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2019年5月

2019年5月23日 (木)

トヨタ・チーム・トムス スープラLM GTテストカー

グループC (GpC) 規定によるスポーツカー・レースが世界経済の後退やワークス間競争の激化によって没落したのち、サーキットの主役となったのは市販のスポーツ・クーペを改造したレーシングカーたちであった。「GTカー」と呼称されたこれら車輌の頂点は、当初GT1と呼ばれる一群の車たちであり、この「GT1」の定義はル・マン24時間レースの主催団体であるACOによって規定されていた。自動車メーカーのレース部門や、レースをするのが仕事のレーシング・チームにとっても、スポーツカー・レースがなくなってしまって手持ち無沙汰だったところにやってきたGTカー・レースは歓迎され、ル・マン24時間レースには市販スポーツ・クーペを改造した車輌が大挙エントリーし、前述のGT1カー、及びその下位カテゴリであるGT2カーによって争われた世界選手権であるBPR-GT選手権も一定の支持をあつめた。

GpCレースに積極的に関与していた日本の自動車メーカーも、世界的なGTカー・レースの潮流に乗り遅れることはなかった。折しも日本においても、GpCカーによって競われていた全日本スポーツプロトタイプカー選手権 (JSPC) の消滅後、これらにかわってGTカー主体のレースを開催する機運が高まっており、その結果一九九四年から全日本GT選手権 (JGTC) が開催されるに至ったのである。このJGTCには当初からニッサン、トヨタという、JSPC時代に日本一の座をを競った二大メーカーが参戦し、またフェラーリやポルシェなど外国製GTカーの参加もあり、日本国内で大きな盛り上がりを見せていた。

こうした流れの中で、日本製GTカーでル・マンに参戦し、外国製のGTカーと肩を並べて戦う、という機運が芽生えたのは必然であった。JGTCの登場によって和製GTカーがすでにあるのだから、それまでのスポーツカー・レース時代と同じように、日本製のレーシングカーでル・マンに挑戦したいと思うのは、自然な思考の流れであろう。この結果として、トヨタ・スープラ、ホンダ・NSX、ニッサン・スカイラインGT-Rという、いわば「日本のビッグスリー」は、すべてこのGTカー時代のル・マンに参戦することになる。


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タミヤ製1/24プラモデル、「カストロール・トヨタ・トムス スープラGT」。一九九五年のJGTCに、トヨタの実質的なワークス・チームであるトヨタ・チーム・トムスから参戦した車輌をモデルキット化したものである。上の話とつながるようでつながらないではないか、といった風だが…。


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ここで記事の表題につながるのである。史実においてはトヨタ系のプライベーターであるチーム・サードが一九九五、九六年にかけてスープラでル・マンに参戦しているが、もし九五年のル・マンにおけるスープラがトムスとの二台体制であったら、もしくはテスト段階ではそのように予定されていたら… という妄想の産物である。白く塗装された、スポンサーロゴの一切入っていないスープラGTのテストカーは実際にチーム・サードが九五年三月の鈴鹿サーキットにおけるテストに持ち込んでおり (HPI社が1/43でモデル化している)、今回の仕上げはそれをイメージしている。当キットの成形色が白色であり、わざわざ難しい艶出し塗装や大量のデカール貼り付けをしなくても再現できる仕様ということで、今回製作に踏み切った。当ブログ初のプラモデル記事である。
史実では、この一九九五年からチーム・トムスはカストロールのスポンサーを得て、WRCなどで有名なカストロール・カラーでJGTCに参戦しはじめるのだが、カストロールがル・マン参戦計画にまで予算を出してくれるかはわからないので、カストロール・ロゴは一切入れていない。ドライバーは付属デカールの関谷/クルム組のままだが、ご存知の通りこの年ル・マンで関谷正徳はマクラーレンF1-GTRに乗って総合優勝している。もしトムスなんぞからル・マンに出ていたら、日本人初のル・マン・ウィナーは荒聖治だっただろう。

チーム・サードがル・マンに持ち込んだスープラGTは、基本的にJGTCに参戦していた車輌とまったく同じ仕様であった。唯一、JGTCではスピード抑制のためにリストリクターで520馬力前後までパワーを落としていたのを、ル・マンではそのリストリクターを取り払って、約700馬力を発生していたが、それ以外のボディ形状はすべてJGTC仕様と同一である。当時トヨタはまだJGTCに本腰を入れて予算を出せる状況ではなく、車輌の開発・熟成をある程度チーム任せにしていたため、エアロパーツやフェンダーの処理はサードとこのトムスの車で各部が異なっている。


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95年型の時点では、まだ市販スープラの形状が色濃く残っている。車高が下げられ、幅の広いタイヤを入れるためにリベット留めのオーバーフェンダーが取り付けられ、後輪にトラクションをかけるために大型のリヤウィングが装着されているが、車体のラインそのものは紛れもなくスープラである。オーバーフェンダーなど各所のリベット部分は、アクセントとして墨入れ用ガンダムマーカーで着色した。ホイール色が黒なのは製作者の性癖であり、実際のトムスは銀メッキのリムに白いディスク部のレイズ製2ピース・ホイールを使っていたことは有名である。

JGTC用トヨタ・スープラの心臓部は、一九九三年までアメリカのIMSA GT選手権に参戦していたイーグル・トヨタが搭載していた、3S-GTEベースの「503E」型直列四気筒2,140ccターボ・エンジンを使っていた。このエンジンはタービンの過給圧設定によっては1,000馬力級のパワーを発生できたが、リストリクターで出力を絞られるJGTCではエンジンが本来想定したパワー域を使えず、燃費が悪化するという問題があった。またこのエンジンを搭載したスープラの持病として熱害の問題があり、各チームともボンネットに大量の開口部を設けて排熱に追われたほか、エンジンの熱が操縦室床面まで伝播して、その熱がペダルを焼き、レーシングシューズの薄い靴底が溶けてしまうというトラブルまで発生した。一九九五年ル・マンにおいては、チーム・サードが整流のため車体にフラットボトムを取り付けて走ったが (当時のJGTC車にはその程度の空力パーツも無かった)、あまりの熱でドライバーの集中に支障をきたすに至ったため、仕方なくレース中に取り外した、という逸話がある。


 
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タミヤ製のキットなので組み立てはスムーズに進む。パーツが多く、また前述の通りフラットボトムではないため車体底面に露出したパーツ類の組み立て・塗り分けがやや煩雑だが、狙った位置にパーツが収まらないということはなく、サスペンション周りのパーツなどもパチっとはまる。ヘッドライト内部は指定色がX-11クロームシルバーのところを、別のキットのために買ってあったX-32チタンシルバーを試しに使ってみたが、通常のシルバーよりかなり暗い。個人的にはこれはこれで好みではある。デカール類の配置はチーム・サードのテストカーを参考にした。チーム・サードのテストカーにはタイヤレターが入っていないようだったので、本作例でもレターを省略している。
テールライトのレンズはGクリヤーか何かで接着したが、最終的に左右とも曇らせてしまったのが残念である。トムス車にはリヤに控えめなディフューザー (というかフラットボトムがないのでただの板だが) がついているが、サード車にはこれがない。この部分は比較的市販車の曲面が残っている部分なので、ない方が見た目が綺麗かとも思ったが、結局接着した。車輌パフォーマンス的には、おそらく無いよりはあったほうが何らかの効果はあるはずである。


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ホイール。キットのホイールはメッキパーツだが、メッキを剥がすのも面倒だったので、XF-1フラットブラックで下地を作ってX-18セミグロスブラックで塗った。ブレーキなどかなり気合を入れて塗り分けたが、結局タイヤをはめ込んでしまうとほとんど見えない。初期のJGTCスープラが多くのパーツをGpCカーのトヨタ・TS010から流用していたのは有名な話だが、ブレーキ・キャリパーもその一つである (サスアームは新作したらしい。一時はリヤウィングのメインエレメントも流用が検討されていた)。メッシュ部分の上の黒いエリアはキルスイッチのレセスで、ここにEマーク・キルスイッチマークが無いのもサードのテストカー準拠である。この年トムスはJGTCでフェンダーミラーを使っていたが、正直フェンダーミラーのままでル・マンに出るのはあまりおすすめしない…と言いたくなる。


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フロント部は物理的にかなりスカスカで、三分割されたエアダクトの左右の開口部からはフロントサスアームが見える。中央のラジエーター/インタークーラーに通じる部分はメッシュを貼ることになっているが、無いほうが見た目がスッキリすると感じたのでオミットしている (チーム・サードの車はメッシュがなく、そもそも開口部の分割自体が微妙に違う)。


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車体底面。前述の通りこの時期のJGTCカーはフラットボトムすらなく、503Eエンジンやギヤボックス、プロペラシャフトや排気管のレイアウトまで丸見えである。排気管とエンジン/トランスミッションはXF-84履帯色を使用した (この色、自動車の機械系パーツから飛行機の排気管まで使える万能選手である。グンゼの黒鉄色と焼鉄色の二役を兼ねる感じ)。プロペラシャフトが黄色いのは塗装指示の通り (厳密にはレモンイエロー指定のところをただのイエローでごまかしたが) だが、実車がそうなのかは流石に確認できていない。足周り全般の塗り分けをかなり雑にやったのがバレるショットである。フロアにある銀色の突起物はエアジャッキ。


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窓の小さいスポーツカーとは違い、基本は市販車なので内装はかなりよく見える。そのためサボると覿面にバレる。ステアリングコラムなど泣きながら塗り分けたが、実車がホワイトボディから組み上げた白一色の内装で、内装色にまで手を出さなくてよかったのは助かった。ドアの内張りはセミグロスブラック指定だが、気まぐれでXF-63ジャーマングレー (に黒を混ぜて暗くしたもの) に変更している。ロールケージは接着強度を出すのが大変な上に、車体への組付け時に無理な力をかける必要があり、少々難儀した。リヤオーバーハングの黒い物体は燃料タンク。
今回面倒くさかったので特に追加工作などはせず、ひたすら愚直に説明書通り塗り分けたが、唯一シートベルトだけは青色の色紙を使ってロールケージのパイプまで延伸した (実車通りの引っ掛け方かは未確認)。個人的に、これがないとかなりマヌケに見えるのである。
今更だが、内装・外装とも白い部分は基本無塗装で、プラの成型色のままである。究極のものぐさモデリングだが、懸念された「プラっぽさ」はあまりなく、思ったより見栄えは良い。


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以前作った1/48のVWタイプ82E (キューベルワーゲンのシャシーにTyp.1のボディを被せた軍用車。タミヤMMシリーズで出ている)、そして今回の1/24妄想スープラテストカー。
普段は塗装・完成済みの小スケール精密模型でレーシングカー欲を満足している筆者だが、「手を動かしてモノを作る」行為のすばらしさも捨てがたいのである。プラモデルの場合、往々にしてレーシングカーは最狂難易度の部類に属するのでハードルが高いのだが、今回のような (ヒネクレた) アイディア勝負でも、「モノをつくる」ことはできるのである。作っている最中は細かい塗り分け・組み立て・組付けで発狂寸前だったが、完成したスープラGTを前にしての感動を思えば、それもまたよい経験であったと言える。

最後になるが、このヒネクレまくったアイディアの根本的な動機は、例のHPI社製のテストカーがまったく手に入らないから (十年近く前のモデルな上に生産数が少なく、中古市場にも滅多に流通しない) というヨコシマなものであったことを書き添えておく。何をするにしても、動機というのはいつだって単純なものである。

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