頼りないメンバーでやりくりすることになるのが不安要素か。リカルドはレッドブル抜擢も納得できるリザルトだが、ベルニュのほうはあまり目立ったレースが思い出せず、このままではレッドブルから切られる可能性も無いとは言い切れないかもしれない。

ウィリアムズ・ルノー 5/10 (Pマルドナド 6/10、Vボッタス7/10)
優勝まで果たした昨年から大暗転のシーズンとなってしまったウィリアムズ。ハンガリーGPでマルドナドが1点、アメリカGPでボッタスが4点持ち帰り、なんとかノーポイントで終る最悪のシナリオは防げたが、下にはマルッシャとケーターハムがいるだけという悲惨な状況に変わりはない。ボッタスは (いちおう) GP優勝経験のあるマルドナドを相手に、完全にパフォーマンスで上回った辺り、大型新人の片鱗を見せている。来年はメルセデスエンジン搭載やマッサの加入などがあるが、長期的な不振をかこっているこのチームにどこまで躍進を保証してくれるやら、まったく未知数である。

マルッシャ・コスワース 4/10 (Jビアンキ 6/10、Mチルトン 4/10)
例によってノーポイントながら、最高位 (マレーシアGP、ビアンキの13位) でケーターハムを上回りランキング最下位をきわどく回避した。これで資金的にも多少は助かったに違いない。ビアンキはほかにもテールエンダーながら今シーズン全戦完走というささやかな偉業 (全戦完走「扱い」ならマクラーレンの二台も加わる) を達成するなど、実力的にじゅうぶんというところだろう。チルトンは残念ながら存在感もなく終ってしまったが、このチームに存在感を求めることはまぁ無粋だろう。

ケーターハム・ルノー 2/10 (Cピック 3/10、Gガルデ 4/10)
みごとコンストラクターズランキング最下位の貧乏くじを引いたチーム。特にピックはマルッシャ、ケーターハムの四人の中で唯一Q1突破が一度も無く、低迷ぶりは目を覆わんばかりだ。予選のパフォーマンスではガルデの頑張りのおかげでマルッシャを上回っていたような印象があるのだが…。資金的な心配はマルッシャほどではなさそうなのだが、あまりその資金が何かに役だっている様子は無い。

2013年12月10日 (火)

F1規約の変更

12月9日の会議において、F1の規約変更に関する話し合いが持たれ、その席上でふたつの大きな変更がなされることが確認されたという。「ドライバー固定番号制」と「最終戦ダブルポイント制」である。いずれも、F1の根幹に関わる部分に触れておきながら、じつに的を射そこねた「悪法」であるとぼくは思う。前者は考えようによっては本質ではない、いわば枝葉末節の部分かも知れないが、後者は特に必要性がまったく感じられないものである。いずれの決定も、ここ最近「面白くなくなった」と叫ばれることの多いF1を必死にショーアップしようという努力は感じ取れる。しかしそれだけである。100メートルを8秒で走れても、ゴールと真逆の方向に走って行ってしまったら意味はないのだ。

F1において、車両ごとのカーナンバーが固定されたのは1973年5月のベルギーグランプリ以降のことで、こう書くと比較的最近のことのようにも思える。それ以降1996年まで、1と2以外のカーナンバーはこの73年5月時点でのナンバーをもとにして制定され、ここから有名な「ティレルの3と4」などが生まれた (神格化されているフェラーリの27と28が生れたのは1981年のことで、それ以前は11と12が主なナンバーだった。80年にシェクターが1を付けたことと90年にプロストが加入して1を持ち込んだ以外、フェラーリは1995年までこの番号を通し続けていた)。1996年に規約が改正され、3番以降のカーナンバーは前年のコンストラクター選手権順位にそって振り分けられることになり、以来今日までこのシステムは続いている。73年5月から95年最終戦までのカーナンバーシステムは、いわば「チームごとの固定番号」ということが出来る。73年にカーナンバーを固定化した際、あえてドライバーごとではなくチームごとに番号を与えた事実に注目する必要があるだろう。F1グランプリは、その起源をたどってみると、「メーカーやチームが用意した車に、探してきたドライバーを乗せて走らせる」という競技であった。まず車ありき、なのである。だから、ドライバーが何人かわってもティレルはカーナンバーは3と4のままで20年を過ごしてきたのだ。

ここへ来ていきなりドライバーに番号を付ける方向性に走った理由は容易に想像できる。ドライバーたちからの「もっとドライバー主体の戦いを見せたい」という意見、またファンからの「もっとドライバーの戦いが見たい」という意見に迎合してのことであろう。それに迎合すること自体はわるいことではないが、今まで車につけていた番号をはがしてドライバーに付けたからといって、それでどうにかなるような安上がりな問題ではないことはぼくにもわかる。むしろ無用の混乱を招くだけで終るのではないだろうか。ドライバーごとに番号を振るスポーツの代表として二輪のグランプリがある。ロッシの46やヘイデンの69などの有名どころは、あまり二輪レースを見ないぼくでも知っているが、もしF1がMotoGPを目指しますよ、というのであれば、ぼくとしては「はいそうですか」とでも言うしかないだろう。見る側が慣れてくれ、と言われたらそれまでな問題である。しかしF1はなんといっても四輪レースの最高峰としての格式があり、ぼくとしてはそれが崩れるのを見るのは本意ではない。これ以上、F1が二輪レースやアメリカのインディカーなどに軽々しく追従して、その格式をみずから揺るがすようなことはしてほしくないのである。

そして「最終戦でのダブルポイント」、文字通り最終戦に限り獲得ポイントを二倍とし、優勝なら50ポイント、二位に36ポイント、…といった具合である。これまでF1はさんざんバカげた規則変更をやってきたが、ここまでのものはぼくも久々にお目にかかる。F1をクイズ番組か何かと間違えていないだろうか。2014年の最終戦はアブダビGPということになっているが (暫定カレンダー)、あの心底退屈でうんざりするサーキットの一勝がシルバーストーンやスパ、ニュルブルグリンクやモンツァといった伝統のあるサーキットの二倍の価値を持つことになるのである。そもそも、「最終戦に限ってポイントを二倍与える」という考え方自体がどこかズレているように思えてならない。たしかネルソン・ピケだったと思うが、「F1チャンピオンというのは十六のレースの積み重ねの結果であって、今日落とした一レースのためにチャンピオンシップが左右されるという考え方はまちがっている」(大意としてはこんな感じだった。出典を忘れてしまったので詳細な台詞は確認のしようがない。ピケだとしたら86年オーストラリアGP後の発言だろう) という言葉が残っている。レースが十六あるなら、その十六のレースはみなひとしく価値を持つべきであり、それでこそ競技として成り立つ、という考え方である (といっても先例が無いわけではなく、たとえば80年代の一時期、世界耐久選手権にル・マン24時間が組み込まれていた頃にはこれに二倍のポイントが割り当てられていた。しかしル・マンはレース距離やその特殊性、象徴性からしても特別扱いされてしかるべきレースであり、F1でいえばモナコGPやフランスGPといった位置づけである)。

そもそも、競技を活性化してスポンサーや観客を呼び込みたいという魂胆があるなら、ポイント制度やらカーナンバーやらの上辺ばかり撫でていないで、もっと基礎的なところから始めるべきである。もちろんFIAとてバカの集まりではなかろうし、今まで彼らはそれなりに打てる手を打ってきた、あるいは打とうとしてきたのであろう。しかしその結果が現状であるというなら、FIAは結果としてなにひとつ有効な手立てを講じてこなかったということになる。FIAの怠慢と言われても仕方がない。

この会議の席上で、2015年からのコスト制限案の導入について合意に達したというが、これだって予定通り施行されるかどうかはなはだ疑わしい。チームに金が無いということは、とりもなおさず銀行家や投資家や実業家らスポンサーにとって、F1が投資対象としての魅力をすっかり失ってしまっているということである。スポーツというのは普通、そういった人心にうったえる魅力に満ちあふれているはずのもので、F1であればドライバー同士、マシン同士のエネルギッシュな勝負や観客の熱気、サーキットの荘厳ながら華やかな雰囲気といったものがそれに当たる。いずれも、つい最近までF1の世界ではどこにでも見られたものである。しかし今や、ドライバーは一部のトップ陣を除いてまるで陸揚げされたマグロか教習所から昨日出てきた若造のような走りしかしなくなり、マシンを見ればいつまでたっても先頭を走る青い車に誰も追いつけず、サーキットとなると伝統はおろか自動車レースを本当に理解しているのかもわからないようなくだらない三流国での冷めたレースばかり見せられるのが現状である。これでは金が入ってくるはずがない。

何事もやってみなければわからないというし、今回の規約改訂ももしかするとプラスの方向に働く可能性はある。しかしF1は今や確実に変質してきており、昔日の熱狂はすでに見られない。巨大なマネービジネスと化したF1は今後、どういった方向へ向かうのだろうか。現状のままでは、方向を見失ってうろうろ徘徊しているだけだと思うのだが。

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