カテゴリー「ペーパーキット」の記事

2014年1月26日 (日)

ペーパーキットの作り方などなど

このブログもずいぶんカーモデルの紹介記事が増えてきた (換言するとほかに書くことがあんまりない。ブログとしてそれはどうなんだという気がするが) と思うが、世間一般のカーモデル紹介ブログが主にプラモデルやコレクターズモデル (ミニカーという人もいるが、ぼくの中では「ミニカー」=子供のおもちゃ、「コレクタ(ry」=ウン千円もするディスプレイ用ぼったくり商品、という認識) を中心としているのに対し、ぼくのところで紹介しているのはペーパーキット、すなわち「紙のプラモデル」なのである。プラモデルは模型屋や某家電量販店に行って買ってこなければならないが、ペーパーモデルの型紙はインターネット上で無料公開されているものも多いので、興味のある読者はぜひ手にとって (?) 組み立ててみて欲しいと思う。

ペーパーキットはペーパークラフトやペーパーモデルとも呼ばれるが、要するに紙を切り抜いて折り曲げたりくっつけたりして形を作る模型である。ペーパークラフトなんていうと小学生向け雑誌の付録なんかを連想するかもしれないが、なかなかどうして、本ブログで紹介してきたように、超精密なスケールモデルも主に海外製のものを中心に多数存在し、その品揃えはプラモデルにも引けをとらない。ペーパーキットはプラモデルに比較すると、「塗装の手間がいらない」という大きな利点があり、そのため複雑な迷彩塗装が施された戦闘車輌などの軍事系モデル、また塗装やデカールの処理が煩雑なレーシングカーなど、プラモデルで仕上げるのに手間のかかるモデルを比較的簡単に仕上げることが出来る (あくまで比較的、の話。綺麗に仕上げるとなるとそれなりにコツがある)。パーツがあらかじめ成形されているプラモデルと違って、パーツ単位で自分で形を作らなければならないため、車輌や航空機、軍艦などのモデルはおしなべてプラモデルの国際標準スケールよりひとまわりかふたまわりも大きい。1/33や1/25の装甲車、1/33の航空機 (これはかなりデカい)、1/200の軍艦 (このスケールの戦艦伊勢など、もうどこに置くんだというレベルである) といった具合である。ちなみにF1カーだけ、なぜか標準スケールと同じ1/24である (このスケールで問題なかったというだけだろう)。プラモデルを作った人ならわかると思うが、1/72や1/700のパーツの細かさを考えると、紙のモデルが巨大化するのも已む無しと言える。

Craft00前置きが長くなったが、さて実際にペーパーモデルを作るにあたって、まず必要な道具から見ていこう。ぼくが常々使っているものを一枚の写真にまとめたのが右図である。けっこう道具類が多いが、初心者が簡単なモデルを作るという分には最低限カッティングボード、カッターナイフ、接着剤、サインペンがあれば足りると思う。あとはだんだん腕が上がっていくにつれて道具を揃えればいい。プラモデルの製作経験のある人なら、使う道具がけっこうかぶっているのに気づくかもしれない。プラモデルにあってペーパーキットにない道具といえばニッパーとエアブラシぐらいのものだろうか。


■型紙
これは道具ではないが、無ければもちろん始まらない。いきなり変な色気を出して通販の海外製精密キットなどに手を出さず、まずはMETMANIAなどから出ている「プチF」シリーズで腕を磨くのがいいだろう。A4一枚におさまるパーツ数で、適度に製作難易度も調整してあるので初心者には特にオススメである。「METMANIA-FAN」製のモデルは同じプチFでもかなり難易度が高いので注意しよう。海外製のキットは精密で難易度が高いだけでなく、ややもすると平気でパーツ同士が1センチぐらいズレたりするので、それを現物合わせでささっと修正するぐらいの腕がない限りは手を出さないのがいい。腕に覚えがある諸氏で海外製キットが欲しいという人は、日本からは「紙模型ドットコム」の通販などが手軽だろう。

■紙
型紙は有料のものはだいたい適切な紙に印刷されたものが供されるが、無料公開の場合PC上のデータ形式で公開され、自分で印刷するようになっている (有料モデルでもデータ販売というのはある)。この際、適切な用紙を用いないと完成度に影響をあたえるので注意。基本的にはEPSON製「フォトマット紙」が万能選手というか、性能がとてもいい。50枚入りで1000円弱とやや高いので、出費を惜しむ人はELECOMやバッファローなどの他社製用紙という選択肢もなくはない。ELECOMはぼくも使ったことがあるが、EPSONに比してやや腰が弱い、強度が低いような気がした (EPSONの紙厚0.23に対してELECOMは0.21かそこらだったと記憶するのでそのせいか)。ペーパーモデル用としては、紙厚が0.21から0.23ミリ前後、あるいは160~170gsm (gm/sq.mの意。1平米分あたりの重さ) のものを使うと良い。F1モデルを光沢紙で作る人もいるが、種々の理由によりぼくはあまりおすすめしない (その辺は後述)。METMANIAからはヘルメットの型紙が出ているが、これは例外的に普通のコピー用紙程度の厚さで調度良く仕上がる。経験を積んでくると、どういう型紙にどのぐらいの紙を使えばいいかが直感的にわかるようになったりする。印刷の場合、どんなモデルでも基本はA4サイズだが、あえてB5やハガキ判で刷るとスケールファクターを変えることが出来る。その分製作難易度は地獄化していくが…。

■カッター類
ぼくはOLFA製のクラフトカッターとデザインナイフを主に使っている。クラフトカッターは普通のカッターの60度に対して、刃先の角度が30度と尖っているので細かい部分や曲線部分の切り出しがやりやすい。その分刃が欠けやすいので、横方向に無理な力がかからないような切り方を心がけよう。ハサミは基本使わない (厚さが1ミリに近いような厚紙を切る場合、カッターの損耗を抑えるためにハサミで切ることはあるが、単純な形状に限定される)。長い直線は定規を使って切ろう。切断以外にも、紙に折り目を付ける場合にカッターの刃先で軽くなぞって表面にキズをつけてから折ったりする (人によっては鉄筆だったり、インキの切れたペンだったり)。切れ味の鈍ったナマクラカッターはケガのもとなので、切れ味が落ちてきたと感じたら躊躇なく新しい刃を出そう。
*刃物の扱いにはくれぐれも注意して欲しい。指先の怪我は生命への影響などが全くない割には日常生活に多大な影響を及ぼすからである。ぼくは11か12のころからペーパーキットをやっているが、今日にいたるまで7年間負傷ゼロというのが唯一にしてささやかな自慢である。

■接着剤
紙どうしをくっつけるのに普通はスティックのりなんかを使うが、ペーパーキットでは乾燥が遅く粘着の弱いスティックのりは禁忌である。マレーシアでは写真の黄色い容器の接着剤であるドイツ製「UHU」がじつにペーパーキットにお誂え向きなのだが、どうやら日本では売ってないらしい。一般的には「非浸透性合成ゴム系接着剤」というらしいので、その系統の接着剤で試行錯誤することになるだろう。こればっかりはぼくが日本に住んでいないのでどうしようもない…。瞬間接着剤は小パーツの点付けや針金類の接着などに使う。ゼリー状と液状の二種類を状況やパーツによって使い分けるが、ゼリー状のほうが使い勝手はいい。接着剤は接着する面に少しだけ出して、爪楊枝などで均一に延べていく。細かい部分は指で調整することもある。

■カッティングボード
自分の工作机によほど恨みがあって、どうしても八つ裂きにしてやらなければ気が済まない、というので無い限りはこれまた必須品。写真ではタミヤ製のものが写っているが、べつに100均やホームセンターで買ってきても性能的にはまったく変わらない (と思う)。その昔、まだSimacher少年の家にカッティングボードが無かった頃、彼は廃材置き場から拾ってきた木の板を洗浄して代用していたという。こういうやりかたは多分カッターを痛めると思うので、ホームセンターも見当たらないようなマレーシアの僻地に住んでいるので無い限りさっさと買ってきた方がいい。

■サインペン類
紙の表側に赤白黄色のあざやかな彩色印刷を施しても、断面は白いままである。厚めの紙から部品を切り出したり、カッターで折り筋を付けて折ったりすると、特に濃い色の部品では組み上げた際に断面の白が目立って格好悪いので、同色の塗料でカバーすることになるが、これをタッチアップと言い、ペーパーキットの基本工程のひとつである (ペーパーキット初心者でこれをやってない人は意外と多い。簡単な作業で完成度がぐんと上がるのでやらない手はないのだが…)。また、キットの内容によってはパーツの裏を黒く塗ったり同色で塗ったりする必要があるので、そのためにも黒や青、赤、黄色など、ひととおりの色の水性サインペンを揃えておこう。大面積を塗りこむ太いものと、細かい部分を塗る細いものの2タイプが用意してあると望ましい。細部の塗装用に筆ペンは大いに役立つ。サインペンに無い色は絵の具で代用することになるが、絵の具の場合は用意に手間がかかるのでぼくは極力使わないことにしている。
余談だが、光沢紙はサインペン類との相性がひじょうに悪い。レタッチ程度でもインクが定着せず、ちょっと指で触れるとすぐに落ちてしまうのである。折り目を入れるために刃先でケガいた時に印刷面が剥がれやすいという欠点もあるし、あまり使い良い紙ではないと思う。

■ピンセット
「プチF」のような大味なモデルではあまり必要ないが、スケールモデルとなると無くてはならない相棒である。小パーツをつまんだり、接着面同士を保持するのに使ったり。達人になるとピンセット二本をそれぞれ左右の手で持って小パーツを組むというバルタン星人のような芸当を見せるらしいが、ぼくは細かい調整が利きやすいという理由でピンセットは片手持ちである。タミヤ製がさすがの模型屋謹製とあって使いよいが、先が細くなっていれば医療用を流用したりしても大丈夫だと思う。

■鉛筆
左右のあるパーツや形状の似ているパーツを切り出して置いておくという場合、あとで混同しないようにパーツ裏に鉛筆で部品番号や左右を書き込んでおく。円柱状の鉛筆なら部品の曲面付けにも使える。

■爪楊枝、竹串など
接着剤の項で述べたが、接着剤を塗りつけるのに主に爪楊枝を使う。F1カーのドライブシャフトにも爪楊枝を使ったりするし、小さいパーツを丸める際にも爪楊枝で曲面をつけたりと、けっこう万能選手として活躍する小道具。ちなみにF1カーの場合、ミラーの取り付けに針金を使うモデルが多いので、直径0.5ミリぐらいのものを持っていると何かと便利である。

■プラ製の容器類
上写真のいちばん右側に写っているのは練りゴムの容器である。切り出して置いておく小パーツを紛失しないように保管しておくもの。小さいパーツは紛失のリスクが高いので、なるべく切り出したら放置せずにすぐ組んでしまうのが最善なのだが、パーツの形を自分で作るペーパーキットの場合なかなかそうもいかない。特にアンテナ類などの細いパーツは紛失要注意ブラックリストのてっぺんに来るほど紛失率が高い。

Craft02さて、以上の道具のうち必要と思われるものを揃えたらめでたく製作開始なのだが、ここですこし製作の技法の話をしたいと思う。まずはカッターの持ち方。ぼくは左写真のような、一種独特のカッターの持ち方をするのだが (なぜかときかれても困る。ちなみにぼくは左利きである)、人差し指で地面に支えを作りながら切るので安定感が高く、曲線なども安定して切ることが出来る。しかしカッターの持ち方というのは鉛筆同様「クセ」の範疇なので、すでに自分の持ち方を確立している人は安全のためにもそのままの持ち方を続けて欲しい。



Craft03次に、「隙間」の開け方。ペーパーモデルは部品を差し込んで固定するパーツが少なくないので、その都度スリット状の差込口を開けなければいけない。普通に一本の線状に切って、そこからカッターの先や爪楊枝でもって広げるやり方もあるが、より綺麗な仕上がりのための方法として、図のように四角形の範囲を切り出す方法がある。こうすることである程度厚みのあるパーツ、例えば二枚重ねにしたサスペンションパーツなどを綺麗に仕上げることができる。まず普通のカッターで赤線部分を切り、その後デザインナイフを垂直に近い角度にして黄色の部分を切ると、きれいに切り抜くことができる。


Craft07のりしろなどの折り目を付ける部分が細い場合、指で折るのはかなり困難がともなう。そういった場合には定規にあてて写真のように折るとうまくいく。細い部品を二つに折るような場合にも応用できるが、細いパーツは曲がりやすいので、折る部分だけカットして先に折り目をつけてからあらためて全体を切り出す、という方法がオススメである。





さて、ずいぶん長々とした記事だが、馴染みの薄いペーパーキットの製作を解説するには最低限、これぐらい必要だろうと考えてのことである。プラモデルにはない手軽さと味わいの深さがあるので (美しく仕上げるのは勿論、そう簡単な話ではないが)、ぜひ読者諸兄にも挑戦していただきたい。特にこのところ、アニメが流行れば戦車模型が売れ、ゲームが流行れば艦船模型が売れるといった具合に模型業界が活性化してきているので、この機会にペーパーキットに接触してみるのもいいんじゃないかと思うのである。

ところで、戦車や軍艦の模型がずいぶん流行ったが、F1の模型が流行るのはいつになるんだろうか。

2014年1月 5日 (日)

日英F1ヒューマン・ドラマ ~ウィリアムズFW11・ホンダ~

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ホンダF1といえば、多くのファンはまずアイルトン・セナが乗った紅白のマクラーレン・ホンダを思い出すのではないか。たしかにホンダはマクラーレンと組んだ1988年から1992年にかけて強烈な速さを誇ったが、その足がかりとなったのが1983年末から都合四年にわたる英国ウィリアムズとのパートナーシップであった。この車は1986年にホンダがはじめてコンストラクターズ・タイトルを獲得し、チャンピオン・エンジンとなった時のもので、ホンダにとっては記念すべき一台である。   
   
   
   
参戦当初、ホンダはヨーロッパ選手権で無敵を誇ったF2用の2リッター自然吸気・V型6気筒のエンジンをそのままスケールダウンし、ターボチャージャーを組み込んでF1エンジンとして使用した。設計は自身もエンジニアであった川本信彦が主に担当したが、「まず何を差し置いてもピークパワー重視」の方針 (川本自身この判断をまちがいだったと断じている。ピークパワー偏重の悪癖はその後もホンダ製レーシング・エンジンに何かとついてまわったが、いわばエンジン屋であるがゆえの宿命なのかもしれない) でボア方向を維持したままストロークを短縮したため燃費が悪化し、ターボラグの問題とあいまってまともな戦闘力を有さなかった。その後、CVCCの設計に携わった桜井淑敏らが基本設計から見なおした新エンジンを85年なかばに投入し、ようやくフェラーリやルノーといったライバルに対抗できるだけの戦力を手にするようになる。85年最終戦まで三連勝を飾るなど「風がホンダの方に吹いてきていた」状態で86年を迎え、16戦中9勝をあげてコンストラクターズ・タイトルを手中に収めたものの、ドライバーズ・タイトルは土壇場の豪州GP、本田宗一郎の目の前でアラン・プロストに奪われるという苦い経験もしている。これについては「チームが早いうちからどちらかのドライバーに戦力を傾注していれば防げた事態」との見方が後年広まっている。ネルソン・ピケはレース後、惜しいレースだったと慰める市田勝己に対してつぎのようにいったという。    
「レースはきょうの一戦だけじゃない。十六戦すべてだ。きょうの一戦だけ運が悪かったんじゃないんだ。われわれには、ほかにも勝っているべきレースはたくさんあった。そのとき勝てなかったのがきょうのレースにつながっているんだ。レースというのはそうしたものだよ」    
なんというか、いかにもピケらしい意見である。    
   
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型紙はMETMANIA製のデフォルメキット、プチFシリーズから「FW11B」として公開されているものに、「jk」氏設計のトランスキットを組み込んでFW11としたものである。パーツと言ってもほとんどロゴマークや小改造レベルなので、基本的な設計はMETMANIA製と変わらない。部品密度もそれほど高くなく、初心者でもサクサク組み上がるすぐれた設計で、さすがプチFの本家と思わせる出来栄えである。トランスキットはブラジルGP/オーストラリアGP仕様だが、今回イギリスGP仕様の詳細なタイヤマーキング資料が見つかったため手直ししている。しかし肝心のタイヤマーキングは印刷時につぶれてしまってほとんど見えない。まあ人生こういうこともあるだろう。   
   
   
   
   
   
   
DSC_022799Tの記事で「F1走る魂」を紹介したが、海老沢泰久によるもう一冊の「F1モノ」として「F1地上の夢」がある。若き日の川本信彦が本田技研に入社し、その後1960年代のホンダF1に携わり、一時撤退ののち80年代にターボ・エンジンを引っさげてF1に復帰、チャンピオンへの期待が次第に現実のものとなりつつあった86年を迎えるまでの話である。F1好き、特に80年代のF1が好きなら持っておいて損はないと思われる。    

 

   
   
   
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1986年に向けて、契約金の条件がチームと上手く行かずに離脱したケケ・ロスベルグの代役として、ブラバムとの契約期間満了を迎えたワールドチャンピオンのネルソン・ピケと契約したが、これはホンダの入れ知恵によるものであった。ロスベルグはチームに契約金の増額を要求し、当時財政的にあまり余裕のなかったウィリアムズはホンダに契約金を一部負担してもらおうと考えたが、ホンダ側としてはテストを嫌がるロスベルグをチームに留める理由は無かったのである。そうこうしているうちにロスベルグはマクラーレンに行ってしまい、チームはかねてからホンダがすすめていたネルソン・ピケを二百万ポンド弱で迎え入れることになった。この際のホンダの負担額は八十万ポンドほどだったという。ピケのおかげでウィリアムズはこの翌年、一年越しの「忘れ物」であったダブルタイトルを取ることが出来たのだが、ホンダのドライバーであるピケとウィリアムズのドライバーであるマンセルを同居させることでチーム内に壁を作ってしまったと指摘されることがある。これが86年のチャンピオン決定劇の遠因となったとしたら面白い話だが、後年のマクラーレンにおいてもセナ・プロスト間で似たような問題が顕在化しているあたりが興味深い。   
   
   
86年開始時点で、まだチャンピオンどころか初優勝をあげたばかりのマンセルに対し、ワールド・チャンピオンのピケがファーストドライバー待遇を要求したのは当然の成り行きであった。しかしFW11は優秀な車に仕上がり、マンセルもそれに応えるように快走しはじめると、チームはしだいに英国人のマンセルに傾き始めるようになる。彼らとしては、ブラジル人のピケがファースト・ドライバーでなくともいっこうに構わなかった。また、マンセルは86年中盤からフェラーリのオファーを受けており、ウィリアムズとの再契約を渋っていたが (最終的にハンガリーGP時に契約延長)、後藤治はこれを「いままで無名だったのにグランプリで勝てるようになったのはどこのおかげだと思ってるんだ」と、没義道漢として腹を立てたという。このこともあってホンダのスタッフはすっかりピケに肩入れするようになった。ピケは何度も待遇の改善をうったえたが通じず、ついに87年ハンガリーGPで離脱を表明しロータスに移籍 (このおかげでロータスは88年もホンダ・エンジンを載せることができた)。しかし87年サンマリノの大クラッシュ (予選中にタンブレロないしトサでタイヤバーストによりウォールに激突、脳震盪で搬送された。決勝はドクターストップがかかったが、翌戦ベルギーGPには元気に出走している) の後遺症で精彩を欠き、ロータスの低迷と相まって満足な戦績は残せなかった。90年にベネトンに移籍、終盤日本GP・豪州GPで連勝すると91年もカナダGPで優勝し、ワールド・チャンピオンの意地を見せつけた。92年はリジェのシートを狙っていたがプロストの在籍に期待していたチームに断られ、F1を去った。鷹のような鋭い目が印象的なドライバーだったが、若いころは一度ならずレース後に卒倒したりと体力面のハンデを露呈させていたりする。    
   
DSC_0239FW11とFW11Bの主要な判別点はフロント周りの塗装、ノーズコーン先端形状、フロント翼端板形状、ターボインテーク形状 (FW11前期型のみ) などである。外形はひじょうに似通っている二台だが、FW11Bはドライバーの着座位置を低めるためにモノコック部分を新造しており、FW11との共通点は殆ど無いという。フロント周りの配色に白が目立つFW11のほうが、すっきりした印象で好ましいと思う。長靴の先のような切り立ったノーズ先端の造形も特徴的だ。    
   
   
   
   
DSC_0240リヤ翼端板はトランスキットでは途中に段差がある3D形状のものがモデル化されているが、調べた範囲ではFW11のリヤ翼端板は一枚板状である (FW11Bと混同した?)。ガーニーフラップも型紙に組み込まれているほか、前期型の特徴であるサイドポッド横のターボインテークも再現されている。後期型ではこのインテークはおなじみのシュノーケルダクトに換装され、FW11Bと同一仕様となる。この車の場合カラーリングの印象もあって、シュノーケルダクト無しのほうがすっきりしていて格好いいと思う。    
   
   
   
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フロント翼端板はやや曲がってしまっている。「VERTON」のマークはフォントが不明だったので、ペイントでそれっぽく書き込んでいるにすぎない。FW11/11Bはたしか一戦ごとにこの位置のスポンサーロゴが違っているというモデラー泣かせの仕様である。全レース分の資料などあるはずもないので詳しくはわからないのだが、この翼端板だけで十六戦分のパターンが存在するはずである。   
   
   
   
   
DSC_0246真横から見ると整ったボディーラインがよくわかる。先代のFW10は1985年に至ってもまだモノコックにアルミハニカム材を使っており (各所にカーボンを使用してはいたが)、スタイルももっさりしていていかにも古臭かったが、このFW11は少なくともFW10のようなずっしりした感じはせず、低く構えたスタイリングはむしろ速そうにも見える。同じパトリック・ヘッドの設計とは思えない。しかしヘッドはすでに否応なく旧世代の技術者になりつつあり、FW10ではリヤサスペンションの設計上の欠陥をホンダに指摘されながらなかなか直そうとせず、ホンダの不興を買ったこともあった。    
   

 

この年のイギリスGPはピケがポール・ポジションを取ったレースで、彼にとっては開幕戦・ブラジルGP以来の優勝のチャンスだった。途中二十三周目に母国GPでいつになく張り切っていたマンセルにかわされ、その後はマンセルが先頭、ピケが後方の高速戦が続いたが、残り五周の段階でパトリック・ヘッドが追撃の中止を命令し、ピケは二位に甘んじた。ホンダはこの決定にたいそう不満であり、先のFW10での一悶着などもあって、次第にホンダの心は固陋な思想にしがみつくウィリアムズから離れてゆくことになる。桜井淑敏はマクラーレンと接触を持った際、ロン・デニスの考え方にいたく感心し共鳴したというが、ロン・デニス本人の聡明さ以外にも、もしかしたら考え方の頑迷なウィリアムズとの対比でロン・デニスのビジネスマン的な理念がいっそう進歩的なものに見えたのかも知れない、というのは深読みし過ぎだろうか。   
   
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ミニチャンプス製1/43モデルのFW11Bと。写真のモデルは87年オーストラリアGP仕様で、負傷欠場のマンセルにかわって翌年分の契約を前倒ししたパトレーゼが乗っている。FW11/Bは設計にCADを導入したり、ウィリアムズ初のフルカーボンモノコックを採用するなどチームとしては先進的な設計ではあったが、この車を「カッコ悪い」と断ずる人もちらほら見かける。たしかにその後のマクラーレン・ホンダの優男的な美しさは見られないが、ターボ・カー特有の獰猛な面持ちはじゅうぶん備わっていると思う。向こうが優男ならこっちはヒゲの生えた野武士である。なによりFW10のほうがこの車の十倍は格好がわるいのではなかろうか。   
   
   
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FW11はサイドポッド開口部に縦方向の間仕切りがあるのだが、これもしっかりパーツ化されている。その他、実車ではバックミラー取付部もFW11と11Bで形状が違うのだが、さすがにそこまで再現する気力は無かった。モデラー根性とでもいうのか、なまじ知識があるとこういうところにどんどん神経質になっていつまでたっても模型が完成しなかったりするので、適度に手を抜くというか、メリハリを付ける必要がある。   
   
   
   
   
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コックピット部はほぼキット素組である。キルスイッチのプルリングは後付け加工ではなく、もとからキットパーツとしてモデルアップされていた。説明図ではモノコック側に取り付けることになっていたが、FW11ではロールバー基部についていたようなのでこのモデルでもそのように取り付けている。ロールバーそのものもトランスキットにはマンセル用の背の高いものとピケ用の背の低いものが用意されていたが、少なくとも86年のイギリスGP・オーストラリアGPではマンセル、ピケとも背の高いものを使っている (イギリスGP決勝ではどうやら使い分けているようなので、いわゆる予選用車だったのかも知れない)。   
   
   
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同じホンダ・エンジンを積んで戦った99Tと。まだ直線的なデザインが残るFW11に対して、99Tは曲面を多用したデザインと、設計思想ははっきり分かれる。ウィリアムズはFW11に限った話ではないがエアログリップ偏重の設計で、とにかくウィングを立てて高速コーナーでのダウンフォースを稼ぎ、直線ではホンダ・エンジンの爆発的なパワーで押し切るスタイルだった。そのウィリアムズが、数年後には一転、空力思想の最先端を行く車でホンダ・エンジンを大いに苦しめるのだから、不思議なめぐり合わせである。   
   
   
   
1986年、ウィリアムズ・ホンダは十六戦中九勝をあげ、コンストラクターズ・タイトルを最終戦を待たずに手中に収めながら、ドライバーズ・タイトルを取り逃がしたのは有名な話だ。それでもホンダ・エンジンのパワーは圧倒的なのは誰の目にも明らかで、ウィリアムズ・ホンダは手が付けられないように見えた。実際は上述のとおりホンダ側とウィリアムズ側で少しずつ考えが行き違っていて、それが積もり積もって87年の契約終了につながることになる (実際に戦っている者からしたらそんな内情は知ったこっちゃなかっただろうが…)。全体的に「人」の側面を重視した日本のホンダと、「チーム」としての整合性を求めたウィリアムズの婚姻は、けっきょく円満な形で終ることは出来なかった (ウィリアムズはかなり最近に至るまで「ドライバーを大事にしないチーム」という悪名が高かったが、そういう風土もフランク・ウィリアムズが現役だったころの延長線上にあると考えれば理解できる。「親方日の丸」を地で行くチームである)。この考え方の相違だが、なんとなく国民性までにじみ出ているようで面白い、と考えるのはぼくだけだろうか。    
   
最後に、豪州GP終了後の夕食会の席上で本田宗一郎が若いメカニックたちにかけた言葉を引用したく思う。彼本人のみならず、当時のホンダという会社の哲学がよくあらわれた一言である。    
「みんな、ありがとう。わたしはチャンピオンはコンストラクターだけでじゅうぶんだ。これ以上勝ちすぎるとほかのチームに嫌われるし、おごる気持が出ないともかぎらん。おごる平家は久しからずというじゃないか。これをバネにして、また来年がんばればいいんだ。それがホンダ・スピリットだ」

2013年12月28日 (土)

氷の中の炎 ~ロータス100T・ホンダ~

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前回の記事で紹介したロータス・99Tの後継機がこの100Tである。ロータスは元来、F1カー・レーシングカー・市販車の区別なく、コード・ナンバーを「通し」でつけているが、その記念すべき100番目の車だ。しかしこのうつくしい車は、その記念すべき名前に見合う戦績を残すことは出来なかった。のみならず、その後のロータスの苦難と凋落の歴史への第一歩を踏み出すという、ある意味まことに不名誉な経歴を持っている。   
   
   
   
   
   
1988年、ターボ・エンジンへの規制が強化され各メーカーが自然吸気エンジンに移行する中、ホンダは「いまだターボに優位あり」と判断し、最大過給圧2.5バールに合わせた新型のV6エンジンを開発した。このエンジンを積んだマクラーレンがテストの段階から圧倒的な速さを見せたこともあり、同じエンジンを積むロータスにも88年に向けて高い期待がかかった。アイルトン・セナとアラン・プロストを取り揃えたマクラーレンにマッチすることは叶わなくとも、そのすぐ後ろぐらいのポジションはたやすく確保できるだろうと思われたのである。ロータスはアイルトン・セナにかえてワールド・チャンピオンであるネルソン・ピケと契約していた。しかしいざ蓋を開けてみると、名手ピケをもってしても100Tの基本設計のまずさはごまかしきれるものではなかった (後のインタビューにおいてピケは、87年サンマリノでの予選中の大クラッシュ以来後遺症に悩まされて完全なレースができず、以後は金のためだけに走っていたようなものだ、と述懐している)。それでもチャンピオンの意地を見せたピケはブラジル・サンマリノ・オーストラリアの三戦で三位に入り、ほかに四位と五位を二回づつ記録したが、中嶋はブラジルでの六位がこの年唯一の入賞歴で、モナコとデトロイトでは相対的に性能差の詰まったNAエンジン車相手に予選落ちを記録する惨状であった。ロータスが優勝・ポールポジションをいずれも獲得できなかったのは1981年シーズン以来のことであった。翌年のロータス101・ジャッドにもまともな戦闘力はほとんど無く、ベルギーGPではチーム史上はじめてドライバーふたりが揃って予選落ちに終る結果になり、チームの凋落はもはや隠しようもなかった。チーム監督のピーター・ウォーら首脳陣がが離脱した90年にはランボルギーニのV12エンジンを獲得したが、すでにチーム・ロータスにはそれに見合った車を用意する体力は残っていなかった (同年のドライバーだったデレック・ワーウィックは、新車発表会の際に自走で車をステージまで運転するパフォーマンスを任されたが、エンジンをかけた途端にギヤボックスが音を立てて脱落してしまい、仕方なくエンジンだけ空ぶかししながらメカニックに押してもらってステージに姿をあらわしたという)。90年をもってRJレイノルズ社の支援も終了し、資金的な後ろ盾を失ったロータスはその後、四年間の苦闘の末にF1から姿を消すことになる。    
   
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型紙は1/24スケールで、ポルトガルGP仕様を再現している (なぜポルトガルなのかは不明。ピケ・中嶋ともリタイヤに終ったレースである)。ロシアの「f1papermodels.ru」というサイトで無料ダウンロード可能 (こちらから)。配布されているのは1号車のピケ仕様だが、ゼッケンとネームを改造して2号車の中嶋仕様にして組み立てた。なんのことはない、ヘルメットの型紙データが中嶋のぶんしか無かっただけのことである。ちなみにこの型紙、よく見るとわかるがリヤウィングのキャメルマークが左右逆になっているのを見落としてそのまま刷ってしまったため、仕方なくメインエレメントを裏返しにして (黄色い面が上にくるように) 組んでいる。型紙の最終チェックを怠るとこういうことになる。    
   
   
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ベースコンポーネントは99Tの流用ではあるものの、エンジンの換装やレギュレーションの変化などで、カウルはほとんどの部分を新造されており、わずかにリヤカウルの峰の部分 (モデルではちょっと形が違ってしまっているが、実車は99T前期型に近い形状) やリヤウィング形状 (こちらは99T最後期型と同じものと思われる) などに先代の面影が残るのみである。この年から「ドライバーのつま先は着座状態で前車軸の後方に位置しなければならない」という、いわゆる「フットボックス・レギュレーション」が施行されたため、着座位置が車両中央近くに移動し、それとともにノーズが延長された。フロントサスペンションも、99Tのプルロッドからプッシュロッド方式に変更されている。   
   
   
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設計はこの年限りで離脱したジェラール・ドゥカルージュをマーティン・オジルビーが補佐するかたちで行われた。ノーズ以外にサイドポッドも再設計されており、真上から見た形状はマクラーレンMP4/4に近い。99Tまで続いたドゥカルージュの丸みを強調したボディデザインは消えてなくなり、一転して細身で直線的なカウルをまとっている。見た目はいかにも速そうなのだが、主に車体の剛性不足でエンジンパワーを受け止めきれず (この年のホンダ・エンジンは640馬力前後だったと言われているが、通常F1カーでは剛性的にはまったく問題にならない程度の数字である)、また風洞テストの際に得られた間違ったデータでそのまま設計してしまったとされ、結果的に優秀なF1カーにはなれなかった。   
   
   
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ターボ・チャージャー用のシュノーケルダクトは実車とは形状がまったく違うのだが (このモデル、全体のフォルムはいいのだが細かい考証ミスが目立ち気味だ)、この角形のダクトもなかなかカッコイイと思ったのであえてそのままにしてある。マクラーレンMP4/4同様、この車も後半戦になってからエンジン側のターボ・チャージャー用ダクトが再配置されたため、シュノーケルダクトを取り外している。空力的には、リヤウィングに気流を持っていくためにもサイドポッド上面にはあまり立体物を置きたくないはずだ。   
   
   
   
   
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おなじホンダ・エンジンを積むマクラーレン・MP4/7Aと。MP4/7Aも100T同様、直線的というかずいぶん素朴なデザインである。わるい意味では無いが「小学生にF1カーを想像で描かせた感じ」とでも言うべきか。92年にもなると他チームはどんどん空力思想が先鋭化して、すでに小学生のF1どころの話ではなくなってきているのだが…。   
   
   
   
   
   
   
RIMG0162このキット、いままであまりペーパーキット大国では無かったロシア発の型紙なのだが、パーツ割りはかなり独特だ。たとえばモノコックがワンパーツではなく上下二分割だったり、サイドポッド前面の開口部をそのまま塞ぐ設計になっていたりなどである。そのため側面のラジエーター用開口部の中はドンガラである (普通はテクスチャ入りパーツで塞ぐ。前回の99Tと比較されたい)。パーツ割りのせいとは言えないだろうが、製作途中でリヤのブレーキダクトを片方紛失してしまい、仕方なくパーツごと割愛した。おおむね無難に完成できたモデルだが、あれが唯一のポカである。    
   

 

   
   
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これまた角型のコックピット開口部と、そこからノーズ上を走る二本のエッジラインが印象的だが、コックピット自体は相当狭く、ドライバーは苦労させられた。イギリスGPの後でジャッキー・スチュアートがこの車のテスト走行を行ったことがあったが、なんとステアリングとカウルの隙間にグローブが挟まってスピンしたという (このテストでスチュアートは、100Tの基本的な欠陥が車体の剛性不足にあることを指摘した)。ミラーのステーは紙を三枚重ねて細切れにし、瞬着で点付けした。ロールバー後部のアンテナも紙である (型紙では針金を使うよう指示されている)。   
   
   
   
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真横からの一枚。繰り返しになるが、ルックスはいかにも速そうなのである。しかし87年にアクティヴ・サスペンションの開発で無駄な労力と資金を使ったせいでノーマル・サスペンション用のデータの蓄積が間に合わず、また車体の剛性不足によるコーナリング性能の悪化、空力設計の失敗など、ほとんどいいところなく終ってしまった。もしこれでエンジンがホンダ以外だったら、ピケといえども予選落ちは免れなかったと思われるほどだ。頼みのホンダ・エンジンも、ロータスが使っていたエルフ製オイルとの相性が悪かったのかたびたびトラブルを起こしたという。まさに踏んだり蹴ったりそのうえ殴ったり、の体たらくである。   
   
   
基本設計に欠陥のある車体、クラッシュの後遺症で万全とは言いがたいコンディションのワールド・チャンピオン、そして肝心のエンジンも本調子を出せない。そんな中で三度の三位表彰台は、殊勲と言うよりほかないだろう。しかしピケの威光もこの年までだった。ちなみに中嶋悟は、後年のインタビューで100Tについてつぎのように言及している。    
「オレはね、87年より88年のほうが、ほとんどのコースで予選タイムは速かったのよ。だからオレはアクティヴ・サスのロータス99Tより、100Tのほうがいい車だと思って乗っていたのよ。なぜロータス100Tが悪い車と言われたかというとね、それはピケが言ったんだよ。ピケは87年はウィリアムズに乗っていた。で、ロータスに乗ったら全部のコースでタイムが悪い。だからウィリアムズよりは悪かったんだろうね。(後略)」 (「F1ヒューマン・サーキット」赤井邦彦、扶桑社)    
もし100Tに人の心というものがあれば、この歴戦の日本人ドライバーの言葉は100Tにとっての唯一の救いであっただろう。    
   
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最後に、模型の箱絵を真似たアングルでのショットを載せる。タミヤはこの年、1/12のビッグスケールモデル・シリーズとして100Tの図面を引いていたというが、タミヤ製の100Tの模型が発売されることはついになかった (WAVEから発売されていた1/24のレジンキットがおそらく唯一の標準スケール・キットである)。もし100Tがピケと中嶋を乗せて期待に違わぬ活躍をしていたら、あの模型は発売されていたのだろうか。

2013年12月27日 (金)

1987年のエンデュランス号 ~ロータス99T・ホンダ~

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前の記事でも書いたが、1987年というのは日本におけるF1文化にとって転換点となった年であった。この年からホンダのニチーム同時供給やF1日本グランプリの開催、さらには全戦TV中継がはじまり、そして何より日本人初のフルタイム契約ドライバーとしてロータスから中嶋悟が出走したことで、日本人にとってのF1はひじょうに身近なものになったのである。その中嶋悟がデビューイヤーを共に戦ったのが、このロータス99Tだった。そのおかげで、キャメル・イエローのロータスはいまでも日本のファンにとって思い出深い車となっている。   
   
   
   
DSC_01251987年の中嶋悟の戦いの克明な記録として、海老沢泰久の「F1走る魂」があげられる。この本は1987年のホンダ・エンジン勢、すなわちウィリアムズ・ホンダとロータス・ホンダの一年間の戦いを、この年からF1にステップアップした中嶋悟を中心に描いた著作で、同氏の「F1モノ」としては前作「F1地上の夢」に続くものになる。著者はこの年、F1全戦に帯同しホンダ・エンジンと中嶋悟の歩んだ道をつぶさに書き記した。F1一年生だった中嶋の挑戦や苦悩がいきいきと活写されている良著だ。    
   
   
   
ロータス99Tは、デザイン的にはジェラール・ドゥカルージュがデザイナーとしてチームに加入した1983年の94Tから続くデザイン・コンセプトの延長線上にある車だ。丸みを帯びたフロントノーズやサイドポッド、前期型の小ぶりなリヤウィング翼端板、曲面で構成されたボディカウルなど、主要な特徴はすべて引き継がれている。このモデルはシーズン中盤のイギリスGP~ハンガリーGPにかけて段階的に投入された改良型エアロパーツをすべて装着した、シーズン終盤の日本GP仕様である。延長されたノーズや大型化された前後ウィングの翼端板、よりスリムにされたカウルライン、リヤウィング支持方法の変更 (メインエレメント・マウントからサブエレメント・マウントへ) など、主に空力的な改良が施され、開幕戦のものとはずいぶん表情が違っている。また、ロータス肝いりのアクティヴ・サスペンションをF1カーとしてはじめて全戦実戦投入したことでも有名な車だが、周知の通り信頼性や操縦性の問題が最後まで解決できず、またアクティヴ・サスペンション開発作業の割を食う形でほかの部分のリファインが遅れ、結果的にいまひとつ一流マシンになりきれず終ってしまった。アイデアは良かったが技術的に時期尚早だったということだろう。    
   
中嶋悟はこの年のF1グランプリ全16戦に参戦し、うち四戦での入賞 (サンマリノGP六位、ベルギーGP五位、イギリスGP四位、日本GP六位) で合計7ポイントを獲得し、ドライバーズランキングは十位であった。セカンドドライバー待遇だったことや、車の信頼性を考えれば上出来ともいえる。チームメイトがあのアイルトン・セナでなかったらもう少し比較のしようもあったと思うのだが…。この7ポイントという数字は彼のキャリアベストである。この後中嶋はなかなか車や体制に恵まれず、体力的な衰えもあり (デビュー時で三十四歳というのは近代F1史上ではなかなか珍しい部類である)、期待されながら一度も表彰台に乗ることなく1991年にF1を去った。    
   
「エンデュランス号漂流」という本がある。海洋冒険物語とでも言えばいいのか、1914年から1915年にかけて、南極大陸の横断を試みて砕氷船エンデュランス号で氷の海に乗り出したサー・アーネスト・シャクルトン率いる探検隊が途中で難破し、徒歩や犬ぞり、急造ボートなどであっちこっちをさまよいながら、500日以上漂流した末に全員が生還するという大冒険の物語である (もちろん実話)。彼らは南極大陸の横断という、当時誰も達成したことがなく、また試みもされなかった偉業 (南極点の到達はすでに達成されていたが、南極大陸の横断が達成されるのはじつに二度の世界大戦ののち、1959年のことであった) に敢然挑戦し、期待された結果を何一つとしてあげることは出来なかった。しかし彼らはけっきょく、当初目的よりもはるかに偉大な事績を後の世に残していくことになった。中嶋も、当初期待されたほどのリザルトをあげることは叶わなかったが、彼が日本のレース界に残した功績はもっとずっと大きかった、というのは言い過ぎだろうか。    
   
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型紙はMETMANIA-FAN製のもので、同サイトで無料ダウンロード出来る。例によってディテールの描き込みも徹底しており、前作マーチ871と違って理不尽なパーツ割りや合いの悪さも特には無い。M-FAN製型紙の通例で部品密度が高いので切り出しには苦労するが…。製作難易度も全体的に高く、初心者が手を出すのはちょっとおすすめできない。型紙内にヘルメットパーツが付属しているが、厚手の紙に印刷してあるので組み立ては難しい。素直にヘルメットパーツだけ薄手の紙に刷っておくのがいい (普通のコピー用紙で十分)。   
   
   
   
   
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この角度から見ると、ノンスケールのデフォルメキットながらじつに巧く特徴を掴んでいるのがわかる。強いて言えばノーズ先端がやや長すぎるような気がするが、指摘するとしたらそれぐらいだ。雰囲気としては佳作の部類に入る。   
   
   
   
   
   
   
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小パーツ類もなかなかの再現度である。このピトー管はフロントサスのハウジング部分に左右一本ずつ立っているが、おそらくこれは速度計測用ではなく、アクティヴ・サスペンション制御のためのものと思われる。この年のアクティヴ・サスペンションは徹頭徹尾トラブルの連続で、オイル漏れなど日常茶飯事、ブラジルGPのフリー走行では走行中に圧が抜けて、シャシーが底づきしたまま時速200キロでバリアに突っ込んだりもしていた。いやはやとんでもないメカだが、ドゥカルージュは周囲の「アクティヴ・サスペンションが物になるまではノーマル車で走ってはどうか」とのアドバイスを固辞したという。彼なりのプライドだったのだろうか。   
   
   
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ロールバー脇の箱状の物体が車載カメラである。この当時車載カメラは各チームが持ち回りで付けていて、87年はロータスの番では無かったのだが、ピーター・ウォーが契約金目当てで勝手に引き受けてしまい (ロータスはキャメルからの潤沢な資金のほとんどをアクティヴ・サスペンションの開発やセナ、ピケといったドライバーのギャラに消費していた)、中嶋は思うように走らない車に加えてカメラそのものの15kg近いウェイト・ハンデや空力面でのハンデと戦わなければならなかった。ホンダ側は「われわれはTVサービスなんかのために中嶋を乗せたんじゃない」と激怒していたという。当たり前である。   
   
   
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リヤウィングは後半戦になって翼端板が大型化され、また支持方式の変更によってメインエレメント下部がクリアになったことでダウンフォース効率が上昇した。このリヤウィング形状そのものは翌年の100Tにもおおむね引き継がれている。大きな一本の円弧を描くディフューザー断面が特徴的だ。   
   
   
   
   
   
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同じ87年のマーチ871と。500馬力が精々のDFZと1000馬力を余裕で出せるホンダ・ターボでは勝負にもならないはずなのだが、モナコやデトロイト、ヘレスといった低速コーナーの続くコースでは、それまで300馬力程度のF2マシンに慣れ親しんでいた中嶋は1000馬力のターボチャージャー付きエンジンの挙動を扱いかね、特に予選ではしばしばNAエンジン車に遅れを取った。ストレートでは大パワーを利して追いついても、コーナーであっというまに離されるというもどかしい展開だったという。   
   
   
   
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500馬力のNAエンジンを積むマーチと、ターボ・パワーに頼ったセッティングが出来るロータス。全体的にボリューミーなロータスに比べると、F3000ベースのマーチはなんだかアバラの浮いたガリガリの野犬にも見える。ひどい言い草だが、ぼくはそういう尖った戦闘機械のような雰囲気の車が大好きである。ひとことでいえば99Tは「優雅」、871は「獰猛」だろうか。   
   
   
   
   
   
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中嶋悟が引退した1991年に、彼の引退を記念したその名も「SATORU NAKAJIMA」なる音楽CDが発売されている。この翌年、1988年から中嶋の個人スポンサーとしてロータス (のちにティレル) を援助したEPSONのCMソング (すべて矢萩渉の作品) を集めたアルバムなのだが、中嶋悟のトークも収録されていて、彼がみずからのレース経験や、F1デビューを果たした頃の意気込みを述懐するのをきくことが出来る。おそらく絶版品だが動画サイトで音源を試聴出来る。   
   
   
   
   
CDは語り~音楽~語り~音楽~…という順で収録されているのだが、91年日本GP前に放送された中嶋悟の引退特番のテーマ曲「静かなる朝」のあとに、「親愛なる中嶋悟へ」と題してつぎのような中嶋のモノローグが入る。そして最後の一曲「楽園の君に」へと続くのだが、この一連の流れがじつに美しい。実際はそんなことは無いはずなのだが、まさに去りゆく中嶋のために作られた曲といった趣である。中嶋はこう語っている。    
「ぼくとしてはもうF1に、とにかくすべての自分の労力を傾けてこの場所を掴んで、その中でどうしたら自分の弱い部分をカバーできるか、チームを選ぶにしてもエンジンを選ぶにしても、いろんなものを自分に有利になるようにして、自分としても出来うる限りのすべてのことをして、たとえば五年間戦って、もう自分にカードがないところでしょう。この…なんというか、これが挫折ですね。だから山で喩えれば、頂上には登れなかった。ただし、今自分でいちばん自分自身にこう、まぁ許してやるとすれば、その努力だけは、ほかのドライバーのも劣ってなかったんじゃないか、そんな気はしますね。自動車レースでのあの緊張というか、あの刺激はやっぱり、ぼくのこのさきの生活でほかのことをやって、それがあるのか無いのかっていうのが不安なのと、逆に意外に強いヤツだから、またその刺激を何らかのほかの分野でも見つけ出すんじゃないかっていう新たな期待が、ぼくの頭のなかで巡ってますね。…やっぱり、寂しいですね。もし生まれ変わることができたら…ワールドチャンピオンに、なりたいな」    
日本でレースをしているだけの生活に飽きたらず、新たな挑戦を求めてF1に踏み出し、そして自らの戦歴を完結させた男の、五年間の総決算である。

2013年11月26日 (火)

終章と序曲 ~マーチ871・フォード~

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日本におけるF1ブームは、一般に1987年がひとつの区切りであったと言われている。この年から中嶋悟が日本人初のF1ドライバーとしてロータスからフル参戦を開始、それに伴いホンダがロータスにエンジンを供給しウィリアムズ、ロータスのニチーム供給体制が実現し、さらにこれと歩調を合わせるように鈴鹿サーキットがこの年から五年間のF1グランプリ開催契約を結ぶにいたり、これに合わせてフジテレビによる全戦テレビ中継が実現。ホンダのF1参入によって高まりを見せていた日本国内の自動車レース熱はここに来て一気に大爆発したのである。そのため、今日に至っても当時のモータースポーツ界の話題になるとホンダは必ず登場するし、先日のF1復帰発表もニュースで大きく取り上げられた。その一方で、1980年代末というバブル経済の劈頭にあった時勢は、多くのバブル成金たちを新たな投資先であるF1に駆り立てさせ、丸晶興産 (後のレイトンハウス)、フットワーク、さらには東芝やパイオニアなどといった日本企業が競うようにしてF1チームのスポンサーにつき始めた時代でもあった。そしてその中のレイトンハウスやエスポといった実業畑の会社が、スポンサーシップだけでは飽きたらず、チームごと買収して手中に収める手段を取り始めたのである。中でもこのマーチは、そういった日本企業オーナーのF1チームの嚆矢というべき存在であった。   
   
レイトンハウスといえば、若いころのアドリアン・ニューエイを擁して力走を見せた1988年~1990年の活躍が日本のファンには印象深いかもしれないが、この車はその一年前、まだレイトンハウスがチームを買収する前に「マーチ」として参戦していた車である。イギリスの名門シャシーメーカーであるマーチは、1970年からF1に参戦してきたものの目立った戦果を上げることができず、1982年以降F1では休眠状態にあった。1986年、国際F3000に参戦していたイヴァン・カペリのスポンサーとなったレイトンハウスは、カペリをF1に進出させることを画策 (それ以前にもカペリはF1参戦歴があり四位入賞も経験していたが、あくまで代打のスポット参戦であった)。たまたまF1復帰を考えていたマーチ側から、五億円分の持参金と引き換えにF1シートを与える話が持ち込まれ、レイトンハウスはマーチのメインスポンサーとしてF1の大舞台に打って出たのである。車輌の設計は70年代の名車・マクラーレンM23などを手がけたゴードン・コパックが、F3000用の車をベースに再設計する形で行った。開幕戦では新車が間に合わず、F3000用の87BにF1用のウィング類を取り付けた87Pを持ち込んでいる (決勝不出走。燃料タンク容量がF3000仕様のままで、仮に出走しても完走は元から不可能な状態であった)。しかしコパックは当時すでに古い世代のデザイナーとなりつつあり、また経験豊富なマーチも技術の進歩が速いF1における五年間ものブランクは一朝一夕には埋め難く、この年はモナコでの六位入賞が一回のみに終っている。    
   
   
RIMG0123型紙はスケールモデルではなくいわゆる「ノンスケール」、ミニ四駆のようなデフォルメモデルである。パーツ類をA4用紙一枚に収めたデフォルメF1カーのシリーズ「プチF」と呼ばれるもので、本家METMANIAでひと通りのモデル (おもに70年代のもの) が無料ダウンロードできるほか、派生サイトであるMETMANIA-FANでは80年代のモデルも公開されている。特に総本舗であるMETMANIA製の型紙は組みやすさ、出来上がりとも絶妙なバランスで、F1ペーパーキット初心者はまずここから始めるべきといえる逸品だ。いっぽうMETMANIA-FANの型紙は、出来上がりのディテールや車種チョイスなどでMETMANIAに勝るものの組立が難しいモデルが多く、またパーツ同士の合いが悪かったり、テクスチャが一種独特だったり、組立説明が不親切でわかりづらかったり (この871など、なんと組立説明がYouTubeの動画形式であった。私見だが海外キットよりも極悪である)、はっきり言って「上級者向け」である。模型で例えるならMETMANIAがタミヤ、M-FANがスタジオ27といった辺りだろうか。    
   
   
   
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このキットの最大の特徴は、なんといってもカウル脱着機構である。もともとF3000改造車のような車なのでエンジン部分は覆われていないのだが、それを逆手にとってエンジンカウルを脱着式 (ただ置いてあるだけ) にし、ついでにノーズコーン内部も再現した、といった具合である。タイヤは単に接着していないだけだが、簡単な差し込み式なので実質的に脱着可能であろう。ただリヤのサスアーム位置とタイヤ側の切り込み位置が笑ってしまうほどズレているので、現物合わせで切り込む必要がある。ちゃんとテストビルドしたんだろうか。   
   
   
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M-FAN製の型紙の特徴の一つにテクスチャの使い方がある。あっさりした表現のMETMANIA製に比して、陰影やハイライト部分に容赦なくテクスチャを描き込むスタイルは、好きな人と嫌いな人がはっきり分かれるだろう (ためしに両方のモデルをダウンロードして見比べてみるといい)。これはメカ部分ではまずまず成功したやり方と見ていいかもしれない。エンジンやラジエーターのパイピングもしっかり再現してあるが作るのはかなり大変だ。エンジンはDFV系ブロックを3.5リッター化したDFZ。   
   
   
   
   
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このアングルで見ると、同年のF3000カーである87Bとソックリであることがわかる。87Bはリヤサスペンションの設計に欠陥がありまともに走らなかったが、F1のほうではそういった話はきかれなかった。設計を変えたか何かで本当に問題がなかったのか、単に遅すぎて問題が露見しなかっただけなのかは今となっては不明である。キットのほうでもサスペンションの欠陥はしっかり再現されており、前後ともプルロッド/プッシュロッドのロッド部分の長さがまったく合わなかった。作例では例によって上半角を決めた後に現物合わせで切断している。   
   
   
   
   
   
   
   
   
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エンジン周りは本当によく再現されているが、組立順序をしっかり考えないとレイアウト的にあとで困ったことになったりする。組立説明がYouTubeの動画 (17分ぐらいある) というのは、キツイ言い方になるが非常識ですらあると思う。だいたい説明図というのは組み立てながら参考にするべきものであって、組む前に一度見てハイおしまい、ではないのである。少なくとも海外キットのように、車輌の簡単な全体図を描いてパーツの位置取りだけでも教えてくれれば、ある程度のモデラーならそれでなんとかなる (必要十分ではなく必要最低限、といったところだが) のだが…。このキットで海外モデルのポンチ絵説明図のありがたさが身にしみて理解できた。   
   
   
ちなみにぼくはプラモデルを参考に、だいたいエンジンブロックまわり~ギヤボックス~リヤサス~リヤカウル~リヤウィング~アンダーパネル~フロントカウル~ノーズまわり~フロントサス~フロントウィング~タイヤの順で組み立てた。各パーツの組付けなどは「Craft_Blog」の製作記事を参考にさせていただいた。    
   
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フロントバルクヘッド。このバルクヘッド・ノーズコーンのパーツも合いが絶望的に悪く (脱着機構を紙でやる以上、ある程度は仕方ないのだが)、仮組み段階ではなんとノーズがはまらないほどであった。いろんな意味で難易度はじつに高い。   
   
   
   
   
   
   
   
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型紙のリヤウィングはメインエレメントのみでステーが長く、翼端板が直角三角形に近いものであった。これは調べた範囲ではイタリアGPなどで使われていた仕様である。しかしこのサイトは「プチFモデルで1987年日本GPのグリッドを再現する」企画に参加しており、そのことから考えて日本GP仕様のはずなのだが、日本GPにおいては写真のようなサブエレメント直結の短いステーに矩形の翼端板というセットが正しい。この形状にしてしまうとどうやってもA4一枚に収まりきらなかったので、考証ミスというよりはデフォルメの一環なのかもしれないが (冒頭に掲載した型紙の写真ではイタリア仕様のウィングになっている。その後ミスに気づいて改造型紙を印刷しなおしたため)。   
   
   
RIMG0036カペリのヘルメットは型紙に付属しているが、ここでは組みやすさを考えてより薄手の80gmの用紙に刷り直している。胴体部分はMETMANIAで配布されている胸像パーツを流用した。ヘルメットのスケールはだいたい1/24。単なる偶然ではあるが24スケール用のヘルメットパーツが流用可能である。    
   
   
   
   
   
   
RIMG0020あざやかなレイトンブルーのカラーリングが目を引く。このカラー、タミヤからは「コーラルブルー」という名前でCG901Bのプラモデルに合わせて発売されていたが、本当に「レイトンブルー」としか表現できないような、独特の色合いである。作例では印刷の関係で水色に近くなってしまっているが…。ある意味、日本のバブル経済時代を象徴する色だろう。この色はタッチアップがかなり大変である。ぼくはラインマーカーでなんとかタッチアップしたが、一般的に黒や青、緑、赤など、サインペンが容易に手に入るカラーが「タッチアップしやすいカラー」といえる。    
   
   
   
RIMG00231987年、F1プロジェクトが運営上まずまずうまく行ったことに気を良くしたレイトンハウスの赤城明社長は、しかしマーチの運営姿勢に不満を抱くようになり、89年にはF1部門を完全に買収してチーム名を「レイトンハウス」と改めた。当時のF1界にあって、エンジン屋ではなくいち企業としての日本代表は、目のさめるようなカラーや時折の驚異的な力走によって注目を集めたが、当時のニューエイの設計はいわばムラッ気が多く、中堅チームにとって最も大事なコンスタントさを欠いていた。91年秋に赤城社長が銀行の不正融資に関与して逮捕されるとチームの資金源は絶たれ、92年にはチーム名をふたたび「マーチ」に戻すがすでに過日の溌溂さは片鱗もなく、93年のグリッドにこのイギリスの名家が姿を見せることはなかった。    
   
   
傍から見ると、レイトンハウスの参入は結果的に名門マーチそのものを食いつぶしてしまった愚挙であったように見える。レイトンハウスはマーチ側の要求するままに、その使途や内訳もよく理解せぬまま開発費として一度に数十億円分もの金額をチームに投資していた。当時のベネトンでのメカニック経験がある津川哲夫によれば、これがF1チーム側に甘い汁を吸わせる結果となり、その後の資金援助の「相場」を釣り上げてしまったのだという (この資金でニューエイが好き勝手できたからこそ今の彼の栄光がある、と言うことも出来なくはないが)。レイトンハウス・チームの終焉は、日本のバブル時代の終焉と同時にやってきた。92年から93年にかけて、多くの日本資本がその資金をF1から引き上げてしまい、グランプリの世界でジャパンマネーが大手を振って歩く光景は見られなくなったのである。これは奇しくもホンダのF1一時撤退と重なる時期で、また94年にアイルトン・セナが死亡したことで、日本でのF1ブームは沈静化に向かった。現在、日本ではF1は一部のモータースポーツ・マニアのためのものと捉えられており、一時期のような国中を巻き込んだ熱狂はおそらく二度と見られないだろう。レイトンハウスは、1986年の全日本F2最終戦・鈴鹿でのF1カーのデモランを見た赤城明の「よし、あれやるぞ」の一言でF1という「世界」を見に出ていき、その表と裏をつぶさに見届けて散ったのである。

2013年10月19日 (土)

ペーパーキット番外編: スバルBRZ GT300 '12

RIMG0052これまで「カーモデル」カテゴリでぼくが取り上げて来たモデルといえばすべてF1カーで、しかもすでに組み立てた状態の完成品であった。それもそのはずで、別に組み立ててもいない型紙の写真を紹介して「これを組むとロータス107になるんだゾ」などとのたまっても説得力はないし (プラモデルと違って、組み立てないと永遠に平面二次元体のままなのである)、そもそも型紙の状態で何を紹介したらいいのかぼくにはわからない (紹介してあるのが今のところF1ばかりなのは単なる趣味の問題である)。ところが今回、友人からちょっとばかり掘り出し物をいただいたのでここに紹介したく思う。先週の水曜か木曜ぐらいだったか、ぼくの車趣味および模型趣味を知っているある友人が、「こんなものがあるのだ」といって車のペーパーキットを持ってきてくれたのである。時計メーカーのオリエントのマークが入った冊子というかカタログみたいなものだったが、中にA4の型紙三枚が挟んであって (もともとの状態でどうなっていたかは不明。封筒かビニールか何かに入っていたのだろうか?)、組み立てるとスバルBRZのGT300仕様レースカーになるというものであった。オリエントはここ数年、スバルの日本GTやニュルブリンク24時間などの活動をサポートしているので、その関係のノベルティであることはすぐ察しがついた。友人曰く、彼の叔父が時計屋を営んでおり、そこから回ってきたものだという。どうやら貴重な非売品のようだったのでぼくは一度辞退したのだが、「このパーツ見るだけで頭痛くなっちゃうのヨ、俺ァガンプラが限度だで (いちおうケランタンにも売ってるらしいがぼくは見たことがない)、もったいないからお前ンとこで組み立ててくれや」と来たので有難く押し頂いた。いやまったく持つべきものはよき友人である。    
   
RIMG0056裏表紙にはオリエントのウェブサイトと、完成見本の写真が載っている。左上の全体図のウィングステーの間が「抜けて」いないのがPhotoshop使いとして非常に気になるがまぁキットにはまったく関係のない話である。車関連のノベルティといえば一昔前、自動車ディーラーに車を買いに行くと記念にうやうやしく献上されたとされる3インチミニカー (今なら43スケールであろうか? 昨今のコストカットの風潮で廃止されたりしてないといいが) の話が思い出される。ぼくはそういった経験がないのであくまで「聞いた話」、ではあるのだが…。そういった市場に出回らない記念品というか、そういう感じのものがぼくは大好きなのである。まさか件の友人氏はぼくのこの性癖を知っていたというのか…。    
   
   
RIMG0058冊子の中身はモデルの組み立て説明図になっている。これまで主に海外キットの、ほとんど何も説明する意思が無いようなポンチ絵めいた説明図 (泣) を相手取って来たぼくにしてみれば、この懇切丁寧な説明図が身にしみてありがたく感じるのである。おお、部品を組み立る「順番」が確りと示されているではないか (「カーモデル」カテゴリの記事を見てみるとわかるが、ほとんどの海外キットは部品の「場所」は示してくれても、それを組み付ける「順番」まで教えてくれない。したがって実際に手を動かす前にパーツと顔を突き合わせてじっくり考える必要がある) !    
   
   
   
RIMG0055実際の型紙はこんな感じ。A4サイズ三枚で、上質な光沢紙に刷ってある。光沢紙はマット紙に比べてレタッチの塗料が乗りにくい (指が当たるとそこからコスれて落ちてしまう) など、扱いがやや難しいので敬遠していたのだが、車のボディー部分の光沢を表現するにはぴったりの材質である (反面タイヤやサスアームといった部分には向かない。神経質な人はボディ側とタイヤ側で用紙を変えて刷ったりする)。上の説明図面からもわかるが、型紙設計は篠崎均 (ひとし) 氏。EPSONレーシングのNSXやHSVの型紙で知っている人も多いだろう。個人的には、難易度バランスの取れた設計というか、ディテールよりも製作難易度を下げるほうに振った設計をする印象の人である。わかりやすいところではタイヤとアンダートレイ部分の設計が特徴的で、氏の作品とわかるのだが、他にもパーツの割り方や配置の仕方を見れば一目瞭然である。上記のEPSONの型紙と見比べられたい。篠崎氏設計のキットといえば、EPSON以外ではお台場のシェル関連施設で販売していたという20スケールのフェラーリF2004の型紙が連想される。F2004のほうは、ぼくはネットで見たことがあるというだけだが、どうやら現在絶版になっていてプレミア級のブツらしい。コレクターズモデルやプラモデルに比べるとあまりにマニアック過ぎて、結局あまり売れなかったということか…。    
   
   
RIMG0053型紙上に指示文が書いてあるところが見えるが、説明図も含めすべて英文表記である。モデラーが作りたいときにプリントアウトするタイプではなく、紙ごと提供されるタイプの型紙なので、欲を言えば窓をクリアパーツ化して内装まで再現とか、そういうマルチメディアキット的な展開をしても良かったと思うのだが (そういう方向性のモデルを自分で用意するとなるとかなり手間である)、コスト的に難しかったのだろうし、篠崎氏がそういう超精密なモデル設計に慣れているとも思えないので致し方ない。そういえば以前海外キットで、OHPシートのクリアウィンドウや内装パーツ一式、アンテナ用のワイヤーなどがふんだんに奢られたアストンDBR1-2の18スケール超精密豪華キットを見たことがあったが、かなり高価であった (しかし同縮尺のプラモデルに比べればずいぶん安い)。    
   
   
ところで、その後気になってこのキットについて調べてみたら、こんなページを見つけた (作例の情けなすぎる出来具合が気になって仕方ない…)。オリエントの公式ではなさそうだが、ようするに「スバルBRZとインプレッサN24に搭載されたモデルの時計を買ったら、抽選でこのキットをプレゼントしますよ」ということらしい。抽選というのがまたミソで、要するに高い金を出して (オリエントのレース用モデルがいくらなのか調べてないが、相当お高いはずである) 時計を買ってやっても、必ずもらえるわけではないのである。これはかなりのレア物のはずだ。別に誰も欲しがりはしないだろうから案外簡単に手に入るのでは、というツッコミをした者は銃殺刑である。    
   
…と思ったら、個人ブログだがこんな記述を見つけた。これによると、今年のオートサロンでスバルグッズを買った人にこの型紙が無料で配布されており、さらにオリエントのメンバーズクラブ向けのメールマガジンを通して先着順で配られていたのである! これはやっぱり、当初の時計店経由ではまったく捌ききれなかったということなのだろうか…。やはり紙製模型が浸透するには時間がかかりそうである。プラモデルと違って色を塗る必要がないし、昨今の石油問題で樹脂製品が軒並み原価高に苦しむ中、紙製模型はまだいろいろと良心的な存在だと思うのだが… (価格面でも然りである。ポーランドJSC社が出している1/400のウォーターライン艦船キットというのがあって、プラモデルの700スケール・ウォーターラインの倍近いサイズながら、たとえば駆逐艦島風は1200円だった。タミヤの1/350駆逐艦雪風が確か4000円ぐらいしたはずである。東欧メーカーはなぜか日本艦のラインナップも多いので、例の軍艦ゲームで艦船にハマった人など、プラモデル代わりに手を出すのも悪く無いだろう)。    
   
現在のところ、わがファクトリーでは現在進行形で組み立てているのが一台、その後ろに控えているのが一台いるので、コイツの組立はどうしても後回しにならざるを得ないが、いずれ完成したらここの記事にする予定である。最後に改めて、この友人にお礼を言いたい。彼は日本語がわかるはずがないので、ここで言っても仕方ないのだが…。    

2013年7月26日 (金)

夢に咲く花 ~ライフ・190~

RIMG0108どこできいた言葉だか忘れたが、「ロマンと愚かさは常にコインの裏表」なのだそうだ。なかなか説得力のある言葉である。女の子に入れあげて得るものなく破滅するのも男のロマンなのだろうし、あるいは食費を削って海軍力の増強に金をつぎ込んだり、睡眠時間を削って再生数が伸びるかどうかもわからぬような微妙な動画をシコシコ作るのも本人にしてみればロマンなのだろう。そして、たとえば手元に明らかに構造がおかしいグランプリ・エンジンがあり、設計に失敗して参戦話が宙に浮いたF1カーが都合よく手に入ったのでそのエンジンをドッキングさせてF1出ちゃえ、という思考に至るのも、またそもそもそんなエンジンを設計しちゃうのもひとえに男のロマン、ではある。女がきいたら「なんとしょーもない」のひとことで切り捨ててしまうような物事に、なぜか男は本能的に惹かれるのだろう。    
   
W型エンジンというのは、自動車用ではあまり見ない形式のエンジンだ。W型12気筒エンジンは、最近ではVWの高級車・フェートンに搭載されているモデルがあるが、F1において出現した唯一のW型エンジンは、正確には「W」型ではなく「↓」型というのだろうか、V型エンジンのバンクの真ん中に直列式がもう一基載っているような感じのレイアウトである (ちなみに、VW製の市販車用は片側のVバンクにシリンダーが扇状に2列つながった形式である。言葉で説明するのはちょっと難しい)。製作したのはフランコ・ロッキというエンジニア。60年代から70年代にかけて、フェラーリでグランプリ・エンジンの設計を担当していた男である。彼は8気筒エンジンのサイズから12気筒エンジンのパワーを発生できるこの全く新しいエンジンに期待をかけ、折から施行されていたF1用エンジンの3.5リッター自然吸気化規定をにらんで、同じ排気量のW型12気筒エンジンを作った。彼はこのエンジンをなんとかF1に連れて行ってやろうと各チームに売り込みを行ったが、まともなチームはどこも見向きもしてくれなかった。最終的に、89年のF1参戦計画が挫折したファーストというちいさなチームの車を買取って、それに改造を施した車で参戦することになったのだが、これが後々のF1史にまで名を残すクソマシンの踏み出した最初の一歩だったのである。この車について、詳細な戦歴がBou_CK氏のブログ記事において紹介されているので、ここではあえて繰り返さない。ともかく徹頭徹尾スットコドッコイ、ほとんど気力と勢いだけで走って、いやあがいていたようなチームだった。    
   
RIMG0049モデルはペーパーキット標準の24スケール、チェコのJ.ポラック氏の手になる型紙である。同氏は他にもマーチ・871やコローニ・FC188のキットを手がけているが、このライフのキットは飛び抜けて製作難易度が高い。実車があんなキテレツな形状だからある意味仕方ないのだが、ほかにもサスペンションマウントのダボ穴のサイズが狂っていたり、組立順序的にどうしても無理のあるパーツ割りが見られたり、部品図面に書き込まれていない部品があったり、挙げ句の果てにはモノコック部とアンダートレイまわりのパーツのサイズが合わず、そのあたりの部品 (アンダートレイ、排気口、ギヤボックスまわり、前後サス、アップライト) を全部現物合わせでゴリゴリ削るハメになったり、トドメの一撃とばかりに部品図面が不親切の極み (海外モデルはみんな似たり寄ったりではあるが、なまじ設計が複雑なせいでダメージが増幅されるのである) であったり、しょうもないポカがやたら目立つ、堅実な設計の氏らしからぬ型紙であった (コローニやマーチは比較的サクサク進められたのだが…)。ある意味実車準拠のスペックである。初心者が軽々しく手を出すと痛い目にあうだろう。    
   
   
   
RIMG0096フロント周りはもとのマシンであるファースト・F189から概ねそのまま流用されているが、横幅のある12気筒エンジンを収めるためにリヤまわりのカウルは新造されている (F189は設計段階ではジャッドV8の使用を想定していた。この車の12気筒エンジンが最終的に立ち行かなくなった際に、場つなぎとして使用されたのがジャッド・エンジンだったのは面白い偶然だ)。ティレルが1991年にフォードの8気筒からホンダの10気筒に載せ替えた時もそのカウルの膨らみ具合に驚いたものだが、コイツはとてもその比ではない。まるでリヤにスライムの塊でものっけているようである。 まぁエントラント名が「スクーデリア・ライフ」とかではなく「ライフ・レーシング・エンジンズ」であった辺り、車体のことは誰も真剣に考えてなかったのではないか。    
   
   
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ノーズコーンはとても細く、上面が半円形に盛り上がっている。スリムな前半分から、コックピット部分を境目に突如、エンジンに空気を送り込むための洞窟のようなエアインテークと、それに合わせたコブのような隆起が現れる。お世辞にもカッコいいとはいえない。だいたい流線型が身上であってこそのF1カーである。どうも外観からして、この車がさっそうとサーキットを駆け抜ける姿が想像できないのである。実際この車はどうしようもなく遅かった。   
   
   
   
   
   

 

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W型エンジンの中央バンクの排気は左側にずらしてあるが、これでは左バンクの吸気部分に中央バンクの排熱が直撃するのは火を見るが如し、である。公称では600馬力を発揮したというライフ・F35型エンジンだが、ラップタイムなどから想定される実測値はわずかに300馬力強であったという。マシン製造の失敗 (カーボン・ファイバーの成形工程に失敗して繊維の積層が剥離したところに接着剤を流しこみ、強引に形を留めさせていたという。マレーシア人でもそんな処理はしないと思うぞ) から来る過重問題もあって、まともに走った時のタイムはF3マシンに毛が生えた程度でしかなかった (3秒前後速かった。まぁF3よりは速いだけマシ、とも言える)。そもそもこの車がまともに走ったことなど、数えるほどしかなかったのだが。   
   
   
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ドライバーの仕事場。細く絞りこまれたノーズのせいで居住性は悪そうである。中央バンク用エアインテークの真上に穴が開いているが、これではラム圧がかからないではないか。何を狙った設計なのか全くわからない。インテーク部分から覗く黄色いパーツはロールバーである。   
   
   
   
   
   
   
RIMG0109リヤから見たところ。リヤウィングステー根本の大きな冷却器がオイルクーラー、ギヤボックス脇のちいさなものがミッションクーラーと思われる (そういえば以前紹介したロータス107は、本来オイルクーラーが来るはずのリヤウィング手前部分にデフクーラーを置いていた。あれをぼくは長いことオイルクーラーと勘違いしていた)。いちおうフロア下にディフューザーは付いているが、その上の気流に全く無頓着であるように見える。せっかくエンジンカウルの坂を下ってきた空気が、上面ではオイルクーラーに、側面ではミッションクーラーにブチ当たってあっという間に剥離してしまうだろう。ギヤボックスの下半分がカバーも付けずにアンダーフロアに露出しているのも気になる。ニューエイが見たら心臓麻痺で死にそうなレイアウトだ。 
   
   
RIMG0112 ウィングはワイヤーステーで吊ってあるレイアウトで、ライフ以外ではたとえばベネトンやラルース (リヤウィング側) がこの方法を使っていた。あまり空力には良くなさそうである。たまたま接写した写真が見つかったので、タイヤのマーキングは最大限描き込んである。サイドウォールのカーナンバーがまるで左足で描いたような崩れっぷりだが、実車でもあんな感じであった。    
   
   
   
   
   
RIMG0104サイズ比較。カーナンバーつながりでこの方にご登場いただいた。製作段階ではドライバーを載せる予定があったのだが、ヘッドレスト位置からわかるように着座位置が異様に高く、両肩先から腕まで露出するレイアウトのため断念 (型紙の制約から再現できるのはバストアップ部分のみなのだ)。ヘルメットのみで済ませている。実車写真を見ても分かる通り、ドライバーの露出面積が大きく、また先に述べた接着剤工法のおかげで車体剛性は「ティッシュペーパー以下」であった。もしこの12気筒エンジンが成功して、たとえば満額の600馬力なんて発生していようもんなら、ラップタイムが出る以前に車体がバラバラになっていたんじゃなかろうかと心配になる。    
   
   
RIMG0105イタリアのスットコドッコイ・デュオ、予備予選の帝王コローニと。ここに96年式のフォルティが加われば原色トリオで信号機カラーが揃い踏みするところであった。スリムで綺麗にまとまったコローニ (しかしそれでも遅かったのだが) に比べると、ライフの寸胴さ加減が際立つ。やはりこのシルエットは明らかに「F1カー」と認識されるべきものではない。    
   

 

   
   
   
   
   
RIMG0111ライフは90年の開幕戦から出走し、当時40台以上に膨れ上がったエントリーをさばくべく開催されていた予備予選に落ち続け、ついにスペイングランプリで撤退するまで、ただの一度も予備予選で他より速いタイムを出すことは出来なかった (他車のトラブルなどは除く)。車体からしてゴミ同然だったので一概にどっちのせいとは言えないだろうが、おそらくロッキもヴィタも、12気筒エンジンに夢を見すぎていたのである。1990年代序盤という時期は、ちょうどエンジンパワーだけで押していたターボ時代の思想が罷り通る時代の終りにあたっていた。純粋な最高出力よりも、軽量さ、出力特性、サイズ、燃費、車体との相性、そういったものの比重がエンジン本体よりも大きくなっていたことに、70年代の人であるロッキたちは気づけなかったのだろう。それに気づかぬままにF1グランプリに身を投じ、「ダメ」という判決文を突きつけられて、首を項垂れて帰る彼の胸中に去来したのはどんな思いだったろうか。フランコ・ロッキは、その後のF1におけるマルチ・シリンダーの凋落とF1エンジンの行く末を見届け、1996年にこの世を去った。しかしともかく、ライフ・レーシング・エンジンズは、1989年からの数年間という、純粋な夢の力だけでF1に参戦できた最後のよき時代に、なんとか間に合ったのである。

2013年6月25日 (火)

餞 ~ウィリアムズFW16・ルノー~

アラン・シモンセンが死んだ。と書いても、GTレースに詳しい人以外は「なんだそれ」状態だろう (同名の元サッカー選手もいるのだが)。GTカーのレースではちょっと名の知れたドライバーで、ここ数年間アストン・マーティンのGTチームと契約してル・マンなどに出ていたドライバーである。風体からして地味な感じだが経験・実力とも侮れない男だった。多い年には年間40レースぐらい出場していたというから驚きだ (今のF1が年間19戦である)。名前自体は以前から知っていたように思うが、動画サイトに上がっている彼のタイムアタック動画を見て好きになった。2011年のル・マンテストで、フェラーリ458GTCで3分59秒台を出した動画だ。彼は去年からアストンのGTEアマチュア・クラスの、いわゆる「デンマーク人チーム」 (シモンセン・ポールセン・ナイガードと、クルーが全てデンマーク出身) の一員となっていた。今年のル・マンでクラスポールからスタートしたシモンセンは、レース開始わずか9分で雨に足元を取られ、コース序盤の右回りの高速コーナーでクラッシュして、ガードレールに大穴を開けた。通常では考えられないような場所での事故だった。彼はすぐに救護班によって病院に送られたが、その数時間後に息を引き取った。   
   
ぼくはしばらく放心状態でレースを見続けていた。二年前にIRLのダン・ウェルドンと世界GPのマルコ・シモンチェリがあいついで亡くなる事故があったが、残念ながらぼくはインディのレースも二輪のレースも見ていなかった (インディに至ってはマレーシアでは放送すらしてくれない)。いちおうシモンチェリが亡くなったのがマレーシアGPであったので地元紙は大きく取り上げたし、ぼくも自動車レースを愛するひとりとして立て続けに発生した死亡事故に心を痛めたが、それ以上のことはなかった。しかし今回、ぼくはシモンセンのことをそれなりに知っていて、トヨタほどではなかったが応援していた。そしてクラッシュの一部始終から彼の死がサーキットに触れ回られるまで、ずっとレースを見ていたのだ。最初は虚報を疑ったが、やがて公式の声明文が出され、シモンセンはぼくの中で「正式に」天に召されていった。ちょっと言葉では言いあらわせないような心持ちだった。    
   
シモンセンの件があったから、というわけではないが、季節外れにあるドライバーのことを思い出した。アイルトン・セナだ。彼は客観的に見てシモンセンよりはるかに大きな知名度と実力を誇っていたドライバーだった。三度F1チャンピオンになり、当時としては驚異的だった六十五回のポールポジションを獲得して、94年のサンマリノGPで亡くなった男だ。彼のことを書いたり話すとき、いまだに「不世出の」「天才」といった枕詞がポンポン出てくる。その彼が最後に乗ったということで、いい意味でもわるい意味でも有名なのがこのウィリアムズFW16だ。前年までのいわゆる「ウィリアムズカラー」だった青・白・黄色から一転、かつて耐久レースで無敵を誇ったロスマンズ・カラーに塗られ、ドライバーに念願のアイルトン・セナを迎え、セナの黄色いヘルメットが沈んだ色合いの車にことさらよく似合っていた年だった。    
   
ぼくはセナの死の後で生まれた世代だ。だから、例えばセナがどれほど崇拝されていたかとか、彼の死が社会にどのような波紋を投げかけたとか、そういうことはあずかり知らない。セナの活躍ぶりにしたって、往時を偲ぶ映像や写真や文章で見て知っているだけだ。しかしおそらく生半可な衝撃ではなかったにちがいない。この年にいたるまで、F1では八年間 (レース中、という断り書きを入れるならじつに十二年間) 死亡事故が発生しなかったのだ。しかも亡くなったのは一度にふたり、うちひとりはワールド・チャンピオン。セナをリアルタイムで見、応援し、セナに入れあげていた人びとのショックは察してなお余りある。    
   
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例によってモデルは24スケールなのでサイズはこんなもんである。プラモデルの世界ではひとまわり大きい20スケールが主流なのだが、かさばるので24スケールのほうがありがたい。   
   
   
   
   
   
   
   
   
RIMG0686この型紙、概ねパーツはOKなのだが、唯一インダクションの峰の部分が直線状になっていたので、このパーツのみフルスクラッチして形状をそれらしくしている。いったいどんな設計をしたのか、ちゃんと実車を参考にしているのか、理解に苦しむポカである。    
   
   
   
   
   
   
   
RIMG0059今回、新たな取り組みとしてステアリングに脱着機能を持たせてみた。そのためシフトパドルや巻革、スイッチ類などをディテールアップしている。革巻きの部分は水彩用の画用紙の切れ端 (表面がざらざらしているので、ちょうどスエードのような調子になる) を使っている。パドル形状はどうしても資料が見つからなかったので、単純な直線形状である。キルスイッチのリングも追加した。    
   
   
   
   
   
RIMG0060ボーテックスジェネレーターも、実車とは形状がやや違ったので修正。たまたま持っていた資料にその部分のカットがあっただけのことである。あまり見えない所なので、労力に見合う見栄えなどはない。ステアリング同様完全な自己満足の世界である。    
   
   
   
   
   
   
   
RIMG0051サンマリノGPのスタート前、コックピットに座って出撃を待つセナの有名な写真がある。彼はもともと日頃からあまり笑顔を振りまくようなタイプではなかったように思うが、94年は特にそうで、結果的に明るい表情が少いまま逝ってしまった。    
   
   
   
   
   

 

   
RIMG0055事故でセナを失ったのち、ウィリアムズは残されたデーモン・ヒルにテストドライバーのデビッド・クルサード他を組ませて残りのシーズンを戦った。ドライバーの実力バランスがとれていたことでコンストラクターズ・タイトルは死守したが、セナがいれば安泰だったであろうドライバーズ・タイトルのほうは死闘の末にミハエル・シューマッハが奪っていった。この年以降、ウィリアムズの車には長きに渡ってセナのシンボルである赤い「S」マークが入れられている。    
   
   
   
   
   
RIMG0721上から見ると、細く絞りこまれたノーズコーンからコックピットカウルにかけてのラインなど、いまだに90年代序盤の設計思想が見て取れる。この窮屈なコックピットが、結果的にセナの命を奪う事故の遠因となってしまった、のかもしれない。ハッキリ映っているカットを撮りそびれてしまったが、サイドポッド後下方には切欠きが設けられており、現代におけるサイドポッド側面のエグリ込みの始祖のような処理が施されている。空力のニューエイならではな思想だ。    
   
   
   
   
RIMG0724ウィリアムズは、この年から1997年までの四年間をロスマンズカラーで戦い、うち三度のコンストラクターズ・チャンピオンと、二度のドライバーズ・チャンピオンに輝いた。しかしいまだに「ロスマンズ・ウィリアムズ」といえばセナ、という人は多いと思う。強烈な記憶が定着して、条件反射のようにサンマリノGPを思い起こしてしまうのだろう。アストン・マーチン・スポーツカーチームの代名詞であるさわやかなブルーのガルフ・カラーも、シモンセンをよく知る人びとにとっては払拭しがたい負の遺産になるのかもしれない。    
   
   
   
   
   
シモンセンの死の後、アストン・マーチン・レーシングは彼の遺族らの要請によってレースにとどまった。勝利を天に捧げるべくGTEプロ・クラスの99号車がトップに立ち、そのままクラス優勝は安泰かと思われた矢先に、ドライバーのフレデリック・マコヴィエッキがクラッシュ。唯一、クラス優勝を狙える位置に生き残っていた97号車が、クラストップの92号車ポルシェに迫り、一時はこれを抜き去った。しかし同一周回の死闘の果てに、残り僅か一時間で降りだした雨にまたも足を取られ、ポルシェになすすべなく討ち取られ、97号車は総合三位で終った。ハッピー・エンディングは、期待した時にすんなりやってきてくれるものではない。それは仕方ないことと知っていても、あの時ばかりは運命を呪わずにいられなかった。今年のル・マンは、しばらく忘れられないレースになるに違いない。

2013年5月31日 (金)

ナショナル・プライドの明と暗 ~ロータスT127・コスワース~

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さて、カーモデルシリーズ第二弾。ロータスT127である。前回107を取り上げたのは、ある意味この新旧・黄/緑ロータスを共演させたかったからなのだが、空力規定が改修されてエアロパーツが減ったとはいえ、現代F1はキット的にはものすごい難易度である。パーツ部分は同じA4三枚なのだが、ぼくがペーパーキットで使っている「かんたんタイヤテンプレート」が使えないのである (80~90年代のF1用に、METMANIAで公開されている「プチF」シリーズのタイヤを流用している。組立が平易なので製作時間の短縮に貢献できるわけだ。いまのところいわゆる「白グッドイヤー」、92年以前のものしか持っていないので、結果的に製作年代が制限されるハメになってしまっている)。このブリジストンタイヤも、主にホイール部分を小加工して省力化している。   
   
   
2009年なかばに、コンコルド協定の折り合いがつかずにF1が分裂騒ぎを起こしたことは覚えている方も多いだろう。その時に導入されるはずだったのがいわゆる「コストキャップ案」、年間予算を制限するレギュレーションだったのである。強制ではないのだが、一定の予算内で切り盛りしたチームはあれもできますよこれもできますよ、反対にそうじゃないチームはあれもダメこれもダメそれもどれもダメ、という規定だったために既存チームが反発したのである。この時、このコストキャップ案を真に受けて「よし、安く上げてF1やるぞ!」と意気込んじゃったのが現在「底辺御三家」として知られ…ているかどうかは定かではないが、ロータス (現ケーターハム)、ヴァージン (現マルッシャ)、HRT (現在消滅) なのである。その中でロータスは正直いちばんマトモに見えた。ヴァージンは風洞をケチったらテストでウィングを落っことすし、HRTの車はサスアームがスチール製だったりしたが、ロータス (最初はロータス・レーシングという名称だった) はサスアームもカーボンだし、テストでも特にパーツを落っことしたりしなかったし、確かに普通は9ヶ月近くかけて設計する新車を5ヶ月でやっつけざるを得なかったり、デザイナーがマイク・ガスコインだったり (個人的にはクソデザイナー1級の資格を上げたいぐらいの人材である)、不安要素が無いわけじゃなかったが、まあ一番チームの体裁がなっていたわけで、当然この年のリザルトは御三家の中では最上位であった。    
   
じつは2009年の10月頃だったか、国内 (マレーシア国内ね) 各大手紙に、「国策F1チーム成立か」の記事が踊ったことがあった。ご存知のかたも多いかと思うが、この「国策F1チーム」こそ、その後エアアジアのフェルナンデス社長が出資し、マレーシア政府の資金バックアップを受けて成立した「ロータス・レーシング」なのである。翌年は正式な命名権を取得して「チーム・ロータス」となったものの、命名権を持つとされる同じマレーシアのプロトン自動車 (ロータスの自動車部門を傘下に持つ) と法廷闘争に発展し (もともとはそれまで「ルノー」だったチームにロータスブランドがスポンサーについたのが問題)、けっきょくその翌年からは「ケーターハム」として活動している。この諍いの諸原因はいろいろ言われているが、ぼくはなんとなく「マレーシア内部同士の争い」なんじゃないかと思っている。というのは、フェルナンデスは東マレーシア系のインド人 (非マレー系) であり、実業家として成り上がった経歴を持つ「お金持ち」である。いっぽうプロトンは現在に至るまでほとんど国営会社であり、上層部はすべてマレー系が占めている。基本的に日本人の相手しかしない日本人にはちょっとわかりづらい節だが、要するに「マレー系と非マレー系の微妙な対立」なのである。国粋的、右翼的なマレー系としては、非マレー系にマレーシアの看板を背負わせて「うまい目」に合わせておくのが癪に障ったのではなかろうか。ちょっとこういう言い方には注意しなければいけないが、例えば日本で生まれ育った韓国系の人間が「日本代表」を名乗ってF1にやってくるようなものである。まさかいち自動車会社全体としてそんなバカな決断はしないと思いたいが、無意識のうちにそういう意識がはたらいた可能性はじゅうぶんあると思う。悲しいことだと思う。この車のサイド部分 (コックピット脇、サイドポンツーン開口部付近) には「1 Malaysia」というマークが貼られている。2009年に首相に就任したナジブ・ラザクが、「民族間の宥和関係を促進し、国民の一致団結に邁進する」というビジョンのもとで立ち上げた一連の政策の、いわば作戦名のようなもので、現在では国内のあちこちでこのフレーズを目にすることが出来る (「1マレーシア診療所」とか「1マレーシア雑貨店」とか、例えが悪いが旧東側の「国民~」とか「人民~」のような意味合いだろう)。その「1 Malaysia」の看板を背負ってけっきょく民族間の対立感情で遺恨を残すのは情けない限りである。マレーシアの国情なんてそんなもんである。    
   
   
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2008年までのエアロモンスターに比べると、ずいぶんシンプルになった印象である。しかし製作難易度はシンプルというわけにはいかないのである。特にフロントウィング、コイツは初期型モデルなのでレイアウトは全体的に前年のブラウンGPのコピーアレンジである。リヤにはメゾネットウィングまでついてるのである。このタイプのメゾネットウィング、古くは95年のミナルディやパシフィック、96年のリジェが付けていたエレメントだが、この幅で効果はあるんだろうか。   
   
   
   
   
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カウル上に「500 RACES」のマークがあることから、2010年ヨーロッパGP仕様であることがわかる。しかしウィング類やコックピットはバーレーンGP仕様のままである。いわばショーカーというか、ステッカーチューンということになるのだろうか? いずれにしても考証が中途半端でいただけない。リヤの翼端板はボディ同色のはずだが、型紙ではなぜか黒 (カーボン地) である。もう何がしたいんだ状態である。しかしこの緑と黄色はたまらなく美しいのでつい許してしまうのである。なんてったってマレーシア国民の誇りになるはずだった車なのだから。   
   
   
   
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こうしてみると、2010年型マシンのホイールベースの長さがよく見える。それにしてもサイドポンツーン部分、まるでレンガから削りだしたようなもっさりした造形である。時間がなかったのはわかるが、もうちょっとどうにか出来たような気がする。ガスコインは私見では「1から車を作る」のが致命的レベルでヘタクソなので、やはりロータスは当初の人選を誤ったとしか思えない。   
   
   
   
   
   
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相変わらずやる気のない説明図である。これ以外にもう一枚、小パーツ類 (Fウィング、足回りなど) の取り付けを記した図面があるのだが、それだって特に何かを「説明」しているわけではない。パーツを接着、組み付ける前に慎重に向きを判断する必要がある。タミヤの説明図がいかにありがたいものかよくわかる。東欧人はこの図面を完璧に理解できているのだろうか。   
   
   
   
   
   
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この並びなら、できれば2010年「ロータス・レーシング」ではなく、その次の年の「チーム・ロータス」を並べてやりたかった。あの年のチーム・ロータスは本当に速さがあったからだ。しかしT127だって、中国GPやトルコGPなどで力走を見せてくれていた。その健気な姿もなんとなく107とかぶって見える。もしマレーシア人がゲバったりしないでこの「マレーシアのスーパーアグリ」みたいなチームに心血を注いでやれていたら、もしかしたらまた結果は違っていたかもしれない。しかしケーターハムはいまだにグリッドの底辺にいるのである。どうやら蓮の花というのは、長くは咲いていられないものらしい。

2013年5月23日 (木)

三途の川の五合目あたり ~ロータス107・フォード~

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チェコからのペーパーキット、24スケールのロータス107である。もともとチェコやポーランドといった東欧諸国はなぜかペーパーキットが盛んなようで、F1以外にも戦車とか戦闘機とか、いわゆる「模型映え」しそうなものはだいたいペーパーキット化されているのだが、そのF1モデルのラインナップがまたいろいろとぶったまげるようなもので、今回の107などまだ序の口、オーロラAFX (イギリス国内のF1カー使用選手権) 仕様のウィリアムズFW07だとか、終盤戦仕様の黄色いユーロブルンER188だとか、伝説のライフ190だとか、もうコローニ・スバルが無いのが不思議なくらいのラインナップなのである。なんてことはまず置いておいて、個人的モデルカー・コラムの第一弾はまあ無難なチョイスを、ということで、このほど (昨日) 組み上がったばかりのロータス107である。   
   
この時期、1990年代初頭のチーム・ロータスというのは、今で言えばHRTもかくやというぐらいの極貧チームで、ケチのつき始めはおそらくホンダエンジンにネルソン・ピケを擁して大低迷をやらかした88年ごろかと思うのだが、90年にメインスポンサーのキャメルが撤退、ランボルギーニも (もともと大したエンジンじゃあなかったのだが) エンジンを引き上げてしまい、それに悲観したチームの要職がつぎつぎに離脱、残ったメンバーでなんとか91年に向けてチームを立て直し、土壇場でタミヤから当座のお金とジャパンマネー・コネクションを取り付けることに成功し、ドライバーもチームの子飼いだったハーバートに新人ハッキネンを連れてきて、どうにか91年開幕戦のグリッドに並ぶという、なんとまあアクロバティックなシーズンオフである。翌92年はスポンサーのF&N (イギリスの工業系メーカー) のつながりで型落ちながらフォードの最新型・HBエンジン獲得に成功、ハッキネンが二度の4位入賞で気を吐く。翌93年もこの107を93年規定に即して改造した107Bにハーバート・ザナルディのコンビで入賞を重ねるも、この年限りで大型スポンサーがあいついで撤退し資金繰りが苦しくなり、94年序盤を107Cで乗り切った後に新車109をやっとの思いで投入するも資金難で満足に走らず、同年イタリアGPでハーバートが予選4位になったのを最後の輝きに、「蓮の花」というなんともロマンチックな名前のレース屋集団はF1を静かに去ったのである。伝統のある名前だからといってそれだけでメシが食えるわけではないのがF1の厳しくも面白いところだが、こうして見ると92年のロータスの好成績は、死出の旅路を歩むチームが見せた現世への最後の未練というか、朽ち果て土に帰る寸前の清らかな蓮の花のような気がして妙に切なくなるのである。一家心中前の最後の豪勢な晩メシ、といったら言い過ぎだろうか。    
   
実車は1992年Rd.5、サンマリノGPでデビューした92年用車。当時のチーム・ロータスは、前年度の「アメリカのレースに出るのにイギリスから車を運ぶ金が無い」(これ実話である) という赤貧状態からなんとか脱却し、カラーリングも前年102Bのいかにも貧乏アピールな白/緑から、60年代の栄冠を極めていた時代の緑と黄色に塗り直されて、チーム一丸で「心機一転!」と叫んでいるのがきこえるような感じのチームだった。グランプリ間の移動も、欧州大陸にいるうちは極力チャーター便などの贅沢をせず、チーム全員バスで移動したという。もうここまで来ると「欲しがりません勝つまでは」の世界である。107の設計はマーチ (レイトンハウス) から移籍のクリス・マーフィー。この人の設計には一種独特のあたたかみというのか、彼が手がけたラルース・LC90やレイトンハウス・CG911を見るとわかるのだが、ひじょうに人間味のある曲線を描くので気に入っているデザイナーだ。一説にはこの107の設計は、彼がもともとマーチで描いていた92年用マシン (マーチは92年を前年型の改造車+ペイドライバーよりどりみどりという、まあ極貧チームの定番コースで過ごしている) の設計がベースになっているという。    
   
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タミヤのキットの箱絵のアングルである。タミヤは91年、前述のチーム再生期に赤貧洗うが如し、借金しようにもカタが無いよ助けてドラえもん、的なロータスに気前よくポンと援助して窮地を脱させてやった縁で、援助がひとまず終了した92年以降も、チーム代表のピーター・コリンズが恩に着てタミヤロゴを比較的大きく掲出してやった、という話がある。資金援助の一環で模型化ロイヤルティも支払われたと見え、タミヤは91年の102Bから翌年102D (デカールのみ)、107、93年107Bと、怒涛の連続リリースを行なっている。しかしタミヤの107はモノコックの成形色が黄色いのである。これは恐ろしいことである。複雑怪奇に曲がりくねったマーフィーラインを描くカウルの上に大面積の緑デカールをぺたぺた貼り込まなければいけないのである。特にノーズコーン、この車はノーズの曲面が三次曲線状に二度曲がっているのでデカール作業はたぶん地獄だろう。ネット上でいくつか完成写真が出回っているが、よくぞ貼りこんだもんだと頭がさがる思いである。   
   
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キット的には特に難関といえる部分もなく、組み立て難易度でいえば5つ星採点で星3つぐらいではなかろうか。ちょっと慣れていればまあ素組みで完成できるだろう、程度のものである。この車、当時の流行 (?) でコークボトル部分のフタをしておらず、スキマからギヤボックス~エンジン後部がチラ見えするので、その中身分のパーツもちゃんと型紙に入っている。あまり目立たない所なので、作りこむか無視かは自由である。じつはこの部分、実戦使用はされなかったらしいがアクティヴ・サスペンション用の配管が通っているので、そこを作りこんだ。説明書ではダンパー・スプリングに針金を使うよう指示しているが、そこまで細い針金の持ち合わせがなかったので紙を細切れに切って代用している。   
   
   
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問題のアクチュエーター部分である。ギヤボックスパーツ右手に見える黒いキャッチタンクのようなパーツは模型でもパーツ化されているが、リヤジャッキ受けの下側、白く見えるパーツ (資料では銀色の六角柱らしきものだった) は模型では再現されていないようだったので想像で作っている。要はそれっぽく見えればいいのである。   
   
   
   
   
   
   
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上の写真でもすこし見えているが、今回カウルの間から中の見えるマシンということで、シャシーの遮熱板部分に銀紙を貼りこんでいる。とはいっても材質はキッチンからくすねてきたアルミホイルである。写真では見えていないがミラーの鏡面部分にもアルミホイルを貼っている。   
   
   
   
   
   
   
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ノーズのパーツ割りは、あの独特な曲面を上手く再現できるようになってはいるが、接着部分がちいさいので歪みやすくて難儀した。ここの曲面は丸い鉛筆か何かにこすりつけて、めいっぱいキツく曲げておかないと、完成したあとで泣きをみることになる。前から見るとほぼ真円状のノーズコーンがこの車の特徴なのに、ノーズ上がぺったんこでは格好がつかない。   
   
   
   
   
   
RIMG0025キルスイッチのプルリングである。もうちょっと後の時代になるとこのリングは車体側に半埋め込みみたいな形で取り付けられるようになるのだが、この時代はまだ外に露出している。これを製作するのはハッキリ言って初心者にはおすすめできない。確実に目と肩をブチ壊すからである。くしゃみひとつどころか、用心しないと鼻息ひとつで時空の彼方へ吹っ飛ぶパーツだから、切り出しから取り付けまで文字通りまったく気の抜けないパーツである。アンテナ類もそうなのだが、おそらくぼくの部屋の床にはこういった製作途中で紛失したパーツが大量に横たわっているはずである。    
   
   
   
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ロータスといえば、2010年にマレーシアの実業家でエアアジア社長のトニー・フェルナンデスがマレーシア政府のバックアップのもとチームをぶちあげ、そのチームに「ロータス」と名付けてプロトンと命名権争いを延々繰り広げた (現在この「ロータス」は「ケーターハム」と名を変え、F1グリッドの最底辺で元気に活動中である) のも記憶に新しい。やはり日本チームが無意識に日の丸カラーを付けてしまうのと同様、「ロータス」というと誰もがこのカラーを連想するようである。この車の記事はまたの機会にゆずりたい。

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