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2018年2月

2018年2月25日 (日)

新大陸より ~SCG 003Cプロジェクト~

ドイツ・アイフェル山中で毎年五月末頃に開催されるニュルブルグリンク二十四時間レースは、現在世界各国で開催されているプロフェッショナル~セミ・プロレベルの二十四時間レース大会のなかでは、ベルギーのスパ=フランコルシャン二十四時間レースと並んで、最も早い時期からFIA GT3規格の車輌を受け入れてきたことで知られている。いわゆるGT3カーが初めてニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦したのは二〇〇九年のことであったが、GT3規格の「ある程度高性能な市販車ベースのレーシングカーを、低価格で広く提供する」という方針にニュルブルグリンク二十四時間レースの方向性が合致し、二〇一〇年代初頭までには総合優勝をあらそうチームはすべてGT3カーで参戦するようになっていった。同レースにおける最後の非GT3車による優勝は二〇一一年のマンタイ・レーシング・ポルシェ911GT3 RSR (当時のGT2規格。現在ではGTEに分類されるカテゴリ) によるものであり、この年以降は総合優勝争いにGT3規格以外の車輌が絡む光景は見られなくなった。

投資家・B級映画監督・番組プロデューサーの肩書を持つアメリカ人ジェームス・グリッケンハウスは、自身のファミリー・ビジネスである株式投資で財を成し、その財産を趣味の自動車コレクションに注ぎ込んでいた。無類のフェラーリ好きであった彼は、クラシック・フェラーリのさまざまな名車を購入するだけでは飽き足らず、フェラーリのスーパーカーであるエンヅォ・フェラーリをベースとしたオリジナル・デザインの車輌を、デザイン工房であるピニンファリーナ社に発注するに至った。この車は「フェラーリ・P4/5」と名付けられ、グリッケンハウスはそのレース仕様車である「P4/5コンペティツィオーネ」を二〇一一年のニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦させたのである。P4/5Cはエンヅォよりひと回りちいさいフェラーリ・F430スクーデリアをベースとしており、車体設計は当時のFIA GT2 (現GTE) 規定に準拠して製作されていた。この車は翌二〇一二年には「P4/5C M」(Mは伊語「改造」を意味するModificataと思われる) へとアップグレードされ、総合一二位で完走するに至ったが、非公式のレース活動に関与することを避けたがったフェラーリ側が部品類の供給を停止したため、ジェームス・グリッケンハウスのレース活動はこの年限りでいったん途絶えることになった。

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スパークモデル製・品番SG334、「トラウム・モータースポーツ・SCG003C」1/43スケールモデル。二〇一七年のニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦した二台のSCG 003Cのうち一台、シャシー・ナンバー4の個体を再現している。カーナンバー704の当該個体はジェフ・ウェストファル/フランク・マイユー/アンドレアス・シモンセン/フェリペ・F・ラザーの四名が操縦した。SCGは「スクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス」の略 (キャメロンは母方の姓) で、このオリジナル・カーを製作するために立ち上げられたメーカーの名称である。

フェラーリからの援助が見込めないと知ったグリッケンハウスは、しかしレースをあきらめようとはしなかった。フェラーリ車が使えないのであれば、自身の名を冠したオリジナルの車でニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦しようと考えたジェームス・グリッケンハウスは、元ピニンファリーナ社の技師パオロ・ガレッラを頼り、ガレッラが立ち上げた「トリノ自動車製作所 (Manifattura Automobili Torino)」に、彼のための新型車の設計を一任した。ガレッラはピニンファリーナ時代にグリッケンハウスの依頼でP4/5を設計した人物であり、二〇一一年にM.A.T.を立ち上げた後もP4/5コンペティツィオーネの製作に携わるなど、グリッケンハウスとは縁が深かったのである。二〇一三年に開発が発表された新型車は当初「P33」として公表されたが、二〇一五年のジュネーヴ・ショーで公開された際には「SCG 003」という名称が与えられていた。このうち最初に公開されたレース仕様車は「SCG 003C」(CはCompetizione=競技用の意) とよばれ、心臓部には当時LMP2規格のスポーツカー用に安価で販売されていたHPD HR35TT型 (ホンダ製J型エンジンをベースとしている) 3.5リッター・V型6気筒ターボエンジンが選ばれた。実戦ではこのエンジンをベースに、MAT側でさらにチューニングを施したものを使用しているとされている。ギヤボックスはこのクラスのレーシングカーに多用されるヒューランド製六速セミオートを積む。


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スパークモデルは毎年ル・マン、ニュルブルグリンク、スパ=フランコルシャンの各二十四時間レースに参戦した車輌を多くモデル化しているが、二〇一七年からはル・マンに続きニュルブルグリンク二十四時間レース参戦車にも専用デザインの紙製スリーブ・ケースが奢られるようになった。この年から刷新された大会公式ロゴマークをあしらった清潔感のあるデザインで、目に清々しく映る。


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車体全体を俯瞰する。オリジナル・デザインのレーシングカーでありベースとなる市販車はもとより存在しない (二〇一七年以降、この車をもとに再設計した市販車バージョンが生産を開始するとされており、すでに先行試作型が数台完成している) が、まるでGTカーとプロトタイプ・スポーツカーの折衷のような外見をしている。並列複座式の幅広なキャビンや低いサイドステップ部などは市販車ベースのGTカーを強く想起させる一方で、ボディから半独立式に配された前後フェンダーや細く絞り込まれたノーズ、車体後端に向かって急激に傾斜するボディ後部などは、現代のプロトタイプ・スポーツカーの文法に則って設計されていることが分る。ほとんどワンオフ設計なのだから当たり前といえば当たり前だが、世界中どこを探しても似たようなデザインが存在しない、じつに強烈な車である。

二〇一五年にお披露目されたSCG 003Cは、早速この年のニュルブルグリンク二十四時間レースに二台が参戦した。GT3カーではないため、同規格のために改編されたSP9 GT3クラスではなく、もとは自動車メーカーの先行試作車などのためのクラスであるSP Xクラスからの参戦だったが、エンジン出力などのチューニングはGT3カーと同等に合わせられ、総合優勝を競うGT3カーたちと同じ土俵で戦うことになった。レースでは一台が予選中にクラッシュし、修復がまに合わず決勝レースを欠場することを余儀なくされたが、残った第一号車が予選二十四位から二十四時間の過酷なレースを走りきり、一五一台中三十五位で完走を果たした。この第一号車は途中オルタネーター・ベルトなどのトラブルで長時間の修復作業を余儀なくされたものの、一時は総合十一位まで追い上げ、並み居る強豪チームのGT3カー相手に一歩も引かぬ戦いを演じてみせたのである。

翌二〇一六年、開発・熟成期間を終えたSCG 003Cはいよいよ本格的な攻勢に乗り出した。マッキナ・ウーノ (伊語「一号機」) と名付けられたシャシー・ナンバー1の車輌がNr701、マッキナ・ドゥーエ (同「二号機」) と名付けられたシャシー・ナンバー2の車輌がNr702を背負い、前年と同じく二台体制でニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦したが、ドライバーにニュルブルグリンクのコースをよく知るフェリペ・ラザーやGTレースの大ベテランであるイェロン・ブレーケモルンを加え入れ、主に人材面での強化を図ったのである。この年はNr702が予選二十一位、Nr701が二十三位からのスタートであったが、Nr702は好調に周回を重ね、日付が変わる前には総合四位にまで順位を上げるほどであった。もう一台のNr701もトップテンに食い込むなど勇戦敢闘したが、夜明け前に二台とも過給器のトラブルに見舞われ、修復に時間を取られた結果、またしてもせっかくの勝機を逸することになった。Nr702はその後挽回して一五八台中二十六位で完走したが、Nr701はフィニッシュまであと九十分というところで周回遅れの車と接触しリタイヤに終った。二〇一六年にはニュルブルグリンクでのレース以外に、三月にイタリアのムジェロ・サーキットで開催されたアマチュア向けの十二時間レースにも参戦するなど走行距離を重ねたが、過給器やギヤボックスなどにトラブルが相次ぎ、その対応に追われる結果となった。九月に開催されたニュルブルグリンクのレースで四位に入ったのが、この年のSCG 003Cの最高位だった。


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側面形を見る。鋭く尖ったノーズ先端部やドア直前で裁ち落とされたフロントフェンダー、そこから長い支柱を介して取り付けられるサイドミラー、リヤカウル上の垂直安定板など、おおよそ市販車がベースであるGT3カーとは似ても似つかないスタイルをしている。黄・白・黒のカラーリングは二〇一五年のジュネーヴ・ショー以来使われているSCGのオフィシャル・カラーで、ノーズ先端に戦闘機のようなシャークティースが描かれているのが特徴。タイヤは二〇一五年以来一貫してダンロップ製を使用している。


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リヤウィングはGTカーでも徐々に普及しはじめている吊り下げ式。傾斜したリヤデッキ後端にはガーニーリップが取り付けられているが、左右端部のエア・アウトレットに合わせて高さが変化しており、繊細な処理が施されていることが分る。ディフューザーの高さは現代のGT3カーに比べると若干低いが、ボディ全体で十分な量のダウンフォースを獲得できているという。リヤフェンダーの後端部にかけて、かつてアメリカで流行したテール・フィン様の処理がなされている点にも注目したい。この部分がフェンスとなって、リヤウィングに向かう気流を多少なりとも整流していると思われる。

二〇一七年は、SCG 003Cにとって三年目のシーズンだった。前年からスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウスはSCG 003Cをカスタマー・チーム向けに貸し出す計画を実行に移そうとしており、SCG社のレース活動を統括する組織としてあらたにトラウム・モータースポーツSAが立ち上げられた。ドイツ語で「夢」を意味するチーム名を持つトラウム・モータースポーツが本格的に活動しはじめたこの年、SCG 003Cはその活動期間を通してもっとも優勝に近いところに立っていた。四月下旬におこなわれたニュルブルグリンク二十四時間レースに向けての予選レースで、SCG 003Cがポール・ポジションからトップを快走したのである。自動車メーカーが大金を注ぎ込んで開発したGT3カーの軍勢を、ひとりのアメリカ人の情熱によって作られた一台のレーシングカーが圧倒するかと思われたが、その後SCG 003Cはブレーキ・トラブルでリタイヤしてしまい、初優勝の夢はレース本番に持ち越しとなった。しかしこのレースでSCG 003Cはレース中の最速ラップを記録しており、並み居るGT3カーと互角の勝負をして優勝戦線に斬り込めるだろうという期待は高まった。ドライバーのひとりであるフランク・マイユーは、予選レースを終えた段階でつぎのように語った。
「今年は勝てるチャンスが十分あると思う。過去二年間にわたって、いろいろな信頼性の問題を見つけては解決してきたが、今年は特によい状態でレース本番に臨めると感じている。壊れさえしなければ、勝負はできるだろう」

ニュルブルグリンク二十四時間レースの予選日に、SCG関係者の期待と興奮は最高潮に達した。トップ三十台によるスーパーラップ形式の予選アタックで、Nr704を操縦するジェフ・ウェストファルが8分15秒427のタイムを記録し、ポール・ポジションを奪ったのである。二位のランド・モータースポーツ・アウディとは0.675秒差だった。これには世界中が仰天した。たったひとりの「夢」に突き動かされるようにして製作された、世界のどこにも同規格車の存在しないレーシングカーが、莫大な資金や人員や時間をかけて製作され熟成された市販GT3カーの壁を、ついに突き崩した瞬間だったのである。一九七〇年から四十五回開催されているニュルブルグリンク二十四時間レースの歴史において、ドイツ車以外の車がポール・ポジションを奪ったのは、この年がじつに二度目だった (一度目は二〇一一年大会のフェラーリ・458GTC)。タイム・アタックを受け持ったジェフ・ウェストファルは、つぎのように喜びを表現した。
「(この) 車の開発は、二歩すすんで一歩さがるようなことのくりかえしだったけど、ついにこうして世界でもトップレベルのレーシングカーを倒して頂点に立つことができた。ぼくにとっては大戦果だ」
プロジェクトの推進者であるジェームス・グリッケンハウスも、つぎのようなコメントを残した。
「世界中の情熱ある人間を集めたちいさなチームが、四十台のワークス・カーを相手にまわして対等に戦えるなんて驚きだ。信じられない」
一秒未満の差で予選二位に終ったランド・モータースポーツ・アウディのコナー・デ・フィリッピも、グリッケンハウスの健闘をたたえてこう言った。
「モータースポーツ全体にとってすばらしい日になった。ちいさなチームがトップを奪ったというのはクールだよね、しかもアメリカのチームというのがまた格好良いんだ」


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フロントまわり。半独立式のフロントフェンダーとモノコックの間を複数層のデッキでつなぐ構成も、二〇〇〇年代後半以降のプロトタイプ・スポーツカーの設計を彷彿とさせる。ヘッドライトは縦型のものがフェンダー先端に装備されており、上下四段の並列三灯式LEDクラスタが埋め込まれている (二〇一五年登場の初期型では、LED二段+円形ランプの構成であった)。ライトカバー上部にあるオレンジ色の三角形は、ヘッドライト用ティアオフ (複数枚重ねられたビニールシートで、汚れなどを拭き取るかわりにこのシートを一枚ずつ剥がして透明度を保つ) の持ち手部分である。モノコック先端下部には何かの冷却器が置かれているが、これが過給器用の中間冷却器なのか、はたまたオイル・クーラーなのかは判然としない。この位置に冷却器を持ってくると、空気抵抗や慣性モーメントの増加といった悪影響があるのだが、おそらくこの車の場合、ほかに持って行きようがなかったのだろう。フロントノーズから伸びる下段デッキ (黄色) と、前端にLEDライトが仕込まれた上段デッキ (カーボン) の間の空間には、ブレーキ冷却用のダクトなどが設置されている。

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黒いカーボン地なので見えづらいが、L字型のサイドミラー支柱がフロントフェンダー後方の開口部から生えているのが分る。この部分にはミラー支柱とは別に、縦方向の整流板が一枚入っている。ドア開口部直下に水平のデッキが設けられ、擬似的なツインフロアのような構成になっている。下段フロアは現在のDTMや全日本GT・GT500クラス車輌のラテラルダクト部に近い役割を持っているものと思われ、側面の開口部には低いフェンスが立っている (ジャッキアップ・ポイントを示す黄線の折れ曲がりで分る)。
ミラー面の隅にちいさな円が見られるが、これは後方視認用カメラで、左右ミラー隅のカメラの映像をコックピット内・メーターパネル左右のモニターに表示するためのものである。GTカーにおいて後方カメラはめずらしい装備ではないが、カーナビのような一画面式ではなく左右別々に映像を表示するタイプのものは、おそらくこの車が唯一と思われる。

レースがスタートすると、黄色く塗装されたSCG 003Cは一六一台の大艦隊を率いて予選第一位から飛び出し、後続のアウディ二台の猛攻をしのぎながら走り続けた。もう一台のNr702も予選十三位から好スタートを決め、一周目を終える頃にはトップテン圏内に食い込むと、メルセデスベンツやアウディのGT3カーを激しく追い立て始めた。しかしレース開始から二時間半後には、早くもNr704が周回遅れの車と接触したためピットガレージでの修理を強いられ、トップ争いから脱落することになった。かわってNr702が猛然とスパートしはじめたが、この車も土曜日の日没後にエンジン関係のトラブルを起こし、修復のためピットインしたことにより大きく遅れを取ってしまった。すべてが新設計であるSCG 003Cは、二年が経過しても信頼性がまだ完全ではなかったのである。Nr704はその後マイナー・トラブルを抱えながらも、日曜午前には総合十一位まで挽回を果たしたが、レースが残り五時間というところになって、コース後半の高速セクションでフェリペ・ラザーの操縦中に単独クラッシュし、修復不能と判断されリタイヤした。一方のNr702は、日曜日の朝に燃料系のトラブルが発生し、ふたたび長いピットインを強いられたものの、その後は粘り強く走り続け、総合十九位で完走を果たした。勝ったのは予選二位からスタートしたランド・モータースポーツのアウディ・R8 LMS GT3だった。


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リヤウィングの支柱は比較的単純な形状で、一枚タイプのリヤウィングが吊り下げ式に取り付けられている。リヤフェンダー後方のテールフィン部分を避けて、翼端板には切り欠きが設けられている。現代のスポーツカーへのオマージュと思われる垂直安定板の右舷側にはカーナンバーが書かれている。二〇一七年のニュルブルグリンク二十四時間レースにジェームス・グリッケンハウスは二台のSCG 003Cを持ち込んだが、Nr702がマッキナ・ドゥーエ (二号シャシー)、Nr704がマッキナ・クアトロ (四号シャシー) であったことが、レース映像や写真から確認できる (ドアを開けた際の内装サイドシル部分に表記がある)。マッキナ・クアトロはこれまでのレースでは確認されていない個体であり、二〇一七年になってから新造されたものと推測される。


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先述の通り、マッキナ・クアトロことNr704は予選でポール・ポジションを獲得はしたもののレースではリタイヤに終っているため、本来この個体のレース・リザルトとして特記に値する戦果は存在しない。スパークモデルの製品群においても、通常は「レース順位」または「クラス順位」が上位である場合のみ、台座の車名表記にその数字が併記されることになっている。しかしこの製品においては、写真でも分る通り、「二〇一七年ニュルブルグリンク二十四時間レース・ポールポジション」の文字が台座に刻まれている。スパークモデルの製品において、予選ポール・ポジションを獲得した車輌の台座にその旨が表記されるのはなかなかに異例のことであり (筆者はほかに例を知らない)、この車のなし得た偉業に対するスパークモデルからのささやかな祝福のようにも思える。

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現在SCGとトラウム・モータースポーツは、SCG 003Cのカスタマー・チーム向けプログラムを始動させており、すでにこの車はニュルブルグリンク二十四時間レースやその系列戦以外のレースに散発的に参戦を開始している。今やすっかり世界中のGTレースカーの主流となったGT3規格車ではなく、予算規模・開発期間とも大メーカー製のGT3カーとは比べるべくもないこの車が、つぎなるジャイアント・キリングを見せてくれるのは、そう遠くない未来のように思える。

スクーデリア・キャメロン・グリッケンハウス・SCG 003Cは、公式によるナンバリングを信用するなら四台が製作されたと思われる。
SCG 003Cの第四号シャシー、公式名称「マッキナ・クアトロ」は、おそらく二〇一七年三月までに製作され、同年四月のVLN (ニュルブルグリンク耐久選手権シリーズ) 第二戦で実戦デビューを果たした。このレースでは十二位で完走している。その後同月末のニュルブルグリンク二十四時間レースの予選レースに参戦したのち、五月末のニュルブルグリンク二十四時間レースに参戦しポール・ポジションを獲得したのが、二〇一八年二月現在この個体最後の戦歴である。

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