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2015年8月28日 (金)

ポルシェ962C・終りのクロニクル 「1991」

1991年、スポーツカー・レースの世界規格であったグループCカテゴリは大規模なレギュレーション改訂を受け、それまでの「使用燃料総量を規制し、エンジン形式や排気量は無制限」から「使用できるエンジンは3.5リッター自然吸気エンジンのみ、使用燃料総量は無制限」という、これまでとはまったく違った規則のもと争われることになった。それまで市販の旧規定スポーツカー (主にポルシェ962Cであった) を購入してレースをしていたプライベート・チームに対する配慮として、1991年の一年間のみ、100kgのハンデ・ウェイトを積むことを条件に、旧規定車も世界選手権レースへの参戦を許されたが、新規定のスポーツカーはF1エンジンと同じ規格のエンジンを搭載することにくわえて、最低車重もそれまでより100kg以上軽い750kgまで引き下げられることが決まっており、旧規定車の戦闘力はないも同然であった。このような状況を鑑み、前年までポルシェ・ワークスに準ずる体制でル・マン24時間レースならびに世界選手権レースに参戦していたヨースト・レーシングは、1991年のスポーツカー世界選手権 (SWC) には参加しなかった。かわりに彼らは、毎年ごとにレギュレーションの調整によって戦力の均衡化を図っており、排気量や過給器の個数によって最低車重がこまかく決められていたアメリカのIMSA-GTPレースに新天地を求めた。この頃になると北米のレースでも豊富な資金力と開発能力をバックにしたニッサンやジャガーといったライバルが台頭してきていたが、欧州とちがって北米ではいまだポルシェにも勝つチャンスはあった。   
   
9106

 

1991年IMSA-GTP選手権開幕戦、伝統のデイトナ24時間レースに、ヨースト・レーシングは二台のポルシェ962C (カーナンバー6: シャシーナンバー962-145、カーナンバー7: シャシーナンバー962-129) を送り込んだ。このレースで、結果的にポルシェ962Cにとって最後の長距離耐久レースにおける勝利を飾ったのが、写真のヨースト・レーシングNr.7である。ジョン・ウィンター/フランク・イェリンスキ/アンリ・ペスカローロ/ハーレイ・ヘイウッドが操縦を受け持ったが、レース途中でリタイヤしたNr.6のドライバーであったボブ・ウォレックがその後一時的に乗り組んだため、最終的には五人のドライバーが操縦した。   
   
9107

 

スパークモデル製、型番S0950の1/43レジンモデルで、1991年デイトナ24時間レースに参戦し優勝したNr.7のポルシェ962Cを再現してある (同レースの僚艦、Nr.6を再現した完成品モデルはいまのところ存在しないと思われる)。スパーク製品の中でもかなり初期の金型であることが型番からわかる。そのため細部の仕上げはやや良くなく、この個体ではフロント部の緑色のデカールにシワが寄っていたこと、リヤウィングの接着不良のため微妙に右に傾いていたこと、ヘッドライトカバーが浮いていたことが目についた。ボディ形状としては、以前の記事で紹介した、WSPC仕様のセカンド・スペックに準拠している。この「ロングノーズ・独立リヤウィング」のスタイルは、WSPC末期~IMSA-GTP参戦期の962Cのスタンダードであった。ノーズを延長することで空力特性を改善するとともに、全長を規定値におさめるためにリヤウィングを前進させることで、車全体の空力中心点を前進させ、前輪に荷重をかけてアンダーステア症状を軽減するねらいがあったと思われる。   
   
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すでにオリジナルの962Cの流れるようなラインはうしなわれ、独立式リヤウィングによってより攻撃的な印象を与えている。リヤウィングは二枚エレメントのものが装着され、ヘッドライト横には小型ながらダイブ・プレーンが取り付けられるなど、比較的ダウンフォース量を意識したセットアップになっている。後輪のブレーキ・ダクトはNACAダクトに角型のシュノーケルを組み合わせた、1989年のワークス・カーに準拠する仕様となっている。後述のル・マン仕様と見比べられたい。   
   
9108翼端板はル・マン仕様とは違い、小型で矩形のものが装着されている。支持方式などは基本的に1989年の時点からほとんど変更されていない。ホイールはスピードライン社製の六本スポーク・タイプである。   
   
9110若干手ブレ写真で申し訳ない。正面から見るとわかるが、ドライバーからみて右側のライトレンズが黄色、左側が白色と、左右でヘッドライトの色が違っている。初夏におこなわれるル・マンと違い、二月のフロリダは気温が低く、雨や霧が発生しやすいため、雨中・霧中における視認性にすぐれる黄色のレンズを採用したものと思われる (白色の光線は遠くまで照射できるが、雨滴や霧の水分に反射して視認性が悪化するのに対し、黄色の光線は遠くまで届かない反面これらに反射されないため視認性を損なわないのである。自動車用の霧灯が黄色に着色されている理由である)。片側二灯あるのだから、片方を白色・片方を黄色にして左右のバランスをとったほうが良いように思えるが、このように片側ずつ色を分けた理由は定かではない。誰かはっきりした理由を知っている方はぜひご教示願いたい。   
   
1991年のデイトナ24時間レースは、ヨースト・レーシングのNr.6がポール・ポジションを獲得するという、ポルシェにとって幸先のよい戦況にはじまった。予選二位には長距離耐久レースにおける優勝争いの常連となったジャガーがつけ、四、五位にはGTPレースで三年連続チャンピオンを獲得しているニッサンがいた。ニッサンは前年ル・マンでポール・ポジションを獲得したR90CKを三台持ち込み、必勝の意気込みでこのレースに臨んでいた (本来なら日本から最新鋭のR91CPが渡米し、優勝争いの大本命となっているはずだったが、湾岸戦争の勃発によりキャンセルされたのである。この日本チームの渡米は一年後の1992年に実現した)。ジャガーはプラクティス中にジョン・ニールセンの運転するNr.3が雨に足元をすくわれてクラッシュし、決勝レースに出場できなくなったため一台体制でのレースとなり、何かトラブルが発生すればその時点で優勝はあきらめなければならない苦しい立場にあった。ニッサンはGTP規定に合致しないル・マン仕様の車をそのまま持ち込んだため、給油時間と燃料タンク容量のハンディを背負わなければならず、計算上はライバルより一周あたり二秒速く走らなければ優勝できなかった。しかしニッサンの車はそうすることが出来る最高の性能を実現しており、もし順調にレースがすすめば優勝はニッサンのものになる可能性がいちばん高かった。ヨースト・ポルシェと彼らの962Cは、耐久レースにおける経験と確立された信頼性は確かにあったが、すでに設計年次の古さは隠しようもなく、苦戦が予想された。   
   
レースはスタート直後からすさまじいハイペースでの戦いとなった。ポール・ポジションからスタートしたNr.6のポルシェが懸命に逃げ、それを一台だけのジャガーが追いかけるあとをニッサンがついてゆくという、三つ巴の接近戦が繰り広げられた。無理なペースで周回を重ねたツケは夜半になってまわってきた。まずNr.6ポルシェがオーバーヒートで午前一時半すぎにリタイヤし、午前三時にはジャガーが同じくオーバーヒートからウォーター・ポンプを壊して長時間の修理を強いられ、レースから脱落した。夜が明けた時点で、トップ争いはNr.7ポルシェ、Nr.83ニッサン、Nr.84ニッサンの三台に絞られた。このうちNr.84はレースが半分をすぎたあたりでトップ走行中にギヤボックス・トラブルによりリタイヤし、Nr.83も午前七時頃にクラッシュし修復に手間取ったために優勝の望みを絶たれた。こうしてヨースト・レーシングは、勝ち目はほとんどないと考えられていた1991年のデイトナ24時間レースを、二位のニッサンに十八周という大差をつけて優勝したのである。ライバルのリタイヤによって転がり込んできた勝利ではあったが、同時にライバルがつぎつぎ倒れる中で、最後まで堅実に走りきった結果の勝利という、じつに962Cらしい勝ち方であった。しかし前述した通り、この1991年デイトナ24時間レースが、962Cにとって最後の長距離耐久レースにおける勝利となってしまったのである。もはや962Cの登場から六年が経過しており、そのベースモデルである956の設計年次を考えると、すでに962Cは十年落ちのデザインになりつつあった。太陽は沈みかけていた。   
   
   
9101

 

デイトナでの好成績の余勢を駆って、ヨースト・レーシングは伝統の一戦ル・マン24時間レースに姿をあらわした。エントリー台数が減少することへの懸念を理由に、ル・マン24時間レースの主催団体であるフランス・西部自動車クラブ (ACO) は一貫してグループCの新規定に対して強硬な反対の立場をとっていた。またポルシェ本社が「ウェイトハンデによって車重が1000kgに達した状態では、設計上の限界を超えるため安全性が保証できない」と訴えたため、このレースに限りポルシェ962Cは車重950kgの状態でレースをすることが許された。すでに世界選手権のレースで3.5リッター・エンジンを搭載する新規定車をデビューさせていたジャガーとメルセデス・ベンツも、新型車の信頼性の確立がなされていないことを理由に決勝レースは旧規定車で戦うことを決めており、この年のル・マンにおける純粋な新規定スポーツカーは、「耐久性の問題から完走できる可能性は無いので、あくまでパフォーマンスのための走行に徹する」と割り切った二台のプジョーのみであった。旧規定スポーツカーとなら勝負になると踏んだヨースト・レーシングは、三台の962Cをこのレースに持ち込み、うち二台が決勝レースに出走している。写真手前のNr.57がベルンド・シュナイダー/アンリ・ペスカローロ/ジョン・ウィンター、奥のNr.58がハンス・シュトゥック/フランク・イェリンスキ/デレック・ベルに託された。それぞれシャシーナンバーは962-014および962-012であった。SWCには全戦参戦義務があり、この年のル・マンはSWCの一戦とされたため、ル・マンのみに参戦したいヨースト・レーシングは全戦参戦していたフランツ・コンラート率いるコンラート・レーシングのエントリー枠を借り受け、連名でエントリーを行っている。   
   
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いずれもスパーク製の1/43モデルカーである。型番はNr.58がS1915、Nr.57がS3411で、同レースの僚艦同士であるにもかかわらず発売時期がおおきくズレている。後発であるNr.57のほうは、ヘッドライト・レンズの部品がより精密に再現されていることと、車体側面にあったアクセス・パネルの盲蓋の部分が再現されている (上写真「BLAU」の文字の真下。古いほうの金型のNr.58ではこのパネルが再現されていない)。Nr.57のほうはレース開始時点ではヘッドライトに (おそらく汚損防止のための) ビニール製カバーがガムテープで接着されていたが、これもしっかり再現されている。Nr.58にもこのカバーが取り付けられている写真が残っているが、スタート時には付いていなかったためかモデルでは再現されていない (基本的に、「そのレースにおけるスターティング・グリッドに並んでいる時点の状態」を再現するのがスパークモデルのポリシー、とはきき及んだことがある)。上記のデイトナ仕様と見比べると、リヤウィングが二枚式から翼弦長の長い一枚式に変更されていること、ピット施設の相違のため給油口の形状が違っていること、翼端板が大型化されていること、フロントのダイブ・プレーンが付いていないこと、テールライトの取り付け位置が違うこと、リヤのブレーキダクトが半円形のシュノーケルになっていることが外見上の相違点である。このほか、ヨースト・レーシングはデイトナでは信頼性の確立された2994ccのエンジンを搭載していた (それでもトラブルによるリタイヤは頻発した) が、ル・マンではすでに世界選手権レースのほうで使われていた高出力仕様の3164cc全水冷エンジンを使用していた。この3164ccツインターボ・エンジンは962C用エンジンの最終進化形というべきエンジンで、排気量拡大と全水冷化によって決勝レースではライバルに伍する800馬力を発生することができたが、そのかわりにオリジナルの仕様では5000キロ以上あったエンジンの寿命が2000km近くまで落ちていたという。おそらくル・マンでは出力を落として信頼性を確保していたと思われる。   
   

 

9105ル・マン仕様車の車体後部。上述のとおりテールライトの取り付け位置が異なっているほか、車体後端部に金属製のガーニー・フラップが追加されている。ギヤボックス後端から伸びるリヤウィングの支柱も、デイトナ仕様とル・マン仕様では形状がやや異っている。   
   
   
1991年のル・マンは、前年の世界選手権レース同様サウバー/メルセデス・ベンツが優勝候補の筆頭と目されていた。旧規定のスポーツカーとして、もっとも完成された車を作り、その結果選手権を席巻したのがサウバーだったからである。ジャガーとポルシェは、サウバーの車がつぶれれば表彰台くらいはあるかも知れない、程度の評価だったが、この両者を比較すると、50kg分重いとはいえカーボン・ファイバー製シャシーを持ち、車体性能にすぐれるジャガーのほうが優位であった。レースは二台のプジョーのリードではじまった。プジョーは他を圧倒するハイペースで周回して母国の観衆を熱狂させたが、レース前のコメントの通り完走を前提にしての作戦は立てておらず、あくまでも地元の観客に向けたショーであった。日が暮れる前に二台のプジョーがあいついでトラブルを起こしてリタイヤすると、かわって下馬評通りサウバーの一台がトップに立った。三台のジャガーがそれに続き、その後方でポルシェ、サウバー、マツダが順位争いをしているという状況だった。日付が変わるころになると、サウバーは一台が接触事故でリタイヤし、もう一台がギヤボックス・トラブルで長時間のピットインを余儀なくされて脱落し、残る一台が孤立無援のままトップを守る状況になった。ジャガーは大排気量の12気筒エンジンを搭載するせいで燃費が苦しく、後方からはるばる追い上げてきたマツダに苦もなくかわされてしまっており、優勝はむずかしくなりつつあった。ヨースト・ポルシェは快走をつづけていたNr.57が夜明け前に持病のオーバーヒートからリタイヤしたが、Nr.58がトップ10圏内を堅実に走行し、チャンスをうかがっていた。   
   
日付の変わった日曜正午すぎ、サーキットに衝撃が走った。二位以下に大差をつけてトップを独走していたサウバーが、突如白煙を吹き上げながらピットインしてきたのである。ウォーター・ポンプ駆動部のブラケットが破損し、冷却水が回らなくなってしまったのであった。冷却の厳しいターボ・エンジンにとっては致命的なトラブルだった。深夜すぎにギヤボックス・トラブルでもう一台のサウバーがピットインしてきた際、同じような症状の兆候が見られたためこのパーツが交換されたが、「偶発的なトラブルである」と結論づけられたため、リード車のパーツを予防交換する必要は無いというあやまった判断が下されたための悲劇だった。これでマツダがトップに立ち、燃費のきびしいジャガーの追撃をやすやすと振り切って、日本車としてはじめてル・マンを制する栄誉に浴したのである。上位陣のあいつぐリタイヤによって、ただ一台生き残ったヨーストの962Cは、日曜日の午前中に電気系のトラブルから一時コース上にストップしながらも、総合七位に入った。これは962Cのなかでは最上位の成績であったが、一位から六位までを962Cと同カテゴリの旧規定スポーツカーが独占したことを考えると、完敗にちかい結果であった。もはや長年の経験で耐久レースに精通したポルシェとヨースト・レーシングの神通力をもってしても、ポルシェ962Cの劣勢をくつがえすことはできなかった。   
   
シャシーナンバー962-129のポルシェ962Cは、1986年にヨースト・レーシングが製作したモノコックであり、翌1987年3月のインターセリエ・ホッケンハイム戦で実戦デビューした。この年には世界選手権、インターセリエ、ドイツ・スーパーカップという三つのカテゴリを行き来する忙しいシーズンを送り、ル・マン24時間レースではヨースト・レーシングのNr.7として出走、ポルシェがこの年なかばに撤退を表明した世界スポーツカー選手権では、「準ワークス」としてヨースト・レーシングからモンヅァ1000キロレース、ル・マン24時間レース、ノリスリンク200マイルレース、ブランズハッチ1000キロレース、ニュルブルグリンク1000キロレース、富士1000キロレース、キャラミ500キロレースの各レースに参加した。世界選手権レースでの最高位はブランズハッチの四位であった。   
1988年には世界スポーツカー選手権の開幕戦・ヘレス800キロレース及び第二戦・ハラマ360キロレースを除く全戦、及びドイツ・スーパーカップ選手権に参戦したが、ル・マンには参戦しなかった。このうち世界選手権戦ではブランズハッチ1000キロレースで二位に入り、最終戦キャラミ500キロレースでは優勝している。この年のシルバーストーンから、その後長く使用されることになるハイダウンフォース・セッティング用の延長されたノーズ・カウルが投入された。   
1989年には活躍の場をIMSA-GTP選手権に移し、デイトナ24時間レース、マイアミ3時間レース、セブリング12時間レース、タンパ360キロレースに参加した。最高位はセブリング12時間レースでの五位であった。   
1990年には世界スポーツカー選手権に向けて大規模な近代化改修をうけ、本記事の写真とおおむね共通の外観に改造された。この年には世界選手権レースのうち鈴鹿、モンヅァ、スパの各480キロレースにのみ参戦し、このうちモンヅァで得た14位が最高位であった。   
1991年にはIMSA-GTP選手権開幕戦・デイトナ24時間レースに参加し、同レースで優勝を果たした。このレースを最後に、シャシーナンバー962-129は第一線を退いている。   
   
シャシーナンバー962-012のポルシェ962Cは、1990年にヨースト・レーシングがワークス仕様に準拠した仕様で製作したシャシーであり、シャシーナンバー962-149のモノコックをベースに新規ナンバーを付与された (ナンバーが-01x系のシャシーが、合計十台製作されたワークス純正シャシーと同一規格のものである)。1990年にヨースト・レーシングのエースカーとしてボブ・ウォレック/フランク・イェリンスキに託され世界スポーツカー選手権全戦を戦った。最高位はシルバーストーン480キロレースでの四位であった。   
1991年にはル・マン24時間レースに参戦し、このレースで七位を得た。その後欧州の草レース・シリーズであるインターセリエ・レースに散発的に参戦した。十月には同年の世界スポーツカー選手権・メキシコシティ480キロレースに、シリーズ・エントリーしていたチーム・サラミンの枠を借りて白地に青のブラウプンクト・カラーでスポット参戦し、三位表彰台を得ている。この唐突なスポット参戦の経緯はあきらかではない。   
1992年には、インターセリエのレースに一戦のみ参戦した記録が残っているが、これがこのシャシーの最後のレースであった。   
   
シャシーナンバー962-014のポルシェ962Cは、962-012と同じく、1990年に962-156のモノコックをベースに製作されたワークス・スペック・シャシーである。オリジナルの962-156のモノコックはドイツのシュティッケル社が製作したもので、オリジナルとは細部が異なっていたとされる。1990年の世界スポーツカー選手権にヨースト・レーシングのセカンドカーとしてエントリーされ、全戦に参加した。最高位は最終戦のメキシコシティ480キロレースでの五位であった。   
1991年には962-012同様ル・マン24時間レースおよびインターセリエ・レースに参戦したが、ル・マンではリタイヤに終っている。こちらも十月にSWC最終戦・メキシコシティ480キロレースにスポット参戦し、こちらは赤地に黄色いストライプのMOMOカラーを纏い五位で完走している。   
1993年には、最後の実戦レースを前に1990年ル・マン仕様に共通するロングテール・タイプのボディカウルに戻され、ル・マン公式テストおよびル・マン24時間レースに参加した。ル・マン24時間レースでは九位で完走している。962-012と962-014は参加したレースのほとんどで僚艦の関係にあり、いわば戦場を共にした姉妹艦に見立てられる。「彼女たち」はレギュレーション変更や時代の流れによって日増しに苦しくなっていった戦況の中を、翼を並べて駆け抜けていったのである。

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コメント

凄く細かいとこまで書いてあって感激です(*^^*)
やっぱりグループCはいいですね✨
個人的にはブルンが好きです☺

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