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2016年4月30日 (土)

トヨタC-Vシリーズ・終りのクロニクル 「花終る闇」

今回の記事の内容は、二〇一四年に執筆したトヨタ・94C-Vに関する記事をベースに加筆・再構成したものであり、部分的に内容が重複していることを了承されたい。    
この記事をローランド・ラッツェンバーガーの思い出に捧げる。      
      
チーム・サードの加藤眞代表が、主戦ドライバーのローランド・ラッツェンバーガーから「F1のシートを獲得できたので、来季は国内の選手権には参戦できない」と伝えられたのは一九九三年の晩夏であった。何の前触れもなかったという。加藤は全日本スポーツ・プロトタイプ選手権時代から長く一緒にやってきて気心も知れたドライバーを手放すつもりはなく、「F1も二流チームまでならいいが、三流のチームなら行く価値は無いからやめたほうがいい」と諭したが、ラッツェンバーガーの意志は堅かった。彼がオファーを受けたのはシムテックというちいさなチームで、ラッツェンバーガー同様F1は初経験であり、ニック・ワースという腕利きのエンジニアがいるにはいたが、とても二流チームどころではなかった。しかしラッツェンバーガーはヨーロッパでレースをはじめたころからF1を最終目標としていて、このチャンスを逃すつもりはまったくなかった。彼はもう三十三歳で、F1ドライバーとして新しくやっていくにはそろそろギリギリの年齢に差し掛かっていたのである。加藤眞は仕方なく彼に、三月にル・マン用スポーツカーのテストがあることと、その日程を伝えておいた。しかしラッツェンバーガーはテストに現れなかった。彼は三月に開幕するF1の一九九四年シーズンに向けて、すでにシムテック・チームに合流して準備にあたっていたのである。 
   
世界スポーツカー選手権および全日本スポーツ・プロトタイプ選手権が一九九二年をもって崩壊し、アメリカのIMSA選手権も翌一九九三年にスポーツカー・クラスを再編してグループC規定のスポーツカーによるレースを打ち切ると、グループCの車を受け入れるレースはル・マン二十四時間レースただ一戦だけとなった。そのル・マンも世界的なスポーツカー・レースの衰退を見て、レースの主役をスポーツカーから市販GTカーに切り換えるつもりでいたが、一九九四年までは旧規定グループCの車にも出走が認められた。加藤眞は、一九九四年のレースはサードが長年の目標であったル・マンにおける勝利を実現する最大のチャンスだと考えていた。規則変更にともない新規定の3.5L自然吸気エンジンを積んだトヨタ、プジョーの両ワークス・カーはすでにサーキットになく、そうなればレースはプライベート・チーム同士の戦いになるだろうと踏んだのである。プライベート・チーム同士の戦いなら、加藤はどのチームにも負けるつもりはなかった。   
   
市販GTカーとの性能的な均衡をとるため、一九九四年のル・マンに出走する旧規定グループCカーには規則によりさまざまな制約が課せられた。エンジンには前年よりさらに径のちいさい33.4ミリのリストリクターを装着することが義務付けられ、これによりエンジン出力は500馬力から550馬力程度まで落ちた。燃料タンクの容量はGTカー・クラスの120Lに対し80Lとされ、ダウンフォースを減らすために前後車軸の間は完全なフラット・ボトムとすることが要求された。後車軸の手前から立ち上がる大型のディフューザーによるグラウンド・エフェクトでダウンフォースを稼いでいたグループCのスポーツカーにとっては、まるで足枷をはめたまま競走をさせられるような規則であった。すでにレースの主役はスポーツカーからGTカーに切り換えることが決っていた以上、時代遅れのスポーツカーにGTカーよりはるかに速いペースで走られてはまずい、というのがその理由だった。   
   

  

94CV-94T-94Mar一九九四年二月の「レーシング・オン」誌に掲載された、風洞実験中のチーム・サードの車。この車は外見的にも内部的にも、トヨタ92C-V/93C-Vの改修型であったが、年式に合わせて「トヨタ94C-V」の名が付けられた。この時点ではチーム・サードのイメージ・カラーであるブルーに塗られている。リヤまわりを写した写真がちいさく掲載されているが、この時点ではまだリヤ・セクションはほとんど92C-Vと共通であることや、規則変更に合わせてディフューザーの高さが低くなっていること、リヤウィング翼端板が小型化されていることが確認できる。リストリクター装着により出力が落ちたため、R36Vエンジンは低速・中速回転域でのパワーを重視する方向にチューニングされた。   
当初トヨタでは3.6LのR36Vエンジンを3.0L化する案も検討された。排気量を3.0Lまで下げるとリストリクター径が一段階大きくでき、結果として出力を向上できるのである。しかしシミュレーション・テストを行ったところ所期の性能を得られる見込みがなかったため、この新エンジンの開発はキャンセルされた。   
タイヤは九二年までのブリヂストンにかえて、九三年から引き続きダンロップ・タイヤを装着した。ダウンフォースが減ったことによりタイヤにかかる負担が増大すると予想されたことから、サード、トラストとダンロップが共同で一九九四年に向けた専用タイヤの開発を行っている。   
   
F1ドライバーとなったローランド・ラッツェンバーガーは一九九四年開幕戦のブラジル・グランプリを予選落ちで終えたが、第二戦のパシフィック・グランプリでは二十六位で予選を通過すると、そのまま十一位で完走を果たし、日本のファンの前で健在をアピールした。第三戦はサンマリノ・グランプリだった。レースにそなえて四月末にイモラ・サーキットへやってきたラッツェンバーガーは、そこでたまたまマツダスピードの大橋孝至監督に出会い、昼食を共にした。大橋は、彼の姿を認めた最後の日本人となった。    
一九九四年四月三十日はサンマリノ・グランプリの予選二日目だった。ラッツェンバーガーはいまだ完成度の低いシムテック・フォードの車で、予選を通過しようと懸命にアタックした。ラッツェンバーガーの車が突然コントロールを失い、コース中ほどにある右回りの高速コーナーでコンクリート・ウォールに激突したのは、彼が二周連続のタイム・アタックに入っていった直後のことだった。前の周回で縁石に当てて破損したフロント・ウィングが脱落したのが原因であった。   
この日、休暇をとって個人的にグランプリ見物にやってきていたチーム・サードのスタッフがあった。彼は観客席から一部始終を見届けると、すぐにチーム監督に連絡を入れた。    
「ローランドがクラッシュして、病院に運ばれました」   
加藤眞はこの連絡を受けた瞬間、「たぶんもうダメだろう」とだけ返事をした。彼らのローランドは助からなかった。加藤眞が「F1に行く」といったラッツェンバーガーの瞳に見ていたという死の影は、まぼろしではなかったのである。   
   
   
00スパークモデル製1/43スケールモデル、一九九四年ル・マン二十四時間レースに参戦した二台のトヨタ94C-Vである。右のNr.1・シャシーナンバー94C-V 005がチーム・サードのマウロ・マルティニ/ジェフ・クロスノフ/エディー・アーヴァイン組、左のNr.4・シャシーナンバー94C-V 002がトラスト・レーシングのジョージ・フーシェ/スティーヴン・アンドスカー/ボブ・ウォレック組である。品番はそれぞれS1378/S1379。チーム・サードの車には当初ローランド・ラッツェンバーガーが乗り込む予定であったが、代役としてサードから九二年のル・マンを走ったエディー・アーヴァインが招聘された。   
   
   
16この年からサードの車はふたたび日本電装のスポンサー・カラーに塗られるようになった。九二年と同じく、サードの車は大型のダイヴ・プレーン、トラストの車はやや小ぶりなダイヴ・プレーンを装着しており、細部の設定が二チームで異なる。   
   
   
0693C-Vまでの車と94C-Vの外見上の違いとして、このロング・テール化されたボディを上げることができる。前述の規則によりダウンフォース量が減ったため、最適なボディ形状を検討すべく風洞実験がくりかえされた。これにより車全体の印象がそれまでのトヨタ製スポーツカーとはだいぶ違って見える。   
   
予選ではサード・トヨタが四位、トラスト・トヨタが八位につけた。サード・トヨタのタイムは3分53秒010で、九二年のタイムとくらべると13秒も遅かった。九四年のル・マンでも、サードはそれまでどおり積極的なタイム・アタックはまったく行わず、決勝レースに向けてのセッティング作業に専念したが、それでもサード・トヨタの予選タイムは予選第一位のタイムと2秒ほどしか違わなかった。このレースで優勝を争うことになるだろうと目されていたダウアー・ポルシェの二台はそれぞれ予選五位と予選七位で、ラップ・タイムもほとんど同じくらいだった。レースは激しい戦いになりそうだった。   
   
   
05リヤカウルの処理もサードとトラストで違っており、特に後端面の形状は二台で大きく異なっている。同じ白と赤のカラーリングだが、トラストの赤色はややくすんだ色合い、サードの赤色はそれに比べると彩度の高い赤色になっている。モデルの品質はさすがスパーク製といったところである。二〇一二年発売のやや古い金型であるため、細部に若干の組み付け不良が見られるが、よほど注意して観察しなければわからない、というレベルだろう。   
   
   
10サード車の大型ダイヴ・プレーンはエッチングパーツで再現されている。実車同様、92C-V (二〇一五年発売) と基本的な部分は共通と思われるが、やはり後発だけあって92C-Vのほうが細部に至るまで仕上げが綺麗であるように感じる。原型の問題と思われるが、フロントオーバーハングがやや長いように見えることと、正面から見たときのキャビン・セクションのラインが少々実車と違っていることがすこし残念である。   
   
   
11トラスト車のフロント周り。前記事にも書いた通り、トラストが九二年に使用した92C-V 001の個体は同年クラッシュにより大破しており、九三年・九四年のル・マンではスプリント専用車「トムス・スペシャル」の92C-V 002モノコックに補強を加えて使用した。トムス・スペシャルの面影はフロントカウル上部のラジエーター排気口フェンスに見て取ることができる。モデルでは高さが実車より低くなっているが、フロントガラス付近のフェンスに左右一箇所ずつちいさな切り欠きが設けられている。これはトムス・スペシャル特有の処理で、サード車には見られない。フロントにある牽引フックの位置も二台で異なり、サード車はラジエーター排気口左側、トラスト車は写真では写っていないがフロントカウル前端、右側開口部の奥にある。九二年の92C-V以降、トラストの車にはルーフ前端中央部に横長の識別灯が取り付けられており、モデルでもこの突起が再現されている。   
   
   
09

  

94CV-94LM-Irvine-Martini-Krosnoff-Ratzenberger-11サード車のルーフ上にはル・マンを戦った三人のドライバーの名前に加えて、当初出走する予定だったローランド・ラッツェンバーガーの名前も書き記されているが、モデルではこのドライバー名の書体が実車とまったく違うものになってしまっている。参考として実車の写真を配した。   
   
大方の予想通り、レースはスタート直後から二台のトヨタと二台のダウアー・ポルシェの激しいトップ争いが繰り広げられた。ダウアー・ポルシェは本来スポーツカーであるポルシェ962Cを市販スーパーカーとして改造したもので、GTクラスからの参戦であったためレギュレーション上はトヨタより有利であった。しかしサード・トヨタとトラスト・トヨタの二台は、ダウアー・ポルシェのアルミ・モノコックに対してカーボン・モノコックを使っていたためシャシー性能にすぐれ、またダンロップと共同開発した専用タイヤも大きな威力を発揮したため、総合的にはダウアー・ポルシェよりわずかながら速く走ることができた。ダウアー・ポルシェの相次ぐマイナー・トラブルにも助けられ、深夜過ぎになるとトラスト・トヨタ、サード・トヨタの二台が第一位、第二位を独占したまま、後続の車を徐々に引き離しはじめた。   
日曜午前四時頃になって、トラスト・トヨタの車が優勝争いから脱落した。トヨタの持病であったギヤボックス・トラブルが発生し、ギヤボックスをまるごと交換しなければならない事態におちいったのである。この交換作業で一時間近くをロスしたトラストの車は、優勝の望みをほぼ絶たれた。かわってサード・トヨタがトップに立ち、ただ一台残ったトヨタ車として、一九九一年以来の日本車によるル・マン総合優勝をめざして走ることになった。   
   
   
04フロントの形状は92C-V以来ほとんど変わっていない。実車のフロントアンダーパネルはカーボン・ケブラーで出来ており、モデルではデカール仕上げによりこの素材の特徴的な色味を再現している。ライトカバーの薄いフィルム様のパーツの接着がやや歪んでいるのがわかる。   
   
トップを走るサード・トヨタと二位・三位まで追い上げたダウアー・ポルシェとの差はじりじり開いていき、フィニッシュまで数時間を残すばかりとなった日曜午後にはその差は四周になっていた。日本向けにル・マンのテレビ放映を行っていたテレビ朝日に解説者として呼ばれていた津々見友彦は、ちょうどこのときチーム・サードのピットを訪れ、栗谷監督に簡単なインタビューを行った。インタビューの最後にサード・トヨタの勝利を確信した津々見は栗谷に「おめでとう」といって握手をもとめたが、栗谷は手をスッっと引っ込め、握手をしようとしなかった。栗谷はつぎのようにいった。   
「いや、まだ何が起こるかわからない」   
けっきょく津々見友彦は、握手をせずにチーム・サードのピットをあとにした。   
   
最終シケインを立ち上がってピット前のストレートを加速してきたサード・トヨタのジェフ・クロスノフが突如スピードをゆるめ、ピット・ロード出口の脇に車を止めたのは、レースが残り一時間十五分となったときだった。突然の出来事に誰もが一瞬言葉を失うなか、ジェフ・クロスノフは車を降りると、車の後部に手を突っ込んで、何かを操作しはじめた。クロスノフは三分か五分ばかり停車していたが、やがてふたたび車に乗り込みドアを閉めると、リタイヤに備えて群がってきたコース・マーシャルたちを振り切るように、再スタートしていった。しかしそのペースは緩慢で、ストレートを全速力で加速してきたほかの車にくらべると、まるで歩いているようなスピードだった。このときサード・トヨタはギヤボックスとシフトレバーをつなぐ金属製のパーツを折損しており、ジェフ・クロスノフはギヤボックスを手で直接操作して、無理やりギヤを三速に固定し再スタートしたのである。トヨタのグループCスポーツカーにおける持病であったギヤボックスのトラブルが、最悪のタイミングで発生してしまったのだった。サードの車にはこれに対する最後の防護措置として、車外からギヤボックス内部に直接操作をくわえて任意のギヤに固定できるギミックが搭載されていたが、クロスノフは事前にその方法をメカニックからきいて知っていたのである。まったく栗谷監督の言った通りで、ル・マンは最後まで何が起きるかまったくわからないレースだった。   
   
ジェフ・クロスノフはギヤがつっかえてしまった車でまるまる一周をスロー走行し、よろよろとピットインしてきた。栗谷監督の号令のもと、疲れきったチーム・サードのメカニックたちは最後の力を振り絞り、素早くリヤカウルを取り外すと破損箇所の修理にあたった。作業はなかなか終らなかった。破損した部分がちょうどエンジンとモノコックの結合部付近にあったのである。修復に十四分かかった。一周分をスロー走行したのと合わせると、サード・トヨタはすでに三十分近く遅れていた。こわれたパーツを交換し、当初の予定通りジェフ・クロスノフからエディー・アーヴァインに交代したサード・トヨタの車が轟音を上げてピットアウトしていったとき、サード・トヨタはトップのダウアー・ポルシェから一周遅れの三位に落ちていた。残り時間が一時間では再逆転は絶望的だった。   
加藤眞は思った。   
「いまさらおめおめと三位で帰れるか。こうなったら二位かリタイヤかどっちかだ」   
勝ち目がないことを知りながらも、加藤は車に乗り込んだエディー・アーヴァインに声をかけずにはいられなかった。   
「わかってるだろうな」   
エディー・アーヴァインはただひとこと、みじかい返事をした。   
「ああ、わかってる」   
   
コースを一周まるまる三速に固定されたまま走ったサード・トヨタの車は、三速ギヤが摩滅して使えなくなっていた。しかしエディー・アーヴァインはそんな状態の車で二位のダウアー・ポルシェをはげしく追い上げた。アーヴァインのラップ・タイムは、ギヤの故障によって落ちるどころか、むしろそれまでサード・トヨタがレース中に記録したどのタイムよりも速かった。すでに各車がフィニッシュにそなえてスロー・ダウンするなかで、二位を守ろうと必死に逃げるダウアー・ポルシェと、それを全速力で追いかけるサード・トヨタだけがレースをしていた。のちに加藤眞は、このときのアーヴァインの走りを、「あれはローランドの魂が乗り移った走りだったのではないか」と回想している。   
   
最終ラップに入る直前、最終シケイン手前で二位のダウアー・ポルシェが進路を周回遅れのGTカーにふさがれ、一瞬加速がおくれた。真後ろにつけていたエディー・アーヴァインはそのロスを見逃さず、とっさに走行ラインを変えてこのダウアー・ポルシェを外側から追い抜いていき、最後の最後で二位に上がった。ピット前のストレートを全開で通りすぎていったエディー・アーヴァインを、チーム・サードのメカニックたちが拳を振り上げなから見送った。まるで優勝でもしたかのような騒ぎだった。レースはダウアー・ポルシェが優勝し、サード・トヨタは一周遅れの二位でフィニッシュしたが、三位に入ったもう一台のダウアー・ポルシェとは2.5秒差しかなかった。四位はトラスト・トヨタだった。厳しいレースを戦い終えたアーヴァインは、フィニッシュ後にインタビュアーがマイクをむけると、つぎのようにいった。   
「ローランドがいりゃあ楽勝だったさ」   
   
一九九四年ル・マンのサード・トヨタは、最終盤にギヤボックス・トラブルが発生するまで、まちがいなく優勝にいちばん近いところにあった。しかし加藤眞の考えでは、レースはギヤボックス・トラブルのみによって失われたわけではなかった。レースがスタートしてからいちばん最初のブレーキ・パッド交換の際、メカニックのひとりがミスをおかしたためブレーキがきかなくなってしまい、この修復に四分ほどロスをしているのである。優勝したダウアー・ポルシェと二位のサード・トヨタの差は四分だった。このことをひいて、加藤眞はつぎのようにいっている。   
「あのミスがなければ、シフトリンケージのトラブルがあっても勝っていたはずです。競技とはそういうもので、野球だってバントのミスで負けることがありますよね。その意味で私は二位だった九四年より、五位だったけどノー・ミスで二十四時間を戦った九三年のほうがいいレースだったと思います」   
   
   
02四人のドライバーの名前を車体に背負ってル・マンを戦ったこのサード・トヨタは、現在ル・マンのサーキット付近にある博物館に保存・展示されている。実車はすでに経年劣化でライトカバーは白化し、各部の塗装は剥がれかけ、往時の勇姿は徐々に失われつつある。当時の写真と、アクリルケースの中のモデルカーだけが、四人のドライバーを乗せて勝利へひた走ったこの車の原初の姿をいまに伝える。   
   
サード・トヨタのレースは、ル・マン二十四時間レースだけではなかった。八月に開催される鈴鹿1000キロレースに、ル・マン帰りのサード・トヨタが参戦する予定になっていたのである。サード・トヨタの車はフランスから船便で日本にいったん送り返され、愛知にあるサードのファクトリーで分解整備を受けることになっていた。点検のためにリヤカウルを開けた加藤眞は驚愕した。リヤダンパーを接続する部品に大きな亀裂が入っており、あと数ミリで完全に破断するというところだったのである。もしレース中にそんなところが壊れていたら、大クラッシュにつながっていたかもしれなかった。まるで事故死したラッツェンバーガーが天から見守っていたような、このうえなく劇的なレースであった。トヨタ製グループCスポーツカーがル・マン二十四時間レースのスターティング・グリッドに並んだのは、この年が最後だった。   
   
一九九六年七月十四日、カナダ・トロントで行われたインディーカー・レースで多重クラッシュが発生した。追い抜きにかかろうとした車が前を走るステファン・ヨハンソンの車に接触し、宙を舞ってキャッチ・フェンスに激突したのである。この事故でドライバーと、巻き添えとなったコース・マーシャルが死亡した。ヨハンソンを抜こうとしてクラッシュしたドライバーの名前は、ジェフ・クロスノフといった。九四年ル・マンで、走ることをあきらめたサード・トヨタ94C-Vにふたたび命を吹き込んだ男である。   
   
トヨタ94C-Vは二台が同ナンバーのトヨタ91C-Vから、92C-V、93C-Vを経て改修された。一九九四年以前の各シャシーの戦績については、前記事を適宜参照されたい。   
   
シャシー・ナンバー002のトヨタ94C-Vは、トムスの91C-V 002から同チームの92C-V 002、トラスト・レーシングに払い下げられた93C-V 002を経て改修された車で、一九九四年ル・マン二十四時間レースにトラスト・レーシングから参戦し、四位でフィニッシュした。   
   
シャシー・ナンバー005のトヨタ94C-Vは、チーム・サードの91C-V 005から同チームの92C-V 005、93C-V 005を経て改修された車で、一九九四年ル・マン二十四時間レースにチーム・サードから参戦し、二位でフィニッシュした。   
   
(了)

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