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2015年6月

2015年6月 2日 (火)

ポルシェ962C・終りのクロニクル 「1990・下」

ポルシェ962Cは、その先代である956同様アルミの板材を組み合わせてつくった単純なモノコック構造を有する、ごく基本的なつくりのレーシングカーであった。この構造は956の開発がおこなわれた1981年末から1982年頃には一般的なものであったが、956のモノコックはすでにそのテスト段階から強度不足の兆候を示しはじめていた。1982年初頭までに複数回おこなわれた走行テストにおいて、はやくもアルミ・モノコックが走行中にひずみや歪みを生じることが確認されたのである。この現象は962Cでより深刻化した。もともと962Cは956にくらべてホイールベースが伸びており、エンジンがより後方に下がったため重量配分がリヤ寄りになって、前輪の接地荷重が不足気味だった。そのうえ時代が下るとともに、技術の進歩や開発努力によってエンジン・パワーが際限なく上昇し、またサスペンションやタイヤの性能向上によってより高い速度でコーナーをまわることが可能になった結果、モノコックにかかる負荷は想定を超えたものになっていった。その結果はコーナリング性能の悪化という形になってあらわれ、962Cはデビュー直後から悪性のアンダーステア症状に悩まされるようになった。応急的な対策として、1989年には短距離レース用の車を改造してオイル・クーラーを車体前部に移設し、フロント・タイヤに荷重をかけてコーナリング性能を改善する手段が取られた。この改造は一応効果を示したが、モノコックそのものを改造したわけではなかったため問題の根本的な解決にはならなかった。モノコック自体を作り直すには多大な時間と資金と人員が必要だったが、この頃ポルシェはそのいずれも持っていなかった。   
   
このような状況を打開すべく、80年代の終りごろから一部のプライベート・チームが962Cに独自の改造をほどこしはじめた。改造範囲は主にアキレス腱であったモノコック剛性にかかわる部分であったが、なかでもとりわけ大規模な改造がほどこされ、半ばオリジナル・カーのような様相を呈したものもあった。    
   
9011日本の服飾メーカーである伊太利屋のスポンサー・カラーが目を引くが、ポルシェのエンブレムがついていること以外に、この車をポルシェであると判断する外見的材料はまったく見当たらない。しかしこの車はれっきとした962Cである。いわゆる「962C改」として代表的な存在が、リチャード・ロイド・レーシング (RLR) が製作した通称「962GTi」とよばれる派生型であり、写真は1990年ル・マンに出場したシャシー・ナンバー962GTi-201の車である。マニュエル・ロイター/ジェームス・ウィーヴァー/JJレートが操縦し予選で十三位を獲得したが、レースでは深夜過ぎにピットで火災を起こしてリタイヤしている。    
   
この車は通常のアルミ材ではなく、二枚の板材のあいだに蜂の巣状に成形された強度部材を挟んだアルミ・ハニカムでモノコックをつくり直してあった。ハニカム材は通常の板材にくらべて強度にすぐれるため、これによってモノコック全体の剛性が改善されたのである。リチャード・ロイドが設立したGTiエンジニアリング (1985年にリチャード・ロイド・レーシングへ改名。当初リチャード・ロイドがVW・ゴルフGTiで英国サルーンカー選手権に出場していたことと、それに並行してVW/アウディ車の販売・改造を行っていたことからこの名がつけられた) は1983年に956が市販されはじめたときに、真っ先にこれを購入したプライベート・チームのうちのひとつであったが、彼らは956の弱点がモノコックにあることをはやくから見抜いていた。ハニカム材でモノコックをつくりかえる手法はこの時期に考案されたもので、1984年から投入されたハニカム・モノコックの改造車である「956GTi」はしばしばワークス・カーをもおびやかす速さを示したため注目された。RLRはちいさなチームであり、このハニカム製モノコックを生産・販売する能力はなく、またそのつもりもなかった。かわりにジョン・トンプソンひきいるイギリスのモノコック製造メーカーであるTCプロトタイプ社が、962C用にこのRLR製モノコックを簡略化した市販版を製作し、一部チームに供給した。    
   
RLRが956にかえて962Cを導入したのは1987年であったが、この車もやはりモノコックがハニカム製のものに置き換えられていた。956GTiは外見的には通常の956とほとんど変わらなかったが、962GTiは空力特性の改善のためカウルのデザインにも手が加えられ、オリジナルの962Cとはまったく違う曲線的なボディ・カウルをかぶせられ、リヤウィングもいち早く独立式のものを採用した。またアンダーステア対策のためフロント・サスペンションが全面的に作りなおされるなど、随所に先進的な設計が見られた意欲作であった。当初この改造は一定の効果を発揮し、962GTiはポルシェ勢の中ではつねに上位に位置していた。しかし1989年後半になってくると、メーカー・ワークスの豊富な資金にあかした大規模な開発についていけなくなり、1990年にはその頽勢は決定的なものとなった。リチャード・ロイド・レーシングはこの年を最後に、コストの高騰を理由にスポーツカー・レースから撤退した。    
   
9013ボディより一段高い位置にとりつけられたハイダウンフォース仕様のリヤウィングと、リヤタイヤを覆うボディ一体式のカバーが目を引く。このようなタイヤ・カバーは1989年以前のル・マン用スポーツカーで、主にタイヤの回転によって発生する空気抵抗を解消するために使用された。抵抗削減のほか、ボディ外側を流れる空気がホイールの開口部から床下へ巻き込むのを防ぐことにも効果があり、床下で発生するダウンフォース効果を向上させることができたが、タイヤやブレーキがつねに過熱気味になるという副作用があり、またタイヤ・バースト時の安全性への懸念、さらにサルテ・サーキットの長い直線区間がシケインによって分断され、最高速の伸びが以前ほど重視されなくなったことから、グループC以降はほぼ廃れた。実際、この43号車は夜明け前に後輪がバーストする事故を起こしたが、カバーのせいでタイヤの破片がボディの外側ではなく内側へ飛散し、その際に何かの配管を傷つけて車体後部から出火、そのままピットへ入ってきたためにピット施設に引火して大規模な火災を引き起こしている。    
   
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1989年ル・マン仕様の962GTi。このときは日本たばこのブランドであるキャビンが活動を支援し、車体が同ブランドのイメージカラーである赤に塗られた。上の写真と見比べると、長いストレートに対応してリヤウィングがボディとほぼ同じ高さにとりつけられたロードラッグ仕様であることがわかる。   
   
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同じ車をフロントから見た写真。ブレーキ冷却用ダクトが前端部に位置していること、ヘッドライト内部の配置が異なることから1990年仕様車と見分けられる。この14号車はシャシー・ナンバー962-200の個体だが、奇しくもこの車もレース中のエンジン火災によってリタイヤしている。   
   
RLRの製作したアルミ・ハニカム製モノコックは、たしかにアルミ板材製のモノコックにくらべて明らかに高い剛性をもっていたが、それはあくまで負荷がある一定の値におさまっている間だけだった。962Cの搭載する水平対向エンジンは構造上モノコックに直接とりつけることができず、車体後部にフレームを組んでその中にエンジンを収め、そのフレームをモノコックに結合するという方法をとらなければならなかった。車体にある程度以上の荷重がかかると、どんなにモノコックそのものの強度を上げても、モノコックとエンジンを結合するフレームの部分が負荷に耐えられずにゆがんでしまうのである。これを解決するにはモノコックの形状を見直すほかなかったが、一介のプライベート・チームであるRLRにはそこまでのことをする資金がなかった。基本設計の限界というほかなかった。    
   
RLRと並んで早くから改造版962Cを走らせていたチームが、ポルシェ系プライベーターの名門クレマー・レーシングであった。彼らは70年代のグループ5カー・レースに、ポルシェのGTカーを独自に改造した車で参戦し活躍した歴史があり、グループC規定施行初年度の1982年には、956導入までの場つなぎとして、グループ6カーである936ベースのオリジナル・カー「CK5」を製作するなど、大規模な改造を得意としていた。クレマーは1986年から前述のトンプソン製ハニカム・モノコックを導入していたが、1988年になると自製ハニカム・モノコックを持ったオリジナル・シャシーの投入に踏み切ったのである。当初製作は引き続きトンプソンに外注され、車名はCK5からの連番で「962CK6」とされた。大半が独自設計であったCK5とちがい、モノコックの設計そのものは962Cと変わらないため「962」の名称は残された。当初ル・マン仕様車はオリジナルのロードラッグ仕様とほぼ同じ外観であったが、1990年にストレートが分断されたことをきっかけに短距離レース/ル・マン兼用の新型ボディ・カウルが設計された。    
   

90071990年のル・マンに参戦した、シャシー・ナンバー962CK6/07-2のハニカム・モノコック車である。1986年からクレマー・レーシングのポルシェでル・マンに出走していた日本人ドライバーの高橋国光と岡田秀樹、南アフリカのサレル・ヴァン・デル・メーヴェの三人が操縦を受け持った。予選は前述のRLR・43号車のすぐ前である十二位だった。レースではスタート四時間後にバッテリーの故障で電圧がゼロになってしまい、一時コース上に立ち往生するトラブルに見舞われた。ヴァン・デル・メーヴェは手先を火傷しながらも破損した電極をコース脇でつなぎ直し、よろよろとピットに戻ってくることができたが、これで10号車は最後尾近い四十位まで後退してしまった。その後彼らはトップ・グループを猛追し、日曜午後までにはなんと十位近辺まで挽回したが、レースが残り三時間弱となったところでこんどはギヤボックス・トラブルが発生した。リスクをとることを避けたチームは車をピット・ガレージに押し込み、フィニッシュ間際になってコースインさせチェッカー・フラッグを受けることを選んだ。四速ギヤが使えない状態の10号車に火を入れ、ヴァン・デル・メーヴェがふたたびコース上の人となったのは、レースが残り二十分弱となった頃であった。10号車の最終結果は二十四位完走であった。
この車もボディカウルはオリジナルだが、曲線的な962GTiに対してこちらは直線基調のデザインが目立つ。独立式リヤウィングやリヤタイヤを覆うカバーなど、全体の設計思想は962GTiと共通点が多い。   

当初クレマーはアルミハニカム・モノコックを使用していたが、もはやハニカム材ですら強度的な優位がないと判断すると、1989年にはレイアウトはそのままに材質を置き換えた自社製のカーボン・ファイバー・モノコックを投入した。カーボン・ファイバー製モノコックはすでに80年代なかばからF1カーでは一般的になっていて、スポーツカーでは1986年のジャガーをかわきりに、この1989年だけでニッサン及びトヨタが、1990年にはサウバーとマツダが採用し、徐々に浸透しつつあった。カーボン・モノコックはすばらしい強度を持っていたが、素材であるカーボン・ファイバーが高価であり、成形にもノウハウが必要であったため、もとよりプライベート・チームが製作するモノコックにはあまり適さなかった。しかしほぼすべてのライバルが性能のすぐれるカーボン・モノコックを投入している以上、同じもので対抗しなければ勝負にならないのはあきらかだった。962CK6は最終的にグループC仕様車が十一台製作されたが、そのうちCK6-02、-03、-04、-05/2、-08の五台がカーボン・モノコック車であったとされる。写真の-07/2は1990年にデリバリーされたトンプソン製モノコックで、素材はアルミ・ハニカムであった。   

9008 オリジナルではほとんど工夫されていなかったボディ側面の空力にも手が加えられた。フロントタイヤハウスの後部は角型に拡げられているが、これはタイヤハウス内で発生した高圧の「空気溜まり」を効果的に排出し、この部分での空気抵抗を削減するためであると思われる。その直後に見える縦長のスリットも、おそらくタイヤハウス内の空気を引き出すためのものであろう。ノーズ前端部は薄く整形され、鳥の喙のように前方へ伸ばされている。

オリジナルのデザインはそのままに材質をカーボン化するアイデアはほかのコンストラクターも持っており、クレマー以外ではチーム・シュパンが1990年から翌1991年にかけて製作した三台のオリジナル・シャシーが、カーボン・ファイバー・モノコックとなっていた。このほか、ブルン・モータースポーツがトンプソン社に発注したアルミ・ハニカム製モノコック (識別のためシャシー・ナンバー末尾に「ブルン・モータースポーツ」を意味するBMが付けられた) はフロント部の構造材がカーボン・ファイバーの板材で補強されていたが、これは性能アップというよりはクラッシュ時にドライバーの脚部を保護するためのものであった。962Cのカーボン製モノコックは、コストの割にはあまり顕著な効果が見られなかったことから、プライベート・チームの間ではあまり採用されなかった。   

 

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外見上、前述の二台の改造962Cよりはだいぶオリジナルに近い見た目をしているが、こちらもオリジナル・モノコックの962Cで、1990年ル・マンに出走したシャシー・ナンバー962-001GS、MOMOゲバルト・レーシングの962Cである。自動車用のドレスアップ・パーツを製作するMOMO社の社長ジャンピエロ・モレッティ、モノコックを制作したゲバルト・モータースポーツの頭領であるギュンター・ゲバルト、そしてゲバルトからスポーツカー・レースにデビューしたニック・アダムスの三人が操縦した。カーナンバーが230と大きいのは、この車がC1クラスではなくGTPクラスでエントリーされていたためである (モデルの車検証ステッカーにはC1クラスと記されているが、おそらく考証ミスと思われる。あるいはレース前になってクラスを変更した可能性があるが、その経緯は明らかでない)。予選ではパワーで大きく劣るはずのマツダにすら六秒も水を開けられ三十五位にとどまり、レースでも中盤過ぎにギヤボックス・トラブルでリタイヤしている。   
   
IMSA-GTP選手権に長く参戦してきたジャンピエロ・モレッティが、みずからのチームであるMOMOコルセで962Cを走らせたのは1988年からであり、このときはブルン・モータースポーツがトンプソンに依頼して製作した、シャシー・ナンバー962-003BMの個体を借りてレースをしていた。翌1989年になると、モレッティはかつてC2クラスのスポーツカーを自作し、その独特な設計思想で注目されていたギュンター・ゲバルトをチームの事実上のテクニカル・ディレクターに据え、ゲバルトに962C用の自社製モノコックを製作させた。これが962-001GSであり、GSは「ゲバルト・スポーツ」の略であろう。残念ながらこのモノコックについての詳細な資料はほとんど見当たらないが、時期的におそらくアルミ板材製もしくはアルミ・ハニカム製であったものと考えられる。    
   

 

9014デザイン上の特徴としては、オリジナルの角型と異なる半円形状に整形されたドア上面の空気取り入れ口形状、クレマー車同様整流のため角型に切り欠かれたフロントタイヤハウス後端、みじかく矩形に裁ち落とされたリヤ・オーバーハングとその先に低くマウントされたロードラッグ仕様の独立式リヤウィング、カウル後端部の半円形の開口部 (オイル・クーラーの導風口か) などがあげられる。フロントはオリジナルの外見的特徴をよくとどめているが、ノーズ前端部がやはりオリジナルにくらべて若干伸ばされ、空力特性の改善を図っている。写真ではル・マン仕様のためリヤウィングが低い位置にとりつけられているが、ハイダウンフォース仕様のウィングの立て付けはブルン・モータースポーツ製962Cに瓜二つである。このことから、この-001GSのモノコックをブルン・モータースポーツ製 (トンプソン製) としている資料も存在する (レーシングオン466号・「ポルシェ962C」特集。書中ではこのシャシーを「-003BM」と混同しているがこれはあやまりで、962-003BMと962-001GSはまったくの別物である。おそらくモレッティが当初962-003BMでレースをしていたことから生じた混乱と思われる。脚注参照)。いずれにせよ-001GSの製作にあたって、チームがそれまで使っていたブルン・モータースポーツのシャシーがなんらかの参考にされた可能性は高い。    
   
1990年という年は、グループCの世界選手権スポーツカー・レースにおいて十年近く維持されてきた基本理念である「燃費耐久競走」の要素がのこっていた最後の年であった。この年以降スポーツカー・レースは政治的な思惑にまみれ、しだいにその原義をわすれ、誰が何のためにやっているのかわからないような、とても世界選手権とは思えないようなレースへと変貌していった。そこにはもはや、古い時代の遺物であったポルシェ962Cの安住の地は見当たらなかった。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いで世界中のスポーツカー・レースを駆け抜けたポルシェ962Cの長い旅は、グループCというカテゴリそのものとともに、その夕暮れを迎えていた。    
   
以下、本記事でとりあげたシャシーのおおまかな履歴を記す。やや長いので格納してある。興味のある方は読んでみて欲しい。    

 

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