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2020年9月

2020年9月11日 (金)

CuFes03・新刊etc.

以前の記事で言及しましたが、このたび横浜で開催されるデレマスオンリーイベント「Cute Star Festiv@l」内、緒方智絵里オンリーイベント「Clover Fields Merry」にて発売予定の新刊の書影、および当日のお品書きが完成しましたのでアップします。

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今回の新刊は前々から出そうと思っていた「アルファコルセ3周年記念総集編イラスト集」で、過去正方形サイズの本に収める形で描いてきた智絵里の絵を、A4フルサイズでドドンとお見せしよう! というコンセプトの本です (A4ピッタリに納めるためにイラストの一部を切り取らざるを得なかった絵が多かったですね…そのへんはなるべくバランス良く見えるよう調整を重ねました)。本当は見開きサイズの描きおろしを一枚ぐらい用意したかったのですが、時間の都合でギヴアップ。いちおう未収録作品というか、描いたけど今までの本には入れなかった絵は何枚か収録しています。表紙絵もそうですね。
タイトルの「dnr」は「do not resuscitate」の意味で、和訳は「蘇生措置拒否」のようですが、患者側が延命措置を拒否する場合だけでなく、医療側が「もうこれ以上手がつけられない」と判断した患者に対して、「次に重篤な状況に陥っても蘇生措置はしない」という意味で使うこともあるようです (トリアージの黒タグみたいなものですね。昔なにかの本で読んだだけの記憶なので要確認)。

お品書きには表記していませんが、どれを買ってもポストカードはお付けします。イベント概要、会場などは過去記事をご参照ください。疫病の影響により本イベントも短縮開催で、開催時間は12:00-15:00の3時間レースとなります。

現時点では以上です。当日はどうぞアルファコルセをよろしく。

2020年9月 4日 (金)

茫洋 ~リジェ・ニッサンDPi~

二〇一四年、アメリカのスポーツカー・レース界はおおきな変革を迎えた。それまでドン・パノスにより運営され、ヨーロッパ式の本格的なスポーツカー・レースをアメリカで行っていたALMS (アメリカン・ル・マン・シリーズ) と、独自のレギュレーション運用でプライベーター中心に広く門戸を開いていたロレックス・スポーツカー・シリーズ (いわゆるGrand-Amシリーズ) が合併し、かつてキャメルGTシリーズ (いわゆるIMSA GTP) を運営していたIMSAのもと、新たにUSCC (ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ) としてシリーズ開催されることになったのである。ALMSはセブリング十二時間レースとプチ・ル・マンを、Grand-Amはデイトナ二十四時間レースとワトキンス・グレン六時間レースを、それぞれシリーズの花形レースとして持っており、二者が合併したUSCCはまさにアメリカを代表するスポーツカー・レース・シリーズとして今日まで続いている。

USCCのレギュレーションは、当初トップクラスはひとくくりに「P (プロトタイプ)」クラスとされ、Grand-AmのDP (デイトナ・プロトタイプ) 車とALMSのFIA/ACO LMP2車が混走していた。二〇一七年に、レギュレーションが旧式化してきたDPにかわり、IMSAがPクラス用に導入したのがDPi (DP・インターナショナル) という全く新しい車両規則であった。DPi車は二〇一七年に規則が大改訂されたFIA/ACO LMP2車をベースとし、約600馬力に調整された自動車メーカー製のオリジナル・エンジンを搭載し、また外観も自動車メーカーごとの意匠に合わせて改造をくわえるというもので、従来のLMP2車とも性能調整を行い混走するというものであった。二〇一七年のLMP2規則ではLMP2車を製作するのはオレカ (仏)、リジェ (仏)、ダラーラ (伊)、ライリー/マルチマチック (加) の四社ときめられていたため、DPiのベース車輌も自動的にこの四社のうちいずれかということになった。二〇一七年開幕前の時点で、キャデラックがダラーラ・シャシーを、マツダがライリー/MM・シャシーをそれぞれ選択していたが、いずれもエンジン、シャシー意匠ともにメーカーが直接関与しての製作であり、この点はIMSAの思惑通りとなった。

一方で、前年・二〇一六年までPクラスでLMP2車のリジェ・JS P2/ホンダを運用していたスコット・シャープ率いるESM (エクストリーム・スピード・モータースポーツ) は、メーカーの支援を受けないプライベート・ベンチャーとしてDPi車を製作することを決めた。ベースとされたのはリジェ・JS P217 LMP2で、エンジンはニッサン製のGT3カー用のものが選択された。ここで重要なのは、ニッサンはあくまでも北米法人が社名の使用権とエンジンの提供を行っただけであり、ESMのレース活動に本質的には関わっていなかったということである。またニッサンはそうするつもりもなかった。ニッサンはすでに二〇一五年のル・マンに参戦したニスモGT-R LMプロジェクトで甚大な痛手を被っており、ふたたびスポーツカー・レースにメーカーとして復帰する意図はさらさら無かったのである。このことは、当初ニッサン側がIMSAに提出したDPi車の意匠スケッチがあまりにもベースとなるLMP2車と似ており、見かねたIMSAが改善案として出したデザイン (ニッサン・GT-Rの多角形グリルをイメージしていた) がそのまま採用されたというエピソードによく現れている。


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スパークモデル製1:43スケールモデル、二〇一八年セブリング十二時間レースで優勝した、シャシーナンバー0R05-03のESM・リジェ・ニッサンDPiである。品番は43SE18。二〇一六年から、スパークモデルが製品化するセブリング十二時間レースの優勝車輌は特別デザインの紙箱が奢られるようになった。

ESMは二〇一〇年にハイクロフト・レーシングから独立した元インディーカー・ドライバーのスコット・シャープが立ち上げたチームで、創設以来一貫してエド・ブラウンのテキーラ・パトロン社のスポンサードを受けていた。結果的にESMがリジェ・ニッサンDPiを運用した最後の年となった二〇一八年の車も、テキーラ・パトロンのイメージカラーである緑と黒に塗られ、同社製品の瓶が車体に描かれている。

二〇一七年開幕時点で三社が出揃った (翌二〇一八年にアキュラ・オレカが参入し四社になった) DPiの中で、唯一メーカーのバックアップを受けていなかったESMのプロジェクトは、はじまりから多大な苦難に見舞われた。主な問題はエンジンで、前述の通り彼らはニッサン・GT-R GT3用のVR38DETT型3.8L・V6ターボ・エンジンを搭載することを選んだが、このエンジンはスポーツカー用ではなかったため重心が高く、LMP2のシャシーに載せると運動性能を著しく損なうことが判明した。DPi車の中では他にキャデラックが市販車用エンジンを搭載していたが、彼らはエンジンに改造を施し、スポーツカーへの搭載に最適化された仕様でレースをしていた。マツダに至っては、イギリスのエンジン・メーカーであるAER社が高度な改造を施した2L・直列4気筒エンジンを搭載しており、ほとんどレーシング・エンジンのようなものだった。さらにESMは、ノンターボ・エンジンを前提に設計されたリジェ・JS P217のタイトなシャシーに、3.8Lという大型のターボ・エンジンに必要な冷却器をいかに配置し、また冷却するかということにも悩まされた。彼らの唯一の慰めは、ニッサン・エンジンが性能調整を受けてもなお他よりすぐれたパワーを発生し、6.2L自然吸気エンジンのキャデラック・DPiとも互角に渡り合えるとされたことくらいだった。


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側面から見た造形はおおむねベース車輌のリジェ・JS P217に準じる。リジェ・JS P217は二〇一八年にアップデートを受け、フロントフェンダー前端部の形状が傾斜したものから垂直に近いものに変わっているが、DPi車でもこの変更は反映されている。この車はプライベーターによる製作であったためか正式な名称というものは定まっておらず、一般的には「リジェ・ニッサンDPi」と呼ばれるが、リジェ・ブランドを保有しているオンローク・オートモーティヴの名をとって「オンローク・ニッサンDPi」とも呼ばれ、製品の台座にもそう表記されている。

二〇一七年のIMSAシーズンはキャデラックDPiが蹂躙し、開幕戦・デイトナ二十四時間レースを含め七連勝を記録しシーズンを圧倒するかと思われたが、その連勝を止めたのは、意外なことにプライベーターであるESM・リジェであった。第九戦・ロードアメリカ二時間四十分レース (第八、十戦はGTカーのクラスのみでの開催) で、ピポ・デラーニ/ヨハネス・ヴァン・オーヴァーベークの22号車が優勝したのである。その後第十一戦・ラグナセカ二時間四十分レースではスピリット・オブ・デイトナ・レーシングのリジェ・JS P217がこの年LMP2車唯一の勝利を挙げたのち、シリーズ最終戦・プチ・ル・マン/ロードアトランタ十時間レースでは、二台体制のもう一方である2号車がスコット・シャープ、ライアン・ディエル、ブレンドン・ハートレイの操縦で二勝目を挙げた。この年はほかに2号車の予選第一位が一回、二位が一回、三位が二回あり、プライベート・ベンチャーの一年目としては、二勝・二位一回という結果はじゅうぶん喜ぶべきものであった。

明けて二〇一八年、ESM・リジェは開幕戦・デイトナでは良いところがなかったが、第二戦・セブリング十二時間レースでデラーニ、オーヴァーベーク、ニコラ・ラピエールの22号車が逆転優勝を果たし、リジェ・ニッサンの三勝目を挙げた。ESMは車の相性が良かった同年ラグナセカでも22号車が勝利し、勝利数を四に伸ばしたが、それ以外のレースではかろうじて完走するか、よい時でも入賞圏内外をうろうろするばかりであった。この年はアメリカの名門チームであるペンスキーがホンダの北米ブランドであるアキュラと組んでDPi車を製作し、フル・ワークス体制でPクラスに参戦してきたため競争が激化し、またオレカ・シャシーを使用するLMP2勢も力をつけてきたため、前年のようにDPi車がシーズンを壟断できる状況ではなくなりつつあった。そんな中で、基本的な性能で劣るリジェ・ニッサンDPiは苦戦を強いられたのである。

さらにシーズン中盤から、ESMには不穏な噂がつきまとうようになった。チーム創設時からメイン・スポンサーを務めていたテキーラ・パトロン社が、経営に専念するためスポンサーを降りるというものであり、じっさい同社社長のエド・ブラウンはこれを理由に二〇一七年いっぱいでドライバーをやめていた。果たして噂は現実のものとなり、スコット・シャープはシーズン終了後も後継のスポンサー探しに奔走したが、ついにメイン・スポンサーは見つからず、ESMはこの年をもって解散してしまったのである。ESMが所有していたリジェ・ニッサンDPiのシャシーやエンジン、機材一式は売りに出されたが、これを取得し二〇一九年にリジェ・ニッサンDPiを走らせることになったのは、二〇一八年にオレカ07・LMP2でシリーズ・チャンピオンを争ったCOREオートスポーツであった。


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フロントノーズ上面に取り付けられた、大型の整流パネルが目を引くフロント部分。三枚の平面で構成されたパネルと、その下の空気取入口を模したグリルによって、ニッサン・GT-R風のフロントマスクを再現している。ヘッドライトはベース車輌のリジェ・JS P217が円形のLEDを用いたのに対し、リジェ・ニッサンDPiでは矩形のLEDパネルを使用している。


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ベース車輌であるリジェ・JS P217と。外観以外での主な相違点は車両後半部に集中している。たとえばリジェ・ニッサンDPiはターボチャージャー用の中間冷却器を設置するため、側面 (車体の黒色の部分) にそのための空気取入口を開けており、LMP2車でこの位置にあったリヤブレーキ冷却用ダクトはリヤフェンダーの前端に移設された。このほか、(写真では見えないが) リヤデッキ天面に中間冷却器からの排熱用にルーバー状の排熱口が切ってある。内部の写真を見るとリジェ・ニッサンDPiはエンジン用ラジエーターとターボチャージャー用の中間冷却器が前後に重ねて配置されており、冷却・排熱の面ではかなり苦労したであろうことが推測できる。


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ESMの手を離れ、COREオートスポーツに渡ったリジェ・ニッサンDPiは、二〇一九年の開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入った。このレースは終盤の豪雨で二時間近い赤旗中断が入り、レース残り十分と少々というところで中断状態のままレース成立が宣言されるという大荒れのレースだったが、結果的にこの四位がCOREオートスポーツのシーズン最高位となった。続くセブリング十二時間レースでは五位だったが、これがこのシーズンの最大瞬間風速で、それ以降は第七戦・モスポートパーク二時間四十分レースで予選第一位のタイムを記録した以外、まったく精彩を欠くレースしかできなかったのである。この年はDPiが独立クラスとしてLMP2と区別され、DPi車のみがトップ・クラスとなるよう規則改編があったが、DPiクラスでの競争は前年にも増して激しいものになり、ESMよりも小規模なプライベート・チームであったCOREオートスポーツにとっては、もはやチャンピオン争いどころかレースごとの優勝争いすらおぼつかなくなっていた。そしてCOREオートスポーツは二〇一九年シーズンをもってIMSAから撤退し、それと同時にリジェ・ニッサンDPiもサーキットから静かに消えていった。

リジェ・ニッサンDPiは少なくとも二台が製作されたが、正確な製作台数については不明である。おそらく二台であると推測される。

シャシーナンバー0R05-02のリジェ・ニッサンDPiは、ESMから二〇一七年のデイトナ二十四時間レースで実戦デビューし、同年IMSAシリーズにフル参戦した。ロングビーチ一〇〇分レースで二位、モスポート/ロードアメリカの各二時間四十分レースで三位、最終戦プチ・ル・マンでは優勝を果たしている。二〇一八年も引き続きESMの手によりIMSAにフル参戦し、同年ロングビーチ一〇〇分レースで二位に入っている。
二〇一九年の動向は不明だが、おそらくESMの資産が売却された際、COREオートスポーツにスペア・シャシーとして渡ったのではないかと考えられる。

シャシーナンバー0R05-03のリジェ・ニッサンDPiは、同じくESMから二〇一七年のIMSAにフル参戦し、ロードアメリカ二時間四十分レースで優勝している。二〇一八年にはセブリング十二時間レース、ラグナセカ二時間四十分レースでそれぞれ優勝を果たした。
二〇一九年にはCOREオートスポーツのレースカーとして使用され、同年開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入ったのが同年の最高位であった。

最後に、アメリカのレース・ジャーナリストであるマーシャル・プルエットと、リジェ・ニッサンDPiの最終年にこの車を運用したCOREオートスポーツのエンジニアによる、シーズン終了後の対談を収録する。非常に長いため格納するが、この車がいかにして戦い、いかなる理由で勝利から遠ざかったのかを知るにはよい一次資料であるため訳出した。細かな部分できき逃しや誤訳が存在するかもしれないが、大まかな意味合いは通じるはずである。


 

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