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2016年8月24日 (水)

ローラ・ニッサン・グループCプロジェクト・終りのクロニクル (草稿)

つぎの連載企画にむけてネタを暖めつつ資料をあたっていたら、Twitterの方でちょっとした新資料発見の騒ぎになっていたので、とりあえず本式の記事を執筆する前にまとめることにしておきます。これはいわば絵のラフスケッチみたいなもので、精読を前提としないメモ書きのようなものであることをご了承ください (連載がはじまったらこの記事は消すかも?)。例によって、自分が所有しているモデルカーの分だけの記事を書く予定ですが (現在の予定だとR89C・R90CK・R91V・R91CKの四台)、現在筆者が実家に帰省中で写真を用意できないため、連載開始は早くても九月末ごろになるでしょう。いつものことですが遅筆で申し訳ありません。


   

以下のシャシーはすべて英国ローラ社で製作された、GpC規格スポーツカー用カーボン・モノコックである。R89C、R90Cはそれぞれ社内呼称T89/10、T90/10とも呼ばれたが、これはニッサンではなくローラ社の命名規則にしたがった呼び方である。R89Cは四台、R90Cは七台が製作された。なお、各車の現在保存されている仕様に関しては調査が難航しているため、必ずしも正確ではないことをご了承願いたい。

R89C-01:    
1989 (平成1).04完成、04.03~04.05スネッタートンにてジュリアン・ベイリーがシェイクダウン (このときは無塗装)、04.15~04.18にかけて米アリゾナ州のニッサン試運転施設にて連続高速耐久試験 (ドライバーはベイリー、ロビンソン、ブラバム?) を実施、このとき計測最高速度時速386キロを記録。05.04までに (04.末?) -02完成。05.04WSPCディジョン公式テスト (開幕戦・鈴鹿の後)、ドネリー車。WSPCディジョンでレースカー、ル・マンではNr24 (ベイリー/ブランデル/ドネリー)、続くブランズハッチ、ニュルブルグリンク、ドニントンでTカー (レースカー: -04。B.H.ではTカーながらレースで使用)、スパでふたたびレースカー (このレースにスペアカー持ち込み無)。B.H.とニュルブルグリンクの間にSAT1スーパーカップ・ディープホルツ戦にてレースカー (ドネリー優勝)、スパ後に同選手権ニュルブルグリンク・スーパースプリント戦にてふたたびレースカー。以上89年分。   
1990 (平成2) 年WSPC開幕戦・鈴鹿にてNr24 (長谷見/オロフソン) として参戦? 外見R89C後期型、中身はR90CP準拠 (サスペンションレイアウト等)。この車もR90CPと呼称されることがある。実質R90CPだが記録上の扱いはあくまでR89C。   
1990年ル・マン、クラージュ・コンペティションからNr82 (ルゴー/ロス/クディーニ) としてレース出走。アンテナ位置により少なくとも90年WSPC鈴鹿と同じシャシーであることは確実。これが記録に残っている中では最後のレース。足回りなどの仕様 (R89C? R90CP?) 不明。   

R89C-02:    
おそらくもっともドラマチックな人生を歩んだシャシー? 1989.04.末日完成 (日付失念)、05.04WSPCディジョンテスト、星野/鈴木/長谷見 (国内専業だった長谷見をフランスに送り出す意味はあったのか…?) 車。このときは無塗装。ル・マン、Nr25 (北米チーム) として参戦。07.23JSPC第三戦・富士500マイルにて日本デビュー。以後第四戦・鈴鹿1000km (雨天順延)、最終戦・富士1000kmまでNr23 (星野/鈴木)。以上89年分。   
1990年、モノコックはR89CのままにR90CPへ改造を受ける*。JSPC開幕戦・富士500km (03.11) にて引き続きNr23 (ドライバー同じ)、このときR89Cルックであったが登記上R90CP。同第二戦・富士1000km (04.03) より二台ともR90CPルック? レースは雨で中止。04.08WSPC開幕戦・鈴鹿、R90CPとして参戦 (R90CPルック)。ル・マン、R90CP・Nr23 (日本人チーム) として参戦、五位。以降JSPCのNr23として富士、鈴鹿、菅生、富士。以上90年分、記録ここまで。 
現在この個体はR90CP Nr24のカラーリングで保存されている。
【*: シャシーナンバーの打刻は1990年以降もR89C-02のままであった。このことは近年撮影された写真より判明している。もう一台のR90CPがどのようなナンバーを付与されていたのか、現在のところ確認は取れていないが、とりあえずこの個体を便宜的にR90CP-01とし、新造されたほうのR90CPをR90CP-02としておく。この記法は裏が取れているわけではないので格段の注意を要する。】  

R89C-03:    
完成時期不明。1989年ル・マン、R89C Nr23 (日本人) として参戦。以降JSPC第三戦から第五戦までNr24 (長谷見/オロフソン) として参戦。以上1989年分。   
1990年、ルマン商会 (チーム・ル・マン) に払い下げ。R90CP用サスペンションを移植 (実質R90CP?)、キャビンカラー「R90V」として参戦。Vは「V型エンジン」? R90VとR90CPが厳密にどう違うのか未確認。ボディワークは基本R89C、リヤウィング支柱にブサイクな補強材、ライト形状変更 (角形)。JSPC全戦にNr85 (和田/中子+サラ) として、またWSPC開幕戦・鈴鹿にNr25 (和田/アチソン) として、ル・マンにはティノラスカラーNr85 (和田/オロフソン/サラ) として参戦。以上90年分。   
1991 (平3) 年、R91VとしてJSPC開幕戦・富士500kmに参戦 (伊太利屋カラー、Nr25、和田/岡田)。第二戦以降R91VP (この車については後述) 使用のためスペアカー。第三戦・富士500マイルにてR91VP全損・破棄のため第四戦・鈴鹿1000kmより最終戦まで再度レースカー (和田負傷離脱、岡田/影山+サラ)。以上91年分、記録にある分はここまで。   

R89C-04:    
完成時期不明。ニッサン・ヨーロッパのWSPC用スペアシャシー。1989年WSPCハラマ、ブランズハッチ、ニュルブルグリンク、メキシコにてレースカー。以上89年分、記録があるのはここまで。おそらく四台のR89Cシャシーの中でもっとも走行距離が少い?   

R90C-01:    
ヨーロッパ用。完成時期不明 (1990.02までには?)、豪州フィリップアイランド等でシェイクダウンテスト (このときボディワーク仕様違い)。1990年WSPC開幕戦モンヅァにてTカー、続くシルバーストーンではレースカー (Nr23、ベイリー/アチソン)。ル・マンではNr24のTカーとして予選PP。以後WSPCニュルブルグリンクでNr23T、ドニントンでNr24T、モントリオール、メキシコでレースカー (いずれもNr24、アチソン/ブランカテリ)。以上90年分、記録ここまで。   
[現存する車輌に関しては、シャシー・ナンバーは「R90-C-00x」と記述されている (-002で確認)。このプレートはローラ社ではなくニッサン社のものであるため、ローラ側でどのような記法をもちいていたかは判然としない。]

R90C-02:    
北米用。1990年ル・マン、Nr84 (アール/ロー/ミレン) として参戦。90年はこの一戦のみ。   
1991年デイトナ24h、NPTIよりNr83 (アール/デイリー/ロビンソン/ブラバム) として公式テスト含め参戦、二位。以上91年分。
1992 (平4) 年デイトナ24h、NPTIが持ち込んだ三台 (レース2+スペア1) のR90CKのうち一台として参戦。この年は排気量と最低重量のバランスをとる関係で、全車がNPTIの用意した3リッター・6気筒エンジンに換装されての出走であった (オリジナルのグループC仕様は3.5リッター・8気筒エンジン)。このとき、どの車がどのシャシーであったかは判明していない。この年のデイトナに参加したNPTIのR90CKはNr83が (ジェフ・) ブラバム/ロビンソン/ルイェンダイク、Nr83がスタート前に燃料漏れを起こしたためレースで使われたNr83Tが (ジェフ・) ブラバム/ロビンソン/ルイェンダイク/アール、Nr84がデイリー/ミレン/(ゲイリー・) ブラバム組であったが、このうちのいずれか一台であったはずである。記録分ここまで。
現在はこの車を含めた三台のR90CKが座間記念庫にて保管と思われる。現存するR90CKの中で、ニッサン本社などで時折展示されているのはこのシャシー。現在はカーナンバー84の仕様で保存されている。エアロはおおむね北米仕様に準拠するが、実戦仕様と異なっているディテールが多く、あまり考証の参考にはならないと思われる。   

R90C-03:    
ヨーロッパ用。1990年WSPC開幕戦モンヅァでNr23 (ベイリー/アチソン)、シルバーストーンでNr23T、スパで再度Nr23 (ドライバー同じ)。ル・マンではNr24 (ベイリー/ブランカテリ/ブランデル。「三人のB」) レースカー。以後WSPCニュルブルグリンク、ドニントンでレースカー (Nr24、アチソン/ブランカテリ)。以上90年分。   
1991年渡米。デイトナテスト及びデイトナ24hにNPTIよりNr1 (ベイリー/ルイェンダイク/デイリー) として参戦。本戦ではいわゆるランニング・スペアカーであった。以上91年分。
1992年、引き続きデイトナ24h参戦。 おそらく前年同様Tカーであり、この車がスタート前に燃料漏れを起こしたNr83にかわってレースに出走したNr83Tであったと考えられる (Nr84に関しては応急修理を施して出走したとされる)。この説を裏付けるものとして、某巨大掲示板における2004年5月17日の書き込みで「デイトナではローラモノコック特有の燃料タンクのトラブルで燃料漏れが発生したが、NMEはこれを独自に対策し、協力していたニスモもこれに対処していたが、NPTIのモノコックはこの改修がなされていなかった」という旨の記述が見られる。よく知られている通り、1990年ル・マンでNPTIの車が同様のトラブルで優勝戦線から脱落している事実があるためこの説の信憑性はある程度確保されていると思われる。1992年はこの一戦のみ、記録ここまで。蛇足ながら、上記の掲示板でも書き込まれていたが、1990年ル・マンで設計に起因するタンクまわりのトラブルが露見した後も、日本のニッサン本社側はこの所見を北米NPTI側と共有した形跡がなく、ニッサン社内における各組織の連携には疑問符をつけざるを得ない。
1992年デイトナでの当該部分のトラブルに関しては、この問題そのものは1990年ル・マンにてNPTI側の知るところとなった (黒井尚志の著書に、NPTI代表であったキャス・カストナーが、当該部分への対策があらかじめ施されたNMEのローラ・シャシーを見て激怒する場面が描写されており、すくなくともカストナーら上層部は1991年シーズンへ入る時点でこのことを知っていたはずである) ため、それ以降のシャシーに関してはNPTIが対策を怠ったか、または時間や予算の制約により必要十分な対策を施すことができなかったものと思われる。コメント欄の議論も併せて参照されたい。

R90C-04:    
ヨーロッパ用。1990年WSPC開幕戦モンヅァでNr24 (ブランカテリ/ブランデル)。以後シルバーストーン、スパも引き続きNr24のレースカー。ル・マンではNr25 (アチソン/グルイヤール/ドネリー)、レースカーだが決勝は1ミリたりとも走れず。WSPCディジョンにてNr24 (ブランカテリ/アチソン)。以上90年分、記録ここまで。   

R90C-05:    
北米用。1990年ル・マン、Nr83 (ブラバム/ロビンソン/デイリー) としてNPTIより参戦。90年はこの一戦のみ。   
1991年、デイトナテスト・デイトナ24hにNPTIよりNr84 (ベイリー/ミレン/ルイェンダイク/デール) として参戦。91年はこの一戦のみ。以上91年分。 
1992年、デイトナ24h参戦。Nr83またはNr84のいずれかであったと考えられる。92年はこのレースのみ、記録ここまで。  

R90C-06:    
ヨーロッパ用。1990年WSPC後半戦のディジョン、ニュルブルグリンク、ドニントン、モントリオール、メキシコにNr23 (ベイリー/ブランデル) のレースカーとして参戦。以上90年分、記録はここまで。   
1991年、下記のノバ・ローラのスペア・カーとして渡日。少なくとも1991年JSPC開幕戦において、実際にスペア・カーとして持ち込まれていたことが確認されている。このときノバは二台のR90Cシャシーに独自のナンバーを振っており、スペア・カーが「065」、レース・カーが「075」であったと記録されている。「065」に関しては「オートスポーツ」誌の1991.5.1号 (Nr.580) に「(WSPC) モントリオール、メキシコで実際に走った」シャシーとされており、後者のシャシーは英国からバラ部品のまま日本へ輸送されノバ側で組み立てられたとの記述があり、おそらく「075」があらたに発注した07、コンプリート・カーとして持ち込まれたスペア・カーが01または06 (番号の振り方を見ると06であった可能性が高いと思われる) であろう。 現在このシャシーはノバ・R91CKの最初期型の姿で、ニッサンの座間記念庫に保管されている。

R90C-07:    
日本用。ノバ・エンジニアリングがJSPCにおけるポルシェの使用を終了したため1990年中にローラに発注 (当時ノバはF3000でローラの代理店だった)。ワークス仕様ニッサン・エンジン搭載。1991年JSPC開幕戦・富士500kmにて、「ノバ・R91CK」としてデビュー (Nr27、中谷/ヴァイドラー+ダニエルソン)。当初はR89C後期型のような見た目だったが、同年第三戦・富士500マイルより特徴的な二段式リヤウィング装備。JSPC最終戦まで参戦。以上91年分。   
1992年、1月~2月にデイトナテスト・同24hレース参戦。事前テストでは星野/鈴木/アチソン、24hレースではマルティニ、ヴァイドラー、クロスノフが操縦 (いずれもNr27)。1992.04より、Nr27 (ヴァイドラー/マルティニ+金石) としてJSPC参戦。07.26、第三戦・富士500マイルよりヘッドライト移設 (フロント→コックピット内部)。このレースを最後にヴァイドラー引退。08.30、SWC鈴鹿1000kmにNr44 (マルティニ/金石/クロスノフ) としてスポット参戦。JSPC第四戦・菅生500km以降はマルティニ/金石/フレンツェン体制で最終戦・美祢まで参戦。以上92年分。   
1993 (平5) 年、大改造を受けR93CKに (ドアがいわゆる「開口窓」に、リヤウィング変更、ボディワーク大変更、軽量化)。同年ICL鈴鹿1000kmに参戦、二位。以上93年分、記録ここまで。   

           
   

また、以下のシャシーはニッサン・宇宙航空事業部 (20世紀末の業績不振のおり清算、石川島播磨に吸収) にて内製された、GpC規格スポーツカー用カーボン・モノコックである。本連載の趣旨からは外れるため連載ではあつかわない予定だが、同時期のニッサン・スポーツカー活動と深い関連を持つためあえてここに記す。R90CPは新車1+改造1の二台、R91CPはすべて新造の五台が存在する (した) と思われる。1992年用R92CPは、モノコックがR91CPと共通であり、そのシャシー・ナンバーはR91CPからの連番であることが判明している。しかしそれ以上のことはわかっておらず、特に1991年中のワークス・チームのシャシー運用に関して不明な点が多い。
R90CPはローラ製モノコックの影響を色濃く残す設計であったが、R91CPは水野和敏や林義正らニッサン側の人員によって (ローラ製がベースとなったかもしれないが) 基本的にはゼロから設計されたものであり、モノコック形状はまったく異なる。R91CPにおいてはサスペンションのピックアップ・ポイントやジオメトリが全面的に変更され、レーシングカーの常識に逆らってロールセンターを高めにとるようなセットが施されていた。車室は若干広げられ、また各種操作パネルの配置には人間工学が応用されるなど、競技用スポーツカーとしては一種異例の「味付け」がなされていた車である。後述するが、ニッサンはこの車をプライベート・チームに大々的に供与することを考えており、ワークス・ドライバーではない、技量・熟練度ともに劣る操縦者が操縦することを想定した結果であるとされる。
R92CPはR91CPのモノコックを使用して製作されたが、前年型のサスペンションは操縦性を改善するかわりにタイヤに過大な負荷をかけることが判明したため改良され、また後輪のサイズが19インチから18インチへ縮小されている。
   
R90CP-02:    
完成時期不明。R90CP-01についてはR89C-02参照。内製モノコック。1990年JSPC全戦にNr24 (長谷見/オロフソン) として参戦。1990年はこれ以外の戦歴無し? 以上90年分。 
1991年開幕戦、新車R91CPの準備がまに合わなかったNr1 (長谷見/オロフソン) 用のレースカーとして、R90CP仕様のまま投入された。第三戦・富士500マイルにて当該カーナンバー組のR91CP-02がクラッシュで全損したのち、第四戦・鈴鹿1000kmレースにて当初スペアカーとして持ち込まれ、レースで使用されたR90CPのシャシーもこの個体であったと推測される。91年分はこの二戦のみと思われる。記録分ここまで。

R91CP-01:
1991年JSPC、全戦にNr23 (星野/鈴木)として参戦。以上91年分。全日本のみ。   
1992年1月~2月、北米。デイトナテスト・デイトナ24h本戦参加、優勝 (Nr23、日本人+オロフソン)。この後おそらく一度オーバーホールしたうえでチーム・テイクワンに払い下げ。R91CP改としてJSPC鈴鹿、富士、富士、菅生、富士、美祢の全戦に参加 (Nr61、岡田/ダニエルソン)。以上92年分。記録に残っている分はここまで。   
シャシーは現存しており、現在は1992年JSPCに参戦したテイクワン・ニッサンR91CP改の仕様で保存されている個体がこれにあたると推測される。R91CP-03の項も参照されたいが、もともとデイトナ24h参戦仕様で保存されていたものが、のちにモノコック・タブのみを交換されたものと考えられている。

R91CP-02:    
完成時期不明。1991年JSPC第二戦・富士1000kmより、Nr1 (長谷見/オロフソン) 用R91CPとして投入された (と推測)。続く第三戦・富士500マイルにおけるクラッシュで損傷し、以後この年にレースをすることはなかったと思われる。以上91年分。 
1992年シーズンに使用されたR92CPのうち一台が、修復を経たこのシャシーだったのではないかとされている。現在、このシャシーはR92CP Nr.24の仕様で保存されていることがシャシー・プレートの撮影により確認されたことがその根拠であり、1991年のクラッシュ後どこかの時点で修理されたと考えられる。もし現在の仕様が当時と同じものであれば (そうである保証はないのだが)、この車は1992年のJSPC (おそらく開幕戦~最終戦まで) に参戦したNr24 (長谷見/影山+クロスノフ) ということになるが、この情報は未確定である。
1993年、インター・サーキット・リーグの一戦として開催された鈴鹿1000kmレースで、ルマン商会のチーム・ル・マンから出走した (実際の整備や運営はニスモが担当) 伊太利屋カラーのR92CP Nr25 (和田/鈴木) は、この個体であったとされている。93年はこの一戦のみ、記録分はここまで。

R91CP-03:    
上述のクラッシュを受けて、1991年JSPC第四戦以降のNr1用シャシーとして投入されたと推測される。そうであれば、第五戦・菅生500kmから最終戦・菅生500マイルまでNr1として使用されたと考えられる (R90CPが使用された第四戦にも、一応Tカーとして待機はしていた事実が当時の雑誌に記述されている。すなわち第三戦・鈴鹿1000kmで旧型のR90CPが引っ張りだされたのは、新モノコックの製造の遅れによるものではないと考えられる。このシャシーはおそらく開幕当初からスペアカーとして待機していたと思われる)。以上91年分。 92年の実戦記録は無いと思われる。
現在R91CP-03は1992年デイトナ24時間レース参戦車の仕様で保存されている。この個体はもともと1992年JSPCに参戦したテイクワンR91CP改の仕様であったと思われるが、おそらく2008.11から2009.01のあいだにモノコック・タブを交換され、現在の仕様となったと思われる。

R91CP-04: 
1991年JSPC第二戦・富士1000kmから、ルマン商会が「R91VP」という名のオリジナルシャシーとして、Nr25 (和田/岡田) で参戦。翌第三戦・富士500マイルにて和田がクラッシュし全損したため、R91VPとしてレースを走ったのはこの二戦だけであった。その後修復などはなされず、破棄されたのではないかと推測される。ルマン商会は以後のレースでは旧型 (R89C-03) のR90Vを「R91V」として使用した。記録分ここまで。
ニッサンはほかのマニュファクチャラー・チーム同様、伝統的にカスタマー・チームには一年落ちのシャシーを供給してきたが、1991年に向けてセミ・ワークス待遇のチームを設ける意向があったため (当時すでにポルシェの凋落で存続そのものが危うくなっていたJSPCのエントラントを確保する意図もあったと推測する)、ニッサンがスポーツカー・レース活動を再開した当初からのカスタマー・チームであったルマン商会 (チーム・ル・マン) に新型を一台供給することとなった。しかし関係者の弁によると (下記脚注も参照)、当時R91CPは北米のIMSA-GTPレースやヨーロッパの世界選手権レースに参戦するエントラントからも引き合いがあったためそのまま供給するわけにはいかず、当該関係者によると「ルマン商会に資金とデータ共有、先行開発部品の耐久チェックを条件にR90CP改名目でR91CPの4号車を出した」という。三栄書房刊「日本の名レース100選・057 '91 富士1000km」において、この車が「R90CP改」であるとされているのは、この「対外的な身分」の関係であると思われる。R91VPにはR90CP系で使われていたテール・ランプの部品が取り付けられていたり、リヤウィング部分がワークス・カーと異なる設計となっていたが、これにはおそらく対外的にこの車が最新型シャシーであることを隠蔽する目的もあったのではないかと推測したくなる。

R91CP-05:    
1992年用R92CP。おそらく1991年シーズン終了後に製作されたと思われる。2012年時点で確認された情報 (http://mr11herono.blog.fc2.com/blog-entry-326.html) では、R91CP-05がNr1 (星野/鈴木、最終戦のみ星野/和田) の塗装で保存されていることがわかる (しかし現役当時もそうであった保証は無い)。

<脚注>: もしR89C/R90CP (ローラ製) およびR91CP (ニッサン製) のモノコックがバスタブ・タイプのものであれば、前者を後者に改造することはわけない作業である。しかしそうではなく、こんにちのスポーツカーにおいて一般的な、ルーフまで一体成型のモノコックであった場合、そうすることはむずかしいのではないかという指摘をTwitterで受けた。前者と後者の外見上の相違点は、主にフロントウィンドウ周辺の曲率 (形状) の違い、側面窓後端から給油口までの距離、また燃料タンク周辺のボディワークの分割ラインの違いだからである。このあたりを改造するにはモノコックの構造からメスを入れなければならなくなる。こと記事中で言及したR91CKに関しては、現存する写真を観察すると、あとから工作をおこなって給油口周辺にパネルを追加し、外見上この部分がR91CP準拠の仕様に見えるように加工されている、とも見える。R91VPに関しては、フロントウィンドウまわりの造形 (下端の曲率がゆるやか)・側面窓と給油口の位置関係 (距離が狭い)・燃料タンク付近のボディワーク分割ラインのすべての要素が、R91CP準拠モノコックのように見える。しかし一方で、三栄書房の「名レース100選」内において、この文献がどこまで信用できるのか定かでないにしろ、はっきりと「(R91VPは) R90CP改」と明示されている以上、これをないがしろにすることは難しいと思われる (単なる誤記・誤植であることが分ればそれはそれとして解決できるが…)。本稿ではまず三栄書房の記述があることと、ニッサン系カスタマー・チームであった1990年のルマン商会や1992年のテイクワン・レーシングがいずれも一年落ちのシャシーを供給されていた事実を鑑み、これらをもってR91VPはR90CP改であったという説の根拠とした。より有力な反証をお持ちの方はぜひご教示いただきたい。
[2016.09.06追記: Bou_CK氏のブログにおいて、当時の関係者を名乗る人物からこの部分の不確実さをかなりまで払拭するコメントが投稿されたため、このコメントの記述にしたがい、当ブログでもR91VPはR91CP-04であったとする説を採用した。コメントを寄せてくださった人物に対し、ここに最大限の謝意を表明するものである。情報提供まことにありがとうございました。]

[2016.10.31 再改稿]

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コメント

こんばんは。初めてコメントします。気が付いた点 2点あります。

>1990年ル・マンで設計に起因するタンクまわりのトラブルが露見した後も、日本のニッサン本社側はこの所見を北米NPTI側と共有した形跡がなく、
と、ありますが、黒井さんの本P239に、NPTIのキャス氏が、先にリタイアしたNME車には、ガスタンクに対策がされているのを見て、激怒する場面が詳細に記載されています。
デイトナ時には NPTI、欠陥を知っていたはずですよ。 対策が不十分だったのでは??

あと1点は、91~92年JSPC各イベント・オフィシャル・プログラムには、
NOVAは、№27とは別に T27 を登録しているのが記載されています。
もう1台は、ウロ覚えですが、当時の雑誌にはEX)NME車だったとあった様な気がします。
どのシャーシだったのでしょうか??

以上ですが、期待していますので 宜しくおねがいします。

NP35R35の水野さんファン氏、コメントありがとうございます。

「黒井さんの本」に関してのご指摘、おそらく黒井 尚志・著「ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち」のことと思われます (違っていたらごめんなさい) が、じつは当方黒井氏の著書を所有しておらず、こちらで確認することができませんでした。いちおう参考記述として当該部分を改稿しておきました。ご指摘ありがとうございました。
NPTIのキャス氏というのは、こちらはおそらく当時NPTI代表の地位にあったキャス・カストナー氏のことですね。たしか北米ニッサンから送り込まれてきた人だったかと記憶しています。

さてR91CKですが、調べた所「オートスポーツ」580号 (1991.5.1) に、これを裏付ける記述がありましたので、この部分も加筆しておきました。結論から言えば、当時ノバがスペアカーとして運用していたのはR90CK-06の可能性が高いです。
ちなみに、来る2016年11月26日の週末に鈴鹿サーキットで開催される「サウンド・オブ・エンジンズ (SoE)」というイベントにて、おそらくこのR90CK-06がR91CKとして展示走行を行うそうです。筆者も参加する予定ですが、その際に何らかの新たな情報を得られることを期待しています。

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