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2020年9月 4日 (金)

茫洋 ~リジェ・ニッサンDPi~

二〇一四年、アメリカのスポーツカー・レース界はおおきな変革を迎えた。それまでドン・パノスにより運営され、ヨーロッパ式の本格的なスポーツカー・レースをアメリカで行っていたALMS (アメリカン・ル・マン・シリーズ) と、独自のレギュレーション運用でプライベーター中心に広く門戸を開いていたロレックス・スポーツカー・シリーズ (いわゆるGrand-Amシリーズ) が合併し、かつてキャメルGTシリーズ (いわゆるIMSA GTP) を運営していたIMSAのもと、新たにUSCC (ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ) としてシリーズ開催されることになったのである。ALMSはセブリング十二時間レースとプチ・ル・マンを、Grand-Amはデイトナ二十四時間レースとワトキンス・グレン六時間レースを、それぞれシリーズの花形レースとして持っており、二者が合併したUSCCはまさにアメリカを代表するスポーツカー・レース・シリーズとして今日まで続いている。

USCCのレギュレーションは、当初トップクラスはひとくくりに「P (プロトタイプ)」クラスとされ、Grand-AmのDP (デイトナ・プロトタイプ) 車とALMSのFIA/ACO LMP2車が混走していた。二〇一七年に、レギュレーションが旧式化してきたDPにかわり、IMSAがPクラス用に導入したのがDPi (DP・インターナショナル) という全く新しい車両規則であった。DPi車は二〇一七年に規則が大改訂されたFIA/ACO LMP2車をベースとし、約600馬力に調整された自動車メーカー製のオリジナル・エンジンを搭載し、また外観も自動車メーカーごとの意匠に合わせて改造をくわえるというもので、従来のLMP2車とも性能調整を行い混走するというものであった。二〇一七年のLMP2規則ではLMP2車を製作するのはオレカ (仏)、リジェ (仏)、ダラーラ (伊)、ライリー/マルチマチック (加) の四社ときめられていたため、DPiのベース車輌も自動的にこの四社のうちいずれかということになった。二〇一七年開幕前の時点で、キャデラックがダラーラ・シャシーを、マツダがライリー/MM・シャシーをそれぞれ選択していたが、いずれもエンジン、シャシー意匠ともにメーカーが直接関与しての製作であり、この点はIMSAの思惑通りとなった。

一方で、前年・二〇一六年までPクラスでLMP2車のリジェ・JS P2/ホンダを運用していたスコット・シャープ率いるESM (エクストリーム・スピード・モータースポーツ) は、メーカーの支援を受けないプライベート・ベンチャーとしてDPi車を製作することを決めた。ベースとされたのはリジェ・JS P217 LMP2で、エンジンはニッサン製のGT3カー用のものが選択された。ここで重要なのは、ニッサンはあくまでも北米法人が社名の使用権とエンジンの提供を行っただけであり、ESMのレース活動に本質的には関わっていなかったということである。またニッサンはそうするつもりもなかった。ニッサンはすでに二〇一五年のル・マンに参戦したニスモGT-R LMプロジェクトで甚大な痛手を被っており、ふたたびスポーツカー・レースにメーカーとして復帰する意図はさらさら無かったのである。このことは、当初ニッサン側がIMSAに提出したDPi車の意匠スケッチがあまりにもベースとなるLMP2車と似ており、見かねたIMSAが改善案として出したデザイン (ニッサン・GT-Rの多角形グリルをイメージしていた) がそのまま採用されたというエピソードによく現れている。


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スパークモデル製1:43スケールモデル、二〇一八年セブリング十二時間レースで優勝した、シャシーナンバー0R05-03のESM・リジェ・ニッサンDPiである。品番は43SE18。二〇一六年から、スパークモデルが製品化するセブリング十二時間レースの優勝車輌は特別デザインの紙箱が奢られるようになった。

ESMは二〇一〇年にハイクロフト・レーシングから独立した元インディーカー・ドライバーのスコット・シャープが立ち上げたチームで、創設以来一貫してエド・ブラウンのテキーラ・パトロン社のスポンサードを受けていた。結果的にESMがリジェ・ニッサンDPiを運用した最後の年となった二〇一八年の車も、テキーラ・パトロンのイメージカラーである緑と黒に塗られ、同社製品の瓶が車体に描かれている。

二〇一七年開幕時点で三社が出揃った (翌二〇一八年にアキュラ・オレカが参入し四社になった) DPiの中で、唯一メーカーのバックアップを受けていなかったESMのプロジェクトは、はじまりから多大な苦難に見舞われた。主な問題はエンジンで、前述の通り彼らはニッサン・GT-R GT3用のVR38DETT型3.8L・V6ターボ・エンジンを搭載することを選んだが、このエンジンはスポーツカー用ではなかったため重心が高く、LMP2のシャシーに載せると運動性能を著しく損なうことが判明した。DPi車の中では他にキャデラックが市販車用エンジンを搭載していたが、彼らはエンジンに改造を施し、スポーツカーへの搭載に最適化された仕様でレースをしていた。マツダに至っては、イギリスのエンジン・メーカーであるAER社が高度な改造を施した2L・直列4気筒エンジンを搭載しており、ほとんどレーシング・エンジンのようなものだった。さらにESMは、ノンターボ・エンジンを前提に設計されたリジェ・JS P217のタイトなシャシーに、3.8Lという大型のターボ・エンジンに必要な冷却器をいかに配置し、また冷却するかということにも悩まされた。彼らの唯一の慰めは、ニッサン・エンジンが性能調整を受けてもなお他よりすぐれたパワーを発生し、6.2L自然吸気エンジンのキャデラック・DPiとも互角に渡り合えるとされたことくらいだった。


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側面から見た造形はおおむねベース車輌のリジェ・JS P217に準じる。リジェ・JS P217は二〇一八年にアップデートを受け、フロントフェンダー前端部の形状が傾斜したものから垂直に近いものに変わっているが、DPi車でもこの変更は反映されている。この車はプライベーターによる製作であったためか正式な名称というものは定まっておらず、一般的には「リジェ・ニッサンDPi」と呼ばれるが、リジェ・ブランドを保有しているオンローク・オートモーティヴの名をとって「オンローク・ニッサンDPi」とも呼ばれ、製品の台座にもそう表記されている。

二〇一七年のIMSAシーズンはキャデラックDPiが蹂躙し、開幕戦・デイトナ二十四時間レースを含め七連勝を記録しシーズンを圧倒するかと思われたが、その連勝を止めたのは、意外なことにプライベーターであるESM・リジェであった。第九戦・ロードアメリカ二時間四十分レース (第八、十戦はGTカーのクラスのみでの開催) で、ピポ・デラーニ/ヨハネス・ヴァン・オーヴァーベークの22号車が優勝したのである。その後第十一戦・ラグナセカ二時間四十分レースではスピリット・オブ・デイトナ・レーシングのリジェ・JS P217がこの年LMP2車唯一の勝利を挙げたのち、シリーズ最終戦・プチ・ル・マン/ロードアトランタ十時間レースでは、二台体制のもう一方である2号車がスコット・シャープ、ライアン・ディエル、ブレンドン・ハートレイの操縦で二勝目を挙げた。この年はほかに2号車の予選第一位が一回、二位が一回、三位が二回あり、プライベート・ベンチャーの一年目としては、二勝・二位一回という結果はじゅうぶん喜ぶべきものであった。

明けて二〇一八年、ESM・リジェは開幕戦・デイトナでは良いところがなかったが、第二戦・セブリング十二時間レースでデラーニ、オーヴァーベーク、ニコラ・ラピエールの22号車が逆転優勝を果たし、リジェ・ニッサンの三勝目を挙げた。ESMは車の相性が良かった同年ラグナセカでも22号車が勝利し、勝利数を四に伸ばしたが、それ以外のレースではかろうじて完走するか、よい時でも入賞圏内外をうろうろするばかりであった。この年はアメリカの名門チームであるペンスキーがホンダの北米ブランドであるアキュラと組んでDPi車を製作し、フル・ワークス体制でPクラスに参戦してきたため競争が激化し、またオレカ・シャシーを使用するLMP2勢も力をつけてきたため、前年のようにDPi車がシーズンを壟断できる状況ではなくなりつつあった。そんな中で、基本的な性能で劣るリジェ・ニッサンDPiは苦戦を強いられたのである。

さらにシーズン中盤から、ESMには不穏な噂がつきまとうようになった。チーム創設時からメイン・スポンサーを務めていたテキーラ・パトロン社が、経営に専念するためスポンサーを降りるというものであり、じっさい同社社長のエド・ブラウンはこれを理由に二〇一七年いっぱいでドライバーをやめていた。果たして噂は現実のものとなり、スコット・シャープはシーズン終了後も後継のスポンサー探しに奔走したが、ついにメイン・スポンサーは見つからず、ESMはこの年をもって解散してしまったのである。ESMが所有していたリジェ・ニッサンDPiのシャシーやエンジン、機材一式は売りに出されたが、これを取得し二〇一九年にリジェ・ニッサンDPiを走らせることになったのは、二〇一八年にオレカ07・LMP2でシリーズ・チャンピオンを争ったCOREオートスポーツであった。


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フロントノーズ上面に取り付けられた、大型の整流パネルが目を引くフロント部分。三枚の平面で構成されたパネルと、その下の空気取入口を模したグリルによって、ニッサン・GT-R風のフロントマスクを再現している。ヘッドライトはベース車輌のリジェ・JS P217が円形のLEDを用いたのに対し、リジェ・ニッサンDPiでは矩形のLEDパネルを使用している。


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ベース車輌であるリジェ・JS P217と。外観以外での主な相違点は車両後半部に集中している。たとえばリジェ・ニッサンDPiはターボチャージャー用の中間冷却器を設置するため、側面 (車体の黒色の部分) にそのための空気取入口を開けており、LMP2車でこの位置にあったリヤブレーキ冷却用ダクトはリヤフェンダーの前端に移設された。このほか、(写真では見えないが) リヤデッキ天面に中間冷却器からの排熱用にルーバー状の排熱口が切ってある。内部の写真を見るとリジェ・ニッサンDPiはエンジン用ラジエーターとターボチャージャー用の中間冷却器が前後に重ねて配置されており、冷却・排熱の面ではかなり苦労したであろうことが推測できる。


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ESMの手を離れ、COREオートスポーツに渡ったリジェ・ニッサンDPiは、二〇一九年の開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入った。このレースは終盤の豪雨で二時間近い赤旗中断が入り、レース残り十分と少々というところで中断状態のままレース成立が宣言されるという大荒れのレースだったが、結果的にこの四位がCOREオートスポーツのシーズン最高位となった。続くセブリング十二時間レースでは五位だったが、これがこのシーズンの最大瞬間風速で、それ以降は第七戦・モスポートパーク二時間四十分レースで予選第一位のタイムを記録した以外、まったく精彩を欠くレースしかできなかったのである。この年はDPiが独立クラスとしてLMP2と区別され、DPi車のみがトップ・クラスとなるよう規則改編があったが、DPiクラスでの競争は前年にも増して激しいものになり、ESMよりも小規模なプライベート・チームであったCOREオートスポーツにとっては、もはやチャンピオン争いどころかレースごとの優勝争いすらおぼつかなくなっていた。そしてCOREオートスポーツは二〇一九年シーズンをもってIMSAから撤退し、それと同時にリジェ・ニッサンDPiもサーキットから静かに消えていった。

リジェ・ニッサンDPiは少なくとも二台が製作されたが、正確な製作台数については不明である。おそらく二台であると推測される。

シャシーナンバー0R05-02のリジェ・ニッサンDPiは、ESMから二〇一七年のデイトナ二十四時間レースで実戦デビューし、同年IMSAシリーズにフル参戦した。ロングビーチ一〇〇分レースで二位、モスポート/ロードアメリカの各二時間四十分レースで三位、最終戦プチ・ル・マンでは優勝を果たしている。二〇一八年も引き続きESMの手によりIMSAにフル参戦し、同年ロングビーチ一〇〇分レースで二位に入っている。
二〇一九年の動向は不明だが、おそらくESMの資産が売却された際、COREオートスポーツにスペア・シャシーとして渡ったのではないかと考えられる。

シャシーナンバー0R05-03のリジェ・ニッサンDPiは、同じくESMから二〇一七年のIMSAにフル参戦し、ロードアメリカ二時間四十分レースで優勝している。二〇一八年にはセブリング十二時間レース、ラグナセカ二時間四十分レースでそれぞれ優勝を果たした。
二〇一九年にはCOREオートスポーツのレースカーとして使用され、同年開幕戦・デイトナ二十四時間レースで四位に入ったのが同年の最高位であった。

最後に、アメリカのレース・ジャーナリストであるマーシャル・プルエットと、リジェ・ニッサンDPiの最終年にこの車を運用したCOREオートスポーツのエンジニアによる、シーズン終了後の対談を収録する。非常に長いため格納するが、この車がいかにして戦い、いかなる理由で勝利から遠ざかったのかを知るにはよい一次資料であるため訳出した。細かな部分できき逃しや誤訳が存在するかもしれないが、大まかな意味合いは通じるはずである。


 

http://www.dailysportscar.com/2019/12/27/2019-goodbyes-ligier-nismo-dpi.html
記事中に出てくるPodcast08’00~40’00頃まで、マーシャル・プルエット (レースジャーナリスト) とジェフ・ブラウン (COREオートスポーツ・レースエンジニア。同チームのドライバー、コリン・ブラウンの父) の対談。201912月収録。
マーシャル・プルエットが、車を発注したESMと違ってオンロークとの強固なつながりを持たない独立系プライベーターであるCOREが、リジェ・ニッサンDPiを運用する上での技術的な挑戦について、ジェフ・ブラウンに質問する形で進行する (が殆どブラウンが語りまくっている)

プルエット (以下MP): この車の技術的な困難とはいかなるものだっただろうか。

ブラウン (以下JB): まず背景として、2018年にDPiのパフォーマンスがLMP2のパフォーマンスと同等まで引き上げられた。同じクラス (当時) CORE LMP2カーを指標にして、DPIカーの性能を引き上げたんだけど、当時マツダがDPiの中では一番パフォーマンスが低くて、それでDPiクラス全体の性能向上が停まってしまった。
18年から19年の間の冬に、IMSAはマツダに「何をしてもいいから車を速くしろ、再公認 (Re-homologation) を許可するから」と言ったので、マルチマチックは冬の間に車をかなり速くしてきた。それでDPiクラスの平均パフォーマンスが1秒から1.5秒ぐらい上げられるようになった。これでリジェ・ニッサン (以下ニッサンと略記することもあり、文脈にて判断されたし) は、もう全部を絞り出して、余裕なんかどこにもない、そんな状態でDPiのパフォーマンスレベルの中では最下位になってしまった。セブリングあたりで気づいたことだけど、他の人が「あいつらBoPのためにわざとパフォーマンスを隠してる、全開で走ってないんだ」みたいなことを言っていたんだが、実際にはプラクティスも予選も決勝も常に全開走行で、もう出せるものは出し切った、それなのにDPiクラスではビリだった。このへんが前フリだね。我々は車を速く走らせるために何でもやった。

どこがまずかったかというと、ほとんどは車重だね。最低重量はドライバー・燃料無しで940kgのところ、ウチはバラスト無しで945kgもあった。前の年のオレカLMP2は最低車重910kgで、その時は70kgのバラストを積んで910kgに合わせていたんだ。スポーツカー・レースでは重量配分がすごく大事で、どこに重量がかかっているか、前軸にどれぐらい、後軸にどれぐらい、そういった調整がニッサンでは全然出来なかった。最低車重にすら達してないわけだからね。そうやって、クラスを上がったチームが苦しんでいると、IMSAは大体「じゃあ次のレースで軽量化していいよ」と言ってくる。IMSAは毎レース後に各車の性能解析をやっていて、各種データを一種のアルゴリズムに放り込むと、この車はこれぐらい軽くしろ、この車はこれぐらいパワーダウン、この車は空力を変えろ、というふうにバランス取りをする。ほぼ毎レース、ニッサンは毎回40kgから50kg軽くしてバランスを取れということだったけど、それは物理的に無理だった。バラストを積めてないから (余分な重量を) 取り出せないんだよ。それに、リスナーの皆さんはご存知のことと思うけど、レースカーの部品を軽くするというのは結構高く付くし、そもそもホモロゲーションで出来ないことが多い。例えばギヤボックスはホモロゲーション部品 (公認部品) で、軽いからといって別の物に勝手に交換するとルール違反になってしまう。だから重量の問題は常につきまとった。
ニッサン・エンジンはパワーはあったけれど、あれはGT-R GT3用の市販エンジンで、インテークマニフォールドが重いから重心が高くて、更にエンジン全体が重かった。バラストで重量配分を前に持っていくこともできないから、うしろの高いところに重心が来るという車になってしまって、コーナー進入時の安定性がてんでダメだった。進入で大きくロールしてリヤがスナップ (オーバーステア) しそうになるもんで、ダンパーとかスプリングでなんとかネグろうとしたけれど、物理法則というか、車の造りがもうそうなってしまっているから。まずこの点が一番手を焼いた部分かな。他にもたとえば空力面なんかがあったわけだけど

MP: よし、話そう ()。全体的に言い訳がましく聞こえるかもしれないけど、それは違う。車の開発作業のほとんどは発注者のESM (エクストリーム・スピード・モータースポーツ; 2018年に解散) が独力でやっていて、すでにいろんな問題がシェイクダウンテストの時に出ていて… 201612月半ばだったと思うけど、それを計算に入れないといけない。ESMは冷却系から車体の改造、インタークーラー、とにかくありとあらゆるところに手を入れた。不運なことに、登場した時期がキャデラックやマツダに比べると遅れていて、しかも大メーカーのバックアップを受けて改良していくことができなかったけど、技術力と予算のあるプライベート・チームだったから、苦境の中で善戦して良い所までは行けた。だけど君の言ったとおり、18年に他の車が苦労して、特にマツダを助ける唯一の方法が上げ方向のパフォーマンス調整を入れることだったから、それが (スポーツカー用としては) 理想的ではなかったニッサン・エンジンと重量の問題を抱えていた車にとっては、弱点を輻輳させてしまっただろうね。

JB: マツダは2019年に再公認を取って (Re-homologated) からはいい車になって、(IMSAの設定する) ベースラインのパフォーマンスは超えられるようになった。アキュラもそうだし、キャデラックは少し軽量化して速く走れた (他に合わせることができた)。ニッサンに関しては、パフォーマンス・レベルを上げようとしても、我々に出来ることはほぼ全部やったという状態で、君の言う通りだけど、あの車を運用した2チームはいずれもワークス・サポートが無いプライベート・チームだった。ESMは本当によくやったと思う、さっきの通りあの車の始まりから面倒を見続けてね。ウチもいい仕事をしたと思いたいところだけど、重ねて言うが我々はワークス・サポートが無かったからね。何度か言ったけど、ニッサンのファクトリー・サポートは無かったんだよ。ニッサンの失敗だと考えてほしくはないのだけれど

MP: そういう契約ではなかったね。彼ら (ニッサン) は雇われる側で、いわばサーヴィス・プロバイダーで、IMSAのレギュレーションではDPi車は自動車メーカーの名前が付いていないといけない。ESMのスコット・シャープにエド・ブラウン、彼らの発注した成果物としてエンジンがあり、外観を改造されたボディーワークがあり、そして最も重要なことに、車にニッサンの名前を付けて、DPiクラスで走れるようになった。ニッサンとしては、自分の金を払ってまで自社の名前をDPiクラスで宣伝するつもりがそもそも無かったんだね。

JB: その通り。エンジンを売るというだけの会社にしては、それ以上のことをニッサンはしてくれたと思っている。ウチが小切手を切って、彼らがエンジンを持ってくるそれだけのことにしては、色々してくれたよ。全レースに彼ら (ニッサン) の代表者がついてきて、その人は技術部門の人間ではなかったんだけど、とにかく全レースに、何というのかな、来なくてもいいのに来ていた。多少興味はあったみたいだけど、最後までエンジンを売る以外の約束はしなかったな。ただ厳然たる事実として、アキュラはシャシーからエンジン・シミュレーション、サスペンション・リグ、風洞、そういった全ての部門からエンジニアが来ていて、彼らのカスタマーであるペンスキー・チームを支援していた。マツダは同じようなことをマルチマチックにしていたし、キャデラックはプラット&ミラー (GM系のコンストラクター) が…といった具合で、三社とも大きなエンジニアリング・チームを持っていたけれど、ニッサンはそれがなかった。泣き言を言うわけではなく、事実がそうだったということだね。
リジェは素晴らしい仕事をしてくれた。マックス・クロフォード (リジェの北米部門総監) と彼の人員だね。クリス・ロウ (北米リジェのトラックサイド・エンジニア) が毎レース帯同してくれて、ホモロゲーションの範囲内でどうやって車を改善するか、また車の理解を深めるか、ファクトリーとやり取りしてくれた。ただ重量の件に関しては、もう物理法則との戦いだったからね。
空力的には、リジェは本当に効率が足りなかった。ダウンフォース量は結構あるんだけど、ドラッグも多い。ドラッグを減らすこともできるんだけど、そうするとダウンフォースがなくなる (筆注: いわゆるL/D比が悪い車、というやつ)。そこが弱点で、正直これはリジェも認めるところだと思うけど、そこが彼らのLMP2カーの弱点でもあり、オレカがLMP2クラスで一人勝ちしている原因じゃないかと思う。そのLMP2の仕様、リジェ車の空力効率の悪さというのを (DPi) 引きずっていて、これも難題だった。
そして信頼性だね。何度も出てくるけど、2018年にDPiカーの性能を引き上げた結果として

MP: ごめん、ちょっとここらで一休みといこうか ()。まず重量オーバー、空力効率も悪い、信頼性不足まったくこれは、ニッサン・オンロークDPiがぼくのスポーツカー・バージョンに聞こえてくるな ()
ここでは真実を話そうと思う。つまりあまり批判的な話はしないということで、単にきつい言葉や悪いことばかり言い立ててもフェアではないからね。実際この車は何度かレースにも勝っているんだよね、BoPが有利で、いろんなことが上手く運んだ時には

JB: …そしてゴールポストが近くにあった時、だね。なぜならルールによってゴールポストは遠くなっていくものだからさ。この車の製作背景を考えてみようか。まずリジェのLMP2カーというコストキャップ規定で作られたベース車、ニッサンのGT3用エンジン、そして計画のスタートが2016年。いまが2019年で、具体的にラップタイムがどれぐらい変わったか見ていないけど、いまは平均34秒ぐらい速くなってると思う。ギヤボックスも、500馬力ぐらいを想定したものに650馬力をブチ込んで

MP: そう、そこは最初から問題になっていて、改造を続けていた箇所だったね。確かどこかの時点で、違うメーカーのギヤボックスで公認を取り直す申請が出されていたはず、それが通ったかどうかは忘れたけど

JB: それはね、あの車はヒューランド製ギヤボックスで、他のほとんどの車はXトラック製ギヤボックスを積んでいたんだ。ヒューランドは我々がやろうとしていることに対してサイズが足りなくて、結果トラブルが続いた。ウチのメカニックは本当に毎晩インプットシャフトを変え続けないといけなかったんだ。金曜日に走って、その日の夜に新しいインプットシャフトを付けて、土曜日にまた走って、その夜また交換して。ヒューランドのせいってわけじゃない。最終的に、今年の終りまでにインプットシャフトの設計を6回ぐらい変えてもらったんだ。ただサイズがねもう一回り大きいヒューランドか、Xトラック製品が必要だった。そこも難所だったね。
実はウチが車を受け取る前に、リジェの側でXトラック製ギヤボックスを積めないかIMSAに打診して、断られたということがあった。FIAは良いと言ったんだけど、DPiとリンクしているLMP2のホモロゲーションのことになるから、世界中ぜんぶのリジェLMP2のギヤボックスをXトラック製にしないといけないと来た。つまりどっちかのメーカー、一つに決めなきゃいけないということだね。たとえばWECELMSで走ってるユナイテッド・オートスポーツとかのリジェ車全部に、アメリカのチームが強いギヤボックスを必要としているから、でギヤボックスを変えさせるわけにはいかないから、この話はなくなった。で、今年になって、ある時点でIMSAが「DPi用の独立したホモロゲーションを取れるから、いいよ、交換しなさい」と言ってきた。ただそれが今年の6月とかで、Xトラック製にただ載せ替えるといっても、リヤサスペンション、ボディーワークの取り付け位置、フロアパネルそういうものを全部再設計するのは金もかかるし、シーズン中に出来ることじゃない。大工事になるからね。IMSAもいよいよ打つ手がなくなって、「次のレース、ニッサンは45kg軽くしてくれ」「もう取り出せる45kgなんてどこにもないよ」「そうか、すまなかった、じゃあまた来週」ってのが一年中続いた。IMSAが達成できると踏んだパフォーマンスのゴールに、物理的にウチはたどり着けなかったんだ。物理法則がそれを許さなかった。何度か、「全車のバランスを取るのにウチを45kg軽くするのは無理だから、反対に他の全車に45kgウェイトを乗せるのはどうだ」と提案してはみた。18年にマツダにやったみたいに、他をウチに合わせるようにしてね。問題は、おそらく特にダラーラ・キャデラックで顕著だったと思うのだけど、クラッシュストラクチャー (モノコック中心構造) のホモロゲーションをFIAで取るためにクラッシュテストをするときに、そのテストの結果証明はある一定の、たとえば910kgから940kgの間で有効です、ということになっているんだよね。だからキャデラックDPiにこれ以上ウェイトを積むと、その重量での構造的整合性が取れなくなってしまう。安全規定を逸脱してしまうから、「ウチが軽くできないなら他を重くすればいい」ってほど単純には行かなかったんだ。

MP: こりゃすごいなジェフ。特にDPiカテゴリを見ている人で、ニッサンがなんで不調続きなのか不思議に思っていた人にとってはね。色んな原因だ。さまざまな原因、さまざまな制約があって、それらは普通のレース・エンジニアや開発エンジニアが解決できるような制約ではなかったということだ。

JB: そう。変な話だけど、例えば「なんだ、IMSAのせいで」って指をさせればいっそ良かったんだけど、とんでもない! IMSAに何が出来ただろう? 他の車とバランスを取るために45kg軽くしてほしい、でもそれは無理だ、他の全車に45kg積むこともできないじゃあパワーだ! その通りのことを彼らはやったので、ウチの車はストレートスピードでは誰にも負けない車になった。誰よりもパワーがあったからね

MP: 大食らいのドラッグスターになっちゃった。

JB: そしてこのデカブツをストレートの終りごとにブレーキで止めなきゃいけないから、この重い車ではタイヤの磨耗も速いし、燃費も悪い。実際そうなった。パワーでバランスを取ったら、あとはIMSAが考えることとしては、彼らは周回数、あるいは時間単位での航続距離が各車一定になるように調整する。マツダは (エンジンが) ちいさいからそんなに燃料を食わないし、タンクは例えば70リッター。ニッサンなら例えば85リッター。両者ともフルタンクで40分間走れる。ウチは燃料をガンガン使うし、彼ら (マツダ) はあんまり使わないが、そんなことは知ったこっちゃない。IMSAのやる調整はそれだけだ。そうなると、ウチの車は1スティントの中での重量変化が他より激しくなって、スティント内でのパフォーマンスに悪影響が出た。軽タンクでスタートしても他よりずっと重いから、タイヤをやっつけておしまいだ!
ニッサンを責めるわけにはいかないよ、彼らはやるべきことはちゃんとやっていた。リジェは本当に頑張ってくれたと思う、マックス・クロフォードは「とにかく直したいところは全部直す」って感じだったし、クリス・ロウは全レースに帯同して、出来ることは何でもしてくれた。IMSAもっと上手くやってくれていれば、とは思うけど、じゃあ何をどう上手くやれば良かったのかは、ぼくには分らない。
だから、何が起きていたのかというのは、これを言っちゃお終いかもしれないが、まずIMSA18年にマツダに言ったのと同じようなことをウチにも言ってきた。「何をしてもいいから、まず車の性能をクラスの基準値以上に上げてくれ。そうすればパワーなり車重なりで調整して、他の車とバランスを取れる」と。そこでオチが来るんだが、「わかった、じゃあ誰が金を出すんだい?」と。

MP: ああ。

JB: ニッサンは出さないし、出す理由がない。彼ら自身のプログラムではないし、彼らのやりたかったことでもないし、ウチにエンジンを売った金以外に得るものはなにもない。あまり興味もないようだったしね。リジェは、じゃあ彼らが数百万ドルかけて、車を再設計し、ニッサン・エンジンをどうにかして、車重を切り詰めてってことをやるかい? やらないよ、だってこの車はたった1台、COREにしか売れないんだから。そしてジョン・ベネット、COREのオーナーだけど、じゃあ彼が開発に金を出すべきだっただろうか? 前にジョンが言っていたけど、「ワークスに比べればウチはちっぽけなビジネスだ。ぼくはサウスカロライナのロックヒルから来た、小さないちビジネスマンだが、ぼくが開発プログラムを主導して、アキュラやマツダやGM (キャデラック) と戦えるようにする理由ってあるかい? 彼らと技術の戦いを構えるつもりはないよ。あの車を開発するのに予算は出さないし、だから2020年にDPiクラスにニッサンはいなくなる」とね。

MP: だから誰もあの車を買って (IMSA) レースを続ける人間が出なかったわけでもあるよね。リジェやニッサンを悪く言うわけじゃないけど、この車は売りに出ていることが知られていて、すぐ走らせられる状態だったのに、ヒストリックカーのコレクターに渡って、多分彼はHSR (ヒストリックカーレース) のイベントで走らせるんだろうか、それはそれですごいことだけどね。
そういえば、君に聞くのもどうかとは思うけど、ジェフ、もしジョン (・ベネット) が例えばキャデラックDPiを買っていれば、あのほぼ吊るしで乗れるパッケージの車で、デイトナに出ていたかな? あるいは、自分である程度カスタムできて、自分の判断が入り込む余地がある、そういう性質がジョンにとってニッサンの魅力だったと思うかい?

JB: いや、どうだろうもしDPiLMP2が同じクラスのままだったら、彼はオレカ・シャシーのまま参戦していたと思うよ。彼にとってはそれが理想的だっただろうね。彼はあの車を気に入っていたし、18年には明らかに速さもあったし。政治的な事情はわからないけど、IMSAにしては、ウチみたいなちいさなチームがメーカー・ワークス相手にレースに勝ったり、チャンピオンシップを争うような事態は望ましくなかったんだろうね。だからDPiLMP2を分けたのかな。
ジョンは決してレースをしたり、レース・カーに乗ることに嫌気がさしてはいないよ。あれは彼の領分というか、彼は運転するのも好きだし、チームを持つことも、それに付いてくる打ち合わせやら戦略やら運営やら、そういうことが全部好きな人間だから、わざわざ金を出してレースをしているんだ。結果は変わらなかったけどねもうニッサンでは走れないというのは、再設計してあれをふたたびコンペティティヴにする金を出す人間がいなかったということだから。
多分彼はまだ何をするのがいいか分らないのではないかな。LMP2に戻ればいいという人もいる。様子は見ておくべきかもしれないね。来年のエントリーが45、もしかしたら6台ぐらいいれば、全盛期のLMPCクラスの代わりになるかもしれない。そうなれば、ジョンにとっては魅力的だろうね。

MP: そうだね、彼がまた何か楽しいことをやれるよう祈っているよ。(中略) 今回は当代最高レベルのレース・エンジニアに、生まれ持った数々の制限や制約のためにその全力を発揮し得なかった車を深堀りして話してもらった。リスナーの皆さんも楽しんでくれただろうか、本当に真摯で洞察に満ちた語りだった。

JB: この話ができたのはウチがもうあの車を走らせていないからで、そういう意味ではこの話ができなかったら良かったのにな、つまりそれはウチが改善を続けていて、どういう障害があるか人に知られたくないってことだからね、とは思う。まあ、でも、現実はこうだからね。起こったことをみんなと共有できて光栄に思う。決してウチだけが苦労したり、BoPに文句を言ったり、思うように競走が出来なかったわけじゃないというか、そういうことは他のみんな (他チーム) も経験しているものだけど、少なくともこの一年、COREで何が起きていたのかを、みんなに少しは理解してもらえたと思うよ。

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    謎多きF1マニア(?)、bou_ckさんのブログ。「Wikipediaに載ってないような脳内資料置き場」を標榜するだけあって、その名に恥じぬディープ過ぎるF1マシン解説!Wikiどころか、ネット上にもそうそう無いようなマシンが目白押し。ちなみに「誰得」とは「誰が得するんだこんなもん」的意味合いのフレーズ。 2015.12.13追記: このほどYahooブログからfc2ブログに移転されました。
  • 作ったもの一覧。
    私の動画作品一覧です。気力の低下と更新頻度の低下はすべからく連動しています。