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2016年3月29日 (火)

風は東へ ~JRMレーシング・HPD ARX-03a (2012)~

イギリス人ジェームス・ラムゼイ率いるJRモータースポーツ・グループの名前がレース・シーンにあらわれたのは二〇一〇年と、比較的あたらしい部類に入る。もともとSUMO POWERという日本車向けチューニングパーツの販売店を営業していたラムゼイが、この年新設されたFIA GT1世界選手権に参戦するために組織したチームであり、車は日本で開発されたニッサンGT-R GT1を初年度から二台運用することになっていた。ジェームス・ラムゼイは八週間という、レーシング・チームを設立するには短すぎる準備期間でゼロからチームを興し、この年のFIA GT1世界選手権第二戦で優勝を飾る快挙を達成した。翌年ラムゼイはSUMO POWERのほかにJRMと名付けたセカンド・チームを六週間のうちに設立し、四台のGT-R GT1を運用する大艦隊の指揮官となった。このうち一台のGT-Rが二〇一一年のFIA GT1世界選手権チャンピオンとなったが、GT1の世界選手権はエントラントの不足によりこの年で打ち切られることが決ってしまい、GT1カーを使うレースは地上からなくなってしまったのである。ラムゼイがつぎなる目標として打ち立てたのが、二〇一二年から開催されることが決定したFIA世界耐久選手権 (WEC) であった。スポーツカー・レースの世界選手権が開催されるのは、グループC時代の一九九二年以来じつに二十年ぶりのことであった。参戦の発表は開幕戦・セブリング十二時間レースが間近に迫った二月になって唐突になされ、事前に通達されていなかったJRMのスタッフもこの決定に驚いたと伝わる。   
   

 

00スパークモデル製1/43スケールモデル、HPD ARX-03aである。二〇一二年ル・マン二十四時間レースに、JRMから出走し総合六位に入賞した、シャシー・ナンバーARX03-07の個体を再現している。品番はS3709と通常のスパーク製品と変わらないが、ル・マンを走ったスポーツカーやGTカーをメインに据えているスパークモデルらしく、ル・マン出走車に与えられる特別デザインの紙製スリーブ・ケースに収められている。   
   
二〇一二年に世界耐久選手権が復活するまで、ル・マン二十四時間レース以外のスポーツカー・レースの最高峰は北米大陸を中心に行われているアメリカン・ル・マン・シリーズ (ALMS) だと考えられていた。そのALMSに北米ホンダのレース部門であるホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント (HPD) がアキュラ・ブランドで参戦を開始したのが二〇〇七年のことである。* 世界的な不況によりアキュラ・ブランドでのスポーツカー・レース活動は二〇〇九年でいったん終了したが、その後はHPDと各プライベート・チームが連携する形で独自に開発が続けられ、車名は「アキュラ」から「HPD」に変わった。二〇一一年にはハイクロフト・レーシングとともにトップ・カテゴリであるLMP1クラスへの進出を図ったが、この年発生した東日本大震災によりホンダの海外レース活動はおおきな制約を受け、せっかくのLMP1カーは三月のセブリング十二時間レースを走っただけで、倉庫の奥にしまい込まれてしまった。しかしHPDはスポーツカーを走らせる計画を終了するつもりはなく、二〇一二年に向けたLMP1クラス用の新型車の開発は続けられた。それまでの「ARX-01」シリーズの改修型ではないことを意味する「ARX-03」の名前が付けられたこの新型車は、ALMSのみならず世界耐久選手権にも投入されることが決定した。   
   
   
01JRMレーシングのコーポレート・カラーである黒と赤に塗られたボディが精悍な印象を与えている。チーム名の入ったデカール以外スポンサー・ロゴはほとんど見当たらない。JRMはここでも準備期間の不足に悩まされ、二〇一二年世界耐久選手権の開幕戦であるセブリング十二時間レースの前に車を組み立てる時間が十日しかなかった。このためスポンサーを探す時間的余裕がなく、資金のほとんどはチームからの持ち出しに頼っていたという。   
   
前述のとおり、ARX-03aは二〇〇七年から二〇一一年まで使用されたARX-01シリーズとは違う、まったく新しいスポーツカーとして開発されたと発表された。しかし実際には、LMP1向けに最適化されたAR6型3.4L・8気筒自然吸気エンジンや車体各部の空力処理などは、二〇一一年に開発されたARX-01eからそのまま流用されており、モノコックもARX-01シリーズ同様クラージュ製スポーツカーのものを使用している。ARX-01eはそれまでLMP2クラスで走っていた車を改修し、LMP1用に仕立てあげた改造車であったため、当時のライバルであったレベリオン・レーシングの使うローラ製スポーツカーに比べると、戦闘力の不足は隠せなかった。   
   
   
02上方からARX-03aを俯瞰する。フェンダー上部に矩形の穴が開口されていることと、車体後部に大型の垂直安定板が取り付けられていることが外見上の大きな特徴だが、これは前年二〇一一年から施行された新しい車体レギュレーションに対応したものである。サイドポッドは箱型に近い直線的な造形で、あまり手の込んだ処理は施されていない。同時期のローラやOAKモーガン製のスポーツカーが、この部分を曲面を多用した造形に仕上げているのとは対照的である。リヤフェンダー内側にある突起は排気口のハウジング。   
   
きびしい資金難と、ピット内で最後の組立作業を行わなければならないほどの準備期間不足に見舞われながらも、JRMは初戦であるセブリング十二時間で健闘を見せた。予選ではレベリオン・レーシングが持ち込んだ旧型のローラ・トヨタを上回る六位を獲得し、レースではトラブルにより最終的に十七位完走扱いに終ったが、一時は総合二位まで浮上したのである。このレースにはALMSに参戦しているピケット・レーシング、世界耐久選手権に参戦しているストラッカ・レーシングとJRMから一台ずつ、合計三台のARX-03aがスタートしたが、最高位はストラッカ・レーシングの十位であった。   
   
世界耐久選手権は第二戦以降ヨーロッパ大陸でのレースに戻ったが、JRMはヨーロッパでは苦戦が続いた。ル・マン二十四時間レースに向けた実戦テストの意味合いもあるスパ=フランコルシャン六時間レースでは、予選八位・決勝十二位のリザルトがやっとだったのである。同じ車を使うストラッカ・レーシングは予選六位・決勝七位だった。原因は資金難以外にも、JRMの経験不足が大きかった。JRM自体がまだ歴史の浅いチームだったことと、それまでJRMが参戦していたGTカーのレースとスポーツカー・レースではものごとの進め方がだいぶ違っていたことが、チームの足を引っ張ったのである。直接のライバルであるストラッカ・レーシングやレベリオン・レーシングは、それまでも何年かスポーツカーの耐久レースに参戦しており、スタッフも全員が耐久レースの戦い方をよく知っていた。JRMがストラッカ・レーシングよりすぐれている点があるとすれば、耐久レースで活躍していたデヴィッド・ブラバムとピーター・ダンブレック、前年にF1グランプリも経験したカルン・チャンドクという三人のすぐれたドライバーの存在であった。デヴィッド・ブラバムはFIA GT1選手権でSUMO POWERのGT-R GT1に搭乗していてチームとは気心の知れた関係であり、まだ若いチームの牽引力となることが期待された。   
   
   
03

 

08フロントフェンダーの全長が短縮された以外、全体の空力処理は先代であるARX-01eと似通っている。独特な多角形断面のモノコックや、二本の長いバルジが設けられたノーズ・セクションは、ベースとなったクラージュ製モノコックの面影を感じさせる。フロントエンドに設けられた垂直なスプリッター・プレートもARX-01eから引き継がれたパーツだが、二〇一二年仕様では高速コースであるスパ=フランコルシャンとル・マンでのみ用いられ、それ以外のレースでは一般的なダイヴプレーンが装着されていた。フロア中央部は高く持ち上げられ、床下へ積極的に空気を流す構造になっている。ヘッドライト脇のスリットは追加パーツで再現されているが、実車の複雑な一体成型パーツ (上記リンクのARX-01e細部写真を参照されたい) をこのスケールで再現するのはさすがに無理があったのか、簡単な追加パーツで形を作ってある。内部機構的には、前後サスペンションのレイアウトは二〇〇八年に走ったアキュラARX-01bの頃からほとんど変わっていない。   
   
ル・マン二十四時間レースの予選では、JRMは十一位を得るにとどまった。ストラッカ・レーシングは七位であった。チームとしての経験が浅いJRMは、プラクティスと予選の走行時間を決勝用セッティングの最適化に費やすことにしていたため、積極的なタイム・アタックは行わなかったのである。   
レースは土曜日の午後三時にスタートしたが、ストラッカ・レーシングはスタート直前にギヤボックス・トラブルが発生し落伍した。JRMのスタート・ドライバーであったデヴィッド・ブラバムはスタートで前にいたペスカローロ・チームの童夢・ジャッドを抜いて九位にあがり、その後一時間近くにわたって後方のペスカローロ・チームとOAKレーシングの追撃をかわしつづけた。その後ドライバーはチャンドク、ダンブレックと交代したが、JRMは安定したペースで走り続け、そればかりかつぎつぎに順位を上げ始めたのである。前を行くワークス・カーがあいついでアクシデントで脱落したためだった。まずトヨタの一台が周回遅れのフェラーリと接触してクラッシュし、もう一台も下位クラスの車を追い抜く際に接触して車体を破損し、ピットインを余儀なくされて脱落した。日没前後にはアウディの一台がコースアウトしてタイヤバリアに衝突し、これも修理に時間を取られたため後退を余儀なくされた。JRMは無理にペースを上げて前の車を追いかけることをしなかったが、終始トラブルを起こさず走り続けており、午後九時三十分の時点では総合六位を走っていた。   
午後十時すぎ、コース序盤のS字コーナーでピーター・ダンブレックがスピンした。原因はタイヤのパンクであった。車はサンドトラップに突っ込んで止まったので車体へのダメージはなかったが、ダンブレックは三輪状態の車でコースをほとんど一周してピットへ戻らなければならなかった。このピットインでタイヤ交換と同時にサスペンション・ダメージのチェックも行ったため、JRMは十七位まで落ちた。しかしそれまでのレース・ペースはよかったので、うまくいけばレース終了までにポジションをいくつか回復できるはずであった。   
デヴィッド・ブラバムに交代したJRMはふたたび安定したラップ・タイムで周回を重ね、後方から追い上げてきたストラッカ・レーシングのペースを意識しながら快調にとばした。ドライバーはその後チャンドク、ダンブレックと交代し、長い夜が明けた午前六時半頃にはダンブレックが七位を走っていた。他車のリタイヤにも助けられたが、数時間のうちに十七位からはるばる追い上げてきたのである。例年リタイヤが続出し「魔の時間帯」と呼ばれる日曜午前二時から午前五時までの間、JRMはクラッチの点検のために一度ピットに入っただけで、それ以外はいかなるトラブルにも見舞われなかった。   
日曜午前十時すぎになって、五位を走っていたレベリオン・レーシングの車がクラッチ・トラブルで脱落した。これでJRMは六位に上がった。あとは何も起きなかった。アウディが1-2勝利を達成したル・マンで、JRMは何もかもが初体験の状態で六位という成績を収めたのである。上々の結果といわなければならなかった。ル・マン二十四時間レースも世界耐久選手権の一戦に組み込まれていたが、レース距離が長いため獲得ポイントは通常のレースの二倍とされていた。そのル・マンで六位に入ったことにより、JRMはLMP1チーム・ランキングで、レベリオン・レーシングにつぐ順位に上昇した。レベリオン・レーシングが二台体制で、JRMが一台体制であることを考えると、この順位は望外のものだった。   
   
   
05車体側面はこの時代のLMP1カーにしては単純な造形であり、サイドポッド前端下部の造形もあまり手が込んでいるようには見えない。この部分のデザインもおおむねARX-01eからのキャリーオーバーである。助手席スペースに立っている黒い長方形状の物体はオンボードカメラだが、このパーツはARX-01eでは搭載されていなかった。リヤのホイールハウス前端部、ミシュランのロゴが貼ってある部分が曲線状にへこんでいるが、このへこみの部分で空気溜まりを作り、ボディ側面を流れる気流が剥離しないようにする処理である。二〇一二年になるとLMP1のワークス・チームが使い始めたミシュラン製の幅広フロントタイヤがプラベート・チームにも行き渡るようになったが、設計の古いARX-03aはこの新型フロントタイヤを使用できず、コーナリング性能で新型タイヤを使うレベリオン・レーシングのローラ製スポーツカーに一歩遅れをとっていた。   
   
   
11現在のル・マン用スポーツカーではドラッグ低減のためリヤフェンダー前端をサイドポッド中央付近まで持ってくることが多いが、この車はまだ従来のみじかいフェンダーを持っている。フェンダー前端、ビバンダムマークの下にある開口部はリヤブレーキ冷却用。フェンダー上面はARX-01eではなだらかな曲面状であったが、ARX-03aではここに高圧空気を引き抜くための穴を開けることが規則できめられたため、この部分を平面状に成形し、その両側をフェンスで囲む処理が施されている。開口部の前後で発生する乱流を一定の領域に押し込めて、リヤウィングの効率に影響しないようにする措置と考えられる。モデルのパーティングラインからもわかるが、一見つながっているように見えるリヤウィング翼端板とフェンダー上のフェンスはそれぞれ別パーツであり、ハイダウンフォース仕様のセッティングではこの大型フェンスが存在しないタイプのカウルも使用された。   
   

 

07リヤエンドの造形もこれまたARX-01eに瓜二つと言ってよいものだが、レギュレーションに従い取り付けられた大型の垂直安定板と、リヤウィング翼端板付近の処理はARX-03シリーズ特有のものである。リヤウィング翼端板の外側と内側でフェンダーの高さが違っていることに注目されたい。二本のリヤウィング支柱の間に渡しかけられた横方向の支持部材に、垂直安定板の突起が接続され、リヤウィングの取り付け強度を部分的に受け持っている。この車の準同型車であるLMP2クラスのARX-03bや、オレカ製スポーツカーなどにも見られる処理である。   
   
   
06ボディ後端を見る。リヤウィングを上面から吊り下げて支持するタイプのマウント (いわゆるスワンネック・マウント) が特徴的だが、このタイプのマウントは二〇〇九年にアキュラのスポーツカーがはじめて導入したものである。ウィングによるダウンフォース効果のほとんどはその下面を流れる空気の流速により生み出されるが、ウィングを上から吊り下げることで下面の障害物をなくし、空気をよりスムーズに流してダウンフォース量を増加させる効果がある。当然ながらこのタイプのリヤウィング・マウントもARX-01eで見られたものである。   
   
ル・マン二十四時間レースでの好成績によりストラッカ・レーシングをリードしたJRMだったが、ル・マン後の世界選手権戦に入ると形勢が逆転した。第四戦、第五戦であるシルバーストーンとサンパウロの六時間レースで、JRMはそれぞれ七位と九位で完走したが、ストラッカ・レーシングはどちらのレースも五位で完走した。チームは第六戦バーレーン六時間レースで失地を回復しようと意気込んでいたが、このレースでJRMは電装系のトラブルで二〇一二年シーズン唯一のリタイヤを喫し、反対にストラッカ・レーシングはシーズン最高の総合三位でフィニッシュしたので、JRMはストラッカにポイントランキングを逆転され、この年ワークス・チーム以外でLMP1クラスにフル参戦していた三チームの中でランキング最下位に落ちてしまった。せめてもの慰めは、バーレーンに続く富士と上海の六時間レースでJRMの車がともに五位で完走したことであった。ストラッカ・レーシングは二戦とも六位だった。JRMは最終的にLMP1プライベート・チーム選手権で123ポイントを獲得し、ランキング三位を得た。二位のストラッカ・レーシングは148ポイント、一位のレベリオン・レーシングは205ポイントであった。何もかもがはじめての経験だったJRMにとって二〇一二年は学習の年となったが、翌年以降のパフォーマンスに期待が持たれた。   
   
09側面形状は取り立てて大きな特徴の無い、ごく平凡なオープン・トップのスポーツカーといった具合である。この頃からスパークモデルはレジン製完成品特有の個体差、特に部品の取り付け・接着精度のバラツキがかなり改善され、モデルカーというより「精密模型」に近い雰囲気を持つようになった。写真の個体にも特に大きな組み付けミスは見られず、わずかに左後輪が少々タイヤハウスからはみ出している程度である。ベースの黒色部分は塗装仕上げ、赤色と灰色はデカールにより再現されているが、黒色の艶具合がうつくしい。   
   
二〇一三年一月なかば、JRMは資金的な理由により同年の世界耐久選手権へのフル参戦をとりやめ、ル・マン二十四時間レースに集中することを発表した。一二年のJRMがほとんどスポンサーのいないまま一年間世界選手権を転戦していたことを知っていた人々は、この発表には特におどろかなかった。しかし二月になってから、JRMは同年のル・マン二十四時間レースにも参戦しないこと、今後スポーツカー・レースから撤退することを発表したのである。原因は人員的・資金的な負担と、この年から本格的に手がけはじめたニッサンGT-R GT3レースカーのヨーロッパにおけるレース活動および販売業務に集中するためとされた。イギリスからやってきた若く元気なレーシング・チームは、たった一年の間だけスポーツカー・レースの舞台に姿をあらわし、そのまま一陣の風のように去っていってしまったのである。   
   
HPD ARX-03は、LMP1クラス用のARX-03aが三台、LMP2クラス用のARX-03bが五台の、合計八台が製作され、シャシー・ナンバーはすべて「ARX03-XX」の連番であった。ARX-03bのうち一台は二〇一一年のARX-01eから改修されたもので、このシャシーはもともと二〇〇八年にハイクロフト・レーシングにデリバリーされたARX-01b、さらに元をたどればクラージュ製のCn.LC70-11の個体である。ARX-03aはこのうちCn.ARX03-01/-04/-07の三台であった。   
   
ARX03-01は二〇一二年一月にストラッカ・レーシングにデリバリーされ、同年セブリング十二時間レースおよびル・マン二十四時間レースを含む世界耐久選手権全戦に参戦し、最高位はバーレーン六時間レースでの三位であった。   
翌二〇一三年は改修を受けてARX-03cにアップデートされ、ポールリカール・サーキットで行われた公式テスト、開幕戦シルバーストーンからル・マン二十四時間レースまでの世界耐久選手権に参戦した。ストラッカ・レーシングは童夢の製作する新型スポーツカーをテストするため、ル・マン後は世界選手権への参戦を一時休止している。   
   
ARX03-04は同様に二〇一二年一月にグレッグ・ピケット率いるピケット・レーシングにデリバリーされ、同年セブリング十二時間レース (FIAの世界選手権とアメリカン・ル・マン・シリーズの併催あつかいだった) をはじめとするアメリカン・ル・マン・シリーズ全戦に参戦した。ピケット・レーシングは第二戦ロングビーチGPから第六戦ミッドオハイオ二時間四十五分レースまで破竹の五連勝を果たし、第七戦ロードアメリカ四時間レースでもトップから0.083秒という僅差の二位でフィニッシュした。最終的にピケット・レーシングは全十戦中それぞれ六回の優勝とポール・ポジションを獲得し、この年のアメリカン・ル・マン・シリーズ年間チャンピオンに輝いたのである。   
二〇一三年にはストラッカ・レーシング同様近代化改修を受けてARX-03cへとアップデートされ、この年もアメリカン・ル・マン・シリーズ全戦に参戦した。この年のピケット・レーシングは前年にも増して力強い走りを見せ、第二戦ロングビーチGPから第九戦ヴァージニア二時間四十五分レースまで、無傷の八連勝という圧倒的な戦績で連続チャンピオンとなった。この同一シャシーによる八連勝という記録は、一九八八年のIMSA-GTPレースでエレクトラモーティヴ・ニッサンがうちたてた不滅の大記録に並ぶものであった。アメリカン・ル・マン・シリーズがグランダム・シリーズと統合されてユナイテッド・スポーツカー選手権となったため、ピケット・レーシングはLMP1クラスでの参戦をこの年限りで休止した。ARX03-04はLMP1規格のARX-03aの中では、もっとも長くレースをしていた個体である。   
   
ARX03-07は本稿でとりあげた個体である。このシャシーは二〇一二年二月にJRMにデリバリーされ、同年の世界耐久選手権全戦に参戦し、最高位は富士と上海の各六時間レースにおける五位であった。JRMが一年限りでスポーツカー・レース活動を休止したため、このシャシーは二〇一二年の世界選手権最終戦・上海六時間レースを最後に引退しており、ARX-03aの中では実働期間のもっとも短かったシャシーである。   
   
*二〇〇七年から二〇〇九年までのHPDによるアキュラ・ブランドでのALMSシリーズ参戦、また二〇一〇年および二〇一一年のHPD製スポーツカーの活動状況については、「一梨乃みなぎ」氏によるこちらのブログ記事に詳しく記されているので、読者諸兄はそちらのエントリーもぜひ一読されたい。本稿で解説した内容の前日譚にあたる話であり、合わせて読むと当時のHPDの活動やスポーツカー・レースそのものを取り巻く環境について、より深い理解が得られるであろう。

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