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2015年12月28日 (月)

ポルシェ962C・終りのクロニクル 「終章・1994」

中国・晩唐の詩人李商隠の書き残した詩に、「登楽遊園」という作品がある。むすびの二句はつぎのように書かれている。   
「夕陽無限好/只是近黄昏」   
夕陽の落ちる景色はじつにみごとなものだが、日の入りが近いから長くは見ていられないのが口惜しい、という内容である。夕陽のうつくしさを歌った詩は多く書かれているが、思うに夕陽の風景というのは単純な景色のよさだけではなく、一日の終りに太陽が沈みゆくその瞬間に、空一面を橙色に染め上げる場面の壮大さ、そしてその場面がほんの一瞬しか見られないことの儚さが、人びとに感慨をあたえるのだろう。   
   
1993年シーズンをもって、グループCのスポーツカーが走るレースは地上から消滅した。かつて世界中のサーキットで覇を競ったポルシェ、ジャガー、ベンツ、ニッサンらワークス・カーのエンジン音は跡形もなく絶え、ヨーロッパにおいては市販車改造のGTカーが、北米大陸においては既存のスポーツカーをオープン・トップ化し、さまざまな改造によってコストを抑止した「ワールド・スポーツ・カー」規定の車が、それぞれ次の世代の主役を担うものと予想された。1993年にはル・マンをいろどる脇役の立場にすぎなかったGTカーは、翌1994年には早くもレースの主役となることが予想されていた。しかし、それまでプライベート・チームの走らせるスポーツカーが埋めていた枠をGTカーで埋め直すには時間がかかることが予想されたため、1994年の一年間は移行期間とされ、さだめられた改造を施せば、1990年時点におけるグループC規定に準拠したスポーツカーも出走することが可能となった。具体的な改造内容は燃料タンク容量の縮小、前後車軸間のフラットボトム化、直径33.4mmの吸気リストリクター装着 (1993年は直径35.7mmであった) によるエンジンのパワーダウンが中心であった。前年のル・マンで旧規定スポーツカーを走らせ、クラス優勝を果たしたサード・トヨタとトラスト・トヨタは、このクラスにあつかい慣れたスポーツカーを持ち込むことにした。目標は総合優勝だった。いっぽうのGTカー・クラスは、主にイタリアのフェラーリやフランスのヴェンチュリーが製作したスーパーカーにレース向けの改造を施した車が主役となり、このほかアメリカのIMSAレースから招待されたGTSクラスの車も少数ながら参加した。これらGTカーは、前述の規定に合致するよう改造されたスポーツカーにくらべても、なお総合優勝の可能性は低いと見られていた。   
   
1993年のフランクフルト・モーターショーで、ドイツのある自動車メーカーがエキゾチックなスーパー・カーを発表した。メーカーの名はダウアー・シュポルトヴァーゲンといったが、この組織はかつてヨッヘン・ダウアー・レーシングを名乗り、ポルシェ962Cでスポーツカー・レースに参加していたレーシング・チームそのものであった。服飾ビジネスで財を成したヨッヘン・ダウアーは、1991年にみずからのレーシング・チームの活動を終了した後、ポルシェ962Cをベースにしたロードゴーイング・スポーツカーの製作を計画し、実際にポルシェから962C用のモノコックや各種パーツを購入し、ドイツ国内の法規を満足する改造を施したものを「ダウアー962」として市販したのである。この市販第一号車が展示されたのであったが、ポルシェのモータースポーツ部門がこの車に注目した。もとがレーシング・カーとはいえ、ダウアー962は明らかに市販乗用車であり、したがってこの車の改造車はGTカーとしてさまざまなレースにエントリーすることができた。当時のGTカーの規則では、一台でも市販されている車であれば、その車を改造してGTカー・カテゴリに参戦させることが可能だったからである。ポルシェの目はル・マンに向いていた。ポルシェが最後にル・マンで優勝してから、すでに七年の歳月がすぎていた。ポルシェ製スポーツカーがその絶頂期にあった頃デビューし、以後ポルシェという大帝国の衰退、そしてスポーツカー・レースそのものの凋落と終焉までを見届けた962Cの、その長く苦しい冒険旅行を締めくくるのに、ル・マンにおける勝利は最高級の贈り物となるはずであった。こうして、962Cの最後のレースは、1994年のル・マン二十四時間レースに定められた。   
   
9401スパークモデル製1/43スケール、シャシー・ナンバー962-176→GT003のダウアー962GT LMである。Nr.36はヤニック・ダルマス/マウロ・バルディ/ハーレイ・ヘイウッドにステアリングを託された。同社のル・マン優勝車シリーズの一台として、特製のスリーブ・ケースに収められ販売されているもので、「43LM94」という特別な品番が与えられている。外見的には、かつてル・マンをはじめとする世界中のスポーツカー・レースを席巻したポルシェ956/962Cの面影を残してはいるものの、外装パーツのほとんどは市販化にあたって新造されたものであった。市販車をベースにヨースト・レーシングがレース向けの改造を施し、前後カウルやリヤウィングの配置などが市販車とはことなっている。豪奢な内装は軽量化のためとりはずされ、車体もレーシング・カラーに塗装されてはいるが、フロントフェンダー上に移設されたサイドミラーの形状などに、市販乗用車としての名残を見出すことができる。   

   
1994年のル・マン二十四時間レースは、早い段階から優勝争いはトヨタとポルシェの両者が主役になるだろうと予想された。トヨタ陣営は1990年中盤から投入した、排気量3576ccのV8ターボ・エンジン「R36V」を搭載する94C-Vを、サードとトラストが一台ずつ持ち込んだ。車のベースは1991年から投入された91C-Vでモノコックも同一のものであったが、このレースに合わせて各種の改造がなされ、約550馬力を発生した。いっぽうのポルシェは、ヨースト・レーシングを中心に組織された「ル・マン・ポルシェ・チーム」名義で、二台のダウアー962GTを投入した。エンジンは市販バージョンが搭載していたものと同じ、962C用エンジンがベースの2994ccの水平対向6気筒ターボ・エンジンで、GTカー・クラスとスポーツカー・クラスの規則の違いによりこちらは約600馬力を発生することができた。両者を比較すると、タイヤの耐久性とコーナリング速度においてはトヨタの旧規定スポーツカーがまさり、いっぽうのポルシェは直線でのスピード、燃料搭載量、連続周回可能な周回数にすぐれていた。   
   
   
9402フロントカウルを見ると、オリジナルの962Cと共通な要素は丸型四灯式のヘッドライト配置くらいのものであることがわかる。ノーズは空気抵抗低減のため、オリジナルの962Cよりも滑らかな曲線状の形状を持つ。ヘッドライトの下には横長型のターニング・インジケーター・ランプが取り付けられているが、これもダウアー962GTの市販車としてのルーツを想起させる。市販のダウアー962GTのモノコックはポルシェ962C用のアルミ板金製モノコックをそのまま流用しており、ル・マンに持ち込まれた二台のレーシング・カーと一台のスペア・カーは、いずれも純正962C用のモノコックからロードゴーイング・カーとして製作され、その後レーシングカーにふたたび改造された経緯を持つ。   

   
予選では、トヨタの二台が四位/八位、ポルシェの二台が五位/七位にそれぞれ入った。レースはこの四台がまっさきに飛び出し、はげしいトップ争いが繰り広げられた。コース上における速さはポルシェが上回り、トヨタはその差をタイヤ交換回数を減らすことによって詰めた。序盤はポルシェ優位のままレースが進行したが、その後二台のポルシェはあいついでトラブルに見舞われ、信頼性にすぐれるトヨタにリードを明け渡すことになった。日付が変わる頃には、トラスト、サードの順でトヨタが第一位・第二位を独占し、ポルシェを引き離しはじめた。ダウアー・ポルシェは、市販車を改造したGTカーとしてはまちがいなく無敵の存在だったが、規則によりスピードを抑止されているとはいえレース専用に製作されたスポーツカーの前では、明確な優位はなにひとつ持っていなかった。東の空が明るみはじめた午前四時すぎになって、トラスト車のギヤボックスに故障が発生し、ピットでギヤボックスを交換しなければならなくなったため、サード車がかわってトップに立った。このサード車を直接追撃できる位置にいたのはNr.36のポルシェだったが、レース中盤にドライブシャフトを破損したためトヨタに三周以上も差をつけられており、よほどの幸運がなければ挽回は不可能と思われた。   
   

9403ロードラッグ化のためリヤウィングはボディとほぼ同じ高さに取り付けられている。ウィング下面に向かってボディワークは急な下り坂を形成し、この部分に気流を導いてダウンフォース効率を向上させている。手前の黒色に塗られた部分がキャビンだが、中央部に「凹」字様のくぼみが設けられている。おそらく前方投影面積をちいさくすると同時に、リヤウィングに効率よく気流を流し込むための処理と思われる。   

   
9405リヤエンドを見る。この部分の造形もオリジナルの962Cとは似ても似つかないものとなっており、わずかに低くマウントされたリヤウィングと横長の端面に開けられた開口部だけが、オリジナルと共通する意匠となっている。矩形の大型テールライトは汎用品か市販車用パーツを流用している可能性があるが定かではない。   

   
レースが残り九十分を迎えても、トヨタのリードは崩れなかった。もはやポルシェは追撃をあきらめなければならないだろうと思われたそのとき、トップを走るサード・トヨタがピットロード出口で突如ストップした。シフトリンケージのトラブルであった。シフトレバーとギヤボックスをつなぐ棒状の部品が折損したのである。観客は総立ちになった。しかしサードはここまで来てリタイヤで終るつもりはまったくなかった。ドライバーのジェフ・クロスノフはそのままスロー走行でほぼ一周を走りきり、ふたたびピットにもどってきたのである。その場にいたカメラマンやジャーナリスト、レポーター、さらには他チームのメカニックまでもが遠巻きに見守る中、サードのピットでは決死の修理がはじめられた。サード・トヨタが修復作業とドライバー交代を完了し、万雷の拍手喝采に送り出されてふたたびコースに戻ったとき、トップを走っていたのはNr.36のポルシェであった。サード・トヨタは三位だった。クロスノフから車をひきついだエディ・アーバインはギヤボックスの状態が万全ではない車で猛烈なアタックをかけ、最後の最後でポルシェの1-2体制を崩すことに成功したが、レースはそこで終りだった。ポルシェ962Cは、かつてグループCの時代をともに戦い抜いたトヨタとの最後の決闘を、これ以上ないほどのドラマチックな展開のすえ制したのである。   
   

 

9406日の沈まぬはずの大帝国に生を受けたポルシェ962Cは、その後ライバルチームの猛攻や時流の劇的な変化により、大帝国が砂上の楼閣のごとく土台ごと崩れ落ちる中で、沈んでゆく太陽を追って長い長い旅を続けた。その旅のまさに終らんとする瞬間、太陽が西の山間に沈むとき、その夕陽は地上でもっともうつくしい景色であったに違いない。惜しむらくは、うつくしい夕陽と同じように、ポルシェ962Cが散り際に放ったまばゆい光もまた、長くは見られなかったことである。二台のダウアー・ポルシェは、同年八月に開催された鈴鹿1000キロ・レースに参戦し、サード・トヨタとふたたび相まみえる予定であったが、この来日はその後キャンセルされた。理由は明らかになっていない。1995年からGTカー・カテゴリの規則は書き換えられ、ダウアーのような極少数生産のエキゾチック・カーは事実上締め出された。このことにより、ダウアー962GT LMはたった一度のレースにのみ出走し、そのたった一度のレースで勝利をおさめるという、レーシングカーとしてはきわめて特異な生涯をおくることになった。   
   
「新たなヒカリに会いに行こう―」   
2015年に放映されたアニメ作品「アイドルマスター シンデレラガールズ」の主題歌「Shine!!」の歌い出しは、以上のようなフレーズである。劇中でさまざまな挑戦に直面しながら、ひとつひとつそれらを克服し乗り越え、それぞれのまっすぐな夢に向き合ってゆく登場人物たちのように、ポルシェもまたメーカーの原点であるサーキットに、新たなヒカリを求め続けた。1996年と1997年には、ヨースト・レーシングがポルシェ・エンジンを搭載するワールド・スポーツ・カー規定の車でル・マン二十四時間レース連覇を果たし、翌1998年にはポルシェ・ワークス・チームが新開発のポルシェ911 GT1でル・マンを制し、ポルシェ・エンジンの三連覇を完成させた。この1998年に優勝記録を十五に伸ばしたのち、ポルシェはながらくル・マンの総合優勝からは遠ざかっていた。しかし2014年、ポルシェは突如としてル・マン二十四時間レースをふくむ世界耐久選手権に復帰すると、2015年には早くも圧倒的な強さでル・マンの優勝トロフィーを奪還した。ポルシェ962Cがその一生涯をかけて歩んだ旅路が、今日のポルシェの礎を築いたことは、想像に難くない。 ポルシェ962/C用として製作されたモノコック・タブは、レーシング・オン第466号掲載の「特集・ポルシェ962C」内付表によると (重複、ナンバー変更などを除外すれば)、130台が製作されたとされる。現存するポルシェ962/Cの個体は、博物館に陳列されたり、個人のコレクターの管理下に置かれているもののほか、ヒストリックカー・レースに参加している個体も存在する。すでに初登場から三十年が経過したいま、世界各地に散逸した「彼女たち」は、いずれも苛烈な競争とは無縁の、しずかな余生を過ごしている。
   
シャシー・ナンバー962-176のポルシェ962Cは、1990年にヨッヘン・ダウアーによって発注され米・ファブカー社によって製作されたモノコックをもつシャシーで、当初市販のダウアー962GTに使用される予定であった。1994年のル・マン二十四時間レースに向けて、ほかの二台 (962-169および962-173) とともにGT1規定を満足するための改造を施され、同時に新シャシー・ナンバー「GT003」を与えられている。このレースに参加し、優勝したのが唯一の実戦経験であった。ちなみにル・マンにスペア・カーとして持ち込まれたシャシー・ナンバー962-169→GT001の個体は、ほかならぬダウアー962GTの量産第一号車である。   
   
(了)

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