カテゴリー「F1」の記事

2014年5月31日 (土)

2014年F1・途中採点表

当初から混戦が予想されていた2014年のF1グランプリも、五月の終りまでに第六戦モナコグランプリをつつがなく消化した。当初の下馬評通りルノー・エンジンを搭載するチームが軒並み苦戦するなか、メルセデスGPのふたりがこれまで六戦全勝 (ハミルトン四勝、ロスベルグ二勝) というすさまじい快進撃を続けており、もうしばらくは止まりそうにない。エンジン規則が大きく変更されたこの年、エンジン単体のパフォーマンスではやはりメルセデスが頭ひとつ抜きん出ており、それにフェラーリとルノーが追いすがっているのが大勢だ。本来F1というのはエンジンだけ、あるいは車体だけで競争するものではないのだが、今年はとくに複雑化したエンジンの占める比重が大きく、それだけにすこしの不利が何倍にも輻輳されてチームにのしかかってくるのであろう。各チームとも、いまだメルセデスの優位性をおびやかすに足る解決策を用意できてはいない。この流れは後半戦に入っても大きくは変わらないのではなかろうか。シーズン前の予定通り、モナコグランプリ終了時点での各チームのパフォーマンスの10点満点による採点と、それに関する私的な見解を以下に記す。ここに掲載するのはあくまで個人の意見であり、また事実と相異なる記述が数箇所か見受けられるやも知れないが、その点はご容赦願いたい。今年からカーナンバーが1からの順番ではなくなったが、ここでは前年度コンストラクター選手権順にチームを記し、その下に其々のファースト/セカンドドライバーを記すこととする。

レッドブル・レーシング・ルノー 5/10 (Sベッテル 4/10、Dリカルド 6/10)
前年まで観客をうんざりさせるほど強かった常勝チームとはとても同じに見えないほど憔悴しきっている。ベッテルなど、このチームに来てから勝つことしか経験してこなかったため、「10の努力が10の成果で報われる」ことになっていない現状にはたいそう不満であろう。実際、どのグランプリでも彼は多かれ少なかれいらだっているように見え、その感情が空回りしてさらにわるい結果を呼びこむ悪循環を形成しているとすら思えてくる。いまごろになって前年のウェバーの気持がわかりすぎるほどわかっているに違いない。リカルドは開幕戦でさっそく「幻の表彰台」に登りミソがついたが、その後のパフォーマンスは立派なものであり、予選でもベッテルにまったく引けをとっていない。いい車に乗ることができれば、いずれはチャンピオンも夢では無さそうな男である。開発ペースは遅くないので、ここから一念発起すれば後半戦の終りまでにはメルセデスと対等に渡り合えるようにはなるかも知れないが、チャンピオン争いの流れをたぐり寄せるには少々、遅きに失してしまった感がある。

メルセデスGP 9/10 (Lハミルトン 7/10、Nロスベルグ 8/10)
目下のところ、スペイン無敵艦隊か2011年のレッドブルもかくやと思われるほどの連勝につぐ連勝、この六レースでポールポジション・優勝者ともメルセデスでなかったレースがないというすさまじさである。ハミルトンはなんだか黒人ギャングのようなルックスになってしまったが予選の速さは健在で、レースでもエンジントラブルでリタイヤした開幕戦オーストラリアグランプリ以外、五つのレースのうち四つで僚友ロスベルグを突き放し、目下チャンピオンシップ・ポイントで一歩先んじている。個人的に今年の彼はいつもに輪をかけて感情のコントロールがうまく行っておらず、一見おとなしそうなロスベルグとの共存共栄がやや不安ではある。そのロスベルグは先日のモナコグランプリで78ラップの間一周たりとも他者に渡さない完璧なレースをしてみせ、ハミルトンに傾きかけた天秤を引き戻すことに成功した。2014年のワールド・チャンピオンは、もはやこのふたりのどちらかを置いてほかにないであろう。

フェラーリ 6/10 (Fアロンソ 8/10、Kライコネン 7/10)
ジェームス・アリソンはこのふたりのドライバーについて、以前つぎのように語ったことがある。
「フェルナンドもキミも、車を運転した後のフィードバックは大同小異だ。つまりキミも、フェルナンドが感じたことと同じことを感じ取れているということになる。決してキミが車の基本的な性格に苦労しているわけではないと思う」
うがった見方というか、いわば「裏の裏」まで読んでしまえば、このコメントはある意味ライコネンに対する擁護であり、それをわざわざ発したということで彼の不調をことさら強調してしまっているとも取れる。勿論コメントした本人はそんなことは考えておらず、単に事実を述べたまで、という可能性も充分あるだろう。ライコネンは電子制御式のブレーキのフィーリングにいまだ慣熟できていないとか、いろいろな説が飛び交っているが、もともとライコネンはずいぶん天気屋なところがあって、彼自身のモチベーションに合わせて調子がかなり変動する節がある。いまのところは静観するほかなし、といった印象だ。アロンソは去年に引き続き、走らない老駑馬に鞭打って麒麟の背中を追い回す芸当をやっている (やらされている?)。彼の超人的な努力は観る者のひとしく認めるところだが、所詮は個人の奮闘によるものであり、それだけでチームの責任が消えてなくなるというわけではない。ロス・ブラウンなき後のチームをここまで引っ張ってきたステファノ・ドメニカリがこのほど更迭されたが、イタリアチーム特有の内紛によるものという見方がつよく、責任者が変わったからといってすぐに何が起きるということは考えにくい。

ロータス・ルノー 4/10 (Rグロージャン 6/10、Pマルドナド 4/10)
こちらも開幕前テストでさんざん苦しんでいたチームである。レッドブル同様「原因の大半はルノーのエンジンにある」と声を高らかに叫びたいところだろうが、ロータスについていえば半分ぐらいは車のせいだろう。二股にわかれたタイプのノーズコーンはたしかに目は引くが、これでは二股の「股」の部分で空気が渦を巻いてしまって、上にも下にも流れていかないんじゃないかと思えてくるデザインである。グロージャンはそんな状況の中でも腐らずに戦い、スペイングランプリでは待望の今季初ポイントを獲得した。12年のデビュー以来、なんとなく彼の成長を感じ取れて微笑ましくもある。それに比して、ウィリアムズから移籍してきたマルドナドはまったくお粗末なドライビングとしか言いようがなく、ベネズエラのスポンサーが付いていようがいまいがこのままでは数年のうちにいなくなってしまうであろうとも思える。車が走らず鬱屈がたまっているのかもわからないが、そういう難しい時であるからこそ隠忍自重、すこしは車を原型をとどめたまま持ち帰ることに専念していただきたい。

マクラーレン・メルセデス 5/10 (Jバトン 6/10、Kマグヌッセン 5/10)
無敵を誇るメルセデスエンジン勢のなかでは最も進歩が見られないチーム。開幕戦でマグヌッセンが三位 (のち二位) に入って、2013年からの表彰台難は途絶えたが、その後は両ドライバーともいまひとつ精彩を欠き、特に見るべきところがないという惨状である。今年はメインスポンサー無しのままのレースが続き、財政的にも苦しい戦いを強いられそうである。日本人としては来年からのマクラーレン・ホンダ体制が気にかかるところだろうが、あのスピリット・ホンダから常勝ウィリアムズ・ホンダまでも三年近くかかったのだから、どうか拙速に結果を求めるような感情は抱かないでほしい… と言いたいところではあるものの、現在のマクラーレンの状況でははっきり言って不安は非常に大きい。前年の例を鑑みるに、後半に向けての開発もあまり期待できなそうである。

フォースインディア・メルセデス 7/10 (Nヒュルケンバーグ 7/10、Sペレス 6/10)
いわゆる完全なプライベート・チームとしてはもっとも健闘している。運営母体であったサハラが諸事情で降りてしまったことがチームの体力に少なからざる影響を及ぼすと思われるが、いまのところその徴候は出ておらず、両ドライバーともそれなりの存在感を放ってはいる状態だ。現在のところライバルは同じメルセデスエンジンを積むプライベーターであるウィリアムズ辺りか。ウィリアムズ同様、「運が良ければ今年中に一回ぐらいはトップ・グループの車の上に来れるか」といった程度だろう。大事なのはその運を逃さずつかむだけの能力で、この辺にチームの基礎体力の違いが出てくるのである。後半戦にかけてこのペースを何が何でも維持したい。

サウバー・フェラーリ 3/10 (Aスーティル 4/10、Eグティエレス 6/10)
車のせいでもっとも苦労しているのはおそらくここである。先日のモナコグランプリでマルッシャがポイントを獲得したことで、コンストラクターズ・ランキングでマルッシャをも下回る事態になってしまった。車重が最低ラインをかなり上回っている状態で、これは一キロでも軽くしたいF1カーにとって致命的なのは言うまでもない。期待されたスーティルはここまで悉くその期待を裏切ってきたが、モナコグランプリですこしはレースの仕方を思い出したように見えたので今後に向けての奮起をうながしたい。グティエレスは不調のベテランチームメイトを尻目に速さで上回るというリカルドに似た境遇だが、まだ若いせいかいまひとつツメが甘い、ケアレスミスが目立つ気がするので、その辺りを重点的に改善するべきか。現代のF1カーというのは各部のクリアランスや重量計算などがかなりギリギリに設計してあって、シーズン中に同じ車を大幅な軽量化をするのは並大抵の仕事ではない。そのうえサウバーというのは伝統的に開幕数戦に強くその後ゆるやかに失速しがちなので、もしかしたら今年はもうずっとこのままかもしれない。まだデビュー間もないグティエレスが気の毒である。

トロロッソ・ルノー 6/10 (Jベルニュ 5/10、Dクヴィアト 7/10)
レッドブルが掘り出してきた19歳のクヴィアトが思わぬ大型新人で、それがためにチーム全体が注目を集めている。元サウバーのジェームス・キーが本格的にタッチした車とあって、開幕時点ではルノーエンジン勢のなかではもっとも信頼性が安定していると思われたが、それでもなかなかエンジンの素性というのは一筋縄では行かぬようで、けっきょくコンストラクターズ・ポイント順ではしっかり下位に埋もれている。クヴィアトはただ速いだけでなく、新人らしからぬ落ち着き、冷静さを備えており、上手く行けば表彰台上ではじめてロシア国歌を流した男という栄誉に浴する権利は彼のものになるだろう。

ウィリアムズ・メルセデス 7/10 (Fマッサ 6/10、Vボッタス 7/10)
こちらも開幕前の論調は圧倒的有利とするものが多かったが、いざ蓋を開けてみるとやはりというかしかしというか常勝軍足りえず、それどころか不運の数々があったにせよいまだ中団グループから抜け出せていない。ベテランのはずのマッサはなにかとボッタスにお株を奪われがちで、このままではせっかくウィリアムズに加入した意義がなくなってしまいかねない。全体的に、「けっきょく収まるべき位置に収まった (収まってしまった)」という印象しか出てこない、といったら失礼だろうか?

マルッシャ・フェラーリ 6/10 (Jビアンキ 7/10、Mチルトン 6/10)
HRTが撤退してしまい、底辺御三家のうち二チームしか残っていないが、その中で先にポイントを取ったのはこのチームであった。登場以来常に資金的な安定性や将来性の面でわるく言われ続けてきたマルッシャだが、これでチームスタッフの長年の努力も多少なりとも報われたに違いない。こうなるとチルトンはなかなかのプレッシャーではないだろうか。しかし依然として絶対的なパフォーマンスではサウバーにすら遠く及ばず、今季も主にケーターハム相手の孤独なレースに終始するであろうことは容易に想像できる。将来性って何なのか、おもわず考えさせられるチームである。

ケーターハム・ルノー 2/10 (小林可夢偉 6/10、Mエリクソン 4/10)
こちらは完全にダメなほうのチームである。まるでHRTの撤退にあわせて、かのチームの亡霊が乗り移ったかのような情けなさだ。まず車だが、これがまったく速く走ることなど考えていないようなふざけたデザインである。すでにオーナーのフェルナンデスの興味はプレミアリーグ・サッカーにすっかり移ってしまっているが、このチームの様相を見せられればサッカーに逃げたくもなるだろう。チームの名誉のためにひとつ付け加えるとすれば、モナコグランプリでは両者均等にポイント獲得のチャンスがあり、それを分けたのはただ運のなせる業であったということである。しかしこのチームに、果たして「次のチャンス」をつかむだけの力が残っているだろうか?

2013年12月10日 (火)

F1規約の変更

12月9日の会議において、F1の規約変更に関する話し合いが持たれ、その席上でふたつの大きな変更がなされることが確認されたという。「ドライバー固定番号制」と「最終戦ダブルポイント制」である。いずれも、F1の根幹に関わる部分に触れておきながら、じつに的を射そこねた「悪法」であるとぼくは思う。前者は考えようによっては本質ではない、いわば枝葉末節の部分かも知れないが、後者は特に必要性がまったく感じられないものである。いずれの決定も、ここ最近「面白くなくなった」と叫ばれることの多いF1を必死にショーアップしようという努力は感じ取れる。しかしそれだけである。100メートルを8秒で走れても、ゴールと真逆の方向に走って行ってしまったら意味はないのだ。

F1において、車両ごとのカーナンバーが固定されたのは1973年5月のベルギーグランプリ以降のことで、こう書くと比較的最近のことのようにも思える。それ以降1996年まで、1と2以外のカーナンバーはこの73年5月時点でのナンバーをもとにして制定され、ここから有名な「ティレルの3と4」などが生まれた (神格化されているフェラーリの27と28が生れたのは1981年のことで、それ以前は11と12が主なナンバーだった。80年にシェクターが1を付けたことと90年にプロストが加入して1を持ち込んだ以外、フェラーリは1995年までこの番号を通し続けていた)。1996年に規約が改正され、3番以降のカーナンバーは前年のコンストラクター選手権順位にそって振り分けられることになり、以来今日までこのシステムは続いている。73年5月から95年最終戦までのカーナンバーシステムは、いわば「チームごとの固定番号」ということが出来る。73年にカーナンバーを固定化した際、あえてドライバーごとではなくチームごとに番号を与えた事実に注目する必要があるだろう。F1グランプリは、その起源をたどってみると、「メーカーやチームが用意した車に、探してきたドライバーを乗せて走らせる」という競技であった。まず車ありき、なのである。だから、ドライバーが何人かわってもティレルはカーナンバーは3と4のままで20年を過ごしてきたのだ。

ここへ来ていきなりドライバーに番号を付ける方向性に走った理由は容易に想像できる。ドライバーたちからの「もっとドライバー主体の戦いを見せたい」という意見、またファンからの「もっとドライバーの戦いが見たい」という意見に迎合してのことであろう。それに迎合すること自体はわるいことではないが、今まで車につけていた番号をはがしてドライバーに付けたからといって、それでどうにかなるような安上がりな問題ではないことはぼくにもわかる。むしろ無用の混乱を招くだけで終るのではないだろうか。ドライバーごとに番号を振るスポーツの代表として二輪のグランプリがある。ロッシの46やヘイデンの69などの有名どころは、あまり二輪レースを見ないぼくでも知っているが、もしF1がMotoGPを目指しますよ、というのであれば、ぼくとしては「はいそうですか」とでも言うしかないだろう。見る側が慣れてくれ、と言われたらそれまでな問題である。しかしF1はなんといっても四輪レースの最高峰としての格式があり、ぼくとしてはそれが崩れるのを見るのは本意ではない。これ以上、F1が二輪レースやアメリカのインディカーなどに軽々しく追従して、その格式をみずから揺るがすようなことはしてほしくないのである。

そして「最終戦でのダブルポイント」、文字通り最終戦に限り獲得ポイントを二倍とし、優勝なら50ポイント、二位に36ポイント、…といった具合である。これまでF1はさんざんバカげた規則変更をやってきたが、ここまでのものはぼくも久々にお目にかかる。F1をクイズ番組か何かと間違えていないだろうか。2014年の最終戦はアブダビGPということになっているが (暫定カレンダー)、あの心底退屈でうんざりするサーキットの一勝がシルバーストーンやスパ、ニュルブルグリンクやモンツァといった伝統のあるサーキットの二倍の価値を持つことになるのである。そもそも、「最終戦に限ってポイントを二倍与える」という考え方自体がどこかズレているように思えてならない。たしかネルソン・ピケだったと思うが、「F1チャンピオンというのは十六のレースの積み重ねの結果であって、今日落とした一レースのためにチャンピオンシップが左右されるという考え方はまちがっている」(大意としてはこんな感じだった。出典を忘れてしまったので詳細な台詞は確認のしようがない。ピケだとしたら86年オーストラリアGP後の発言だろう) という言葉が残っている。レースが十六あるなら、その十六のレースはみなひとしく価値を持つべきであり、それでこそ競技として成り立つ、という考え方である (といっても先例が無いわけではなく、たとえば80年代の一時期、世界耐久選手権にル・マン24時間が組み込まれていた頃にはこれに二倍のポイントが割り当てられていた。しかしル・マンはレース距離やその特殊性、象徴性からしても特別扱いされてしかるべきレースであり、F1でいえばモナコGPやフランスGPといった位置づけである)。

そもそも、競技を活性化してスポンサーや観客を呼び込みたいという魂胆があるなら、ポイント制度やらカーナンバーやらの上辺ばかり撫でていないで、もっと基礎的なところから始めるべきである。もちろんFIAとてバカの集まりではなかろうし、今まで彼らはそれなりに打てる手を打ってきた、あるいは打とうとしてきたのであろう。しかしその結果が現状であるというなら、FIAは結果としてなにひとつ有効な手立てを講じてこなかったということになる。FIAの怠慢と言われても仕方がない。

この会議の席上で、2015年からのコスト制限案の導入について合意に達したというが、これだって予定通り施行されるかどうかはなはだ疑わしい。チームに金が無いということは、とりもなおさず銀行家や投資家や実業家らスポンサーにとって、F1が投資対象としての魅力をすっかり失ってしまっているということである。スポーツというのは普通、そういった人心にうったえる魅力に満ちあふれているはずのもので、F1であればドライバー同士、マシン同士のエネルギッシュな勝負や観客の熱気、サーキットの荘厳ながら華やかな雰囲気といったものがそれに当たる。いずれも、つい最近までF1の世界ではどこにでも見られたものである。しかし今や、ドライバーは一部のトップ陣を除いてまるで陸揚げされたマグロか教習所から昨日出てきた若造のような走りしかしなくなり、マシンを見ればいつまでたっても先頭を走る青い車に誰も追いつけず、サーキットとなると伝統はおろか自動車レースを本当に理解しているのかもわからないようなくだらない三流国での冷めたレースばかり見せられるのが現状である。これでは金が入ってくるはずがない。

何事もやってみなければわからないというし、今回の規約改訂ももしかするとプラスの方向に働く可能性はある。しかしF1は今や確実に変質してきており、昔日の熱狂はすでに見られない。巨大なマネービジネスと化したF1は今後、どういった方向へ向かうのだろうか。現状のままでは、方向を見失ってうろうろ徘徊しているだけだと思うのだが。

2013年2月23日 (土)

F1シートの価値

去年の末に小林可夢偉が公式に「今年のF1活動を断念する」ステートメントを出した時、多くの日本人F1ファンが驚いたことと思う。小林は去年の日本グランプリで表彰台に上がる活躍をし、それ以外にも何度もポイント圏内でのフィニッシュを果たして、いわば「チームがカネを払うに足る値打ちの」ドライバーと (少なくとも日本のファンには) 思われていたからである。たしかにいくつかくだらないミスはおかしたが、それでも彼の実力や闘志には疑問をさしはさむ余地がないと考える者は多く、それだけに「なぜ彼ほどのドライバーがシートを得られないのか」という疑問が怒りとともに各所で散見された。しかしぼくはあまりショックではなかった。ただ当然の帰結になったと思っただけだった。

日本グランプリの後になって、彼が「このままF1で走り続けるにはお金が必要だ」といった時、ぼくは特に何とも思わなかった。こんにちのF1ではドライバーがチームにスポンサーを持ち込むのは常識であり、ごく限られたトップ・チームのドライバーを除くと、ほとんどのドライバーはチームになにがしかの金銭的利益をもたらしていたからだ。小林は2010年にサウバーに入ってからまだ個人スポンサーと呼べるものを一度も持ち込んでおらず、ある意味ではF1界で貴重なドライバーになりつつあった。サウバーはプライベート・チームだから、もともとスポンサーは多いに越したことはないのである。しかしその後の彼の言動にはおどろかされた。彼は「F1で走るのに金が必要だと考えたことはなかった」と言ったのだ。ぼくは、この言葉をきいた時点で彼の2013年のシートの可能性をほぼ見限った。そんな認識でF1に乗れると思っていること自体、おどろくべきことだ。

オンラインでの議論を見ると、「ドライバーはチームに給料を貰って然るべきなのに、なぜあべこべにチームにカネを払わなければいけないのか」と考える人が多かった。確かに、日本人のよく知っている野球やサッカーなどのスポーツでは、選手個人がチームに対して試合でプレーする以外の見返りをもたらすということはほとんどない。モータースポーツが単なるスポーツと同列には語れない理由のひとつはこの辺にあるのだが、日本人の感覚からすればこれは理解し難い、理不尽な現象と映るのだろう。これは育ってきた環境のちがいだから仕方がない。

しかし、だからといってドライバーまで同じ認識では困るのである。たとえば去年のF1のグリッドをみてみると、ほんとうに一銭もチームに持ち込んでいないのは小林以外にはレッドブル、マクラーレン、フェラーリ、メルセデスのふたり、ロータスのライコネン、ケーターハムのコバライネン、マルッシャのグロックぐらいのものだった (フェラーリだってサンタンデール銀行はいわばアロンソ・コネクションでくっついてきたようなものといえる)。そしてこのドライバーのうち、レッドブル・マクラーレン・ロータス・メルセデス以外のドライバーはすべて今年のシートをうしない、スポンサーを持つ若いドライバーにその座を奪われているのである。

小林がデビューしたのは2009年のトヨタであった。この時点でトヨタはF1に残っていた数少ない巨大メーカー・ワークスだった。ある意味では、小林はこのメーカー・ワークス的な考え方から脱却できなかったともいえる。F1に巨大メーカーが大挙して押し寄せるようになったのは2000年代のはじめごろだが、その頃はどのメーカーもF1で勝つことを至上命題として、惜しげも無く目玉が飛び出るような額の投資をチーム、ドライバーにつぎこんだ。ドライバーはゼロがいくつも並んだ小切手をポケットに突っ込んで、他のことはまったく考えずにただ走っていればよかったのである。もちろん、そんな小切手は逆立ちしても切れないというようなちいさなプライベート・チームはどんどん苦境に立たされていった。2005年にジョーダンとミナルディがあいついで立ち消えたのはいい例だろう。ミナルディはレッドブル・グループに買収されて若手ドライバーの保育所と成り果て、ジョーダンはその後ミッドランド、フォース・インディアと変わるにつれて、こんにちの「ペイドライバー・チーム」のはしりのようになっていった。小林がF1を夢見て下位カテゴリーで走っていたのがちょうどこのへんの時期にあたる。しかしその後世界景気が壊滅的にわるくなり、メーカーはF1どころの話ではなくなった。ぼくとしては2009年末にトヨタが撤退した時点で、F1における「メーカーの時代」は終ったと考えているのだが、小林にとってはまだ終っていなかったということなのだろう。

今回の小林の一件は、日本におけるF1の認知度の低さとか、果たしてペイドライバーはF1に必要な存在なのか、経験も実力もなくスポンサーの力だけでF1に上がってきたような若造が充斥するいまのグランプリ・シーンははたしてF1のあるべき姿なのか、といった問題を提起しているが、ぼくにとっては、F1におけるひとつの時代が終って、グランプリがまた (良くも悪くも) 元の姿に戻っただけではないかと思っている。F1は、その歴史の大半をメーカー・ワークス不在のまま過ごしてきたからだ。70年代のF1では、参戦していた中でまともなメーカーはフェラーリとフォードぐらいのもので、その中で巨大メーカーともなるとフォードだけだった。ターボ時代になるとまずルノーやBMW、ついでホンダが台頭し、ブライアン・ハートなどの有能なプライベーターが資金の問題でフェードアウトしていくようになる。この流れはその後のNA時代に続くが、ホンダがいなくなりセナが帰らぬ人となると、残ったワークスの中でまともなメーカーはルノーとフェラーリ (後にメルセデスが加わる) しかいなくなった。しばらくすると自動車メーカーが先を争ってグランプリに参加するようになり、かかる資金が天井知らずになっていったのだが、それもけっきょくは一時的な現象にすぎなかった、ということである。

しかしそれですべて収まったかといえばそうでもない。頭の痛い問題だが、実力のあるドライバーというのは往々にしてプライドが高いので、コバライネンのように「チームのためにスポンサーを探すつもりはない」と公にいいきってしまったりするのである。そうなると、特にケーターハムのようなちいさなチームでは、実力はあっても一銭も持ってこないドライバーには用はない、とばかりに解雇となる (本人も自覚はしていただろうが)。グロックも、チーム側は当初否定していたが後に金銭的な理由によって解雇に至ったことが代表の口から明らかになった。現在F1にいるペイドライバーのおおくが、まだF1に乗るだけの実力が不足していると見られているドライバーであることも、ファンの不満に油を注いでいるだろう。現在のところ、資金やスポンサーを持ち込んでいるドライバーで比較的速いのはセルジオ・ペレスかパストール・マルドナド (純粋な速さという意味ではロマン・グロージャンもそうかもしれないが、彼はなにしろそのドライビングスタイルに問題がありすぎた。今年はどうなるか見ものである) ぐらいのものだろう。他はみんなまだ若すぎて評価を下せないか、単に遅いだけかのどちらかである。すこし穿った見方をすれば、GP2などの下位カテゴリにあまり見るべき才能が出てきておらず、欧州フォーミュラー・レース全体が地盤沈下を起こしている、ともいえる。

小林はまだ今年の計画について発表をしていないが、F1では一年でもブランクを作ってしまうとその後の復帰は難しくなる。彼はそれを知ってかどうか。F1で走るのに金がいることすら知らなかったぐらいだからそれも知っているかどうか疑わしいが、一年間ゆっくり進退を考えるだけの時間は出来たのだから、起死回生を狙って営業努力を続けるか、「ケーターハムでは走りたくない」とまでいわしめたプライドを優先してひと思いに引退するか (本人はF1以外の進路は考えていないようだが、それは無駄なプライドだと思う)、いずれにしても本人が正しい決断をくだすことを願うだけである。ぼくの耳には、いまだに晩秋の鈴鹿の抜けるような夕空に吸い込まれていった「可夢偉コール」がなつかしく響いている。

2012年12月30日 (日)

2012年F1グランプリ・シーズン総括

今年のF1は、ひさびさに「面白い」といえるシーズンだったのではないかとぼくは思う。たしかに後半になるにつれて、序盤のワクワクした感じというのは無くなっていってしまったが、性能的に劣るはずのフェラーリに乗るフェルナンド・アロンソが最終戦までレッドブルのセバスチャン・ベッテルを追い回し、じつにわずか2点の差でベッテルの前にやぶれたのである。すくなくとも去年のように、誰か一人の独走劇ではやばやとタイトルが決まるところを見せられて、観客が飽き飽きしてしまうような展開にはならずに済んだだけ、今シーズンは決して退屈ではなかっただろう。最終的に異なる六つのチームから八人ものウィナーが誕生した今シーズンは、あらゆる意味で歴史に残る一年となるに違いない。以下、今シーズンの全チーム・ドライバーを10点満点で採点した結果を記す。シーズン全体の成績や走りっぷりなどを評価に入れての判断だが、もし多少の独断や偏見、個人的推論に基づいた採点とおもわれるところがあれば、それはぼくの責任である。 (31/12 一部改稿)

レッドブル・ルノー 8/10 (Sベッテル9/10、Mウェバー6/10)
今年も前年に引き続きダブルタイトルを獲得したレッドブル。若く速いドライバー、有能なデザイナー、それをバックアップできる潤沢な資金と、必要な物が全て揃っているのだから当然の帰結だろう。個人的にはあまりおもしろい結果ではないのだが、事実は事実であるし、彼らがすばらしい働きで序盤戦の遅れを帳消しにしてしまったことも確かだからだ。ベッテルはまだまだ若いが、最年少でトリプルクラウンを手の内にし、順風満帆といった感じである。まあ車が車なだけに、どこまで彼の実力なのかというのが測りにくいのはあるかもしれない。ウェバーは中盤辺りまでは上手く行っているように見えたのだが、その後選手権の趨勢が固まるにつれて生気が無くなっていったのが気になった。昔の彼らしい、闘志あふれるファイターぶりをもう一度見せてほしい。

マクラーレン・メルセデス7/10 (Jバトン6/10、Lハミルトン8/10)
レッドブル、フェラーリとならんで今季トップ3の座にすんなり収まった名門チーム。開発方向の失敗で序盤低迷を続ける中でも、エースのバトンをさしおいてハミルトンが力走を重ね、ひとびとに深い印象を与えた。全体的にピットミスやメカニカルトラブルなど、名門らしからぬつまづきがあちこちで目についたため点数は低めだ。相次ぐギヤボックストラブルやエンジントラブルがなければ、特に終盤戦においてコンストラクターズ選手権での対フェラーリ戦がより楽になったかもしれないのだ。バトンは全体的に不発の年だったと言わざるをえない。来年は若きチームメイトのセルジオ・ペレスがやってくるが、この二人の戦いも楽しみである。

フェラーリ 5/10 (Fアロンソ10/10、Fマッサ8/10)
レッドブルが「チーム力」でタイトルを取りに来たとすれば、こちらは完全に「ドライバーの力」でタイトル争いに踏みとどまっていた。どんなに素性のいい車でも、そこから熟成できなければ意味が無い。アロンソによると、F2012は5月の時点で完全に開発はストップしていたのだという。いちおう終盤戦に向けて排気系等がアップデートされてはいたようだが、マッサの調子が良くなるばかりでアロンソにはなんの助けにもなっていないように見えた。そんな車で彼は最終戦までチャンピオン争いに望みをつなぎ、頭上にチェッカーフラッグが舞う瞬間までアクセルをゆるめることをまったくしなかったのである。ベッテルを若い速さとすれば、彼の走り方はベテランの走り方である。ペースを上手く出し入れしてタイヤを使い切る、頭脳派な戦い方だ。二ポイント差で涙をのんだ責任はおそらくチームにこそあるだろう。マッサも序盤こそ「どこを走っているのかわからない」状態だったが、終盤になるにつれて復調。アメリカグランプリでは戦略的なグリッドダウンを受け入れながら (賛否両論あるが、個人的には英断だったと思う)、アロンソのエスコーターを最後までつとめきった。それだけに、アロンソのベルギーと鈴鹿での取りこぼしが悔やまれるのである (いずれも不可避のアクシデントといえばそれまでだが…)。

メルセデス 4/10 (Mシューマッハ6/10、Nロスベルグ5/10)
今年の初め頃にロス・ブラウンが車の設計上の問題を挙げていたが、けっきょくリザルトを見ると最後まで改善されなかったようである。ロスベルグがいちおう中国GPで勝ってはいるが、その後の走りっぷりを見るとあれは棚ボタ以外の何でもないような気がしてくるから悲しいものだ。シューマッハも凡ミスというか、「らしくない」シーンが多々あったものの、モナコGPでのポールを評価しての採点。引退間際のいい土産になったことだろう。特に後半戦において、まったく活躍らしい活躍はしてくれなかったといっていい。来年はシューマッハにかえてハミルトンが移籍してくるが、開発ミスでまたしてもシーズンを棒に振るような展開にならぬよう祈るばかりである。

ロータス・ルノー 8/10 (Kライコネン8/10、Rグロージャン4/10)
こちらも善戦敢闘、比較的ちいさな世帯のチームながら、開幕前の予想通りトップチームによく食らいつく戦いぶりを見せてくれた。ライコネンの復帰後初優勝はすこし遅かったような気もするが。チームそのものにとっても今季の好戦績は予想外だったらしく、ポイントを取りすぎてスタッフへのボーナスが滞るというウソみたいな本当の話まであった。グロージャンは特にベルギーや鈴鹿での大クラッシュでほうぼうの悪評を集めたが、速さで言えばそこそこ速い部類に入るとは思うので、来年こそが正念場、といったところか。本人曰く「今年は気合が空回り気味で、ルーキーミスを犯してしまった」とのことなので、来年はもうすこし落ち着いて走ってもらいたいものである。

フォース・インディア・メルセデス 7/10 (Pレスタ7/10、Nヒュルケンバーグ8/10)
開幕当初から「あまり目立たない存在」だったが、レスタ、ヒュルケンバーグ両ドライバーとも随所で光る走りを見せてくれた。特にヒュルケンバーグがブラジルで見せたリードラップは、2010年のポールポジションに続く彼のキャリア・ハイライトたりえるだろう。最終的に五位で終ってしまったが、若い速さという意味ではこの男もマークしておいて損はないはずだ。シーズン中、オーナーのV.マルヤが自身の航空会社関連の事件であやうく逮捕されそうになる一幕もあったが、チーム事情はまだ当分安泰のようだし、将来性はあるチームだろう。


サウバー・フェラーリ 5/10 (小林可夢偉6/10、Sペレス8/10)
チーム的には序盤戦での作戦ミスやらピットミスの嵐でずいぶん印象がわるくなったが、後半戦になるとさすがにその辺は鳴りを潜めてきた。ペレスがマレーシア二位、カナダ三位、イタリア二位と三度の表彰台を獲得し速さをアピールした一方で、小林はホームグラウンドの鈴鹿で三位を得ながらシートを失った (このへんは彼のマネージメントのまずさとか、認識の甘さといったものが影響していると思うのだが、今回はひとまずその辺は採点に加味していない。彼の顛末記だけで記事一本書けそうな勢いである)。小林/ペレスのコンビは「攻めのペレス、守りの小林」といった趣でじつにバランスがとれていたと思うのだが。ペレスの速さはやはり本物というか、さすがと言うべきだが、後半戦でポカが多発しているのが気にかかる。つくづく、両極端な走り方をするドライバーである。ペレスは派手な速さ、小林はどちらかというと地味臭い速さで、そのうえ小林もどうもツメが甘いというか、ケアレスミスのようにしか思えないような大ポカ (イギリスGP、ヨーロッパGP、韓国GP) をやらかしている辺り、サウバーの査定に影響したのかもしれない。

STR・フェラーリ 6/10 (Dリカルド6/10、Jベルニュ5/10)
まあ可もなく不可もなくというか、じつに淡々としたシーズンであった。ふたりのルーキードライバーは開幕戦で入賞こそしてみせたものの、それ以降は入賞圏の外縁をうろうろするばかりで進展がない。けっきょくサマーブレイク後の猛烈な追い込みでポイントを重ねたが、前にいるサウバーやフォース・インディアとの距離は去年よりも間違いなく開いている感じだ。もしこれでドライバーが去年のままだったら、とふと思ってしまうが、ここは素直に若造二人の学習能力に期待するほかないだろう。

ウィリアムズ・ルノー 7/10 (Pマルドナド7/10、Bセナ6/10)
前年の大不振から一転、今季は八年ぶりの優勝をあげるなど躍進の年となったウィリアムズ。マルドナドは今年に入ってクラッシュ癖がひときわクローズアップされる結果となったが、予選のペースはシーズンを通してなかなかのものであった。ベネズエラから莫大なスポンサーフィーをもたらしており、将来性もあるのでチームにとっては手放したくない人材だろう。セナは凡庸な戦績で終ってしまったが、チームがぞっこん惚れしているボッタスに金曜FPのシートを奪われるなど、割を食っているようなところが否めなかった。しまいにはレースシートまでぶん取られてしまうのだから悲しいが、彼には新天地での活躍を期待したい。

ケーターハム・ルノー 3/10 (Hコバライネン6/10、Vペトロフ4/10)
昨年の大躍進から一転大スランプという、ウィリアムズと逆のコースを行っているようなチーム。去年の暮までコース上でウィリアムズの尻を追い掛け回していたというのに、である。戦犯はおそらくデザイナーのマイク・ガスコインだろうか。小規模チームゆえ開発が速くないのは仕方ないとしても、今季は遅さがあまりにも目立っていた。コバライネンが開幕戦以外ですべて完走しているのはやはりベテランの意地、元マクラーレンの面目躍如というべきか。ひるがえってペトロフは精彩のないシーズンだったが、ブラジルでひたすら地味に11位完走を果たし、ライバル・マルッシャからコンストラクター選手権の順位 (とそれに付随してくる分配金) をもぎ取ってきたのが見せ場といえば見せ場だった。チームがこのまま没落していきそうな勢いなのは寂しい限りだが、現状がおおきく改善されるめどはまだ立っていないと見るべきだろう。

HRT・コスワース 1/10 (Pデラロサ4/10、Nカーティケヤン2/10)
もはや様式美となった開幕からの堂々予選落ちを今年もぶちかまし、挙げ句の果てにはチームが消えてしまうといった茶番っぷり。シーズン中から資金繰りが苦しそうなところではあったが、まさかこんなに早くフェードアウトしてしまうとは予想外であった。ベテラン、デラロサをもってしても状況はどうしようもない。こういうひたすら存在感もなく、ただ下位を走っているばかりのチームを見ると、ひところのユーロブルンやコローニといった面々を想起してしまう。最後までまったくTVに映らないチームだった。

マルッシャ・コスワース 4/10 (Tグロック4/10、Cピック3/10)
ケーターハム、HRT同様ドライバーの採点が低いが、こんなチームにいればどんな走りをしても目につくはずはないのである。なのでグロックは単純にベテラン補正での点数と考えた方がいい。最高位は両ドライバーともに12位で、実力はそこそこ拮抗しているのかもしれない。グロックが車の文句を言いながらもよく走っていたところを見ると、腕はまだグロックに軍配が上がるのかもしれないが。テクニカル面が徐々にだがしっかりし始めてきたことと、資金の心配をそれほどしなくてもいい点で、ケーターハムより将来性があるかもしれないチームである。いつまで生き残っていられるかはわからないのだが…。

2012年8月25日 (土)

もし野球を全然知らないF1マニアが「もしドラ」の作戦をF1的に考察したら

きっかけというのは、もとはといえばひとつのツイートであった。アカウント「@QB0」 (あの「まどマギ」に出てくるQBを模したアカウント。らしい。フォローしてないので真相は不明だ。このツイートも、フォロワーの一人がRTしてこちらへ回ってきたものであった) の、この発言である。
「そんな、ノーボール、ノーバントだけで全国大会まで勝ち進めるなんて! そんなことができるとしたら、それはもう高校野球なんてレベルじゃない! ワールドシリーズに対する反逆だ!」
ツイートライン上の前後関係から、この発言は一時期ホットな話題だった「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの"マネジメント"を読んだら」という書籍作品に対するコメントだと推測できる。クソ長いタイトル通り、高校の野球部の女子マネージャーがペーター・ドラッカーの「マネジメント」(随分昔の本である)を読んで、その理論をもとに野球部の運営体制を改革して甲子園をめざす、という話である。じつはこの本、原書が手付かずの状態で手元にあった。むかしむかし、たしか発売当初の早い時期にたまたま日本に遊んでいたので、多分その時に買い求めたものと思うのだが、おそらく当時は日本語力がまだあんまりなかったのと、ぼくにとって外国語に等しい野球用語の連発で、数ページめくって投げ捨ててしまったのだろう。帯までそのままだったのだから重症である(ところで、日本語の本についてくるあの「帯」というのが、ぼくには理解できない。特に寝転がって読む際に邪魔でしょうがないので、腰を据えて読む本はまっさきに帯を捨ててしまうくらいである)。今回の記事を書くにあたって1時間程度で斜め読みして、だいたいの筋は頭に入れてきたつもりである。本文は300ページもないので、そんなにキツイ本ではないといえるだろう。少なくとも「坂の上の雲」書籍版よりははるかに楽である。

ところが困ったことに、マレーシア育ちのマレーシア人であるぼくには「野球」を語る知識がまったくない。知ってるスポーツといえばF1をはじめとするモーターレーシングだけである。そもそも野球なんて、ぼくの中では「日本人とアメリカ人しかやってない、なんかややこしいスポーツ」という印象しかなかった。当然ルールも知らない。執筆前に、平素から仲良くしている「上海娘々賽車隊」サークルの長、「各々」さん(注)にじっくり基本ルールは教えていただいたのだが、それでも理解できたかどうか怪しいレベルである。その上さらに、今回はぼくが得意とするF1の世界にそれを投影して、「これはF1的にはこうこうこういった作戦、考え方にあたる」と解説しようとしているのだから救いようがない。それでも、世にF1マニア (あるいは、そうなろうとしている人々) が一人でもいれば、このブログの存在意義は半分が達成されたことになるので、ぜひぜひお付き合い願いたい。

(注:ステマになるが、秋ごろにこのサークルから出版される東方系の同人誌に、ぼくが寄稿した文章が二本掲載されることになっている。仕事(?)の機会を与えてくれた「各々」さんに感謝すると共に、無事発売に至ったあかつきには、何より読者諸兄に手にとって頂きたく思う。)

さて、今回の原稿では、上に上げた「ノーボール、ノーバント」が果たして現実的な作戦なのか、ということを、「これはF1ではこれこれに当たるんじゃないか」というふうに考えていきたい。ぼくは、どんなに難解な事象であっても、それをF1に置き換えるとたちまち心までわかってしまうのが自慢にもならぬ自慢なのである(余談ながら、エッセイストの内館牧子さんもたしか似たようなことを書いていた。「相撲に置き換えればどんなスポーツでも理解できる」、といった感じだったように記憶する。同氏の専門分野は相撲・プロレスらしい)。また、本文はあくまで「(基本は)フィクションである本作に登場する一つの作戦」に的を絞って考え、書中のファンタジー要素やフィクション的な誇張は承知のうえで書いている。また、本作やその作者などに対して批判的な考えは一切持っていない、ということを理解していただけると幸いだ。

まず、原作での「ノーボール、ノーバント」の出典。「マネジメント」に開眼した主人公のみなみは、中盤で「イノベーション」ということの必要性を認識する。イノベーションというのは英語で革新、変革を意味することばだが、彼女は監督の加地という男に「高校野球において、たとえば戦術面でどんな革新ができうるか」と問う。そこで加地がかねがね暖めていた「ノーボール、ノーバント」作戦の話が出てくる。加地は高校野球のゲーム現場における「送りバント (犠打) の多用」と「ボール球を打たせる投球術」にたいする嫌悪や、それらのもたらす悪影響を話し(作中では、野球知識ゼロのぼくが理解しうるほどに詳述されてはいなかった。やはりゼロから入っていくにはハードルの高いスポーツだ)、そこで「ボール球をまず投げない」ことと「犠打をおこなわない」ことを戦術の根幹として提示し、それを「ノーバント・ノーボール作戦」として作中で具現化させている。書籍はこのチームが予選を勝ち上がって甲子園に行き着くところで終っているが、文中に「この戦術が高校野球の世界にセンセーションを巻き起こした」旨の記述があることから、おそらく作中世界では加地はロス・ブラウンやフォン・マンシュタイン並の知将として遇されたであろう。ところが現実世界では、上のQBのように真っ向からこれを否定する意見や、「ノーボールは可能性はあるがノーバントはムチャクチャだ」、またその逆 (「ノーバントはまだわかるがノーボールは下策中の下策」) と、雑多な意見が見られる。両方をサポートする意見がぜんぜん無いというのがこの作戦の意味を端的に物語っているかもしれない。

作中でまっさきに槍玉に挙げられたのが「送りバント」という戦い方だった。加地はこの考え方をよほど嫌っていたようで、みなみに対してこの考え方が「いかに古びた戦法で、非合理的で、しかも野球をつまらなくさせているか」ということを (作中では詳記されてはいないが) 長々と語っていた。作者の地の文でも、「…打高投低が著しい現代野球にそぐわなくなってきている。みすみすアウトをひとつとられる割には効果が薄く、しかも失敗のリスクも大きい」「杓子定規に送りバントをすることで、創造性が失われ (中略) 選手や監督の考えを硬直化させ、最近では野球をつまらなくさせる一因ともなっている」と、いちおう加地の考えとしてではあるが概して批判的に記述されている。で、送りバントというのは、簡単に言うと「塁上に走者がある状態で、打者がみずからすすんでアウトをひとつ打つかわりに走者を進塁させる」という戦術で、ウィキペディアによると「主に僅差の試合や、投手など安打を期待できない打者の打順で用いられる。しかし、どうしても1点が必要な局面などでは、チームの主砲である4番打者も犠牲バントを敢行することがある」とある。これはつまり「アウトをひとつ献上してでも一点が取りたい」という状況で使う戦術だろう。また、「特に高校野球では多用される」とあるくらいだから、よほど見慣れた戦術ということができる。ただ、作中でも加地が尊敬する監督として登場した蔦文也氏や、アメリカのレッドソックスチームなど、これに頼らない戦術の組立を可能にしているところもあり、この戦術が絶対ではないことを伺わせる。

総合すると、この「送りバント」はおそらく、F1で言うところの「チームオーダー」に近いのではなかろうか。F1は1チームに2台しかいないから明示的に見えにくいが、たとえば1チームから3台、4台が出走するスポーツカー・レースである。たとえば99年のル・マンでは、3台を送り込んだトヨタ/TTEは、コラール・ソスピリ・ブランドルの1号車を絶対的エースと据え、ブーツェン・マクニーシュ・ケルナースの2号車がそのサポート役、そして鈴木(利)・土屋・片山の3号車 (このCn.804の車だけ、前年型シャシーの改造品であった) が「スペアのスペア」として待機しているという布陣であった。結果はともかくとして、この2号車・3号車の仕事はというと「1号車のサポート」、ありていに言ってしまえば「何が何でも1号車を勝たせる」こと、具体的には筆頭ライバルであったBMWを封じ込めることである。そうするためにはたとえばコース上でブロックしたり、ピットにあらぬタイミングで飛び込んで敵チームを牽制したりといった、「明らかにレースを捨てた」ような行為も必要になってくる。そうまでして、「走者」である1号車、エース・カーを優勝の錦旗へ向けて「進塁」させなければならないのだ。このレース、BMWも新型2台 (当初は3台の予定であった) にプライベーターの旧型2台という体制でTTEを迎え撃ち、終盤トップを走るエースカーのBMW15号車がTTE3号車に20秒差まで詰め寄られた際に、BMWワークスチームが旧型の18号車に指示を出し、卑怯なまでのブロックに徹させた末に1位の座を守り抜いている。もちろん、ここまで明示的に「卑怯」という形でやってしまってはマイナスイメージは避けられないが (2002年の8月以降スクーデリア・フェラーリがどういうことになったか思い出してみて欲しい。「グレーゾーン」の判断でさえあの騒ぎである) 、その一線を越えてさえいなければ、この時BMWがとった判断はレース・チームとしてしごくまっとうなものであった。これだって、18号車がみずからのレースを捨ててまで、「塁上の走者」たる15号車を優勝に「進塁」させるというプレーである。優勝がかかった局面だったから、これは「スクイズバント」といえるかもしれない。なので、野球でこういうことをやった場合に観客が面白いかどうかはともかく、「送りバント」はF1的には使うもよし、使わぬもよし (チームオーダーを出さない方針のチームはイギリス系のところに多い。ウィリアムズ、マクラーレンなど、原則として競り合っている際の明示的なチームオーダーは行わない。対して大陸系のチームは、フェラーリはじめほとんどのところでチームオーダーが有形無形に存在しているといえる) な作戦だ。ただ、「ノーバント」、ここではチームオーダーを出さない考え方だが、これがF1で散見されるからといって高校野球でもうまくいくかといえば疑問である。チームオーダーを出さずに戦う、つまりチームメート同士で競り合いになってもそれぞれの実力に任せるのは、どちらかというと個人プレー、個々の実力重視の考え方だ。F1は1チームが2台、スポーツカーでも1つの親チームが持ちうる「手駒」の数は4台を超えることが滅多にないから、まだ1台1台の独立思考が入り込む余地はあるが、野球は「チーム」の要素がレースよりずっと強い。たとえば走者が二塁とかにいて、送りバントで確実に取っていくことが必要な局面で打者が「オレはなんとしてもここで打ちたいんだ」とか言ってひっぱたいたらどうなるだろう。これはもうギャンブルだ。うまくいけばいいが、いかなかったら敗戦の責任がこの無茶な打者に集中することになる。送りバントに頼らない戦術でうまくいっているところが少ないことからも、野球でやるのは難しい、どうしてもやるとすればそれ相応の勘考が必要、ということだろう。作中では、送りバントに頼らずともいいように、地区予選の段階で「全戦コールド勝ちを狙っていけ」というメチャクチャな指令が飛んだ。高校野球の地区予選でのコールドスコアは調べてないが、物語の時間軸上でつい半年ほど前まで弱小チームだったこの野球部には、相当にキツいゲームになるだろう。F1で、たとえばふたりの新人ドライバーに「全戦グランドスラムを狙え」と命令するようなものである。それに近いことをやってのけたチームは、88年のマクラーレンと02年のフェラーリしか知らない。実現したら歴史に残るドリームチームになること必定である。すくなくとも、1点を取り合う接戦を避けるために全戦コールド勝ちしろと言うような監督では持て余すであろう作戦だと思う。

つぎに、「ボール球を打たせる投球術」への否定。加地の意見はというと、「…ピッチャーの成長を妨げ、ひ弱にし、またゲームを長引かせ、面白くないものとさせる」ものという。また、それを重要視するあまり「キレや勢いといったものがおろそかに」される弊害もある、と書かれている。これに対応して、野球部は攻撃の根幹を「ボール球を見送りストライクだけを撃つ」こととして、そのために「ボール/ストライクの見極めを集中的に訓練する」方策をうちだし、また投手陣のストライク一極集中にともなう撃ち返しのリスクを受けるために、極端な前進守備の布陣によって「エラーに対する恐怖を克服する」 (作中ではこの高校は二十年来の弱小チームで、経験値の絶対的な不足から、接戦になるとどうしても浮き足立つことが悪癖とされていた。これはノーボール作戦の補助というよりは、それに対する心理的な対策という側面が大きいだろう) という考え方が示されている。一方で、投手は「ボールを投げない」ことと「打たせて取る」戦術に集中させることで、投球数を少なくし、夏の酷暑による身体的疲労を抑えようという副次的効果も示されていた。

これについては、ぼくはちょっと否定的に考えている。基本的に、投手にとってのおいしいゾーンは、そのまま敵の打者にとってのおいしいゾーンにつながるからである。グローブど真ん中に投げ続けてそれを一球も撃ち返してこないようなアホなヤツはいないだろう。だから投球の合間合間にあえて悪球を挟んでバッターを撹乱したり、本文中にもあるように「…ボールで打ち気を誘い、凡打や空振りに」仕留めるという考え方が通用するのである(いわゆる「釣り球」。ピットインするとみせかけて平文で偽のピットイン情報を流し、ライバルチームをピットへおびき寄せた某チームの話が思い出される)。追い込んだ末にボール球を叩かせるのが野球の一般的な戦術といわれているくらいなのだ。その上、「撃たせて取る」となると、ストライクなんか投げて撃たれたら下手をこくと本塁打を浴びるから、微妙に「外した」配球がどうしても必要になってくる。バットを振っても芯で当てられずに、野手がよろこぶようなヘロヘロダマになって飛んでいくボール、まあ言ってしまえばかつての東尾修が得意としたような変化球が必要になるわけだ。作中でもいちおう、投手陣はストライクゾーンの繊細なコントロールを会得するために下半身の筋肉を強化する描写があった。だがそれはもはや「変化球」であって「ストライク」ではないと思うのだが… (もし作者が「ストライクだけ投げる」ではなく「ストライク"ゾーン"にだけ投げる」という意味合いであったらまだ良かったかもしれない。ストライクゾーンにあっても、変化球は成立するからだ。それならそれで文中にしっかり書いてあれば、こんなくだらないブログにあげつらわれずに済んだかもしれないのである。)

また、ボールを投げずストライクゾーンにのみ投げるということは、もちろん撃ち返されるリスクは飛躍的に高まる。そこで味方の守備陣の双肩に「死守」の文字がのしかかるのだが、加地はここで極端な前進守備のフォーメーションを組ませているのだ。このチームはみなみのマネジメント論によって短期間でおおきく飛躍したことになっているが、それでも甲子園を目指すには絶対的な経験不足が足かせとなり、したがってエラーをやらかすと落ち着きを欠いてしまうことが、作中で指摘されていた(実際に、作中時間軸で甲子園の1年ほど前におこなわれたゲームにおいて、序盤をうまく運びながらこのような展開で負けている)。そこで、エラーに対する恐怖や、接戦に持ち込まれた際の意味のない焦燥を抑えるべく、前進守備を敷くことによってエラーにを恐れないようにし、また万一エラーをおかしてもそれは(前進守備を命じた)監督の責任であって選手の責任ではない、という風に考えさせることが目的とあった。

…なんという無茶をするのか (と、野球歴3日のぼくにもこれぐらい言う資格はあると思いたい) !? 前進守備とはすなわち「定位置から二、三歩前で守る陣形」であり、1点を返しあう緊迫した状況では多くとられるが、元来この監督の目指す「コールドで決着するようなゲームにしていけ」というレース運びには不要のはずの思想である。そのうえ、前進守備をなんのためにとっているかというと「エラーを恐れないため」。これではダメだ。いくら野球の分からないぼくでも、どうもこれはおかしいというくらいはわかる。練習試合辺りの段階であえて前進守備を敷かせてエラー処理をこなさせ、ある程度「慣れさせる」やり方ならまだしも、それを本番ゲームにまで持ち込んでしまって果たして勝てるのだろうか。いろいろヘタクソなりに調べると、前進守備が出てくるのは「1点でもどうしても敵チームに渡したくない場合」、というのが多いらしい。また、「点差が開いている状態や取り返せる見込みのある局面では滅多に使われない」ともある。となるとこの場合は… ダメだ、頭がついていけない。というわけで、この節の考察は一旦留保とさせていただきたい。われながら情けない結論だとは思うが、ここでネット上で見かけた「ノーボール作戦をマイルドにするとブラウン監督のカウント重視主義になる、あれは素晴らしい試みだったと思う」という一言をまずは引用しておきたく思う。

以上もろもろの考察から、ぼくの頭脳では加地監督の作戦は「無理ではないがむずかしすぎる」という結論になった。ただF1的には、弱いチームがいろいろ策謀をめぐらせてレースに勝ってしまうという展開はたまにある。代表的なものをあげれば86年メキシコGP、90年フランスGP、57年ドイツGP、98年ハンガリーGPと、いずれもコース上のバトルより「戦略」、それもこの場合すべて「ピット戦略」で勝敗が決したレースだ (もう少し書き加えるなら、04年フランスGPやCARTの99年ポートランドなども入れたいのだが…)。86年メキシコのベルガーや90年フランスのカペリは、タイヤが最後まで持つことにかけて無交換作戦に訴え、それぞれ優勝/二位という、いずれも当時の彼らのチーム力からすれば望外の好戦績をあげている (ベルガーの場合はタイヤそのもの、カペリの場合はシャシー設計がコースにピタリはまったことが、それぞれの作戦の成功要素だった。そのへんを的確に読み抜く才能も、エンジニアの重要な仕事である)。反面、57年ドイツGPのファンジオ、98年ハンガリーGPのシューマッハ (彼らの場合「弱小チーム」ではないのだが、ともに「追う立場」にある者として、またすぐれた戦術によって勝ちを収めた好例としてとりあげている) は、ピットストップによるロスタイムをあえて甘受しつつ、新しいタイヤでそれ以上のペースを出せることにかけてレースに臨んだ (ファンジオの場合はもうちょっと複雑。彼の時代にはレース中のピットインはけっこう珍しい部類で、ファンジオはハーフタンク状態でスタートしていたので四輪の交換と給油で1分ちかくピットに釘付けにされていた。そこからの猛追撃は歴史に残るものとなっている) 。ファンジオとマセラーティ・チームは、長いニュルブルグリンクのコースをうまく利用したフェイント作戦でフェラーリを油断させ、のちに本人みずから「あんな走りはもう二度とできない」と形容したほどの苛烈な追撃で、勝てないはずのレースにみごと勝った。シューマッハーも、他車より多い3回ストップという作戦を成功させるために、ほぼ毎ラップを予選アタックに近いペースで攻めつづけ (彼自身ハンガリーのコースを得意としていたこととも無縁ではないだろう) 、難しいレースを制した。だから、それが現実でうまくいくかはともかくとして、そういう「弱者の一撃」を考えだした加地と、そうなるようにうまく水を向けたみなみ (みなみが水を向けたというよりは、彼女のドラッカー式チーム運営上どうしてもそうしなきゃならなかった、という方が正しいかもしれないが) は、じゅうぶんチーム運営者としての資格は備えているといえるのだ。ただ作中で、このハチャメチャチームはどういうわけか激戦区とされている西東京地区を勝ち上がって、甲子園にまで行き着いている。しかも (作中描写を見る限り) 全勝で。これはさすがにどうなんだと思う。たとえば上の4つのレースのうち、チームそのものが小さいところだった86年メキシコ (ベネトン・BMW) と90年フランス (レイトンハウス・ジャッド) では、彼らの好成績はいずれもシーズン一度きりのものであった。レイトンハウスにいたってはこの年唯一の入賞である。思うに、ぶっ飛んだ作戦で首尾よく勝ってしまった、というレースは、限りなくフロックに近いのではないか。ぼくがかねがね言っていることだが、たとえフロックでひとつやふたつ勝っても、それが「繋がら」なければけっきょくはそれで終ってしまうしかない。現実世界でこの戦術をとったチームがよしんばあったとしても、甲子園にほんとうに行き着けるかどうかは疑問だろう。

作中、加地はまだ二十いくつの若い監督というのが描写されている。二十いくつでここまでイノベーティブなことを考える頭がついているのだから、これからも監督としてチームにとどまって、その戦術眼を磨いて欲しいと思うのである。口ぶりから察するに、彼はそうとう自分の考えに自信があり、また自らの考えがどこを向いているかもある程度把握していると思われるから (そこから先がダメなのだが) 、もう何年かたてば、ひょっとすると敵に回すと恐ろしいチームを率いる存在になっているかもしれない。

最後に、ひとつ余談。執筆にあたって原書を通読したのだが、斜め読みしたかぎりではあまり「よく出来た」本ではなかったように感じた。平均点やや下、といったくらいだろうか。どうしても文体に違和感があるというか、まるで宿題の作文みたいな「カクカクした」感じがつきまとう。物語パートはあくまでつけたしで、根幹は「ドラッカー入門」的な考え方なのだからそうなった、というかもしれないが、それではすぐれた「入門書」にもならないのではないか。もともと経営学やドラッカー思想に興味のない人々を強引にでも引きこむには、やはり「宿題の作文」ではダメなように思うのである。日本人でもないぼくが何を言うか、というのは承知の上だけど。

2012年8月11日 (土)

2012年F1・ハーフディスタンス採点表

先日のF1グランプリ第十戦、ハンガリー・グランプリをもって、今季のF1選手権も半分が終了した。夏休みを経て、8月31日にはじまるベルギー・グランプリから後半戦に突入していくのだが、ここでどのような勢力変化が起きるのかも興味深いところ。では、シーズン半分を消化したところでの各チームのパフォーマンス、下馬評との食い違いはどれくらいのものだったのだろう、というのをまとめてみた。今回はチーム以外に、ドライバー個人に対しても10点満点で採点を行なっている。以前書いた「シーズン前予想」や「序盤採点表」と見比べてみて、各チームどれくらいの前進・後退があったのか、見比べてみるのも面白いだろう。

レッドブル・ルノー 6/10 (Sベッテル 6/10、Mウェバー7/10)
決して遅くはないのだが、けっきょくシーズン前半戦で勢いに乗ることはかなわなかった。ライバルチームが相対的に力をつけてきて、いわば不本意なポジションで戦っている状態だが、過去二年、マシンのおかげで「乗れて」いたようなところがあるベッテルには、これは堪えるだろう。彼が「ただの若造」から正真正銘の「チャンピオン」へと躍進するカギは今シーズンにある、とも言える。ここで腐って投げてしまったらおしまいだ。ウェバーはようやく「影の薄い脇役」というありがたくない先入観から脱却しつつあるのだが、それもチームの状況次第なので、ことによっては後半戦は厳しいスタートになるかもしれない。開発能力には文句のつけようもないチームなので、手遅れになる前にどうにか躍進の足がかりを掴みたい。

マクラーレン・メルセデス 5/10 (Jバトン 4/10、Lハミルトン 6/10)
こちらも不振組。トップチームで唯一、開発の方向性が違う方を向いているチームなのだが、ここのところのチーム関係者・ドライバーの発言を見ると、どちらも暗に開発の失敗をほのめかしているのがわかる。特にバトンは、車があわないのか序盤以降は大苦戦。それでもほぼ毎戦のようにどこかしらにアップデートを投入し、必死の挽回を試みてはいる。ハミルトンがようやく力走を見せ始めたのが救いといえば救いか。とはいえまだ絶対的に速くなっているわけでもなく、継続的な開発努力が望まれる。

フェラーリ 7/10 (Fアロンソ 8/10、Fマッサ 4/10)
アロンソはおそらく今季ベストドライバーの資格を持つだろう。攻めるところと抑えるところをきっちり分けてきて、たとえば通常ラップを流し気味にしてインラップのためにタイヤをキープする走り方など、彼の頭脳的な面がよく出ていると思う。若いころは一種「中二病」のような性格だったアロンソも大人になったのだろう。マッサのほうはもうどうしようもないのだが、かといって彼に代わるほどの有能なドライバーが控えているわけでもなく、またマラネロにおける彼の妙な人望と相まってフェラーリの椅子につなぎ止められている。BSタイヤの元開発主任・F1タイヤのエキスパートである浜島裕英氏の加入で、タイヤマネジメントにおいて他チームに一歩先んじようという気概も見て取れる。2008年や2010年のようなバカな戦略ミスをしでかしていないだけ、ここまでのフェラーリには期待要素は多いだろう。

メルセデス 5/10 (Nロスベルグ 6/10、Mシューマッハ 3/10)
トップチームの端くれではあるのだろうが、どうにも全体的に遅い。メルセデスエンジンはある種「パワーで押せ押せ」的な性格のエンジンなので、タイヤにはさぞかし厳しかろう。もとからタイヤにやさしくないこのチームの車にはお世辞にもベストフィットとは言いがたいのだろうが…。ロスベルグは中国GP以降は堅実な走り方にシフトした感じ。シューマッハは速さはあるのだろうが、いつも運の悪さにたたられてか全くチャンスが生かせない。これではロスベルグの初優勝も遠からず霧の彼方へ霞んでいってしまうだろう。メルセデスにF1撤退の噂がつきまとう中、レースの神様に「勝利」という供物を献上しないことには、状況はさらに難しくなっていくばかりだ。

ロータス・ルノー 8/10 (Kライコネン 8/10、Rグロージャン 5/10)
「勝てる勝てる」と言われながら一勝も挙げずに前半戦が終ってしまったロータス。ライコネンは復帰初年度から、さすがチャンピオンという走りを見せてはいるが、どうも慎重すぎるきらいがあるように見える。仕掛けどころでもたつかずにズバッと仕掛けていくだけの度胸はあるはずなのだが(もっとも、その慎重さこそが彼の持ち味、という見方もできるが)…。グロージャンは一発の速さはそこそこのものながら、まだレースを通してのペース配分がヘタクソな様子で、もうちょっと慣れてこないと安定して上位には来れない気がする。チームとしてはライコネンに集中するのが得策かもしれないが、いずれにしてもどこかで優勝しないとチャンピオン・タイトルは厳しいだろう。

フォースインディア・メルセデス 6/10 (Pレスタ 7/10、Nヒュルケンバーグ 6/10)
中堅数チームの中ではたぶん一番速い。のだがどうも存在感が薄い。速いでもなく遅いでもなく、淡々とレースをしているからそう見えるのだろう。今のところはサウバーの茶番劇とトロロッソのドライバー選定の失敗によって、自動的にこの位置にいる感じが否めない。チーム側は先だって、リソースを来季用の開発にシフトすることを正式に発表した。つまりこれ以降大幅なアップデートは行われないということになり、後続数チームには多少なりとも戦いが楽になるだろう。どうもドライバーの影が薄すぎて採点のしようもないのが問題といえば問題か。

サウバー・フェラーリ 3/10 (Sペレス 8/10、小林可夢偉 5/10)
車も速いし、ドライバーも揃って腕が立つ。となるとあとは作戦ぐらいしかない。マレーシアやスペイン、ドイツなど、定期的に好成績を上げているが、なにぶんそれを帳消しにするようなつまらないミステイクが多すぎる。作戦がダメならピットワークもダメ、これではドライバーの心は荒んでゆくばかりだろう。チーム代表のペーター・サウバーが一部のドライバー(ハイドフェルド、フレンツェンなど)からの評判がよろしくないのも気がかりだ。ペレスは若い速さを評価して多めに点を入れたが、もうちょっと落ち着いた感じの走りを身につければ優勝が見えてくるだろう。小林は最近焦りすぎだと思うが、チームがあんな状態では責めるべくもない。抜本的な体制の改革が必要なのだが、チームの体力が思わしくない現状ではそれは難しいことかもしれない。若い才能を揃って叩き潰してしまうことのないよう願うばかりである。

トロロッソ・フェラーリ 2/10 (Dリカルド 4/10、Jベルニュ 3/10)
開幕戦でいい位置につけていて、今季に向けての期待を抱かせたのも今は昔、といった様相である。すくなくともブエミとアルグエルスアリ、どちらか一人でも残っていればこんなことにはならずに済んだかもしれないのだ。ベルニュはまだまだクラッシュも多く、実力は足りない。バレンシアではケーターハムに接触して消えてしまったが、一度こういうことをやらかしてしまうとチームからは信用されなくなってしまう。このままでは本当に「入賞一回のみ」でシーズンが終りかねない勢いだが、この重要時にTDのジョルジュ・アスカネリが離脱との噂が聞こえてきた。どうやらトスト代表とうまくいっていないらしいのだが、無理もない。いまのトロロッソは、他チームとレースをするための「F1チーム」ですらなく、「若手用のF1一年体験コース」のようなものなのだ。もともとチームの主要メンバーだったベルガーは、多分こうなることを見越して身を引いたのだろう。はやく「ベッテルを育てる夢」から醒めたほうがいい。

ウィリアムズ・ルノー 6/10 (Pマルドナド 4/10、Bセナ 5/10)
安定した入賞にはまったく問題ないのだが、なにぶんにも不要なクラッシュが多すぎる。マルドナドははやくGP2的な思考回路から脱却した方がいい。セナは奮闘しているようだが、もうちょっと存在感のあるレースがしたいところ。チーム的に問題が見当たらないのがポジティブ要素なので、完走率がもうちょっと上がれば自ずから連続入賞の道筋も見えてくるだろう。今シーズンになって大いにクラッシャーとしての名声を上げたマルドナドだが、来年彼はどんなことになっているのだろうか。余談ながら、チーム首脳は若く才能のあるテストドライバーのバルテリ・ボッタスにぞっこん惚れで、いつかレースシートを用意してやりたいとの魂胆のようである。セナは気をつけた方がいいかもしれない。

ケーターハム・ルノー 3/10 (Hコバライネン 5/10、Vペトロフ 5/10)
相変わらずTVに映らないレースばかりしている。昨年の勢いはどこへやら、ドライバーは平均点以上の仕事はしていると思うのだが、まったくもって改善が見られない。小規模なチームなので開発やアップデートに限界があるのだろうが、それにしても開幕前の期待が大きかっただけに失望感もひとしおだ。下位2チームほど絶望的に遅くはなく、かといってウィリアムズのしっぽを掴むほど速くはない。いわば戦う相手のいない一人旅である。これが面白いはずもなく、コバライネンには複数チームへの移籍話が浮上している。今季がこのまま終ってしまうとしたら寂しい限りである。

HRT・コスワース 2/10 (Pデラロサ 6/10、Nカーティケヤン 2/10)
底辺チームでとてつもなく遅い、というのはわかるのだが、いつも同じようなところばかり走っていて評価のしようがないというのが実情である。正直に言って、こういうチームの採点をするのは非常に面倒くさい。デラロサはたんにドライバーとしてだけではなく、サラと共同でチーム全体を牽引していく大仕事をこなしているあたり、評価は高めだ。カーティケヤンはいつ消えても驚かない。そもそも気づくかどうかも疑問である。

マルッシャ・コスワース 3/10 (Tグロック 3/10、Cピック 4/10)
はっきり言う。何を書けばいいのやらまったくわからない。グロックは車の批判をしはじめたが、チームの信を失することも覚悟のうえなのだろう。パット・シモンズのご威光もここまで、といった趣か。ピックは若手急進株と取りざたされたりしているが、このチームではやはり評価のしようもない。グロックなど、なまじ才能があるだけに、こんなところでキャリアの余生を静かに送るだけの生活をしているのが残念でならない。

2012年7月 9日 (月)

イギリスGP寸評/ F1コラム:「入賞」というファクター

ことしのイギリス・グランプリは、五十二周のレースのうち四十八周までをリードした、ポール・シッターのアロンソがやぶれ、さいごの四周だけをリードしたマーク・ウェバーが優勝するという結末をむかえた。文字で書くとずいぶん劇的な感じがするが、じっさいに見ている分にはそうでもなかった。アロンソの序盤におけるリードは、性能のいいほうのハードタイヤでアタックしつづけることと引き換えに得たもので、その代償としてかれは最後のほうになってソフト・タイヤに履き替えなければならないことは明白だったからである。三十八周目にピットインしたアロンソが出てきたとき、二位のウェバーとの差は4秒とすこしだった。ぼくは、心のどこかでアロンソがヨーロッパ・グランプリでみせたようなすばらしい走りをもういちどしてくれることを期待しながら、しかしこれまで一年間、「ピレリ・タイヤのレース」につき合ってきた経験で、おそらくそんな差ではアロンソはすぐに抜かれてしまうだろうと思った。欲をいえば、ウェバーとの差は最低でも10秒ぐらいはほしかった。ソフト・タイヤは、真夏のイギリスのような涼しさのある天気でもすぐにダレてしまって、つかいものにならなくなってしまうのである。それでもアロンソは懸命にブロックしたが、四十八周目のウェリントン・ストレートのおわりのほうでインからつっこんできたウェバーを、ふたたびしりぞけることはかなわなかった。そして、体制を立て直してこれを追撃することもできなかった。消耗しきったタイヤが、それをゆるさなかったのである。同じようなことはミハエル・シューマッハのほうにも起こっていたが、アロンソはまだ二位をキープしてレースを終えることができただけ、幸運だっったかもしれない。   
   
こんどの優勝で、マーク・ウェバーはアロンソにつぐ二人目の「二勝ドライバー」となり、また選手権ランキングでもアロンソの129点にたしいて116点とつめよった。ドライバー選手権はまだまったく先が見えない戦いがつづいているが、コンストラクター選手権のほうはどうもそういうふうにはいかないようである。そこで、チームにとっての「入賞」ということについてすこし見ていきたい。    
   
現在、F1の選手権ポイントは10位の車にまで与えられることになっていて、十位が1ポイントである。2009年までは八位が1ポイント、2002年までは六位が1ポイントで、この「六台入賞」制度がF1発足以来、じつに五十二年間つづいていたというわけだ。入賞枠の拡大にはいろいろ事情があるのだが、「チーム間の格差が埋まってきて、相対的に競争がはげしくなってきた」というのも一因であろう。つまり、昔のようにエンジンやギヤボックスを壊して、はやばやとレースから消えてしまう車がなかなかなくなったため(ヨーロッパ・グランプリでのルノー・エンジンのトラブルは、それほどの衝撃であった)、完走する車がつねに二十台前後という状況になってきたのである。それで、各チームが実力に見合った見返り(即物的に言えば選手権ポイントということになる)を公平に得られるように、ということで、入賞枠が拡大された、という話をどこかで聞き及んだことがある。理由としてはさもありなんだと思う。しかし、こうした対策にもかかわらず、F1からある種の「おもしろみ」が欠けてしまっているように感じる。「意外性」のもたらすおもしろさである。    
   
2012年はまだシーズンが終っていないので、ここに2011年のデータを引用したく思う。これによると、参加十二チームのうち、選手権ポイントを獲得したのは九チーム、そのうち「シーズン通して一度のみの入賞」に終ったチームはゼロなのである(最低がウィリアムズの三回。ドライバーならマルドナドとセナがいる。くしくも次の年にチーム・メート同士となる二人である)。つまり、毎度毎度、おなじメンバーばかりが入賞争い(優勝争いではない)を繰り広げていることになるのだ。2011年でいえば、たとえばウィリアムズが五点しか取れていなかったり、後半になってルノー(現ロータス)がめっきり調子を落としたり、といったことはあったが、ポイント・テーブルを見渡してみれば、だいたいがおなじチームである。    
   
そこで、これのちょうど二十年前ということで、一九九一年のデータをめくってみると、一度のみの入賞に終ったチームがサンマリノ五位・六位のロータスとハンガリー六位のマーチの二チーム、二度だとアメリカ六位・カナダ六位のラルース、サンマリノ三位・モナコ六位のスクーデリア・イタリア、ベルギー六位・日本五位のブラバム、サンマリノ四位・ポルトガル四位のミナルディと四チームいて、合計で六チーム。入賞一回のみのドライバーでは、アメリカ五位の中嶋悟、同六位の鈴木亜久里、サンマリノ三位のレート、モナコ六位のピロ、メキシコ六位のベルナール、ハンガリー六位のカペリ、ベルギー六位のブランデル、日本五位のブランドル、そしてオーストラリア六位の代走モルビデリの九人。いかにポイントがばらけたかがおわかりいただけるかと思う。つまり、ほぼ毎レース、入賞圏の末席の顔ぶれが違うのである。この年はマクラーレン・ホンダの常緑樹に虫が食い始め、かわってウィリアムズがいちじるしく台頭。その一歩後ろでフェラーリとベネトンがひかえる、といった構図で、基本はこの顔ぶれが毎回、優勝争いに絡んでいる。いわばこんにちのレッドブル・マクラーレン・フェラーリである。事実、九一年にマクラーレンとウィリアムズ以外で優勝しているのは、わずかにカナダ・グランプリでベネトンが勝った一回のみ、それもウィリアムズのマンセルのトラブルに乗じて「落ちてきた」勝利であり、けっして今年のようなわかりやすい大乱戦のシーズンではなかった。    
   
参考までに、一九九○年のデータも付記しておくと、一度しか入賞しなかったドライバーはアメリカ五位のモデナ、モナコ五位のカフィ、フランス二位のカペリ(意外な気もする)、ベルギー六位のグージェルミン、日本二位の代走モレノの五人。入賞一回のチームがアメリカ五位のブラバムとモナコ五位のフットワークの二チーム、ついで入賞二回が二チーム(ロータス、レイトンハウス)となっていて、この年は比較的、順位が固定されていたということができる。    
さかのぼって、八九年はドライバーがブラジル三位のグージェルミン、モナコ三位のモデナ(これまた意外)、メキシコ六位のタルクィーニ、アメリカ四位のダナー、カナダ三位のチェザリス、同五位のアルヌー、フランス六位のグルイヤール、イギリス六位のサラ(現HRT代表。ミナルディ好きには有名なレースだろう)、スペイン六位のアリオー、オーストラリア四位の中嶋(これまた有名なレース)と十人、チームのほうは一回がレイトンハウス、AGS、リアル、ラルースの四チーム、二回がスクーデリア・イタリアとオニクスの二チームとなっている(ミナルディは三回。この年はミナルディ・ファンにとって忘れがたい一年だっただろう)。NA元年で、ある程度チーム間の実力が均衡したせいだろうか。    
   
よく、この時代のF1を生で見ていたひとびとの「あの頃のF1はおもしろかった」という声を聞いて、その時代を肌で感じていない、あるいはその頃F1を見ていなかったひとびとは首を傾げるであろう。この時代のF1のおもしろさというのは、つまりこういうことなのである。上位陣があるていど固定され(この時代の有力チームのなかでも、花形チームはマクラーレン・フェラーリ・ウィリアムズ、そしてそのすこし下にベネトンという四チームだった)、そしてその下のBクラスチーム以下が強烈な戦国絵巻だったのである。八九年のオニクス、九○年のラルースのように、予備予選への参加を義務付けられていたチームが表彰台にのぼることさえあった。今の状況でいえば、たとえばマルシアが表彰台に立ったり、ケーターハムがダブル入賞するようなものである。    
   
だがしかしというか、この事実の裏側にはある目立たない理由が隠されている。リタイヤ率の高さである。今でこそ、F1レースでリタイヤするのはいつも二台か三台ぐらいだが、このころはそうではなかった。予選フルグリッドが二十六台、そしてレースを走りきって帰ってくる車は平均十台ちょっとが常識で、あとの半分は途中でどこかをわるくしたり、クラッシュかスピンアウトで、フィニッシュラインへたどり着くことなくレースを終えてしまうのである。マクラーレン・ホンダやウィリアムズ・ルノーのようなトップチームでさえも、二台が二台とも得点して帰ってくる確率は半々よりすこし多いぐらいだったように思う。セナやマンセルといったトップ・ドライバーも、今と比べると信じられないリタイヤ率である。特に九一年序盤のウィリアムズや同年中盤~翌年のマクラーレンのように、車にどこか根本的な欠陥があればなおのこと。そして中位チームは、ほぼ毎レース、かならず二台以上の車がエンジンから派手に煙をあげてリタイヤしていた。こんにちのF1で死語と化しつつある「エンジン・ブロー」である。ぼくが最後に印象的なエンジン・ブローを見たのは2008年のハンガリー・グランプリあたりだが、この頃から、F1カーは一気に「不死の鳥」と化していった。規則によって、一年に八台のエンジンでやりくりすることになっているから、ある意味必然ともいえる。    
   
こんな時代な上に、ポイントをもらえるのは六台だけだから、一点の重みはいやがうえにも増す。九○年のモナコ・グランプリ、ベルナールとフォイテクが六位のポジションをあらそって、レースの終りに演じたはげしいバトル。八九年のポルトガル・グランプリで、ヨハンソンがバースト寸前まで摩滅したタイヤをほとんど引きずるようにして、三位表彰台にすべりこんだあの走り。同年イギリス・グランプリで、チームを死地からみごと救い上げたミナルディ・ドライバーふたりの入賞。普段は目立たないチームなだけに、その一点、入賞一回の意義もまた、とてもおおきくなるのである。チームのほうもまさに「死に物狂い」という風体だったが、F1というのは本来、そういうものではないか。    
   
ひるがえって現在である。2011年は実質、九チームだけが選手権レースに参加しているような感じで、あとの三チームはまったくもって蚊帳の外といった体たらくであった。九チームで十八台。そして、そのうちレッドブル、マクラーレン、フェラーリの三チームは、よほどのことでもない限り二台そろって入賞するだろうから、六台分の「座席」が埋まる。残るポイントは実質四台分。これを、絶不調だったウィリアムズを除外するとして(たった)十台であらそっていたのが去年のF1なのである。顔ぶれが固定されてくるのも仕方がない。ようするに、「安定しすぎて」いるのではないかと思う。たとえば八九年だと、マクラーレン、ウィリアムズ、フェラーリが「Aクラス」、ベネトンが「Aプライム」といったところにいて、ウィリアムズとアロウズあたりがBクラスになる。その下のコローニやブルン、ヅァクスピードといった「明らかにどうしようもない」チームを除外すると、あとはほとんど全員が「Cクラス」なのである。Cクラスというのは本来、入賞はできない程度の実力なのだが、ふとした拍子でAやBの車がリタイヤすると、そのおかげでポイントが一点か二点、あわよくば表彰台の末席を取れる位置にいる、ということになる。その辺をチームもドライバーもよく知っているし、そのチャンスが今のように貴重なものでもない(ヨーロッパ・グランプリでベッテルがストップした瞬間、ぼくは思わず声を上げてしまった。フェラーリに勝機が回ってきたよろこびもあったが、それ以上に「現代F1においてトップチームの車がトラブルでストップした」という事実の前に息を飲んだのである)ことも知っていたから、みんな「入賞一歩手前」あたりの順位めがけて殺到していったのである。それで競争が激化し、見るものはみな「おもしろい」と感じたのだ。今のF1だと、上のほうの九チームはぜんぶがぜんぶ「Aクラス」で、あとの三チームがみな「Dクラス」、しかも入賞範囲がちょうどそのAクラスの間尺に合うぐらいに設定してあるせいで、小競り合いがなかなか生まれないのである。今年に入ってウィリアムズが力をつけ、入賞あらそいをするチームがひとつ増えたことで状況はいくぶん良くなったが、それでもまだ、「あの時代」には及ばないのではないかと思うのである。    
   
思うに、2011年のF1があれほど「つまらない」といわれた影には、ベッテルのすさまじい独走という以外にも、こんな事情があるんじゃないかとも思う。九一年もつねにマクラーレンとウィリアムズのどちらかが勝っていたが、そのうしろのバトルが熱かったおかげでみんな退屈せずにすんだのである。そして、過去同様に「つまらない」といわれてきたシーズンの代表格である八八年と九二年を見ると、つねにひとつかふたつのチームだけが優勝をしていることのほかに、「入賞しているメンバーがいつも同じである」ということに気がつくのである。

2012年7月 7日 (土)

続・F1カルトクイズ

去年のイタリアGPあたりで書いた、「F1カルトクイズ」なるものを覚えておられるだろうか。昨日今日にF1を知ったという諸兄、また一時期見ていたが最近はぜんぜん見ていないという諸兄にとってはかなり手ごわい問題だったのではなかろうかと思うが、読者諸兄がてこずればてこずるほど、それは筆者のよろこびとなってフィードバックされるのである。…はい、こんなサディストみたいなヤツでゴメンナサイ。

で、今回も筆者が手無沙汰に考えた問題を12問出題するので、それぞれよく考えて回答したあとに「続きを読む」内の回答編を見ていってほしい。Wikipediaなどによるカンニング行為は無論、失格処分である。こっちだってネットを見ないで考えた問題なのだぞ。難易度的には前回よりやさしくしてあるつもりである。では、行ってみよう。

Q01. 1987年シーズンにチーム・ロータスが投入した新兵器、アクティブ・サスペンション。このシーズン、ロータス以外のチームでいちはやくこの機構を模倣し、勝利したチーム・ドライバーはどこの誰か。またその勝利は、どのGPで達成されたものか。

Q02. そのアクティブ・サスペンションを、はじめて実用化したF1カーは何年のどの車か。

Q03. 1992年シーズンにおいて、結果的にまったくおなじ組織によるデザインが行われた車を走らせていたふたつのチームはどことどこであったか。

Q04. 1991年より、ホンダはV10を捨てV12の開発に踏み切り、ライバルであるルノーはV10を使い続けることを選んだ。では、1991年開幕戦時点で、V10エンジンとV12エンジンを搭載していたチームはそれぞれいくつあったか。

Q05. ポールハンターとまで形容されたアイルトン・セナが、ただの一度しかPPを取れなかったシーズンはどのシーズンであったか。

Q06. そのセナがナイジェル・マンセルと激闘を演じ、ひとびとを震撼させた92年モナコグランプリ。モナコマイスターの意地が光ったこのレース、ポイント順位の末席である6位に入り1ポイントを獲得したのはどのチームの誰であったか。

Q07. 1987年にいわゆる「3500cc規定」が発効したさい、真っ先にNAエンジンで戦ったチームをすべて挙げよ。

Q08. その1987年シーズン、NAエンジン勢の最高ランキングはどのチームであったか。また、ポイント・ランキング上でそのチームの後塵を拝したターボ・エンジン使用チームはどこであったか。

Q09. タイヤの契約のもつれから、トールマン・チームは1985年の開幕数戦を閉門蟄居するはめになったが、彼らがグランプリに復帰したのはその年の第何戦、どのグランプリであったか。

Q10. アレクサンダー・ブルツがF1デビューする直前にドライブしていたのは、どのカテゴリのどの車であったか。

Q11. 前年にもましてホンダ・エンジンの独走劇がつづいた1987年。この年、ホンダを積むウィリアムズとロータスを、マクラーレンのプロストとフェラーリのベルガーが追いかける形であったが、この6人(マンセル/ピケ/セナ/中嶋/プロスト/ベルガー)以外で唯一、この年ファステスト・ラップを記録したどのチームの誰で、どのグランプリで達成されたものか。

Q12. 1992年といえばフェラーリが歴史に残る大低迷を記録した年として有名だが、その年のホームであるイタリア・グランプリでの、フェラーリ2台の戦績はいかなるものであったか。

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2012年4月13日 (金)

海老沢泰久 「F2グランプリ」

今回の記事では小説作品を取り扱うが、内容の核心にかんする記述を多く含むことが不可避であるため、本の結末を先に知りたくない読者は閲覧を控えることをつよく勧める。



プロスポーツネタというのは、一般的に小説よりはノンフィクションに向いている題材だと思う。最近とんとフィクションを読まないのでその辺の確証がないのだが、どうもサッカーやテニスといったプロスポーツを題材にした小説をあまり見ない。アマチュアを扱った作品、たとえばしがない社会人5人組がフットサルチームをつくる話だとか、そういったものはこの限りではないのだが、プロスポーツとなるとどうも「現実世界」で話が完結してしまって、虚構が入り込む余地がなかなかないからだろうか。サッカー、テニスといったメジャーなスポーツでこれなのだから、ましてやカーレースのようなあまり万人受けしないようなジャンルともなれば、何をかいわんや、である。

RIMG0179ところが、この「カーレース小説」というのを、まだ日本にF1ブームが到来するはるか前、1981年の時点で著していた人物がいる。ぼくが尊敬してやまないノンフィクションライター兼小説家、海老沢泰久氏だ。写真左の赤い表紙の本がそれで、「F2グランプリ」と題されている。読んで字のごとく、全日本F2選手権のチャンピオン争いをテーマに据えたフィクション作品だ。当時日本ではF1グランプリはまだ開催されておらず、F1のひとつ下のカテゴリであるF2が事実上の国内レース最高峰であった。3リッターのエンジンを使うF1に対して、F2は一段下の2リッター・エンジンの使用が義務付けられており、パワーも当時のF1カーの500馬力以上に対して300馬力前後と、かなり控えめであった。このF2のレースのシリーズ最終戦が鈴鹿サーキットで開催され、三人のチャンピオン候補たちが優勝目指して闘うという、まあ王道といえるストーリーである。本の裏表紙の文を以下に抜粋する。

「一周6キロのコースを時速300キロの猛スピードで走るF2マシン。鈴鹿サーキットの3万人の観衆がどよめいた。優勝候補は三連覇を狙う佐々木、対抗馬の井本、ルーキーの中野。F2グランプリを制するのは誰か。栄光のチャンピオンを目指して疾走するドライバーたちの熱き闘いを描くカーレース小説の会心作。」


現在のF1・日本グランプリの観客数が十万人以上とされているから、三万人というのは非常にさみしい数字であるというのが伺える。ようするにこの佐々木、井本、中野の三人が、10月に行われた全日本F2選手権最終戦・JAF鈴鹿F2グランプリ(作中では出走十八台とされている)でチャンピオン・タイトルをかけてぶつかり合う、ただそれだけの話である。しかし「ただそれだけ」で終わらないのがこの本の醍醐味。海老沢氏の文筆のうまさと相まって、カーレースのことをよく知らないという人でも、一冊の娯楽小説としてまずまず楽しめる本に仕上げられている。その一方で、すでにこの時代のカーレース界における「世相」を知り尽くしたマニアな読者にも、ちゃんとお楽しみは用意されている。というのは、この物語の中で描かれている多くのイベントや関係者などは、すべて実在の出来事・人物をもとに描写されているからなのだ。以下、物語の核心に踏み込んでゆくことをもう一度ことわった上で、そのあたりについて書いていきたいと思う。

まず、優勝候補の最右翼とされている佐々木宏二というドライバー。彼は過去2年、連続してF2チャンピオンになっており、このシーズンも鈴鹿ラウンドに入るまでにだれよりも多く選手権ポイントを獲得し、前人未到の三連覇に王手をかけて鈴鹿に勇躍、乗り込んできたという設定だ。いっぽう、対抗馬の井本豊なるドライバーは、"優勝こそしていなかったが四戦のうち三度にわたって二位を占め、名実ともに佐々木宏二を脅かす一番手のドライバーと考えられていた"という。この佐々木と井本は、ともに同じ人物がモデルと考えられる。物語の時間軸を1980年と置くと、この人物のモデルが、当時すでに「日本最速」の称号を得ていた星野一義であろうことは想像に難くない。レースをよく知っている人なら、これにくわえて高原敬武の名前をあげる人もあるだろう。後述するが、佐々木のほうは悪役に徹する印象がつよく、その創作の度合いは比較的高いと見てよさそうだ。井本のほうがわりあい忠実に星野の人となりを再現しているのではなかろうか。このふたりが、"関係者のあいだでは、優勝候補として、はやくから(中略)名前があげられていた"ということである。

そして、ある意味で本書の主人公である、中野英明というドライバー。この年からF2レースにデビューしたばかりのルーキーで、まだこれといった戦績をあげてはいなかったが、このレースからデモン自動車という自動車会社が製作したV型6気筒エンジンを搭載して走ることになったため、優勝候補の一角にあげられたのである。勘のいい読者ならお分かりかと思うが、この「中野英明」こそ、後年日本のレース界で星野一義をも上回る速さを見せつけ、のちに日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟がモデルなのだ。このデモン自動車も、モデルはむろん現役時代から中嶋とのつながりがあった、ホンダ自動車である。その戦歴も、"過去において世界のF1グランプリとF2の両方のレースを制した、唯一の日本製エンジン"であり、"一九六五年のメキシコ・F1グランプリと六七年のイタリア・F1グランプリ"で優勝し、"六六年のF2レースで…ヨーロッパにおける主要な十四のレースで十二勝したのである"とある。史実でも、ホンダは上に挙げたふたつのF1グランプリレースでみごと優勝し、また1966年にはジャック・ブラバムと組んで欧州のF2を席巻した歴史を持つ。また、1968年にいったんレース活動から手を引いたのち、まず2リッターのF2用V6エンジンで復帰するのも史実どおりだ。ただ、史実では、ホンダのF2用エンジンが日本のサーキットに姿をあらわすのは1981年なのだが、物語の時間軸においてはマーチ社製・802型シャシーが「最新式」とされており、1980年のできごとを描写していることがわかる。このあたりはまあ、物語に必要な架空要素と見ることができるであろう。中嶋悟と彼をめぐる当時の国内レース界の動向は、海老沢氏が後年になってまとめた「F1走る魂」という本(上写真右)に詳細に記述されている。そういった意味で、「F2グランプリ」と対を成す存在といえる同書は、1987年シーズンにチーム・ロータスからF1デビューした中嶋悟の半生記と、すでにF1チャンピオン・エンジンとなっていたホンダのエンジニアたちの一年の戦いぶりを記すものだが、史料価値も高く、スポーツ・ノンフィクションの名手である海老沢氏の面目躍如といったところだ。

さて、レースの話である。物語では、佐々木宏二はすでにこの年から独立してみずからのチームで参戦しており、それに伴って井本がブリザード・レーシング内でのファーストドライバーの地位を手に入れている。もともと彼は佐々木宏二のセカンド・ドライバーとして同チームからF2デビューしたという設定だが、これは当初、星野一義のナンバー2ドライバーとして名門ヒーローズ・レーシングよりデビューした中嶋悟の状況に通ずるものがある。もっとも、史実では中嶋はすぐにはヒーローズ・レーシングのエースにはならず、79年にI&Iレーシングというところへ移籍している(ホンダエンジンを獲得し、最初に走らせたのも同チームであった)。ブリザード・レーシングの監督である島田実という男は「大会社の御曹司」であり、資金面はひじょうに安定していることをうかがわせる描写があるのだが、これも史実におけるヒーローズ監督の田中弘(ハンドマイクなどを製造する会社「ユニペックス」の御曹司であった)に共通する点である。ふたりとも、最新式のマーチ・802に、BMW製の2リッター・直列4気筒エンジンを積んだマシンで走っているのに対し、中野が所属するローレル・レーシングは、旧式マシンのラルト・RT2を使用せざるを得ない。ばかりか、このレースでワークス・スペックのホンダ・・・もとい、デモンV6を獲得するまで、このチームは1レースに使えるBMWエンジンが一基しかなかったのだ。これは、史実において中嶋が79年から82年までを過ごしたI&Iレーシング結成当初の様相に似通っている。また、ローレル・レーシングの監督である藤巻健太郎は、往年の名ドライバーという設定が付与されている。これも、I&Iレーシング創設者であり、日本のカーレース黎明期に大活躍した生沢徹氏を模しているとみて間違いないだろう。

佐々木宏二は、作中では明確な悪役として描写されている。悪役という言い方があたらないなら、「冷徹」とでも言おうか。彼は自他ともに認める日本一速いドライバーであり、みずからの実力に絶対の自信を持っている。物語の冒頭で、彼はデグナーカーブでレコードラインをふさぎ、ラインをあけてくれる前提で全速力で飛び込んできた中野英明をクラッシュさせている。あからさまに押し出したりしてはいない辺り、この男の老獪さを垣間見ることができるのだが、上手いドライバーなら同様の状況におちいっても、なんとかステアリング操作で回避できそうな気がしなくもない。1982年のF1ベルギーグランプリの予選中にジル・ヴィルニューブがスロー走行中のヨッヘン・マスに接触し、命を落とした事故がひとびとを震撼して以来、「パスされる側(スロー走行中のクルマ)は無闇な進路変更を行ってはならない」という不文律が出来上がったのだが、それは少しあとの話になる。とまれ、もし佐々木が、中野は若さゆえに無傷で回避していくのは不可能であると踏んでこの動きに出たとしたら、そうとうな策士である。また、物語の中ではこの年の四月におこなわれた開幕戦のレースで、佐々木・井本、そして彼らと並ぶトップドライバーであった宇佐美典義の三台が接触し、宇佐美が死亡する事故が発生しているのだが、佐々木はみずからのドライビングに責任の一端があることを自覚しつつまるで何事もなかったかのように振る舞い、あまつさえつぎのレースでは優勝している。いっぽうの井本はその後、かなり長い間事故の記憶にさいなまれることとなったが、史実において日本のF2選手権でこの時期に死亡事故が発生した記録はなく、この出来事は架空のものといえる。井本はほかにも、レース前になると過度の緊張から蕁麻疹を発症したり、朝から何も食べることができなくなるといった描写があるが、これはまさしく星野一義の現役時代のエピソードである。星野はコース上ではすばらしいスピードで走り、コース外でも熱血漢としてよく知られ愛された人物であったが、他人が考えるよりはるかに繊細だった。

ところで、上のほうで「最新式のマーチ802シャシー」の話が出てきたが、この辺りに本書における考証ミスを垣間見ることができる。ローレル・レーシングは金がないせいで旧式化したラルト・RT2シャシーを使っているくだりだが、本文中にこんな記述を見ることができる。

「・・・そのために、まずもっとも安定しているイギリスのマーチ・エンジニアリング社製の最新型マシンであるマーチ802が買えなかった。彼は(中略)ラルトRT2を買った。これはマーチ社の旧型マシン、マーチ792に対抗するためにつくられたラルト社のマシンで、802に対してはすでにRT4がつくられていた。彼は中古のシャシーを買ったのである。・・・」

著述畑出身の作者らしい、いかにも説明口調な文体だ、という意見はさておき、史実においても、確かにラルト社がRT2シャシーでこの時代のF2レースに参戦していた事実が存在する。しかしラルト社のタイプ・ナンバー総覧を見ていくと、RT2以下RT3がF3用、RT4はフォーミュラー・アトランティックという、北米でおこなわれる1800ccエンジンを使ったジュニア・フォーミュラーのレース用につくられていて、RT2のつぎのF2用マシンはホンダ・エンジン搭載を最初から考えて設計され、1981年にデビューしたRH6となっている。また、RT2はコンパクトなBMW製直列4気筒エンジンの搭載を念頭において設計されたシャシーであり、横方向のサイズが大きいV型エンジンを搭載するには、かなり大掛かりな改造をほどこす必要が出てくる。おそらくフレームから改造することになるだろうが、作中では貧乏チームとして描かれているローレル・レーシングにそんな財力はないだろう。考証ミスでないとしたら、おそらく「RH6」のHが「ホンダ」の頭文字をしめすものであり、あくまで「フィクション」という立場を貫く本作にとって不都合と作者が判断したのではあるまいか。

脇役陣もそうとう「いいキャラ」がそろっているのだが、こちらも史実由来の人物が大挙して登場する。原島三郎というレーサーがおり、彼はこの鈴鹿グランプリを最後に現役を引退することを考えていた。チームの資金は不足し、車両は2年落ちのマーチ782という底辺ドライバーである。しかし原島にも得意な時期はあった。

「原島三郎は日本のレースだけでは飽き足らず、スタードライバーを失うことを怖れた当時の関係者たちの説得を振り切って、六年前にヨーロッパに渡った。そしてフランスに住み、ヨーロッパのF3レースにフルエントリーしてヨーロッパ各地を転戦した。彼はヨーロッパでも通用するドライバーであることを、行ってすぐに証明してみせた。第三戦目であっさり優勝してしまったのだ。ヨーロッパに渡った日本人ドライバーは過去に何人もいたが、わずか三戦目で優勝するなどという派手なことをやってのけたのは彼がはじめてだった。(中略)その成績からすれば、一年か二年のうちにF2をとびこえて、どこかのF1チームにスカウトされるのは確実と思われた。」

結局、原島はF1へは行けずじまいで終った。彼の資金援助をおこなっていた父の不動産会社が倒産したため日本へ戻り、その後「最初の二レースか三レースはまともなレースをしてみせたが、あとは酒びたりになった。そして切れ味のいいドライビングを忘れてしまった。彼が忘れなかったのは、ワインの味とフランス煙草だけだった」という、哀しいドライバーだ。作中、彼が雑誌で「アラン・ジョーンズがF1チャンピオンになったと書いてあった」記事を読んだくだりがある(このことからも、物語の時間軸が1980年末であることがわかる)。彼は同席していた井本、中野、ジャーナリストの村上に向かってこう言い放つ。「昔は(ジョーンズも)たいしたドライバーじゃなかったんだがな。どうってことないやつだったんだ」。原島はヨーロッパでF3を戦っていたころのジョーンズのライバルであり、勝ち星を争う関係だった。ジョーンズはその後F1へ進出し、史実でもサウジアラビア航空からふんだんな資金援助を受けたウィリアムズ・チームでF1チャンピオンとなっている。いっぽうの原島は、このレースを最後にカーレースの世界から足を洗う決意を固めていた。「人間には潮時ってものがあるからな」。そして当日、原島はレースなかばで多重クラッシュの餌食となり、マーシャル・ポストを直撃し、そこにいたひとりのマーシャルもろとも命を落とす。現世の哀愁、才能だけではどうにもならない天運といったものを書ききった名シーンだと思う。史実において、同時期にヨーロッパでF3を戦った日本人としては桑島正美(その後、1976年の富士F1グランプリで少し走っている)や生沢徹、風戸裕(1973年に事故死)などがいるが、資金難で日本へ帰ったという描写から、モデルとして近いのは桑島であると判断できる。ただ桑島はその後も1980年に足を踏み入れるまで日本で現役生活を続けており、現在も存命中である。

もうひとりの脇役として、特定の個人ではないが「チャンピオン・タイヤ」というタイヤ会社があげられる。物語中、優勝候補の三台の中で唯一、中野だけがチャンピオン製ラジアルタイヤを装着して出走することになったのだが(メーカー自体は三人ともチャンピオンを使っている)、このチャンピオン社の主任、永井信夫が、クラッシュによってセッティングの時間がなくなり途方にくれるローレルの藤巻監督(この二人は旧知の仲であることが描写や対話からうかがい知れる)に、一台だけバイアスタイヤに替えてラジアルタイヤをつけるようすすめるシーンがある。史実では、全日本F2選手権で最初にラジアルタイヤが使用されたのは1980年シーズンで、中嶋悟のクルマがブリジストン社製レーシング・ラジアルを装着して出走している。このことからチャンピオン社はブリジストンをモデルとした設定であることがわかるが、作中ではチャンピオン・タイヤがすぐれた性能によってほぼ寡占状態を築き上げているのに対し、史実ではこの時期の全日本F2はブリジストン・ダンロップ・アドバン(横浜タイヤ)三社によるすさまじいタイヤ競争のまっただなかにあり、したがって史実における永井信夫のポジションにいた人間は、とてものんきに「F1オールジャパンチーム」の夢なんぞ見ていられなかったはずである。作中で、デモン・エンジンを獲得した藤巻が、友人であるデモン・モーターランド(鈴鹿サーキットの所有団体。史実では「ホンダ・モビリティランド」として知られる)支配人の有田に、デモンのF1用ターボ・エンジンを搭載し、チャンピオン・タイヤを履き、ドライバーは中野英明とするオールジャパンF1チームの構想を打ち明けているのだ。この本が書かれたのは81年末であり、当時F1でターボ・エンジンを使っていたのはルノー公団とフェラーリ、そしてハートだけだったから、かなり気が早い考えだが、逆に言えば著者の恐るべき先見性を代弁する描写でもある。あるいは、サーキットに足しげく取材を重ねていた著者のことだから、もしかしたらホンダのスタッフか誰かから、すでにF1用ターボ・エンジンの開発がはじまっていることをそっと耳打ちされていたかもしれない。藤巻は「うまくいけば三年後ぐらいに」と言っていたが、ホンダがF1エンジンをつくってデビューさせたのが1983年だからかなりいい所を突いている。中嶋悟がその後、ロータス・ホンダからF1デビューを果たしたことで、日本人ドライバーが日本製エンジンでF1を戦う構図が出来上がったが、日本製タイヤのF1挑戦はそれからさらに十年後、1997年のブリジストン・タイヤを待つことになる。実際の意味でオールジャパン・チームがF1に登場したのはじつに物語から20年後の2006年。中嶋よりひとまわり若い世代である往年のF1ドライバー、鈴木亜久里氏が立ち上げた、日本人ドライバー(佐藤琢磨)、日本製エンジン(ホンダ)、日本製タイヤ(BS)の「スーパーアグリ・F1チーム」がそれである。おそらく著者も感慨を禁じえなかったであろう。

本作においても、著者の独特な乾いた文体は健在である。彼の仕事ぶりを間近で長く見ていたホンダF1総監督、桜井淑敏氏のことばを借りるなら、「艶がある」ということになる。「…あるレベルに達した精神的エネルギーを余さず拾い上げ、そうでないものは悉く切り捨てる海老沢氏の判断方法は、結果としてゆるぎない真実のみを残す。こうして残った真実の持つ強さは、彼の人生に対して、また表現することに対しても、比類のない確かさをもたらしているのである。あえて短絡的な善悪の判断を避けて真実を並べることにより、(中略)そしてエネルギーレベルを厳格にそろえることによって、確かさと気高い香りが脈々と流れているのである。"文は人なり"という言葉は、海老沢氏においてもっともよくあてはまると僕は思う」(本書解説より)。真実を淡々と著述してゆくことにかけては右に出るものはないと思われる海老沢氏だが、残念なことに2009年夏、病を得て亡くなった。冷たくも鋭く響く「海老沢節」はもう聴こえない。かえすがえすも口惜しいが、最後にぼくが「F2グランプリ」の中でいちばん気に入っている台詞を引用したいと思う。作中、デモン自動車の創業者がある会議の中で述べたとされる言葉だ。

「自動車レースは、貴重なオイルを湯水のように使い、そのうえ排気ガスを空いっぱいにまきちらす公害社会の代表のようにいわれているが、わたしはそうは思わない。この地上の資源のおおかたが失われ、われわれの工場が最後の一台をつくらなければならないような事態が訪れたとしたら、わたしはそのとき、躊躇なく、乗用車ではなくレーシングカーをつくることを選ぶだろう。誰がなんといおうが、自動車レースは日常的な世界に対する崇高な挑戦であり、地上のスピードに対する万人の夢でなければならないからだ」

2012年3月10日 (土)

2012年F1 開幕直前スペシャル

さて、遅ればせながら、2012年F1シーズンも開幕前の2回の公式テスト・セッションを終え、12年を戦う各チームの新車が出揃った(若干名、遅刻組が存在するが)。今季を戦う12チーム、24台のマシンに共通するものは、まずなんといってもカモノハシのごとく張り出した、世にも醜い段差付ノーズコーン。側面衝突の際、高いノーズコーンがドライバーを突き抜けてしまわないよう先端部分(前輪から前)の高さを規制したが、本来が2009年ブラウンGPのようななめらかなローノーズにすればいいものを、鼻下に空気を多く入れたい(ハイノーズコンセプトや、それに伴うノーズ下空気流の活用は、もとはと言えば2009年にレッドブルが編み出したもの)エンジニアたちは、前輪より後ろ(ドライバー寄り)の高さが規制されていないことをいいことに、前輪の軸線上に階段をつけて解決してしまったのだ。これ以外では、エキゾーストブローシステムの全面禁止による排気系統の見直しが上げられる。昨年に続き、今年も排気部分の開発が焦点のひとつになりそうだ。さて、以下に12チームの概要と評価を書いていきたく思うが、この評価はあくまで個人的なものであることに留意されたい。   
   
レッドブルレーシング・ルノー RB8/#1 Sベッテル(D)、#2 Mウェバー(AUS)    
昨年、すさまじい強さでシーズンを席巻したレッドブル・レーシング。運営体制、ドライバー、エンジン、開発陣など、メジャーな部分にまったく変更がない状態で新シーズンに臨む。安定性という意味では一安心できる体制だ。ノーズ以外、新マシンは昨年のRB7のコンセプトを順当に引き継いでいるふうに見える。2回目のバルセロナ・テストには、さらに攻めた設計のいわば「改良版RB8」が持ち込まれていたが、開幕戦では信頼性などの問題から初期型を使用する見通しだという。同チーム所属の名デザイナー、アドリアン・ニューエイの今年の「隠しネタ」はノーズ段差部分の「郵便受け」。ドライバーの冷却用と公式には発表されているが、誰もそんな話を信じちゃいない。かといって本当の目的が何なのかはまだ闇の中なのだが・・・。テストのタイムは驚異的というまでには至っていないものの、安定して上位に入っており、今年も連覇に向けて視界は良好といえそうだ。   
   
マクラーレン・メルセデス MP4-27/#3 Jバトン(UK)、#4 Lハミルトン(UK)    
ポスト・レッドブルの一番手マクラーレン・メルセデスは、今季トップチームで唯一、段差ノーズを採用していない。チーム側によると「昨年からの空力コンセプトを引き継いだ」云々という。おそらく、今年からF1を見始める人の8割、いや9割はマクラーレン・ファンの行列に加わるのではなかろうか。昨年の特徴的なL字ポンツーンは姿を消し、やや腰高な普通のサイドポッドに取って代わられている。こちらも特にテスト段階で大きな問題は見受けられず、すべて至極順調に進んでいるものと見てよさそうだ。今季も、レッドブルを追いかけ追い落とす存在となるだろう。主にバトンが、対レッドブル戦線の尖兵を務めることになりそうだ。気持ちのいい戦いを期待せずにはいられない。   
   
スクーデリア・フェラーリ F2012/#5 Fアロンソ(ESP)、#6 Fマッサ(BR)   
昨年早くから「2012年マシンはかっこ悪い」とネット上で話題を振りまいたチーム。残念ながら、段差をつけた仲間同士の中にあっても、このクルマはひときわカッコ悪く見える。海外では「まるでレゴブロック」と酷評されていた直線的に過ぎるノーズのせいで、全体がダルな印象をまとう。レッドブルに倣い後サスをプルロッドにしたまではよかったが、なんとその勢いで(?)前輪までプルロッド化されてしまった。80年代のローノーズマシンならともかく、近代のF1マシンでこんなアプローチをするメリットがちょっと見当たらない。ドライバーの(貴重な -フェラーリが、テストが進むにつれてドライバーに「緘口令」を敷いてしまったせいだ-)コメントによれば、空力バランスにも問題がありそうである。ドライバーも、アロンソはともかく、マッサがすっかり勢いを失ってしまっているのが気がかりなところ。何より、テストセッション終了後のドライバーが「まだ仕事がたくさんある」なんてことを言っている時点で、今季のリザルトは推して知るべし、であろう。このチームの迷走飛行は、残念ながらもうしばらく続きそうだ。   
   
メルセデスGP W03/#7 Mシューマッハ(D)、#8 Nロスベルグ(D)    
こちらもコンサバ路線まっしぐらなチーム。エディ・ジョーダンもびっくりの「デザイナー青田買い」を敢行、いろいろと有力どころから有名デザイナーをぞろぞろ引き連れて来てデザインしたのがこれかよ、と言いたくならないでもないが、大きく設計思想を変更することによるリスクを考えると、なかなかそうもいかないのだろう。ドライバーラインアップも昨年から継続。救いがあるとすれば、今季大きくリザルトを落とすであろうフェラーリがすぐ前にいるということくらいか。他人の危機に乗じてでも、這い上がってチャンスをモノに出来れば、それ即ちF1においては大勝利、だ。今季は主にフェラーリを追いかけることになるだろうが、果たして追い落とすまでに至るかどうか。   
   
ロータス・ルノー E20/#9 Kライコネン(FIN)、#10 Rグロージャン(F)    
復帰したライコネンと、09年に同チームでレース歴のあるグロージャン。いずれも昨年走ってはいない、いわば「偽ルーキー」コンビだ。マシン名は「エンストン(Enstone)で作られた20台目のシャシー」だそうだが、伝統的にロータスは市販車・レースカー共通の通しナンバーを使用しており(マツダもそう。767とか787とかのアレ)、不可解なネーミングだ。一説には、チーム・ロータスの名称を一年間飽きずに係争していた現ケーターハムのナンバーを引き継ぐのを嫌ったとされている(というか、9分9厘そうであろう)が、真相は語られていない。マシンは段差部分の曲面処理をかなり上手くこなしており、ルックス的には高評価だ。他には、「黒・金」の金色部分が、TV映りを考えてか、よりクリーム色に近い色合いになっている。テスト段階ではライコネンのみならず、09年にバドエルと並んで最遅の評価を得たグロージャンですら好タイムを出しており、あくまでテストとはいえシーズンに向けての期待をあおっている。しかし、テストの最中にフロントサスペンションのマウント部分に剛性不足からくる(と思われる)トラブルが出ており、こちらはあまり安心できるものではない。過度な期待は禁物だろうが、それを差し引いても結構、善戦しそうなチームだ。   
   
フォースインディア・メルセデス VJM05/#11 Pレスタ(UK)、#12 Nヒュルケンバーグ(D)    
スーティルが昨年の喧嘩騒ぎで有罪判決を受けてしまい、テスターだったヒュルケンバーグが正ドライバーに昇格。昨年後半の追い上げ以降、かなり調子の波に乗れてきているが、実力者のスーティルが抜けた後の穴埋めが果たして若い二人に務まるかがやや気がかり。ヒュルケンバーグは2010年に、あのウィリアムズ・コスワースでPPを獲得した実績があるが、まだ実力を測るには早計という声もある。マシンカラーリングはオレンジの面積が増え、なかなか美しいものになった。昨年の勢いもあり、今年も中段グループのリーダーとして活躍するであろう。   
   
サウバー・フェラーリ C31 /#14 小林(J)、#15 Sペレス(MEX)    
こちらも堅実に昨年のコンセプトを引き継いだマシンを用意してきた。カラーリングは黒の面積が増え、またホイールが黒くなったこともあり、より引き締まった印象を受ける。ノーズの段差の処理は非常に直線的なのが目に付くが、他はこれといって特筆しべきものでもなさそう。小林はもう少し安定して上位に入れる走りをすれば、序盤での荒稼ぎの可能性が見えてくる。チーム的には、通弊である「シーズンが進むにしたがって成績が落ちてくる」悪癖を直せるか、だろうか。相変わらずチームの懐事情が厳しいとあっては、ちょっと難しいかもしれないが・・・。最大の問題は、技術面を司るジェームズ・キーTDが開幕前に離脱してしまったこと。チーム躍進の立役者である有能なチーフを欠いた設計陣が、果たしてこのマシンの開発を引っ張っていけるのか、不安が残るシーズンを迎えることになりそうだ。   
   
スクーデリア・トロ・ロッソ・フェラーリ STR7/#16 Dリカルド(AUS)、#17 J-Eベルニュ(F)    
フォースインディア同様、昨年後半とみに力をつけてきたチーム。序盤のノーポイントレースがたたり、サウバーにあと半歩及ばぬところでシーズンを終えてしまったが、あと5、6ラウンド、いや3ラウンドでもあれば、順当に逆転できていたかもしれない。今年の活躍ぶりも大いに期待できる・・・などと言っていた矢先に、なんとチームは有能なドライバー2人をいっせいに解雇し、レッドブルのジュニア育成プログラムから新たに2人の若武者を引っ張ってくるという「暴挙」に出た。この選択が最終的に正しいものかどうかを論ずるには、少なくとも開幕2~3戦が過ぎるまで待ったほうがいいとは思うが、他チームがつけ込むべき不安要素があるとすればこれだろう。マシンは「脱・レッドブル」色をいっそう強めており、ドライバーの活躍しだいではいい位置に付けてきそうなチームだ。昨年、フォースインディア・サウバーとの戦いの続きを見られるとすれば、喜ばしいことではないか。   
   
ウィリアムズ・ルノー FW34/#18 Pマルドナド(VZ)、#19 Bセナ(BR)    
「斜陽の名門」とはべたな表現だろうが、このチームはもはや「斜陽」を通り越して、ほとんど夜になりかかった状態である。フランク・ウィリアムズとパトリック・ヘッド、言葉は少々きついが二人の老人による旧態的な運営、もっといえば名門チームの矜持に固執しすぎたツケともいえる。一時期の栄華をともにしたルノーエンジンの獲得によって、風向きは多少なりとも変わることが期待されている。が、テストのタイムを見る限り、期待はあまり叶いそうにない。昨年のマクラーレンのような例もあるにはあるが、このチームにそこまでの体力はなさそうである。バリチェロを切り捨てブルーノ・セナを起用したのも金のためでしかないだろう。マシンもFW33のノーズコーンにただ階段をつけただけのような代物で(昨年問題になったリアサスマウント周辺もほったらかしに見える・・・)、お世辞にも速そうとはいえない。2011年と同じくらい苦しいシーズンが待ち受けることは、まさに火を見るがごとしであろう。或いは彼らが見ているのは、自分の台所の火の車なのか・・・。かつて旧ロータス、ブラバム、はたまたティレルといった同郷の名門がたどった足跡を、ウィリアムズは確実になぞっているように見えてならない。   
   
ケーターハム・ルノー CT01/#20 Hコバライネン(FIN)、#21 Vペトロフ(RU)    
一年目の半ばあたりですでに「員数合わせ」から脱却し、昨年、中段グループへの足がかりをつかんだ、上昇気流に乗る新進チーム。マレーシア政府による手厚い援助・庇護もあり、先行きは安泰に見えるが、すでに一回目のテストで走行しているトゥルーリを土壇場で降ろし、豊富なロシアン・ルーブルの束をバックに持つペトロフを起用したあたり、財政的な苦悩が見え隠れする。マシンは各チームの中で最も早く、1月26日にウェブ上で発表され、世間に段差ノーズの何たるやを(悪い意味で)印象付けた。しかし全車出揃った中で改めて眺めると、最低限、段差を滑らかに処理しようという努力はうかがえる。チーム名が変わっても、深緑・黄の好感が持てるカラーリングは続投のようだ。今年の目標は非常に明確。ウィリアムズを切り崩し、ポイントを獲得することだ。今現在のチーム状況、士気からして、難しい目標ではないだろう。   
   
HRT・コスワース F112/#22 Pロサ(ESP)、#23 Nカーティケヤン(IND)    
チーム首脳に往年のF1パイロット、ルイス・ペレス・サラを起用、ドライバーもリウッツィに変えてデラロサを抜擢と、スペイン色を増しているチーム。しかし裏を返せば、止まらない人材流出に対する苦しい穴埋めの一端でもある。マシンはテストセッションに間に合わず、セッション終了後の月曜日、撮影日を利用しての限定的なシェイクダウンにとどまった。マシンは段差なしノーズながら、それなりにうまくまとまったデザインで、なんとなくターボエンジン発禁直後の、新規参加チームが限られた予算で用意したモノコックを連想させる。カラーリングは初期フォースインディアを連想させる、白地に赤・金のアクセント。こちらも見た目は好ましく映る。カーティケヤンの持ち込んだインディアンマネーをカラーに反映した、ということか。しかしいくら見目がよかろうが、それだけで速く走れるはずはない。スカスカのチーム状態では、今年もマルシャと最下位争いに終始するのが関の山といったところだろう。   
   
マルッシャ・コスワース MR-01/#24 Tグロック(D)、#25 Cピック(F)    
まったく走らなかったジェロウム・ダンブロシオの代わりに、新人チャールズ・ピックを起用。こちらもクラッシュテストに手間取ったせいで、オフテスト期間中に新車が間に合わなかった。ヴァージン成分がさらに減ってチームの経営権がロシアに渡り、通しナンバーも01から振りなおされる。こちらも目立った段差はついていないが、ノーズ部分に控えめな突起が設けられている。デザインは堅実なほうだが、パット・シモンズが設計を受け持っている。カラーリングは白部分がなくなり、赤・黒のツートーンとなった。マシン、ドライバーとも特に目新しいものはなく、リザルトも昨年と同程度のものにとどまることになるはずだ。HRTよりは速く走りたいところだが果たしてどうか。   
   
さて、2012年のF1シーズンは来週金曜日、3月16日のフリー走行セッションをもってスタートする。当面の注目は、「レッドブルは独走を続けるのか」、「誰がレッドブルを止められるポジションにつくのか」といったところだろう。上位数チームよりも、そのすぐ下、中段数チームの間で特に激闘が予想される。去年が去年だっただけに、今年こそは群雄割拠、面白いシーズンになることを期待したい。   

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