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2016年4月26日 (火)

トヨタC-Vシリーズ・終りのクロニクル 「91C-V補遺」

一九九一年に世界スポーツ・プロトタイプ選手権の規則が全面的に刷新され、競技の方向性がそれまでの燃費レースからセミ・スプリント・レースに舵を切ったことによって、一九九〇年以前のグループC規定にのっとってつくられたスポーツカーは戦いの場をうしなった。それまで世界選手権レースで一大勢力を築いていた、主にポルシェの車を使うプライベート・チームは、重いウェイト・ハンデを受け入れて世界選手権レースにもう一年だけ踏みとどまるか、グループC規定の車を受け入れていたアメリカのIMSA選手権などのカテゴリーに主戦場を移すか、ひと思いにスポーツカー・レースから撤退するかの決断を迫られることとなったのである。自動車メーカー系のワークス・チームは、新規定に合致した車を開発することを迫られたが、もちろん完全な新車は短時間で製作できるものではなく、一九九一年のスポーツカー世界選手権の開幕戦に登場した新規定のワークス・カーは、ジャガー、プジョー、メルセデス・ベンツのみであった。

一九九〇年に世界選手権レースで見るべきところなく終ったトヨタは、新規定によるスポーツカー世界選手権への参戦には前向きで、一九九〇年なかばからトヨタ本社の橋本利幸を中心とした開発チームを立ち上げ、新規定に合致する3.5L自然吸気エンジンを搭載する新車の開発をスタートさせた。車体開発のチーフ・エンジニアは鳩谷和春に任されたが、同時にTRDは新型スポーツカーの設計にあたって外国人デザイナーをひとり雇った。デザイナーの名はトニー・サウスゲートといった。このイギリス人のエンジニアはそれまでTWR・ジャガーのスポーツカーを設計していた男で、他メーカーにさきがけて強度にすぐれるカーボン・モノコックをいちはやく採用するなど、スポーツカー・レース界では優秀なデザイナーのひとりであった。鳩谷はサウスゲートと共同で新型車の開発をすすめることになったが、この3.5L自然吸気エンジン車の開発作業と並行して、サウスゲートにはもうひとつの仕事が用意されていた。全日本スポーツ・プロトタイプ選手権に参戦する予定の3.6Lターボ・エンジン車の改良作業であった。


91CV-91T-2
91CV-91T一九九一年三月の「オートスポーツ」誌および「レーシング・オン」誌に掲載された、初期テスト段階のトヨタ製スポーツカー。この車には90C-Vの九一年向け改良型であることから、「91C-V」の名が与えられた。トヨタは3.5L自然吸気エンジン車の開発に専念するため、この年一九九一年のスポーツカー世界選手権にはフル参戦しないこととなった。ふたたび世界選手権の一戦となったル・マン二十四時間レースにも出走しないことが決ったため、これに合わせて91C-Vは短距離レース専用機としての改修がほどこされている。外見的には、長距離レース用の四灯式ライトをおさめるための大型の開口部がふさがれ、ヘッドライトが小型化されたことと、過敏な操縦特性をうち消すためのボディ前端部の処理が変更を受けたことが特徴となっている。このほか、旋回性能の向上のため前後のトレッド幅が前年型よりさらに広げられ、重心を前方へ移動させるべくホイールベースは90C-Vに比して50ミリ延長された。R36V型3.6L・8気筒ターボ・エンジンは搭載位置が20ミリ下げられ、低重心化に貢献している。写真は二枚とも「def_D11」氏より提供を受けたもの。


91CV-91Fuji-Sekiya-Ogawa-2開発が遅れたため、新型車は一九九一年の全日本選手権開幕戦には投入がまに合わず、第二戦の富士1000キロレースで二台が投入された。写真はそのうちトムスが走らせた一台である。上の写真に見られた新型カウルは、テスト走行の結果ダウンフォース量が不足していることが判明したため使用を見送られ、このレースでは前年型90C-V用のフロントカウルを装着して走った。写真はRacing Sports Carsアーカイヴより。


91CV290C-Vカウルを装着した91C-Vの旧型車との識別点は、リヤウィング翼端板形状およびリヤカウル後端形状である。写真はこの年の全日本選手権第三戦・富士500マイルレース仕様の91C-Vだが、第二戦でもこれと同じ仕様のリヤカウルが使用されていた。前記事の90C-V各部写真と見比べられたい。90C-Vではリヤカウルに装着されていた四灯式テールライトが移設され、端面には排熱用のスリットが設けられている。写真はイグニッションモデル公式サイトより。

90C-Vで機械的な信頼性以外に問題となったのが、燃費セッティングの不完全さと燃費そのもののわるさだった。前者に関してはテスト走行を繰り返すことでほぼ解決することができたが、後者はエンジンまわりを改造しない限りどうしようもなかった。分析の結果、90C-Vではエンジンの排気量に対して冷却能力が不足していたことが燃費悪化の原因と考えられたため、91C-Vではラジエーターが大型化された。しかしテスト走行を行っていくうちに、こんどは大型化されたラジエーターにうまく空気が流れないというトラブルが出てきた。90C-Vの設計では車体両側面にそれぞれターボ・チャージャー用インタークーラーとラジエーターを前後に並べて納めていたが、新車の車体もこの設計をベースとしている以上、ラジエーターは大型化できてもインテーク形状のほうを最適化するのに限界があったのである。けっきょく、突貫工事でラジエーターをフロントに移設し、空いたスペースはインタークーラーを大型化して埋めることになり、この改良型91C-Vのデビューは全日本選手権第三戦・富士500マイルレースと定められた。


91CV-91全日本選手権第三戦・富士500マイルレースでの91C-V。フロントカウル中央天面に、ラジエーターを冷却した空気を逃がすための大型排気口が開いている。この排気口には、車体全体が発生する揚力を減衰させてダウンフォースの効きを安定化させる空力的な効果も付与されていた。レーシングカーの車体は横から見ると正翼断面に近い形状であり、ルーフ上を流れる空気はそのままでは負圧域を形勢し揚力を発生する。この部分の空気流に向けてラジエーターを通過した空気を投射し一様な流れをあえて乱すことで、揚力の発生を抑制している。

一九九一年の全日本選手権は開幕二戦をトヨタの不調に乗じたニッサンが連勝し、コンストラクターズ・ランキングを大きくリードするかたちで幕を開けたが、改修を受けたトヨタ91C-Vが投入された第三戦で、小河等/関谷正徳組がこの年トヨタ勢にとって初となる優勝を記録した。この年ニッサン・ワークスが二台体制で参戦していたのに対し、トヨタ・ワークスは一台多い三台体制で参戦していたため、コンストラクターズ・タイトルをめぐる争いでは若干ながら有利であった。トヨタは第四戦、第五戦でも優勝して三連勝を達成し、コンストラクターズ・ランキングのトップを走るニッサンを追い詰めにかかった。トヨタ91C-Vはここに至ってようやく、当初期待されたとおりの性能を発揮しはじめたのである。しかし第六戦ではなんとか勢いを盛り返したニッサンが勝ったので、トヨタとニッサンのポイント差はふたたび開いた。最終第七戦では、トヨタが優勝しニッサンが三位以下にならなければ、トヨタのコンストラクターズ・チャンピオンは決定しない状況であった。ニッサンとしてはトヨタに勝たせないか、トヨタが優勝してもどちらか一台が二位に入っていればよいという展開で、情勢はややニッサン有利であった。

この年の全日本選手権最終戦は菅生500マイルレースであった。レースは十一月三日におこなわれたが、ちょうど十月二十七日に大分県のオートポリス・サーキットでおこなわれたスポーツカー世界選手権最終戦に参加していたTWR・ジャガーの新型車が、ゲストとしてこのレースに参戦することになっていた。ジャガーの車はF1用のフォード製3.5L自然吸気エンジンを搭載した新規定車で、長距離のレースでは燃費や耐久信頼性に不安があったが、速さはトヨタやニッサンの旧規定車とはくらべものにならなかった。トヨタやニッサンの車は直線で爆発的に加速し、コーナーではゆっくりブレーキを踏みながらよろよろとカーブを曲がっていった。それに比べるとジャガーの車は、まるで磁石か何かで路面に吸い付いているような走りで、コーナリング中にも一瞬たりとも挙動を乱すようなことがなかった。
トヨタやニッサンのエンジニアたちは、このジャガーの存在を必要以上に脅威に感じてはいなかった。新規定車であるジャガーの車はあくまでも430キロの世界選手権レースに合わせて設計されたものであり、800キロを走らなければならない菅生のレースでは、よほどペースをおさえて走らなければ、必ずどこかが壊れるか、ガス欠になって止まってしまうだろうと考えていたのである。じっさい、二台のジャガーのうち一台は、レース途中にサスペンションのパーツを壊して修理に時間を取られ、九位でフィニッシュするのがやっとというありさまだった。
予選前のフリー走行で、トヨタはエースである小河等/関谷正徳のスペア・カーを改造し、ジャガーやプジョーの新規定車を真似た大型のフロント・ウィングを取り付けた車を走らせた (残念ながら詳細な写真は残されていないと思われる。鈴木英紀/Sports-Car Racing Group発行「Sports-Car Racing」Vol.14に、一枚だけ正面からのカットがちいさく掲載されている)。この改造を発案したのはトムスのレース・エンジニアである伊藤宗治であった。トムスではトヨタとは独立した設計プロジェクトとして、フロント・ウィング付きのスポーツカーのデザインを研究していて、ある程度はデータの蓄積があったのである。しかし大急ぎで設計されたフロント・ウィングは何の役にも立たなかったばかりか、かえって車の空気抵抗を増加させる始末で、スペア・カーは三十分ほど走っただけでそそくさとガレージの奥にしまい込まれてしまった。ラップ・タイムは十秒も遅かった。運転していた小河等は苦笑しながらつぎのように言わなければならなかった。
「空力の重要性がよく分ったよ」

予選でははたしてジャガーの新型車が第一位、第二位を独占したが、レースになるとまずラファネル/ラッツェンバーガーのサード・トヨタがジャガーの機先を制して飛び出し、エース・カーの援護役となるべくジャガーを抑えはじめた。しかしこのトヨタは早々にジャガーに追いぬかれて三位に落ちてしまい、その後デフのトラブルでリタイヤしてしまった。前をふさぐ車がなくなったのでジャガーの二台は好きに走れるようになり、かわって三位に上がってきたトムス・トヨタとの差はぐんぐん開いていった。
レース中盤になって、ジャガーの一台がトラブルで脱落したのでトムス・トヨタは二位になった。ペースの違いから、トムス・トヨタがコース上でもう一台のジャガーを追い抜くのはほとんど不可能だったが、ジャガーがトヨタやニッサンと同じ燃費でこのままレースを完走することも、同じくらい不可能と考えられた。しかしもう一台のジャガーには何のトラブルも起きなかった。そればかりか、F1用エンジンを積んだジャガーの車は、トヨタやニッサンの車に与えられたのとまったく同じ量のガソリンで、500マイルのレースを走りきって優勝してしまったのである。二位のトヨタとは四周も差がついていた。
レース後になって、二台のジャガーに燃料関連の規則違反が見つかった。サーキットが各車に支給したものとはちがう燃料が使われていたことが分ったのである。トヨタがこれに対して抗議をおこなえば、ジャガーの車が失格になるのはほとんど明らかなほどの重大な違反だった。そうなれば二位のトヨタは繰り上がりで優勝となるはずであったが、トヨタ側は抗議をしなかった。トヨタの後方、三位と四位でフィニッシュしたのがいずれもニッサンの車で、かりにジャガーが失格処分を下されてトヨタに優勝がまわってきても、二位にニッサンが来る以上トヨタがチャンピオンを取れる可能性はなかったのである。ジャガーが勝とうが勝つまいが同じことだった。トヨタはまたしても戦いにやぶれたのである。


91CV-91Fuji-Sekiya-Ogawa-391C-V以降のトヨタ製旧規定グループCスポーツカーがこの車の直系の改修型であることは、マニアには周知の事実として知られているが、この車も元をたどれば大改修を受けた90C-Vであるということができる。じっさい、ラジエーターがフロントに移動されたことと、これにともない前後カウルの造形が変更されていることを除けば、外見上90C-Vと91C-Vを区別する要素はほとんど無い。翌一九九二年になると、トヨタは3.5L自然吸気エンジン搭載の新規定車でふたたび世界スポーツカー選手権に参戦することになり、全日本選手権に参戦するチームへの支援は大幅に縮小されたため、この91C-Vが旧規定車としては事実上最後のトヨタ・ワークス・カーということになる。写真はイグニッションモデル公式ブログより。

トヨタ91C-Vは五台が製作され、三台がトムスに、二台がサードに供給されたとされている。シャシー・ナンバーに関しては不明な点が多く、前述の鈴木英紀発行「Sports-Car Racing」Vol.14 (長いので以下「SCR/14」と表記) に記載された主張や、当時の雑誌の記述・写真から推測できる要素などを極力取り入れたが、残念ながら最後までその全容の完全な解明はできなかった。以下の記述はすべてこれらの材料をもとにした筆者の推測であり、この記述が正しいという保証は一切無いことをことわっておく。

シャシー・ナンバー001の91C-Vは、一九九一年二月までに完成し、三月に富士スピードウェイでシェイクダウン・テストをおこなった。五月の全日本選手権第二戦でトムスのNr.36 小河/関谷組が使用し実戦デビューしている。同月中にラジエーターをフロントに移設する大改造を受け、第三戦・富士500マイルレースではトムスのNr.37 リース/エルグ組が使用したと思われる (ナンバー003の項参照)。第四戦以降はふたたび小河/関谷組が使用し、以後最終戦まで使用された。

シャシー・ナンバー002の91C-Vは、おそらくサードに供給され、一九九一年の全日本選手権第二戦・富士1000キロレースから第四戦・鈴鹿1000キロレース、および第六戦・インターチャレンヂ富士1000キロレースと第七戦・菅生500マイルレースで、Nr.38 サードのレース・カーとして使用されたと考えられる。

シャシー・ナンバー003の91C-Vは、おそらく一九九一年の全日本選手権第三戦・富士500マイルでNr.36 小河/関谷組のレース・カーとして投入され、その後第四戦ではNr.37 リース/エルグ/ウォレス組のレースカーに回されたのち、TRDのファクトリーに返却されたと考えられる。「SCR/14」中に「91CV-003は、最初トムスにデリバリーされてミノルタ・カラー (筆者注: Nr.36) で走った後、剛性不足が指摘され、エッソカラー (筆者注: Nr.37) に塗り替えられた。新たにエッソ用として91CV-004が完成した後TRDに戻され (後略)」という記述が見られるのがその根拠である。残念ながら詳細な時期までは記録されておらず、またこの記述の裏を取ることも現在世に出ている資料の範疇では不可能であると言わざるを得ない。
第六戦・インターチャレンヂ富士1000キロレースではトムスNr.36が決勝レースでスペア・カーに乗り換えており、また最終戦・菅生500マイルレースではトムスのスペア・カーを改造した車が走ったことを記事中で言及したが、そのスペア・カーは003である可能性が高い。

シャシー・ナンバー004の91C-Vは、おそらく一九九一年の全日本選手権第五戦・菅生500キロレースに、Nr.37 エルグ/リース組のシャシーとして投入され (前出の記述参照)、その後最終戦までNr.37組が使用したと考えられる。

シャシー・ナンバー005の91C-Vは、サードに供給され、おそらく全日本選手権第五戦・菅生500キロレースにNr.38 ラッツェンバーガー/ラファネル組として実戦投入されたものと思われる。第六戦以降サードは何らかの理由 (「車輌の破損」と言及されている資料が存在するが、この第五戦ではサードは何事も無く完走しており疑問である) により旧モノコック (002) に戻していると見られるため、このシャシーの実戦はこの一戦のみであると思われる。

シャシー履歴を簡単な表にまとめたものが以下の画像である。
91CV


この考察をおこなうに当たり、資料の提供や分析、推察などを行ってくださった「def_D11」氏ならびに「Bou_CK」氏にこの場を借りて深謝したい。

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